あらすじ
〈非暴力〉〈不服従〉を貫いた インド独立の父 ガンディー。よく笑い、よく話し、よく怒ったという「人間・ガンディー」像を、著者独自の政治学の視点も交ぜながら描く熱き論考。禅僧・南直哉氏との対談「君は欲望を捨てられるか」も収録。
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Posted by ブクログ
My life is my message.
(私の人生そのものが、私のメッセージです)
ガンディーが晩年、残した言葉です。
ガンディーのメッセージを、現代社会に生きる我々が、どのように受け止めればよいかを考察している本です。
ガンディーの思想は、あらゆる欲望を抑制し、自己をしっかり制御するというもの。様々な対立や紛争を非暴力によって解決してきました。断食により紛争が解決したという事実は驚くべきことです。しかし、誰がやっても成功するとはかぎらないことは明らか。ガンディーという人物でしか成し得なかったこと。我々にはそこまではできない。それでは、彼から学びとれること何か。
ガンディーの素晴らしさは、歩く(塩の行進)、断食、糸車を回す、という具体的な行動をし続けたことにあります。民衆に分かりやすい行動を示したということもさすがです。ここから導き出せることは、メッセージを発するだけでなく、愚直に行動し続けることの大切さです。この点において、我々も学ぶべきであり実践できそうです。
現代の我々の生活を見つめ直すということにおいて、ガンディーの思想は意味があります。しかし、極端であることは否めず、家族に対しては強制的、支配的であったそうです。長男はグレてしまったとありました。
人間は、全て善であることはあり得ないし、若い頃色々あっても仕方ない面はあります。しかしガンディーは晩年になってから、若い女性を裸にして横に寝かせ、性欲が起こらないかの実験をしてスキャンダルになったとのこと。初めて知った事実にびっくりして、ここまで極端なってしまうことに恐ろしさを覚えました。大ショックでした。
ガンディーの偉業は、大きく讃えられるべきですが、身近な人への感謝の気持ちや人間性については、疑問が残ります。
ガンディーの思想から得るべきものはあり、残された言葉は深く考えさせられるものもあるので、その部分は自分の今後の生き方に取り入れていきたいです。
Posted by ブクログ
ガンディー、誰もが知るインド独立のリーダーであるが、彼は政治家、宗教家、活動家等既存の枠組みでは表現できない独特な魅力を持つ。そんなガンディーについて、政治学者である中島岳志氏が迫る。
ガンディーの代名詞と言えば、「塩の行進」、「断食」、「チャルカ―(糸車)を回す」ことである。中島氏は、ガンディーの凄さを「喚起する力」に見出す。こうしたガンディーの行動は、非常にシンプルでわかりやすい「行」であるが、なぜ彼がこのような活動をしているのかと言えば、そこに宗教対立を超えたメタ的な信仰心を揺さぶるインド人の力を喚起するためであった。
ガンディー以前では、インド独立はヒンドゥー教とイスラム教の宗教対立やカースト制度等の歴史的な階層性も存在していた。特に植民地経営に長けているイギリスはそうした対立を煽る形で分割統治を進めてきたことも事実である。さらに、当時の植民地諸国は、近代世界システムの中の「周辺」国として、モノカルチャー経済化が進められていた。独自に資本を稼いでいくのではなく、英国への輸出を基調とし、経済を成り立たせると同時に、塩等の生活必需品の専売権を握り、経済的な面でも支配の網を巡らせていた。
そうした背景の中での、「塩の行進」なのである。「塩の行進」は、インド人がインド人のために塩を作る(=経済の自給性を取り戻す)ということをモットーとした行進(言ってしまえば歩くだけの活動)である。この活動の核心は、目的こそ明示すれど誰にできる「行」であり、宗教的な違いがなく、というよりむしろ宗教的な違いを超えて、誰もが参加することができる活動を行っていることである。このようにシンプルかつ簡単な「行」に落とし込むことで、宗教的対立を超え、そして文字の読めない市井の人々へも喚起するということができた点が、まさにガンディーの凄さである。
ガンディーの行動の凄い点は、重要なことを誰もがわかるように「単純化」するのではなく、自分自身が1つの象徴的な所作を行うことで、その重要なことを伝えつきっかけをつくり、見た人に深い内省を促すことにある。最近の政治談議では、重要なことを「単純化」することでクリアーカットな物言いで多くの人々を焚きつけるポピュリズム的な手法が横行しているが、ガンディーはそうした「単純化」とは全く異なる、傍から見るとそれとは全く気付かないような象徴操作でそれを成し遂げることであり、こうした手法や行動は今の政治家は見習うべきであろう。