内田樹のレビュー一覧
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「精神科を訪れる若い女性患者が激増している。30代の、先端的な仕事をしている、高学歴の独身女性にその傾向が強い。」
「それは彼女たち自身があれほど望んで手に入れた『自分の生き方のすべてを自分で決定できる』権利には、『自分の生き方のすべてを自分で決定しなくてはならない』重苦しい責務が伴ってもいたからである。」
「そのストレスは、その人がまっとうに生き、まっすぐに問題と対峙し、おのれの責任を全うし、問題をみごとに解決しても、それでも変わらない。100パーセントのサクセスを収めても、それでもなお、それらの責務をすべて『一人で』果たさなければならなかったことの重圧感が、疲労の『澱』となって心身の深層に分厚く蓄積してゆき、それが弱い酸のようにその人の生きる意欲をゆっくり蝕んでゆくのである。」
別に若い女性に限らず、真理だと思う。恋愛結婚よりもお見合い結婚の方が離婚率が低い説なんかにも通じる気がする。
かつて内田先生がラジオで話していたのかなと思うけど、人生において正しい選択をするためには?と尋ねられて「選択しないことですよ」と答えていた。
選択するということは、右か左か、右すればアナコンダ、左すればクロコダイルという地点にすでに追い込まれているわけで、そうならないための方法が武道なわけでね。そんな追い込まれて暗い気持ちで選択した先に明るい未来があるわけがない。正しい選択ができる時というのは明るい気持ちで、なんなら選択していることにすら気付かない。
僕は結局、人生で一度も選択をしなかったな、というような人がいたら、それこそ人生の達人だと思う。
・・・というようなことを言っていたのを思い出した。
それを聞いて以降、僕は何も選択せずに生きていこうと決めたのである。
そして、会って2度目でプロポーズしてきた女性と結婚し、彼女の選んだ土地に住み、彼女の申し出の通りに転職した。
彼女と出会ってからの人生は、薔薇色である。
というより、彼女と出会ってから、僕の人生は始まったのである。 -
Posted by ブクログ
「教える」と「学ばせる」は違うんですよーってことを内田節で示す本。
「この人何を伝えたいんだろ?」って考えさせるのが真に主体的に学ばせる「えらい」先生。
でもそれは学校の「教師」に限らない。他人とのコミュニケーションの中でそういうことを考えさせるのが「えらい」人。その意味ではあなたも含めみんなえらい「先生」になりうる、って言いたいのかな。
教育論として真面目に読むと肩透かしくらうし、ここに書いてること真に受けてマネするには深い人生経験と教養が必要になる、と思う。
「わかりやすさ」が求められ、もてはやされる時代に、わかりやすいのは「教えてる」だけで、「学ばせ」てませんよって痛烈なメッセージかもしれない。
黄石公と張良の話が面白かったけど、この話でこの本書いたんじゃないかな(笑)。 -
Posted by ブクログ
知性が拙い私は慣れない新書を読むのに体力が必要だったけれど、内田さんなりの「文武両道」の解釈が興味深く、感銘を受けた。
他人を批判して、相対的な優劣を語ることをやめた話。
誰かや何かを批判をして自分が成長するならいくらでも判するけれど、批判したところで自分は何も成長しない。
だから誰かに批判されても誰とも論争はしたことがない。
指摘されたことが正しければ、そのまま「そうですね」と頷いて受け入れ、指摘されたことが間違っていれば、相手にすることはない、と。
それを合気道の師匠から学んだという話。
できることなら、門人の全員が自分より先へ進んで欲しい。自分を超える弟子を育てること、それが教育の開放性、豊饒性ということだと思う。という話。
素晴らしいと思いました。 -
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日本版『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』。
一般の方から寄稿してもらった嘘みたいな本当の話を集めた短編集。
都内某所のイベントで、古本のくじを引いた際に当たった本。
アメリカの普通の人たちに寄稿してもらったショート・ストーリーの中から佳作をラジオ番組で朗読する『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』。
それの日本版です。
すべて誰かの身に起きた実話、とのことですが、本当に嘘みたいに不思議な話、奇跡のような話がたくさん集められています。実話かどうかはちょっと疑いつつも、「友人から聞くスベらない話」っぽくて面白い。
読み心地としては、新聞とか雑誌に載っている読者からのお便り紹介。あれが延々続く感じと言ったら近いかも。
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ネタバレ巡礼ということで分類では旅ジャンルに入っているんですが自分は宗教かなとそっちに登録。
シリーズ化していて1作目読んでいて、二作目と思って手に取ったらこちらはまさかの三作目でした。
長崎ということで興味津々。
神仏混淆は聞いたことがありますがまさかの神仏デウス混淆(p160)
本書を読むまでキリシタンと呼ばれる人たちがカトリックであると意識したことがなかったので言われてみると確かにそうだなとそんなところから納得。
バスチャンの預言と言うものを読んで信仰の強さの凄まじさのようなもの(うまく表現できません)を感じました。拷問や踏み絵についても別の書籍などでこれまで読んだことはあり、それについても信者の方の信仰心の強靭さに怖れを抱いたことはありましたが、それとはまた違う畏敬のようなものを感じました。
七代先の未来を信じるって想像出来ません。自分の10年後だって想像出来ないのに(そういう卑小な話を比較に出してしまうこと自体がなんか情けないですが⋯)、どうしてそんなふうに思えたのか、感じることができたのか、理解を絶すると思いました。信仰を傷つけられたときの痛みというものも(p277)無宗教である自分には想像もつかないです。
現代社会の構造を理解するにはキリスト教を学ばねばなりませんね(p67)と釈先生がおっしゃっていますが、本書を読むと確かにそう言える状態は今の日本にならあるかもと思わされてしまいます。信じる信じないという話ではなくして。
本書は2016年発刊。この時コロナもまだなく、ウクライナの戦争も起きてなかったことを思うとp236からのアメリカとイスラム圏の話は一段と興味深い見方のように思えます。
内田先生は「強い物語を求める人間の弱いところに着目する」ことで相互理解が進んだらいいと仰っていますが(p185)とっても日本人的な考え方だなぁと。希望はそうであってもしかし実際はそうはやはりならないですよね残念ながら、と思いました。
本筋とは全然関係ないけど気になる箇所をあと数点。
遠藤周作先生の著作が若い頃好きで文学記念館にも行ったことがあり、外海を歩いた懐かしい記憶を掘り起こしながら読んでいました。
そんな気持ちで読んでいくと、本書に登場するナビの方が吉村昭先生は先生って呼んてるのに遠藤先生は呼び捨てなところに「ああ(あなたはそういう気持ちなのですね)」と残念を感じてしまいました。いや、個人のお気持ちなので良いのですけどね。
確かに現地に住む人にとっては遠藤周作先生の「沈黙」が与えた影響を思うと明るい気持ちやありがたい気持ちにはなりにくいのかもしれません。そういうことを知ることができたのは貴重だったと思いますし、これはやはりそこに住んでいる人にしかわからないものが良きにせよ悪しきにせよ絶対にあるのだろうなと本書を読んではじめて思い至りました。でも著作を愛読してきたものとして少し哀しい気持ちになりました。
p203苦しんでどうにもならないということの積み重ねによってしか戦争は抑止できない
覚えておきたい言葉でした。
p230遺髪への信仰はない。お坊さん髪の毛ありませんので。
お坊さんが言うところがまたいい。吹き出してしまいました。笑えるところがあって良かった。
たまたま前日まで読んでいた小説が「信じる」について考えさせられる内容だったのでこちらはまた別の「信じる」を考察する一冊で偶然なのですが何だか不思議でした。
あとがきに内田先生は「グローバル」と「習合」についてずっと考えてるとありました。その後「日本習合論」という本を出されているので多分そこにまとめられたのでしょう。実は発刊されてすぐに買ったのですが読んでおらず年季の入った積読に⋯。
本書を読んで思い出し。読まねばと思います⋯ -
Posted by ブクログ
一般の方から募った短編集。一つ一つが1,000文字以内ということなので、さらさら読める。短いのは一行だったり。
アメリカのナショナルストーリープロジェクトの日本版ということだそう。
私は最初から通して読んだけど、手元に置いて、好きなとこだけ読むのもありかもしれない。
新聞の読者投稿の小話みたいなのを読むのが好きだったけど、そんな感じのもあり、ブフォッと笑ってしまうのもあったりする。
元の?アメリカのものとは違うタイプのに仕上がってるとのことで、そちらと読み比べてみたくなった。
たまにオチというか、ポイントがわからないのがあって、選者の内田先生に聞いてみたい気にもなった。