内田樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
おじさん二人の対談集。東日本大震災が起きる前と、起きたあと。日本は何が変わって何が変わらないのか。
この中で、原発に30年反対し続ける瀬戸内海の小島、祝島の話がよかった。
毎日デモやっているといっても、ほとんど世間話しながら島の決まった場所を歩きつつ、たまに思い出したかのように「原発反対」と声を上げる。
それに、飯を作ってたからとか、飯作りにとかで途中参加したり離脱したりして、それを30年間続けている。
高齢化率が高止まりして限界集落になり、やがて人がいなくなるのが確実になっているのに、老人たちはやめない。
そういう地域の繋がりというもの、今は日本のどこにあるだろう。
-
Posted by ブクログ
出版されて、もう一ヶ月くらいになるのに、レビューが書かれていないことが意外。
内田樹も高橋源一郎も、それぞれ著作を読ませてもらっているので手を伸ばしてみた。
なんというか、ちょっと世の中を振り返ってみたいなあと思うとき、何に手を出せばいいだろう?誰の言葉から始めればいいだろう?って悩みませんか。
そういう時に、ああ、この人の言葉ならまず読んでみようかな、という安心感はあると思う。
まあ、良くも悪くも、はあるけれど。
そうして、結局アレは何だったんだろう?って考えるのは必要なことのように思う。
例えば、今作では尖閣諸島の話や、3.11の話が語られているけれど、今のテレビではそのこと自身にゆ -
Posted by ブクログ
現在の聖地巡礼は大人の遠足なんだよね。今に比べては申し訳ないが昔の人はそれなりのリスクを抱え巡礼に赴いていたのだろう。
まあやっぱりこれだけの清々しさを持つ場所には誰しも一度は行ってみたい。だけど現代人には昔ながらの覚悟はない。
ならば、今はこの聖域を壊さず足さず現状を保ち未来に残す義務を持つこと。それが一番難しいのかな。
原発は日本人だけが持っているわけではない。韓国も中国も十分すぎるほど所有している。原発事業も科学である。
自分は常に正しい側で相手は間違っているという排除のボーダーを持っている、二項対立をしているのはむしろ著者側だろう。
原発を含め科学の進歩と -
Posted by ブクログ
著者がブログに掲載した文章をまとめた本です。
著者のブログは、コピー・フリー、転載フリー、盗用フリーを謳っています。それは、ブログに発表された考えを一人の主体性を持ったパーソンに帰することはできないという立場を、著者が採っているためです。そしてこうした立場の基礎は、「人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である」という、フランス現代思想の構造主義の考え方があります。
本書で取り上げられているさまざまなテーマも、こうした構造主義の立場から現代の世相を見たとき、どのような光景が映るのか、というものになっています。とく -
Posted by ブクログ
ネタバレ本の途中に出てくる教育の話を読んでいて、個人の能力は上がってきているんだから、これからは「情報をキュレートしていく力」と「こじつける力」が大切になりそうというのをやっぱり考えた。
最後の師弟の話もまぁまぁ面白かった。学び方を学ぶ姿勢を学ぶと。これから学ぶことは、自分の今の物差しではわからないことなので、新たな物差しを自分で作り出していくこと。そういうことをしていくこと。学びはまさにそうだなぁと思った。最近修士論文を書いているとまさにそう思う。勉強することの意味が新しい物差しの芽吹きに気づいて、トントンと作り出していくことであると思っていたところだ。 -
Posted by ブクログ
一部しか読んでいないが…「学ぶこと」について素敵な考え方があったので、紹介。
「なぜ学ぶのか?」
▶「何の役に立つのか今は言えないが、いずれ役に立ちそうな気がするもの」に反応する能力の有無が生死にかかわることがある。
▶知的パフォーマンスが爆発的に向上するのは、「その有用性が理解できないものについて、これまで誰もが気づかなかった、それが蔵している潜在的な有用性」を見出そうとして作動するときである。学ぶことで自分が何を探しているかわからないときに、自分が要るものを探し当てる能力を養う。
▶「これはそのうち何かの役に立つかもしれない」というのは、「これ」の側の問題ではなく、実は「私」の側の問題だ -
Posted by ブクログ
フェミニズムはマルクシズムと同様、「理論の過剰適用」によって人びとの支持を失うことになったと著者は考えます。「フェミニズム言語論」と題された本書の第1部では、ショシャナ・フェルマンというフェミニズム文学批評の研究者の仕事などを参照しながら、フェミニズムの観点からテクストを裁く態度は、テクストという場において他者との出会いを待ち受ける姿勢からは程遠いものだということを論じています。
「フェミニズム映画論」と題された第2部は、著者の十八番ともいうべき『エイリアン』分析が展開されています。『エイリアン』の中に込められた性的メタファーを読み解きつつ、ジェンダーにまつわる人びとの無意識の反映を「発見」 -
Posted by ブクログ
ともに柔軟な哲学的思考の実践者として有名な、内田樹と鷲田清一の対談と、二人の論考を収録している本です。
内田も鷲田も、身体感覚と他者感覚を重視する点では同じような立場に立っていると言えるでしょうが、内田に比べると鷲田の議論には制度論的な視角が目立たないような気がします。その意味では、「大人のいない国」という表題は、どちらかと言えば内田がこれまであつかってきたテーマに寄っている印象を受けます。
ただそのことは、内田の立場の優れているところであると同時に、他者感覚の重視が共同体論へとスムーズにつながってしまう彼の議論の危うさを含んでいるのではないかという気がしないでもありません。