内田樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
・「嘘」や「芝居の台詞」には「何か」が決定的に欠けている。
身体が欠けているのだ。
演技者は「台詞がよく聞き取れるように、きちんとアーティキュレートして語る」ことを求められる。私たちがふだんしゃべるとき、私たちのことばづかいに必ず随伴する「ためらい」も「前のめり」も「無意味な間」もそこにあってはならない。そのような夾雑物をすべて「削ぎ落とし」た、クリアーカットな発声を達成したのち、演技者は、その「台詞にふさわしい」動作や表情をこんどは「付け加えてゆく」。
→小さい子どもの反応がわざとらしい時がある。ふさわしいと思われる態度を演技しているからかも知れない。発展というか、学習途上で夾雑物が生成され -
Posted by ブクログ
何だかいやらしいタイトルなので登録するのも気が引けますが、真面目なフェミニズム批評です。内田樹の著作の中でも読むのが難解な部類に入ると思いますが、それは内容も然ることながら、僕(あるいは僕の世代)が、フェミニズムという思想に対する実感があまりにもないせいだと思います(まあそれでも内容は大筋は理解できたかなと思う)。
”矛盾するメッセージを矛盾したまま、同時に伝え、読みの水準を換えるたびに、そのつど別の読み筋が見いだせるような物語は「質の高い物語」である。”(P182)という箇所が特に重要だと思いました。
全能感(のような錯覚)をもたらすような(抑止のない暴走する)思想は廃りも早いと、フェミニズ -
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非常に知的刺激をそそる本でした。ユダヤ・キリスト教にも詳しく、また日本語学、武士道、梅棹忠夫、丸山眞男、マンガ、TVドラマと幅広い分野から論じています。水戸黄門でなぜ悪者共が権威を信じてひれ伏し、庶民には普通の爺さんなのか、悪者達こそ「根拠のない権威」を振り翳していたからだという指摘は目から鱗の心境です。日本語の優秀さが逆に日本人の英語力を弱め、韓国・ベトナム・フィリピンなどでは母国語が知的な語彙を増やすことを放棄したため、知識人が英語を使わざるを得なくなったという指摘は大変興味深いところです。高度な知的会話が出来る言葉は世界でも限られている!?これは世界でも例外的な現象!かつての比較文化論の
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Posted by ブクログ
一番印象に残ったのは、9章の『神の言葉に聴き従うもの』です。ユダヤ教に関して、私がずっと疑問だったことの回答がありました。
厳しい戒律を2千年以上守って暮らしてきたのに、神の助けなく600万もの人が虐殺される。民族存亡の危機に、いま救世主が現れずにいつ現れるの?大戦後にイスラエルが建国されたことをプラス加点したとしても、周辺国からは攻められっぱなしで、落ち着く暇もありません。そんな神さん、私だったら、とっくに見限ってるわ、とずっと思っていました。
それをレヴィナスという哲学者は、「ホロコーストは人間が人間に対して犯した罪である。人間が人間に対sて犯した罪は人間によってしか購うことはできな -
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内田樹氏は 斬り込むポイントが うまいですね。
キイワードのほじくり出し方が すぐれていると想う。
「批評とは?」 「父の不在」 「倍音」
家族とは という提起も
内田樹氏と ムラカミハルキは共通性があるようだ。
『親と子が何でもはなせる楽しい家庭』という標語に
ムラカミハルキと内田樹氏は 考える。
ムラカミハルキは言う
『親と子が何でもはなせる家庭というのは本当に楽しい家庭なんだろうか?と僕はその標語の前に立って、根本的に悩んでしまう。・・・僕は思うのだけれど、家庭というのはこれはあくまで暫定的な制度である。それは絶対的なものでもないし、確定的なものでもない。
はっきり言えば、それは -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトル、なんでこうしたんだろう。子どもたちのことと言うより、社会のムード的な話が中心になってるから。日頃、思ってること・気になってることを言葉にしてくれたって感じの内容も多かった。
「コミュニケーション力」
言いたいことを一方的に発信するのがコミュニケーションじゃない。むしろ受信力が弱まってないか、と。察する力。非言語的なものも含めて、全体から感じ取る力はどこへ?
「要するに」「結局」と一言でまとめちゃう限定的な理解の横行。これをされると、話しているほうは本当に無力感に襲われる。
「外界を遮断」
自分に関係ないものは、見えない、聞こえない、意味がない。こうしなきゃやってられないようなが