内田樹のレビュー一覧
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【要約】
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【ノート】
・ハッとさせられる知見や洞察、しかし、相変わらずところどころでなんか鼻につく内田節。自分にとってはちょうどいいテキストなのかも知れない。
・「呪い」についてのセンセーの洞察にやられちゃって買い求めた本書だが、呪い自体についての言及はそれほど多くはない。ただし、色々な形質での呪いについて言及してはいるけど。その意味では、第1章と第2章がタイトルに即応した本書のコアだと思った。
・最終章でポパー「開かれた社会とその敵」を題材にしていたとはすごいすごい。あまりよみこまずに、自分で読んでから照合させてもらおう。 -
Posted by ブクログ
内容自体は面白いし、また同感できる部分も多数あるが、若干話が飛躍しすぎている・強引な所もちらほらと見かけられる。
内田氏の他の本を読んだことがないので、ちょっと判断しようがないのだが、こういうテイストで書かれている方なのかも知れない。
メディアというものについて、今まで語られてこなかった軸を知る材料うえでは有用な一冊だろう。ただし、それらの事柄については自分自身で考え、判断し、予想しなければならない。
「価値」と「ありがとう」の関係性については深く考えてみる必要があるだろう。それはミドルメディアあるいはソーシャルのコミュニティーの中心的な軸になってくるはずである。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ3人の対談として読むので軽くていい。
会話の中で流れついていくいろいろな話題が面白い。
以下印象に残ったことなど。
・グローバルという視点の元に、均一の基準で比べられる大学。
個性や理念は問題にされず、
数値化できるもので誰にでもわかるようにならされる。
結果、ランクの低い大学を淘汰し、補助金を分配する対象を減らしていく。
教えることがこんなに見下されているってなんだろうか。
・先生と言うのは誰にでもできるもの、という内田さんの言葉が印象的。
能力のある人にしかできないものだったら、
該当者がいないときに、子供は生きていくすべを学ぶことができず
その集団は一代で滅んでしまう。
・自分の中の演算機能が低いと、複雑な状況を理解することが出来ず
単純な考え(陰謀史観とか)にすがってしまう。深く納得!
・言葉に新たな語義を付け加える権利があるのは母語話者のみ。
・守るものがある人の方が弱い。
どこにも帰属せず面倒を見なくていい立場の人間は
その場限りのネットワークの中で匿名の一刺しで強さを持つ時代。 -
Posted by ブクログ
自著について著者自身によるブックガイド。
というより、「あとがき」のようなもの。
いろんな書評本はあるけれど、こういう形を取るのもアリだな、と思う。
レヴィナス絡みの本はやや苦しい。
レヴィナスがホロコーストを体験(経験)した結果、自分が存在することそのものに懐疑を抱き(という言葉は相応しいのか分からない)揺れたのだ、ということはとてもよく「分かる」。
そして、レヴィナスのその揺れが内田樹を惹きつけたのだろうとも。
「人がほんとうに哲学を必要とするのは、哲学書の行間に自分自身が今日生きる支えとなり、導きとなるようなたしかな叡智を求めるときです。テクストにすがりつくように知恵を求める者にだけテクストはその深い意味を開示する。」
そしてその、「体験」による「言葉に出来ないもの」は村上春樹の「壁と卵」に繋がる。
面白い。
「ある時期の、ある種の出来事については言語化しないし、できない。そういう種類の『空虚』を抱え込んだまま、戦後日本の平和で凡庸な日常を生きていった男たちを多く数えたのが父の世代です。」
また、自分的にメジャーすぎて手を出してこなかった『下流思考』の部分では、読まないとなーと思わされる。(うまいな……)
「子どもたちの『学習能力』が『貨幣』であり、提供される教育コンテンツが『商品』であるとするなら、子どもたちが学校という市場で最優先するのは、最少の学習努力で教育商品を獲得することになります。いかに少ない学習努力で、価値ある商品(卒業証書や技術資格)を手に入れるか、それが子どもたちの最優先の関心事となります。」
大人たちの憂いは、大人たち自身が作り出している。
もっと言えば生徒たちへの憂いは、教師自身が作り出していると読める。
全体を通して、「成熟」とは何かということを考えさせられる。
機能的で「スマート」な生き方・社会は「成熟」とは言えない。
では、私自身が「成熟」するためには、どのような思考生活が必要なのだろうか。
うーん。。。 -
Posted by ブクログ
ネタバレまず驚いたのは、著者の内田樹氏は合気道6段だということ。
ずっと社会学系の教授だと思っていたのでかなりびっくりしました。
著者の考える武道の目的は、「生き延びること」だといいます。
それは単に戦場でだけという話ではなく、生活全般の話としてとらえられております。
例えば、江戸時代の武士は、余計なリスクを負わないために用事のないところへは出かけなかったそうです。
また、歴戦の戦士であった東郷平八郎は、「わずかな兆候から次に起こりそうなことを予見する能力」に秀でていたそうで、目の前の道に荷馬がいるのを見て道の反対側によけて通ったといいます。
それを見とがめた同僚が、「武人が馬を恐れて道を避けるとは何事か」というと、東郷は、
「万が一馬が暴れてけがをして、本業に障りがあれば、それこそ武人として目も当てられない」
といったそうです。
このように本書では、著者の武道に対する考えや、他の専門家との対談での気づき、その他社会学的な考察など、いろいろな話が1コラム3-4ページ程度でまとめられています。
著者の「避けられる争いは避ける」というスタンスはしなやかで興味深いと感じました。
本書の中では、白黒つけなくてもよいものを無理に決めつけることの危険性について何度か言及されているように思えました。
例えば、死んでいるけどまだ死に切っていない生死における第3の状態としての葬儀の重要性であったり、グローバル化した世界においてもう未知の領域は存在しないとする考え方に対する警鐘だったり、相手に妥協しないアメリカの外交戦略であったり・・。
あんまり正論が過ぎると生き延びる確率が下がるから気を付けようというのが著者のメッセージだと自分は感じました。 -
Posted by ブクログ
大人のいない国
内田樹22冊目(鷲田清一との共著)
・教養についての考察が面白かった。なぜ自分はこのことを知らずにきたのか、知ることを拒んできたのかという、自分の無知の構造に目を向けられた瞬間に教養が起動するということや、教養とは自分のわかっていないことについてわかるということということがうなずけた。自分の経験から照らしてみても、さらに、この人ならこのことについて知っているかもしれないという風なセンサーが働いて、お願いできれば、たいていのことは何とかなるとも思う。
・人がそのかけがえのなさに気づかず、ないがしろにしているものに対して注意を促して、その隠された価値を再認識させる言葉の働きを「祝」と言い、そのことが主役となる「祝」の文体では、誰が言ったかは副次的要素となる。一方、不当な利益を占有している他者が、その不当な利益を失うことを強く念じることを「呪」と言い、これもまた、誰が言ったかは副次的な要素となる。「呪い」は誰から到達したものかいうことが出来ないという、発信者の欠如によって、機能する。そして、その呪いを行っている当の本人も気づかないことが多い。
・親族の構造分析にて、叔父と父から出される対立的・矛盾したメッセージが、もたらす葛藤が、子供を成熟へといざなう。このような矛盾したメッセージを子供がいっぺんに受けることによって、子供は「世の中には矛盾したことがある」というメタメッセージを受け取る。子供に理解できないメッセージを与えることで、絶えず子供の「理解できる容積」の改訂と拡大を要請する。これは、両親でも同じである。叔父と父は同性の親族であり、同性による成熟へのいざないであるが、これは両親でもおなじであって、同一の意見に充溢した家庭は「北朝鮮化された家庭」と同じで、子供を子供に留めてしまう。