内田樹のレビュー一覧
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(以下引用)
すべてのサラリーマンは自分の給料は不当に安いと思っているが、それは彼らが稼いだ「上前」をはねることで株式配当や設備投資が行われている以上当然のことである。「そんなのイヤだ、稼いだ分だけ稼いだ人間に戻せ」ということになると企業は資金も調達できずシステムの変化に対応できずテクノロジーの進化にも追いつけず、遠からず破産する。(P.32)
同じ食物を分け合うということは、食物が乏しいときには、全員が一様に空腹を感じ、腹をこわすときには全員下痢になるという、ある種の運命共同体を立ち上げることである。同じ元を食べているとそのうち解剖学的組成が似てきて、似たような体型、似たような顔つき、似た -
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(以下引用)
人生はミスマッチである。私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。それでも結構幸福に生きることができる。チェーホフの『可愛い女』はどんな配偶者とでもそこそこ幸福になることができる「可愛い女」のキュートな生涯を描いている。チェーホフが看破したとおり、私たちは誰でもどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっている。「自分のオリジナルにしてユニークな適性」や「その適性にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるか -
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ネタバレ内田先生と名越先生が相思相愛というのがよくわかった(笑)
まあそれは置いといて、私は中学生の親ではないですが、個人的には学ぶことが多く、勉強になる本でした。ただ対談形式で表記されているのでぱっと見わかりにくいのがちょっと残念。ホントに読んだ方がいい親や人はまず読まないし、理解できない内容だと思うけど、出来る限り万人にわかるようにこういう本は作って欲しい。
特に印象に残ったのは第8章
・あんまり子どもをいじりすぎない
・叱るのは親の敗北
・大事なのはルーティン(繰り返し)、世界に一つしかない花を咲かせようと焦って、土いじりを怠ると根をおろす場所がなくなる -
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村上春樹の世界性、については前々から興味があったものの、わたしは村上春樹の小説にあらわれるあの『非日常性』にあまり惹かれない。それが、今まであまり村上春樹の作品を没頭して読めなかった理由。でも、村上春樹はたぶん、自分の本を必要としていて面白いと感じる人だけ読めばいい、と言っている。村上春樹の小説を面白いと感じる人間の方が文学的感性に富んでいて、わたしはその人間ではないというところにいつも劣等感を感じていたけれど、この本を読んで村上春樹についてはそんなことを考えることすら無意味なのではないか、と思った。村上春樹がキャッチャーインザライで言うところのキャッチャーの役割を社会的に担っているという自覚
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流行りの内田樹が、今ほどお偉方じゃないけど、でもとっても旬だった頃に書いた本。率直な断定型口調は歯切れよく、100% agree!!!!!!!といかずとも、成る程ね!目から鱗よ、と思える点が幾つかあった。そういう意味では筆者自賛の如く、readable。10年前に『私を代弁しえないマスメディア』をいいあてているのはすごい。見よ、このソーシャルメディア時代を!って感じですよね。論理性や一貫性に固執しすぎず、自分の思考直感に誠実な姿勢が、このひとの魅力なんだろうな。この本のなかに答えを求めるより、この本を思索のきっかけにする、そんな本だと思います。
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(以下引用)
「近代史上もっとも成功した教育システムである「幕末の私塾」がなぜ放棄されて、明治の公教育システムが構築されたのか。(中略)「幕末の私塾」が産み出したのが「回天の英傑」ばかりだったからである。そんなものにぞろぞろ輩出されたのでは近代国家のプロモーションは成り立たない。「政体を転倒するほどのスケールの大きい人間を生み出す教育システムはもういらない」ろいうことを暗黙の前提として、明治以降近代の公教育システムは構築されたのである。(P.28)
今日、社会的上位者には教養がない。かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱり物を言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という -
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(以下引用)
生物学者が種の多様性の根拠を「生命システムでは、似たような機能を果たすファクターや性質や行動にはある程度なばらつきがあったほうが、システムダウンのリスクを回避する可能性が高い」という事実のうちに見ている。同じ話を国際社会に当てはめてみよう。なぜ、全世界的な規模のグローバリゼーションの圧力にもかかわらず、これほど多くの国民国家や種族や宗教共同体が地球上にはあふれかえり、それぞれの差異を言い立てているのか。それは「エコロジカル・ニッチの多様性」が人類の存続に必須である、ということを人々がどこか身体の深いところで直観しているからである。(P.10)
どれほど合理的で厳密な規定であろう -