内田樹のレビュー一覧
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レヴィナスを中心にユダヤ思想を主な研究領域としてきた内田樹が、イスラーム学者の中田考を招きイスラーム思想の現代的可能性について対話をおこなっています。
ユダヤ教とイスラム教というバックボーンのちがいだけでなく、さらに国民国家が破滅的なクラッシュを起こしてしまうことの危機を訴える内田に対して、中田は「カリフ道」の復興を説くという点でも、両者の立場にはかなり大きなちがいがあるのですが、本書ではアメリカを中心とするグローバリズムへの対抗思想という点で両者の議論は一致点を見いだしています。もっとも、だからといって刺激に欠けるということはなく、まったく異なるバックボーンからともにグローバリズムへの批判 -
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ネタバレ【気になった場所】
メディアの不調=視聴者の知性の不調
仕事と適性の順番
◯仕事を通して自分の適性を見つける
×自分の適性に合った仕事を探す
→能力は開発するもの
人間の才能を開花させるのは、他人のために働くとき
情報を評価する最優先の基準
→その情報を得ることで世界の成り立ちについて理解が深まるかどうか
各メディアの不調の原因
・テレビ→ジャーナリストの知的な劣化
・新聞→テレビの不調を指摘できない点
ジャーナリストの知的な劣化の背景
→なぜ弱者の味方をするかを自問してない
→その思考停止が知的な劣化を招く
テレビのシステムにも欠陥がある
→ミスをしないことを優先し、何を放送す -
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自然にあるものはすべての人にとって平等に出現する。でも、「額縁の内側のもの」はそうではない。それは平等には与えられない。額縁の中で示された物語をどう受肉するかという仕事は個人の責任で果たさなければならない。額縁というのは、「そこの中にあるものについては、一人一人が違う意味を汲み出しなさい」というメッセージの解釈についての指示のこと。額縁をどこにつけるのか、何を額縁で囲むのか、ということは、思いがけなく大切な仕事。
人間が何者であるかは、その人が「何であるか」という本質的な条件によってではなく、「なにを生産し、いかに生産するか」によって決定される。
自分のことを善良で有徳な人間であると思いこんで -
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一時期どっぷりはまって片っ端から著作を読んでいた。最初に読んだのは「ためらいの倫理学」だったかな。こんなに腑に落ちる論考を読んだのは、岸田秀「ものぐさ精神分析」以来だと思ったのを覚えている。(「ものぐさ~」はロングセラーだそうだ。今でも名著だと思う。)どんどん出版されるのをいつ頃まで追いかけていただろうか、神戸女学院を退官されて、凱風館を建てられたあたりから、さしたる理由はないが読まなくなったように思う。
これは「自伝」だというので、ちょっと興味が湧いて、久々に読んでみた。小中高の学校時代の話が詳しく書いてあって面白かった。やっぱりずいぶんとんがった少年だったんだなあ。一方、東大時代のことは -
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2011年に長年勤めてきた神戸女学院大学を去った著者が、そのころにおこなった講演のうち、6本をまとめた本です。
最終講義ということもあって、著者がとくに力を入れて取り組んできた問題のひとつである教育問題について率直な議論が展開されています。講演がもとになっているということもあって、他の著書よりも若干「前のめり」で議論がなされているような印象を受けました。そのぶん、著者のエネルギーを感じます。
また、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)について著者みずから解説をおこなった、日本ユダヤ学会での講演も収録されています。こちらでは、レヴィナスと武道に打ち込んできた著者がみずからの内なる「反米」とい -
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橋本治と内田樹の対談を収録しています。
もっぱら橋本を深く敬愛する内田が、橋本のすごさを引き出そうとしていますが、話をまとめようとする内田を振り切って、橋本が思いもかけない方向へと議論を拡散させていくために、けっきょくまとまりのつかないかたちで話がどんどん進んでいってしまうという印象があります。それをおもしろいと思うか、それとも散漫だと思うかで、評価が分かれそうです。
橋本治を批評するひとがいないことを問題視する内田の主張は、おなじことを強く感じていた読者としては、あの内田ですら橋本治をつかまえることができずにいる本書の対談を読んで、いささか絶望的な気分にもなってしまいます。それでも、橋本 -
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フランス文学・思想の研究者であり現在は武道家として指導をおこなっている内田樹と、元ラグビー選手であり現在は教育者である平尾剛の対談です。
『バガボンド』の井上雄彦と内田の対談でもおなじように感じたのですが、優れたスポーツ選手であるばかりでなく、内田の身体論の深い理解者でもある平尾を相手にしていることで、内田の語り口もいつも以上に生き生きとしているような印象を受けます。ただ、両者のあいだに対立点はなく、もっぱら平尾が内田を身体にかんする知の先達として立てて、彼から多くを学ぼうとするスタンスをとっているためなのでしょうか、読者の立場としては二人の議論にしばしば置いていかれてしまうように感じてしま -
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これまで刊行された著者の多くの本とおなじく、ブログに発表された文章を集めた本で、今回はマンガやその周辺のテーマをあつかったものが収録されています。ほかに養老孟司との対談「戦後漫画論―戦後漫画は手塚治虫から始まった」も収められています。
井上雄彦のマンガについて、その身体性に注目しながら論じているところはおもしろく読めました。ただしこれにかんしては、著者の対談本である『日本の身体』(新潮文庫)での井上との対談でより突っ込んだ議論が交わされており、本書のエッセイはもうすこし軽い感想めいた文章がつづられています。
マンガではありませんが、宮崎駿の『風立ちぬ』の時間性についてのエッセイも、テーマは -
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