内田樹のレビュー一覧
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橋本治と内田樹の対談を収録しています。
もっぱら橋本を深く敬愛する内田が、橋本のすごさを引き出そうとしていますが、話をまとめようとする内田を振り切って、橋本が思いもかけない方向へと議論を拡散させていくために、けっきょくまとまりのつかないかたちで話がどんどん進んでいってしまうという印象があります。それをおもしろいと思うか、それとも散漫だと思うかで、評価が分かれそうです。
橋本治を批評するひとがいないことを問題視する内田の主張は、おなじことを強く感じていた読者としては、あの内田ですら橋本治をつかまえることができずにいる本書の対談を読んで、いささか絶望的な気分にもなってしまいます。それでも、橋本 -
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フランス文学・思想の研究者であり現在は武道家として指導をおこなっている内田樹と、元ラグビー選手であり現在は教育者である平尾剛の対談です。
『バガボンド』の井上雄彦と内田の対談でもおなじように感じたのですが、優れたスポーツ選手であるばかりでなく、内田の身体論の深い理解者でもある平尾を相手にしていることで、内田の語り口もいつも以上に生き生きとしているような印象を受けます。ただ、両者のあいだに対立点はなく、もっぱら平尾が内田を身体にかんする知の先達として立てて、彼から多くを学ぼうとするスタンスをとっているためなのでしょうか、読者の立場としては二人の議論にしばしば置いていかれてしまうように感じてしま -
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これまで刊行された著者の多くの本とおなじく、ブログに発表された文章を集めた本で、今回はマンガやその周辺のテーマをあつかったものが収録されています。ほかに養老孟司との対談「戦後漫画論―戦後漫画は手塚治虫から始まった」も収められています。
井上雄彦のマンガについて、その身体性に注目しながら論じているところはおもしろく読めました。ただしこれにかんしては、著者の対談本である『日本の身体』(新潮文庫)での井上との対談でより突っ込んだ議論が交わされており、本書のエッセイはもうすこし軽い感想めいた文章がつづられています。
マンガではありませんが、宮崎駿の『風立ちぬ』の時間性についてのエッセイも、テーマは -
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『沈む日本を愛せますか?』(文春文庫)の続編で、東日本大震災を挟む2010年9月から2012年3月までの日本の政治状況について、内田樹と高橋源一郎が論じあっています。
内田の身体性に根ざした他者論にもとづいて、民主党政権を担った政治家たちのことばの軽さとそれを許しつづけてきた日本の政治的風土が小気味よく批判されています。一方、橋下徹については、その背景に彼の身体性と骨がらみになっているルサンチマンが存在することを指摘し、とくに高橋は興味をそそられているようですが、橋下の推し進めようとしている政治のありかたに対しては厳しい批判をおこなっています。こちらは、内田の著作である『呪いの時代』(新潮文 -
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日本がアメリカの属国である、というのは内田樹氏だけじゃなく、映画『シン・ゴジラ』でも描かれるくらい言われるようになったなぁと思ったものだけど。日本を支配するというくらい大きな権力を握っているのはアメリカというより米軍。それを可能にしていいるのはその権力をかさに自分たちに利益を誘導する人たちがいるから。一方、アメリカはアメリカで軍事産業が国の指針に大きく影響を与えているという話も出ていた。支配の構造とは、簡単には解けない。そういう中で、一般庶民たる自分は、どう生きていったらいいのかねぇ。鳩山氏は評判悪かったけど、読んでみるとけっこう興味深い話を聞けたと思う。
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子猫を台風から守ってやろうと砂を掘って入れたのに、翌日埋められて死んでいた、という話が一番心に残った。
というのも私も子供ながらに優しさの気持ちから、金魚に餌をたくさんあげて一気に殺してしまったという似たようなことがあるから。
作者は、実は殺そうと思ってやったんじゃなくて優しさのつもりだったの!と誰かに伝えたい気持ちもあるんだろうなぁ、と思った。
ぶっとんで不思議な話はなかったけど、楽しく読めた。
アメリカのオリジナルの方にも興味が沸いた。
日本人の書く文章に格差(個も)がないっていうのには、面白い考察だなぁと思いました。いいことなんでしょうね。 -
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ー わたしたちが文章を書くとき、しばしば「言いたいこと」は言葉にならず、逆にそんな考えを自分が持っていると思いもしなかった言葉が頁を埋めていくことがある。「言いたいこと」と「書かれたこと」が過不足なくきちんと対応するということは原理的に起こらない。わたしたちはつねに「言い足りない」か「言いすぎる」かどちらかなのである。
こういうことが起きるのは、おそらく「書く」という行為が、あらかじめ頭のなかにできあがっている抽象的な「言いたいこと」を「言葉に変換する」という単純な行程なのではなく、「言いたいこと」がせき止められ、「言う気のなかったこと」が紛れこんでくる不随意なシステムだからである。 ー
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ネタバレ好きな著者・内田氏の修行についての考え方。
【修行の意味は、事後的・回顧的にしかわからない】
ここでいう修行は、「与えられた努力を要するもの」という意味合いに捉えている。例えば、「古典を読みましょう」とか「滝行しましょうとか」。
その先には、「先人の知恵を得られるぜ!」「次の国語のテストでいい点取れるぜ!」というインセンティブを事前に与えてやらせることはできるけれど、それは修行の価値ではないよ、ということ。
本質的な価値は、古典を読んだ後に残る、「古典の思考を得られた」「点数の取り方がわかった」「好きな作家ができた」かわからないけれど、「個の意味付け」によって決まるから、事後的なんだよ、