養老孟司のレビュー一覧
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物事の本質を見抜く人だから、一般人では気づかないところに目がいって大変なんだろうな。知識の幅も広いため、いろんな方面へ広く伸びながら結構な火力で自分の考えを述べていた。
おじさんが特定の団体や人物を名指しでのびのびディスるスタイルは、なんとなく吉本隆明さんを思い出す。ただのディスりだけでなく、抽象度高めで興味深い視点もある。しかし、家電製品の普及による女性の家事負担軽減で「暇になっただろ」発言は、2003年発行とはいえ、ちょっと価値観を更新できていないような気がした。
この本だけでは養老孟司さんの良さを知ることはできないと思うので、他の本も読んでみる。 -
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独身未婚中年男性の自分が読んでみました。
テレビなどで見る、養老先生のお話は好きなのですが、この本に関していえば、う~ん、決して悪い意味ではないのですが、毒にも薬にもならない感じ。
子どもを取り巻く環境などは、自分としては養老先生の仰るとおりであるとは思うのですが、現実日本社会ではもうそういう子育てはできない気がします。なので、一回日本は滅びるしかないのかなと・・・。
おそらく、大正生まれぐらいの人たちまでは、一生の間に価値観が大きく変わるということはこれまでの人類史でもほぼなかったはずなのですが(敗戦体験は例外)、昭和生まれ以降はもう、人生の間に価値観が変わっておかしくない世の中になりました。これは、人間の生き方に大きく負担をかけている気がします。そういう意味でも、第一次産業への回帰などは、自分自身は必要だと考えますが、まだしばらくそうはならなさそうな気がします。
さてはて、私たちはどう生きましょうか・・・。 -
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「バカの壁」は誰しも持っている。
2003年に書かれた本で、若干古い価値観なのは否めない。
ただ「バカの壁」というのは誰もが持っているというのは頷ける。
興味関心がなければ、どのようなことからも学べない。
逆に言えば興味関心を持てばどのようなことも学べるし、楽しい。
合わせて読むなら『暇と退屈の倫理学』と『夢を叶えるために脳はある』がおすすめ。
「理解した」と思うと、それ以上を吸収しようとしない。
個人的には第二章の脳の中の係数のお話が面白かった。なんかしらの入力があって、出力がある。その係数が0であれば何も起きない(興味がない状態)
係数が大きく、仮にマイナスでも絶対値が大きければ出力も大きい。
興味を持てばどんなことも楽しいよ。 -
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養老先生がご病気されていたなんて!
それにしても優しいお顔になられたなと思いました。
全体としては面白いわけではないですが、医療に対して養老先生の解釈を得られる本です。
プロローグが1番惹きつけられた。
「現代の医療をどう思うかと何度か訊かれたように思うけれども、その根本を考えたいとしばらくの間思っていた。でもなんだか面倒くさくなってきた。
一番のもとにあるのは、統計というものをどう考えるかという点である。
社会全体もそうだが、現代の医学は統計が優越している。統計は数字で、数字は抽象的である。では抽象でないものとは何か。感覚に直接与えられるもの、「遺言。」ではそれを感覚所与と書いた。『遺言。』を書いた時点では、その程度で話を済ませたが、その後あれこれ考えたら、感覚所与と意識の間の関係をもっと煮詰めないといけないと思うに至った。」 -
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本書の最大の特徴は、老いをめぐる議論が単なる高齢者問題にとどまらず、「人間とは何か」「社会とは何を価値とするのか」という根源的な問いへと拡張されている点にある。養老は、「脳化社会」というキーワードを背景に、現代人が身体性を軽視し、合理性や効率性ばかりを追求する傾向を批判する。老いとは、そのような価値観に対する自然からの「抵抗」であり、身体の変化を通じて人間が本来持っていた不確実性や非効率性を取り戻す契機であるという。老いを「衰え」とのみ捉える視点に対し、むしろそれを人間存在の不可避な相として肯定し、その受容こそが大切であると論じる。
この視点は、本書の随所に現れる「変化」の思想と密接に結びついている。養老は「育つ、というのは、変わるということです」(p.32)と語る。人間は固定された存在ではなく、環境との関わりの中で変わり続ける存在である。だが現代社会は、変化よりも安定を重視し、効率よく生きることを求める傾向が強い。その結果、人は失敗や不確実性を避けようとし、自らを変化させる契機を失っているのではないか。本書は、そのような現代的価値観への違和感を通奏低音として持っている。
養老はさらに、「安心、安全で安定した状況に置かれると、人は学習しない」(p.29)と述べる。この言葉は、人間存在そのものへの洞察として読むべきだろう。変化のない環境は、人間から切実さを奪う。逆に、人は不安定な状況に置かれたとき、必死に適応しようとする中で学び、成長する。老いとは、まさにその「変化」を身体レベルで強制的に引き受けさせる経験である。若い頃には当然だと思っていた身体機能や社会的役割が揺らぐ中で、人は改めて「生きるとは何か」を考える。
この文脈で、養老の「何かを必死でやっていると、前を向くしかないから、将来がどうのと不安になる暇はない。それが『生きている』ってことでしょう」(p.31)という発言は極めて印象的だ。現代社会では、不安を取り除くことが幸福だと考えられがちである。しかし本書は、不安や不確実性を完全に消去することはできないし、むしろそれらを抱えながら動き続けるところに人間の生の本質があると示唆する。老いもまた、その事実を人間に突きつける現象として理解されている。
一方、小島は、現代社会は「若さ」や「美しさ」を過剰に価値づける傾向があるという。年齢を重ねることは、しばしば「市場価値」の低下として扱われる。しかし、その価値観から距離を取れるようになることで、逆に自由を得る側面があることを語る。
また、本書では「理解する」ということの意味についても深い考察がなされている。養老は、「『わかる』ということには、二つの種類があるでしょう。頭の中でわかるのと、体験するのと。それは意識と感覚の違い。情報化社会に生きていると、すべてのことは説明可能だと思っちゃう。言葉の限界を知るべきで、感覚は言語化できないですよ」(p.47)と述べる。
この指摘は、現代社会への重要な批判となっている。情報化社会では、知識やデータを得ることで「理解した」と思い込みやすい。しかし実際には、身体で経験しなければわからないことが数多く存在する。老いもその一つである。加齢による身体の変化、疲労感、孤独感、あるいは時間感覚の変化は、説明によって完全に共有できるものではない。それは実際に経験されることでしか理解できない。本書は、現代人が失いつつある「身体で知る」という感覚を取り戻そうとしているのである。
さらに、本書の議論は労働観にも及ぶ。現代では、「好きなことを仕事に」という理想が広く語られる。しかし養老は、「好きなことをしたいのであれば、世間とも適当にお付き合いして、糊口をしのがなくちゃなりません。会社が自分にあった仕事をくれるわけではないでしょ。自分を仕事に合わせていくから、人は育つわけでしょ」(p.68)と現実的に語る。
ここで重要なのは、「適応すること」が単なる迎合ではなく、人間を成長させる契機として捉えられている点である。現代社会では、自分に最適化された環境を求める傾向が強い。しかし実際には、人は摩擦や違和感を経験する中で変わり、成熟していく。本書が繰り返し示すのは、「変わることを受け入れる」姿勢の重要性であり、それは老いにも仕事にも共通するテーマとなっている。
老いには確かに身体的・社会的な困難が伴う。しかし、その困難を排除すべき「問題」としてのみ扱うのではなく、それを含めて人間の生の一部として引き受ける姿勢が提示される。ここには、近代社会が追求してきた「問題解決型」の思考への批判が込められている。すなわち、すべてをコントロール可能なものとして扱うのではなく、不可避のものを受け入れるという態度が、結果として人間の生を豊かにするのではないかという問いである。
注目すべき点は、本書が現代日本社会の構造的問題にも言及している点である。少子高齢化、医療や介護の制度、労働市場における年齢差別など、老いを取り巻く環境は個人の問題を超えて社会全体の課題となっている。養老は、こうした問題の背景にある「均一性」や「効率性」への過剰な志向を指摘し、多様な生き方や時間の流れを許容する社会の必要性を説く。
その問題意識は政治論にも接続される。養老は「政治の場合は、どのくらい長期の見通しを持てるかどうかが力量を決めますね」(p.133)と語る。現代政治は短期的成果や即効性を求めがちである。しかし、老いという問題は本来、数十年単位の視野を必要とする。教育、医療、介護、地域共同体といった問題は、長期的な時間感覚なしには考えられない。本書は、「老い」を論じながら、実は社会全体の時間意識そのものを問い直しているのである。
本書が提示しているのは、単純な楽観主義ではない。不安や不確実性、身体の衰えを含めて、人間は自然の一部として生きているという事実を受け入れること。その受容の中にこそ、本当の意味での成熟や自由があるのではないか、と語っている。 -
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薄い。全111ページ。本文(p.9~55)と解説(解説Ⅰ・Ⅱ合わせてp.61~111)で、文量がほぼ同じ(解説のほうが若干長いか)。解説は養老孟司と斎藤環。この本の著者名としては名がないが、これは養老・斎藤も著者と言っていいくらいだと思う(ので、本投稿のタグには二人の名前を追加した。私の中では著者扱い)。
ともにドイツに住んでいたユダヤ人である(後に二人とも亡命することになる)物理学者・アインシュタインと心理学者・フロイトとの間の“戦争”を巡る往復書簡。アインシュタインからの問いに対するフロイトの答えは、最後のほうにある一文「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」(p.55)に集約されていて、解説Ⅱ(斎藤環)でもこの考えはある程度支持されているように見える。この前段階として、“戦争”というものを、権力・暴力でもって欲動を実現しようとする行動の行き着く果てとして捉えたうえで、「文化は欲動をコントロールする」という命題を心理学的に求めている(文化が発展すると人々が子を産まなくなる――つまり少子化――はその一例だそうだ)。
戦争は欲動の暴走だ。欲動は文化の力で抑えられる。ゆえに文化の発展でもって戦争は抑えられる。こんな三段論法。
昨今のイスラエル・アメリカ近辺のニュースを見ていると、“本当かいな?”と思うところ。この二国は、全地球の中でみれば文化の発展した部類だと思うが…。少子化やZ世代云々から、文化の発展による欲動の制御(減衰)は今も当てはまると思うが、とすれば、戦争の捉え方が違う/違ってきているのだろうか(国家の行動は、国民個々人の欲動とは違うところから生じるものかも知れない)。 -
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この本で述べられた「バカの壁」とは、要は一元論的な物の見方で、自分の世界にとらわれること、バカの壁の中にずっとい続ける視野の狭さのことを言っていた。そういう意味では、誰しもが「バカの壁」の内側の住人ということになる。
共感できたのは、フランクルについて言及している節の、「人生の意味」というところ。
「人生の意味なんて何もない」というふうに割り切ったり、ニヒリズムに走ったりするのは楽だが、それに向き合わないことこそ残念なことだ、それに向き合うことこそ大事なことだ、という主張がされていた。また、イデオロギーを自分の「人生の意味」とするにはもう終わっている、というところも共感できた。
他にも思ったこと。
養老孟司が東大医学部教授であり、普段相手にしているのが東大生ということもあって、「曲がりなりにも日本一の学生でさえ、こんな感じなのか」という、著者だからこその視点があったと思う。
また、雑学として、マウスの脳を人為的に巨大化する実験がすでに行われており、これをチンパンジーや人間にしてみたら、「プラスα」の何かをもった「超人」が生まれる可能性があることに触れているところがあって、(面白かった?かもしれない。)