養老孟司のレビュー一覧
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いちばん印象に残ったのは、岡山の限界集落の話。「NHKの番組で岡山の高齢者だけの限界集落を取り上げていたのね。75歳以上の人だけが住んでいる集落が、岡山には720ほどあるそうなんです。…それで俺が思うには、限界集落が720もあるということは、そこがいかに住みやすいよい場所か、ということですね。…限界集落とか言って問題視する前に、どうしてそういう生き方こそ奨励しないのかね、と思って。」
東日本大震災後、1年以内に書かれた日経ビジネス連載のまとめなので、端々に生き方や暮らし方の再考が提言されている。コロナ禍の現状に置き換えても違和感がないので、本質的な議論がなされていたのだと感じる。暮らしを歴史的・政治的・経済的・機能的・国際的・精神的に捉えた秀逸な対談本。 -
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現代社会は脳が社会に反映されている、いや脳そのものになったという当時としては斬新であったと思われる31年前にあたる平成元年出版の著作。
脳と社会に纏わることの証左を様々挙げながら、また特に著者の専門である解剖学の専門的な知識にも及んで、解説にもある通り、時々起こるような脳ブームのきっかけとなった本である。後に著書のヒット作「バカの壁」に繋がる代表作。
もちろん脳科学にも近接領域があって、心理学や哲学の文系よりの分野を巻き込んむが、その端緒になったようだ。
私たちは脳の中に住んでいる、という指摘をされると理解できる、というように人々が気付かないが本質的なことを著者の養老孟司は言ってくれるので結構長いこと著者のことが好きだ。本質や思い込みを指摘してくれることも大事だが、今東京では喫煙しにくい状態になっているのだが、養老孟司は喫煙者でありそこもいい。 -
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ネタバレこちらもまるという猫がかなり登場する。まるは「ものさし」なんだそうだ。『もっと成長を、もっと効率を。そんなものを必死に追い求めた結果、世の中はわけのわからないものになつてしまいました。しかも、誰もがそれを進歩だと信じ込んでいる。ヒトのよくはキリがない。かたや、猫に限らず、動物は足ることを知っています。どちらが馬鹿で、どちらが幸せなんでしょうね。』
無用なものも必要であるなど、養老さんらしい意見が随所。まるの存在が大きいですね。猫ずきはこうして生き方の参考にしているのかもしれない。少し高いところから小馬鹿にしている感じが少しクセがある。 -
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初めて養老さんの本を読んだ。この本を読むまで恥ずかしながら養老さんのことは知らなかった。本書は2回読んだ。父に勧められて本書を読んでみて、難しいと思いながらも、養老さんらしい表現の仕方に感心し、勉強になる部分も多かった。自分とは全く違う視点で日本の問題や世間を見られているなあという印象だった。
今は「世間があっという間に飽和する時代」という表現や「煮詰まる」という表現。今の社会が抱えている問題に養老さん独自の視点から喝を入れられており、その解決のヒントのようなものも感じられた。
「人生の意義は自分の中にはない」自分が死んでも、困る自分がいなくなるから自分は困らないという表現。人生とは世のため人のためであることを再認識した。
コンピュータは人の意識行動に取って代わるものであり、人自身に取って代わるものではない。
「現代は「意味のあるもの」にあふれている」だから人は意味のない自然を求める。というのは、共感できなるほどと思った。
現代について深く考えることができた本だった。2度読んだがまだ理解できてない部分があるような気がする。また時間のある時にゆっくり読んでみたいと思った。 -
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人は昔から自然に暮らし、自然の一部だった。しかし、今や道具に囲まれて人工的な環境に暮らしている。人はただのデータと化している。
確かに、若者の私は虫が嫌いだし、自然の風より冷房の方が気持ちいい。
人工的、効率的に生きることを目指している癖に、宗教やファンタジーを捨てられないとは、なんて人間らしいのだろうと思った。私は、人間の信じることが大好きなところが大好きだが、愚かと言うこともできるなぁ、と。
養老先生曰く、その精神は地下鉄サリン事件の温床だと言うので。
解剖学は人体を説明する学問だけれど、説明したって人体に変化はない。
ふと思ったのは、
心理学は心を説明する学問だけれど、説明したって心に変化はない。
と当てはめられそうだ。
本書の別の部分での、人は分かりやすさを求めているという論につながってる!と思った。
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「NHK ネコメンタリー 猫も、杓子も。」で紹介された、
作家たちと猫の関わりを、たっぷり盛り込んだ猫愛溢れる本。
1 はじめての猫・・・角田光代、吉田修一
2 いつでも猫・・・村山由佳、柚月裕子
3 これからも猫・・・保坂和志、養老孟司
猫対談、猫写真、猫作品(小説、エッセイ、短編)での構成。
「NHK ネコメンタリー 猫も、杓子も。」紹介有り。
PROFILEは作者と猫たちを紹介。
インタビューでは、著作に関する話と飼い猫の話。
あ、飼い・・・じゃなくて相棒とか家族っていった感じですね~。
それらと小説、エッセイ、短編には、猫に対する眼差しと
愛を感じる言葉が迸っています。そして作家と彼らの写真。
愛猫の前では、なんて素直な表情を出してしまうのでしょう。
それは猫たちも同様。同じ空間にいるときのリラックスぶり、
保坂さんの外猫シロも触らせてくれないようでも、自分の舌と
彼の指に感覚を残してくれる。
なにより、彼らの写真のステキなこと。
この本に接する読者にも癒しを与えてくれます。 -
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ネタバレ動物は等価交換を理解できない。それは、感覚所与を優先するからだ。3+3=6という数学は理解できない。イコールがわからない。
感覚所与とは、感覚器に与えられた一次情報だ。例えば、白という字を黒の鉛筆でかく。感覚所与ては黒だ。そういうことだ。
だけど人間は違う。労働がお金になると言うことが理解できるからだ。働くとお金がもらえる。そのお金で好きなものが手に入れられる。と、繋げて考える事が出来る。金がすべてだと言うわけではないが、金がすべてだと言う人は、全てのものは交換可能だといっているということになる。そういう人は、まさに、頭の中に住んでいるということ、外の違いを、感覚という違いを無視しているのだ。
動物と人との違いのひとつは、人は他人の立場に立つ事が出来るということだろう。
人の意識の特徴は「おなじだとするはたらき」である。
そして、おなじ、おなじ、を繰り返していくとどうなるか。それは、ピラミッドの頂上に全てを含んだ唯一の存在となる。西洋では神という。
同じ立場に立脚する文明社会に、違うものはないだろうか。それは、アートだ。オリジナルにこだわるものだ。ピカソの絵をコピーしても、それは複写であってオリジナルではない。芸術におけるオリジナルは絶対的である。芸術が感覚からはじまる以上、それは当然である。世界を感覚で捉えたら、同じものは一つもないから。同じものがひとつもない世界で優れたもの、それを芸術作品というのだろう。真理は単純だが、事実は複雑だ。それは、感覚所与は多様だけど頭のなかではその違いを同じにする事が出来るから結果が単純になる。
芸術は宗教とも関連する。同じを中心とする一神教と、違うを認める多神教だ。
コンピューターは芸術を創るのだろうか?それは無理だろう。芸術に前提となる唯一性をもたないからだ。もちろん、コンピューターが創ったものを芸術と呼ぶことは可能だ。ただし、それは、作品から唯一性が失われていることになるが。生演奏がいあのは、そこに唯一性があるからだ。数学が、もっとも普遍的な意識的行為の追求、つまり、同じの追求だとすれば、アートはその対極をしめる、いわば、違いの追求といえる。アートは数学的にいうと、数学的なには誤差に過ぎないということになるかもしれないが、その誤差が非常に大きいと言える。その誤差の集合体が芸術であるのだろうか。
最後に本書は、現代の感覚所与を排除し、デジタルな1と0の世界に邁進していることについて、それが少子化を招いているという。デジタルは外乱をきらう。答えの分かるものを好む。感覚所与を押さえ込み、全てをデジタルに置換し普遍のものとして保存できるようにする。感覚的な雑音を排除することは、自分以外に受け入れることを拒否することだ。結婚相手や子供は自分にとっては雑音でしかない。現代の若者は、それを許容できなくなっている。