【感想・ネタバレ】遺言。(新潮新書)のレビュー

あらすじ

動物とヒトの違いはなにか? 私たちヒトの意識と感覚に関する思索――それは人間関係やデジタル社会での息苦しさから解放される道にもなる。「考え方ひとつで人生はしのぎやすくなりますよ」、そう著者は優しく伝える。ひと冬籠って書きあげた完全書き下ろしとなる本書は、50年後も読まれているにちがいない。知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生! 80歳の叡智がここに。

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Posted by ブクログ

壁シリーズの第5段です。古本屋で見つけたので購入してみました。今どきの話題にふれつつ、愛猫まるをたまに登場させつつも、『バカの壁』と同じように、けっこう集中力と頭脳労働が求められる本です。「おじいちゃんの遺言かぁ、モー娘みたいにタイトルに「。」つけちゃって可愛い〜」なんてニヤニヤしながら読むと痛い目にあいます。さすが壁シリーズ。

自分は建築について考察する部分で、けっこう腑に落ちました。空間を共有すると簡単にいうけれど、確かにそれぞれの体験は全然別だよなと。

たとえば実家にしても、その家にいる感覚は、親と子ではまったく違うでしょう。自ら数十年ローンを組んで、日々苦労と充実感を重ねながら自分の稼ぎで手に入れた家に住む人間と、なんとなくあるのが当たり前な感覚で住む人間の体験が、同じであるわけがないのです。でも、そんなことも、こうしてあえて意識しなければ、存在しないも同然です。それを、私たちはごく普通に同じ空間を共有していると信じています。

これは改めて考えると、怖い事だし、同時に心踊ることでもあります。他人の体験は永遠に自分のものにはならなず、想像したとしてもそれは「仮にその状況にある自分」の体験でしかないという、この分からなさ、ある種の断絶の感覚こそ、逆にいえば新たな体験を予感させる要因だからです。

すべて分かりきった世界にどんな喜びがあるというのでしょうか。人や事物にレッテルを貼り、分かったつもりになる時に人は、自分自身の「思考」もしくは「記憶」しか見ていません。

もちろん、どうにもよく分からない「他者」はストレスの元ではあります。だから排除しようという恒常的な意識の働きがあるのでしょう。でも、言ってしまえば、意識(思考)にとって、身体こそがまず最初の大自然であり「他者」なのです。

「意識」は永遠に若く元気で生きるべきだと考えますが、「身体」は自然の法則にしたがい粛々と死にむかいます。そんな自然たる身体を、思い通りにしたところで、グロテスクな結末にしかならないのではないでしょうか。オルダス・ハクスリー『素晴らしい新世界』がまさにそんな世界を描いています。養老先生の本を読んでから読むと、かなり面白いと思います。

というようなことを、読みながらつらつら考えました。

ひとまず、養老先生の遺言は、個々人が生々しく体験する刺激であるところの感覚所与と、思考が作った抽象概念は、現代人が思っている以上に乖離してきており、社会がだいぶまずいことになってるぞ〜そろそろ身体に気づけ〜、という事だと受け取りました。

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2022年04月06日

Posted by ブクログ

読書開始日:2021年11月27日
読書終了日:2021年12月4日
要約
①感覚所与を意味のあるものに限定し、世界を意味で満たす。それがヒトの世界、文明世界、都市社会。
②都市社会の弊害は全てに意味があることを強い、意味ないものを徹底的に排除する。それにより人間本来の死生観との乖離が起きている。人生についても意味あることへの強迫観念が強いられる。
③意識と感覚の違い自体を意識することが重要。
所感
養老孟司さんの本は本当に面白い。
都市社会を、説明によって理解することができた。
意味の強要。
自分も経験してきた。
自分はSNSから距離を置いた。
この意味の強迫がとても居心地悪かった。
残された学生生活、残された20代、楽しまなきゃ損。俺はこんだけ楽しんでる。談笑だけでは飽き足らず、一生残る情報として書き記す。自分が精一杯自分の人生に意味をつけた証として。
既に一般市民の若年層にも意味強いは浸透している。
個性尊重もそのせいだ。
個性なんてものは今の自分がそもそも個性で、その個性すらも諸行無常。
自分なんてない。
むしろせせらぐ川のように流動的に、時に濁流のように、移ろうものが自分だ。
その中でもイメージする川に矯正する、矯正してもらえるような存在が必要。
その関係は、もちろん移ろうを前提とした関係だ。
前提は前提としていながらもそこに向かうことにきっと幸福はある。
意味づけがダメと言っているわけでは全く無いんだ。
ただそこには人間としての感覚も入れないと、ただのコンピューターに成り下がる。
再読したい。

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2021年12月05日

Posted by ブクログ

じじい特有の色々もうわかりあおうとするのは面倒だ、という態度が、うっせーじゃあ書くなよ本なんか、と思ってイライラする。そういう不徹底がだらしない。わかりあうのが面倒ならコミュニケーションやめればいい。
要するにただ歳とって色々面倒になっただけで、でも書きたいことや言いたいことはある。
それはそれでいいんだから、それで認めて普通に書けばいい。余計なことを言うから、いけない。余計なことを我慢するのが面倒なくらいじじいになってるんだろう。
それが老いかね。まぁ、遺言と自ら言ってるのだからそんなとこ追求しなくても?って思うかもしれないけど、そこの態度は醜悪だ。
1つ前が方丈記だったからかもしれない。方丈記にはそういう面倒な言い訳はなかった。

そういうものを抜きにして、内容は面白い。
同一性と差異、というのは、まさに人間の情報編集の基礎である。あ、これを読んだのは松岡正剛の千夜千冊に取り上げられたからだ。
そもそも養老孟司にはあまり興味がない。
バカの壁、も、読んだら負けな気がして(まったく意味のない思いですが)読んでなかった。
バカの壁を読むことにバカの壁が透けて見える。

で、同一性と差異、タルドの模倣の法則や、バーバラ・スタフォードがそのあたりの僕の文脈だけど、スタフォードが
「違う違うという時代の同じ」というような意味のことを言ってたけども、この本では、「同じ同じという時代の違う」を指摘してる。

なるほど、この同一性と差異はどこからうまれるのか
それも興味がある
スタフォードを先に読んだせいもあるが、僕は、今は違う違うという時代と感じる。
共同幻想は細分化され、個々人の関心はバラバラになる。

でもこれは、プラトンとアリストテレスがラファエロの画面で示した所作に要約されて常に問われ続けてきたことでもあるのだろう。

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2019年02月03日

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現代の世の中で起きている様々な問題に対し、一つの補助線として意識(脳化、都市化、情報化)への過度な偏重を提示。


・人間と動物の違い。人間は意識、動物は感覚を重視する。ここから人間は感覚から入力に対し、意味を見出すようになった。
→意味のないものを排除する傾向が強まった(自然の排除。都市化)
・意識によって「同じ」を理解できるようになった。お金や数式、相手の心の理解などを生み出した。他方、感覚は「違い」を重視する。
・意識には科学的な定義はなく、脳によって支配されている。なのに意識は「自分が偉い!」と思ってしまう。
・少しでも意識から離れ、感覚に近いものを求める向きもあり、それが音楽やアートに繋がっている。
・政治の分断や自然保護なども意識と感覚の対立によるもの。特に少子化は都市化が進んでおり予測された社会の中で、子どもという自然に違い存在は予測不可能であり、避けられて当然




著者が今までの著書で述べてきたことのまとめであるように感じた。



会社役員や、政治家など意識中心で生きている人がなぜゴルフにハマるのか。作られたとはいえ自然が感じられ、自分は毎回同じスイングのつもりでも球が毎回違う方向に飛ぶ、予測不可能などスポーツだからなのかなと。


人間誰もが意識しないと「意識」偏重になってしまう。
だからこそ自然や感覚にもしっかり目を向けるように意識しないといけない。


著書の後半で印象的だったのが以下
「私に答えを要求しないでくださいね。毎日、こんなこと(様々な問題について)を考えて眠れないんですから」

80歳とはいえ研究者としてまだまだ悩みは尽きないんだなー。
だからこそあえて意識から離れるために、虫取りするかな。

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2018年04月26日

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学校でムスリムの女子がビジャブを被るのを、認めると特別待遇になるから差別的だというのか、禁止するとその子達の自由を害することになり、其方が差別だというのかの問題。これを、意識と感覚の違いから、すなわち同一性と差異の問題として考えたらどうですかという提案ですね。都市(化)は意識の世界、意味のないものを許さない同一性の世界ということになりますね。この視点は新鮮でした。平面的に見えた、同等の利益の対立が立面で見えてくる感じです。

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2018年02月21日

購入済み

話を聞きたい

世の中が何かおかしくなっていると思うこの頃。格差社会はもはや経済面だけじゃない、現代日本の厳しい現実。自分と他人、人間の本質と自分の煩雑な生活について考えてみる。人生の大先輩の思考に触れる一冊。

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2017年12月14日

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目が覚めると、意識が戻る。
でも、目が覚めたのに、身体が動かない。
それが金縛りだ。高校時代、何度か金縛りにあった。初めてなった時は怖くてパニックになった。
意識のスイッチは入っているが、運動系のスイッチが入っていない、そんなズレから起こるらしい。
養老孟司さんの本を読んでいると、脳のメカニズムに興味がわいてくる。
現代の都会生活が、意味に直結する感覚所与だけを残して意識中心になっていることに警鐘を鳴らしている。都会と田舎の参勤交代生活を提唱している理由がやっとわかってきた。
効率や経済で計れば、下位に置かれる感覚。デジタル化がさらに感覚を下に下に追いやっている。田んぼや森、山に行けば感覚が働き出し、鋭さを増していく。
意識と感覚のバランスを失っている現代だからこそ、感覚の復権、復元を訴えている。田舎育ちの昭和な私にはその主張がずっと入ってくる。
ヒトが本来もっているものに気づくための経験。それを子どもたちとも共有したい。

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2025年08月31日

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特に心に残ったのは、「同じという機能を持った意識も、違うものがなければ具合が悪いと、暗黙のうちに知っているに違いない」という一節です。
私たちはつい「みんなと同じ」であることに安心しがちですが、実は「違い」があるからこそ社会も自分自身も成り立っているのだと気づかされました。

また、アートが「同じ」を中心とする文明世界の“解毒剤”であるという視点は新鮮でした。
理論や正しさだけでなく、感覚や曖昧さ、違和感を大切にしていい――そう思えることで、どこか安心した自分がいました。

養老先生の語り口は、時に数式や哲学、社会問題まで広がりますが、どこかユーモラスで肩の力が抜けるような読後感があります。
「正しさ」や「同調圧力」に息苦しさを感じている人にこそ、ぜひ手に取ってほしい一冊です。

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2025年07月16日

Posted by ブクログ

遺言。
著:養老 孟司
新潮新書 740

帯には、80になったので、言い残したことを、遺言として書いておこうとある

エッセイとして、書き綴ったものであるので、一貫性を求めるのは酷かもしれないが、
科学の匂いがしているのは、ちょっとうれしいかもしれない

2024年現在、86となっている、この知の巨人は、「当面死ぬ予定はない」なのである

あと、題に、「。」がついているのもなんだかなあ、説明はない

気になったことは、以下です

・ヒトとはなにか、生きるとはどういうことか、根本はそれが主題である

・それが正しいとか、正しくないとか、そんなことは考えていない
 考えというのは、そういうものである

・コンピュータにより良く学習をさせるためには、きれいなデータだけではなく、入力に白色雑音を加えてやる
 そのほうが学習効果は高くなる

・鳥は中脳動物だ
 大脳は嗅覚、中脳は視覚、後脳は、平衡感覚と聴覚に関連して発達したといわれる

・意味のあるものだけに取り囲まれていると、いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる

・中島敦の「古潭」のなかに、「文字禍」という短編がある
 アシュル・バニ・アパル大王の御世、老博士ナブ・アヘ・エリバは、大王の命によって、文字の霊の追求を命じられる
 …… 老博士は、躊躇なく文字の霊の存在を認めた 
 これはおそらく、中島敦自身の経験に依拠している

・アイコンを徹底して嫌う文化がある、それはイスラム文化である
 イスラム社会は先に定義した意味での偶像=アイコンを排除するのである

・意識という「照明」はついたり、消えたりする
 眠ると消えてしまい、起きると点滅する
 死んだら、意識はもはや戻らない

・金縛りという現象がある
 この場合、意識は戻っているが、運動系のはたらきが完全に戻っていない

・クオリア:感覚的な意識や経験のこと

・日本では、方丈記や、平家物語に流れている諸行無常、西洋では、ギリシア時代に発見している
 ヘラクレイトス学派の万物流転である

目次
1章 動物は言葉をどう聞くか
2章 意味のないものにはどういう意味があるか
3章 ヒトはなぜイコールを理解したのか
4章 乱暴なものいいはなぜ増えるのか
5章 「同じ」はどこから来たか
6章 意識はそんなに偉いのか
7章 ヒトはなぜアートを求めるのか
8章 社会はなぜデジタル化するのか
9章 変わるものと変わらないものをどう考えるか
終章 デジタルは死なない

ISBN:9784106107405
出版社:新潮社
判型:新書
ページ数:192ページ
定価:760円(本体)
2017年11月20日発行

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2024年05月31日

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還元論的に意識を分解していけばそんなものは消える、私たちは意識という名の宗教徒なのかもしれないな
あと「私の芸術に関する結論は簡単である。芸術はゼロと一の間に存在している。」が私の芸術に対する考え方で声出た、サグラダファミリアの設計士ガウディに通じるものがある、ガウディは人のゼロからの創造を否定している、すでに存在するものを発見しそこから出発するのが人の創作。おんなじこと言ってる!おもろ!

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2024年01月26日

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「意識」「感覚」というものについて、神経や解剖生理学の立場から書かれている。数式が出てきたり、哲学的な内容に触れたり、社会問題に物申したりと、著者の見識の深さに唸らされる。理論的な正しさだけを求めるのではなく、感覚的な部分ももっと大事にしてよいのだなと感じて、どこか安心した。

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2023年04月26日

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養老孟司さんの「壁シリーズ」です。
「意味があるとは」「イコールとは」「意識とは」などの側面から、都市化した社会について考察された本です。
ぜひぜひ読んでみてください。

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2022年01月20日

Posted by ブクログ

養老孟司の書き下ろしの本である。
著者自身が述べているように、これまで出版された本の「まとめ」のような内容であるから、私は概ね理解できたが、本書に対する低評価のレビューを見て驚いた。養老孟司の本はいつも発見がある。私はそう思うが、低評価が付くのはなぜだろう。読み解けていないのは低評価を付けたその人なのか、それとも自分なのか。そんなことを考えながら読んだ。
本書で改めて著者が強調しているのは「意識と感覚の問題」である。「意識は同じ」と主張するが、「感覚は違う」と主張する。
そして、養老氏があることを言うとき、やはり「同じ」と「違う」が話題になる。例えば、絶対音感について。動物には絶対音感があり、人間にはない。
しかし、赤ん坊には絶対音感があるはずと述べる。つまり、赤ん坊と動物の聴覚は同じであり、大人と動物は違う。低評価のレビューを読むと、特にこの部分に対する指摘が多い。絶対音感に関する氏の主張はデタラメだと。その指摘は正しいのかもしれないが、それは枝葉の問題である。氏は「動物は感覚の世界に、人間は意識の世界に生きている」と主張するために絶対音感の例を挙げたに過ぎないからだ。枝葉にこだわると幹を見失う可能性がある。
思えば、書物は文字である。言葉である。つまり、意識である。本を読むという行為は「意識の世界」そのものである。そこではやはり、「同じ」なのか「違う」のかということが問題になる。
養老氏の本はいつも気軽には読めない。論理を丁寧に追いかけていかないと、途中で分からなくなる。
それでも本書の理解度は8割程度。終盤は理解できないところがあったが仕方がない。相手は知の巨匠である。時をみて再読しよう。

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2021年11月24日

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「感覚」と「意識」に関する本。
物事の同一性に立脚する文明社会にとって唯一性が重視される芸術とは一種の解毒剤。外界に対する違和感を指摘する機能である「感覚」を言語化、つまり同一視することはできず、そこを何とか伝達可能にしようとする試みが芸術。おもしろい。

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2020年05月03日

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随筆のような自由な文章のせいかもしれないが、自分の知識や興味の在り方に問題があるのだろう。平易な言葉だけど難しい本だった。でもまたいつか読み返してみたい。

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2019年09月21日

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ネタバレ

動物は等価交換を理解できない。それは、感覚所与を優先するからだ。3+3=6という数学は理解できない。イコールがわからない。
感覚所与とは、感覚器に与えられた一次情報だ。例えば、白という字を黒の鉛筆でかく。感覚所与ては黒だ。そういうことだ。
だけど人間は違う。労働がお金になると言うことが理解できるからだ。働くとお金がもらえる。そのお金で好きなものが手に入れられる。と、繋げて考える事が出来る。金がすべてだと言うわけではないが、金がすべてだと言う人は、全てのものは交換可能だといっているということになる。そういう人は、まさに、頭の中に住んでいるということ、外の違いを、感覚という違いを無視しているのだ。
動物と人との違いのひとつは、人は他人の立場に立つ事が出来るということだろう。
人の意識の特徴は「おなじだとするはたらき」である。
そして、おなじ、おなじ、を繰り返していくとどうなるか。それは、ピラミッドの頂上に全てを含んだ唯一の存在となる。西洋では神という。
同じ立場に立脚する文明社会に、違うものはないだろうか。それは、アートだ。オリジナルにこだわるものだ。ピカソの絵をコピーしても、それは複写であってオリジナルではない。芸術におけるオリジナルは絶対的である。芸術が感覚からはじまる以上、それは当然である。世界を感覚で捉えたら、同じものは一つもないから。同じものがひとつもない世界で優れたもの、それを芸術作品というのだろう。真理は単純だが、事実は複雑だ。それは、感覚所与は多様だけど頭のなかではその違いを同じにする事が出来るから結果が単純になる。
芸術は宗教とも関連する。同じを中心とする一神教と、違うを認める多神教だ。
コンピューターは芸術を創るのだろうか?それは無理だろう。芸術に前提となる唯一性をもたないからだ。もちろん、コンピューターが創ったものを芸術と呼ぶことは可能だ。ただし、それは、作品から唯一性が失われていることになるが。生演奏がいあのは、そこに唯一性があるからだ。数学が、もっとも普遍的な意識的行為の追求、つまり、同じの追求だとすれば、アートはその対極をしめる、いわば、違いの追求といえる。アートは数学的にいうと、数学的なには誤差に過ぎないということになるかもしれないが、その誤差が非常に大きいと言える。その誤差の集合体が芸術であるのだろうか。
最後に本書は、現代の感覚所与を排除し、デジタルな1と0の世界に邁進していることについて、それが少子化を招いているという。デジタルは外乱をきらう。答えの分かるものを好む。感覚所与を押さえ込み、全てをデジタルに置換し普遍のものとして保存できるようにする。感覚的な雑音を排除することは、自分以外に受け入れることを拒否することだ。結婚相手や子供は自分にとっては雑音でしかない。現代の若者は、それを許容できなくなっている。

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2019年08月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

とりあえず感覚器に与えられた第一印象を感覚所与という。感覚所与は「違う」けれどわれわれは頭の中でそれを「同じにする」。動物はイコールがわからない。等価交換ができない。動物は絶対音感がある。人間は忘れていくのだ。現代の若者が実際にヒトに接するよりSNSを好むのは生身のヒトは雑音を含みすぎている。都市は意識の世界であり、意識は自然を排除する。人工的な世界はまさに不自然なのである。子どもは自然である。とりあえず心に残った養老さんのつぶやきを書いておく。まあ考えてみればと言うこと。むずかしいけどおもしろかった。

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2018年11月15日

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動物の認知系統の話を軸に今の世の中に対する哲学的な内容を織り込んだ内容。単純なことだけど言われてみたら、へー。みたいな話題が多い。

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2018年11月03日

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遺言というタイトルとは直接関連がないような
内容だと思います。
結局何を言いたいのか?少し難解な内容であった
ような気がします。ちゃんと理解できなくても
著者が一生懸命、我々に訴えかけていることだけは
わかります。
意識を研ぎ澄ませることもいいですが、感覚を
もっと研ぎ澄まして、感覚で判断することが
あってもいいのではないかということかと。

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2018年10月08日

Posted by ブクログ

もっと楽しく生きやすい人生を歩むためのヒントが散りばめられているので、何かを求めるというのではなく気楽に読めばよいと思う。

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2018年09月08日

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ネタバレ

養老孟司の`遺言`、私は、こんな事を考えてます、感じてます。 曰く、デジタルという情報系は、ゼロと一という二進法。生物は遺伝子を4つの塩基で記述、A:アデニン、T:チミン、G:ゲアニン、C:シトニン。 脳なら、ゼロと一の二進法で、遺伝子を設計するだろう、多分。 4つの塩基からなる遺伝子という情報系は、人の意識を構築する二進法のデジタル情報系よりも、遥かに多くの余剰を含んでいる。 時間と共に、変化する事象を、変化しない二進法の情報系でどう記述するのか、果たしてそれは、可能なのか。(無理でしょう、多分) 現在の社会は、ジャンクな遺伝子を多く含む遺伝子系情報から生まれる`感覚`(ジャンクにも機能がある)と、二進法の情報系から生まれる`意識`、が併存しつつ、かつ、乖離しているのではないか、と。 都市は、`意識`の世界、意識は、自然を排除する、そして、子供という自然の塊も排除され、少子化の流れになっている等々。 論旨、明快、納得であります。(星4つです)

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2018年03月12日

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意識と感覚所与の違い。
絶対音感はもともとみんな持っていんだけど、ただ音の高低でなく言葉が意味を持ってから失った。動物にイコールの概念がないので交換も起きない。日本語は冠詞のかわりにはやがの助詞があるが、中国語にはそれがない。感覚所与でなく意識で同じを繰り返して抽象化すると一神教に至る。都市には自然のように意味のないものがあることがある。エントロピーは増大するという法則が脳にも当てはまり、意識という秩序活動が起こっている分の無秩序が発生し、それを片付けるのが睡眠である。デジタルは不死。

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2018年02月05日

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ネタバレ

意識論。なんだけれど。あまり遺言ぽくはない。1.0だそうで。説得力はあります。だけどなんか言いくるめられたような。で、5つじゃなく4つ。

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2018年01月24日

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意識と感覚の乖離の話を面白く感じました。
自身の教養の無さと普段いかに考えないで生きているかに気付かされる本でした。

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2024年01月13日

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タイトルから、かの東大名誉教授による集大成と思いきや、壁シリーズの第5段らしい

いつもながら、世間一般的ではない様々話が展開されていき、ものすごいところをついているような気がする。
今回はご自身による書き下ろしということで、ややカタイ文章だけどもわかりやすい。

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2023年12月29日

Posted by ブクログ

養老孟司(1937年~)氏は、東大医学部卒、東大大学院基礎医学博士課程修了、メルボルン大学留学、東大教授、東大総合研究資料館館長、東大出版会理事長、北里大学教授等を経て、東大名誉教授。専門の解剖学に加えて脳科学などの見地から多数の一般向け書籍を執筆しており、『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞(1989年)、2003年に出版した『バカの壁』は、出版部数400万部を超える戦後日本の歴代4位となっている。尚、現在までに「壁」シリーズとして、『死の壁』、『超バカの壁』、『「自分」の壁』、『遺言。』、『ヒトの壁』の計6巻を刊行し、シリーズ累計の出版部数は660万部超。
私は新書を含むノンフィクションを好んで読み、興味のある新刊はその時点で入手するようにしているが、今般、過去に評判になった新書で未読のものを、新古書店でまとめて入手して読んでおり、本書はその中の一冊。(シリーズの中では『バカの壁』、『死の壁』を読んだ)
本書は、『バカの壁』以降「聞き書き」が続いた中での久し振りの「書き下ろし」で、養老先生が、最近の世界・社会は変だと感じる中で、何故そう感じるのかを筋書き立てて書いたもの、見方を変えれば、「ヒトとはなにか、生きるとはどういうことか」をまとめたもの(養老先生はそう言っている)である。
聞き書きの本は一般に理路整然としていないことが多く、本書は書き下ろしということで期待したが、やはり、所謂教養新書的ではなく、エッセイ的な書き振りなので、読後感は必ずしもすっきりはしない。
それでも、私なりの理解をラフにまとめると以下である。
◆通底するテーマは「同一性(同じ)」と「差異(違い)」の二項対立であり、それは、「意味・意識」と「感覚所与」、「理論」と「現実・事実」などと言い換えられているが、私の理解では、更に、「抽象」と「具象」、或いは「左脳的」と「右脳的」などとも言えるように思う。
◆そして、動物とヒトの決定的な違いは、動物は後者(差異)しか理解できないのに対し、ヒトは進化の過程で前者(同一性)も理解できるようになったということである。そして、現代のヒトは前者を追求するあまり(都会的な生活や情報のデジタル化はその典型)、すべてのものには意味がなければならないと思い込み、かつ、自分に理解できないものの存在を許さなくなっている。
◆前者を理解できることがヒトがヒトであることを特徴付け、その結果、言葉、お金、民主主義、宗教(究極は一神教)が生まれたのであり、そのこと自体を否定するわけではないが、一方で、前者と後者の乖離が、様々な社会問題における分離・対立を生んでいるのも事実であり、ヒトはもっと両者のバランスを考えて生きるべきである。
私は本書を読みながら、これまでに読んだ様々な本を思い出したのだが、例えば、ユヴァル・ノア・ハラリのベストセラー『サピエンス全史』では、ホモ・サピエンスがあらゆる生き物の頂点に立てた最大の要因として、「虚構」を認知・共有できるようになった「認知革命」を挙げているが、これは養老先生の言う「同一性(≒抽象)」という概念を獲得したことと同意である。また、現在の現代思想(=ポスト・モダニズム思想)は、「同一性」を重視した「大きな物語」を前提としたモダニズム思想のアンチテーゼとして、「差異」に着目した議論を展開しており、そのあたりは千葉雅也の『現代思想入門』等に詳しいが、これは、養老先生がもっと「差異」を意識すべきということと合致する。更に、山口周の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』では、今のビジネスにおいては、MBAのような画一的な知識よりも美意識が大事だと書かれているが、これは本書の中で、「アートは「同じ」を中心とする文明社会の解毒剤」と言っていることと繋がる。要するに、本書に書かれていることは、現在実に様々なところで注目・議論されているテーマなのである。
「同一性」の追求によって進歩してきた現代文明は、IT、バイオテクノロジー、プラネタリーバウンダリー、資本主義等、様々な意味において分岐点にあり、「差異」の重要性を再認識するべきという主旨に同意する。
(2022年12月了)

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2022年12月12日

Posted by ブクログ

「人と動物に違いはあるのか〜医学的観点から〜」
医学の観点から人と動物はどのように違うのか。
今の時代に沿った、変わるもの変わらないものについても紹介されている。

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2022年04月03日

Posted by ブクログ

まるが逝き、養老センセも「知の引き継ぎ」兼ねてまじめに遺言書く気になったかと手にしたが、初版の発売日見て勘違いに気づく。まるが登場する件は楽しめるが、全体的には…。「雑草は大事」同感。「都市は意識の世界であり、意識は自然を排除する」「感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている」のは誤り。

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2021年10月19日

Posted by ブクログ

世の中にあるもの、存在するもの。当たり前に受け入れた時に、何をもって区別できるだろう。印象的なのは、雑草を草花でも余計なものと捉えると、じゃあいらないね、となっちゃうというくだり。いらないものなどない。世の中に存在するものをあるがまま受け入れることの大事さを感じた次第だ。

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2018年12月26日

Posted by ブクログ

この本は語りおろしではなく、書き下ろしらしい。今まで感じたり考えていた事を自由に書いている。内容は今までのものより面白さはなかった。

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2018年11月17日

Posted by ブクログ

バカの壁で知られる養老孟司。
当時バカの壁は読んだけど、内容忘れてしまったような。また読んでみよう。
この、遺言。よりは分かりやすかったような気がする笑

結構難しい内容だった。
遺言だから、と思って読んでいたら、あまり遺言ぽくはない。養老孟司が常々思っている由無し事をこの際だから本にした、みたいな印象。
ヒトは動物と違って感覚所与だけで生きていない。
感覚所与から意味を持たせること、その意味だけに固執するようになってしまった。
同じとは、どういうことか?言葉は動物にはわからない。イコールという頭がないから。

などなど。頭の良い人はこんな事を考えて生きているのかと、そういう意味で勉強になったし、少しだけ知恵を分けてもらった感じ。

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2018年10月11日

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