新書やビジネス書を読むときは、面白いと思った箇所に
付箋を貼ったりするのだけれど、これほどたくさんの付箋
を貼った新書はこれまでになかったと思う。気づきを与えて
くれた点や、思わず唸って納得したりする点が随所にあって、
得るものが多かった一冊。
この本の内容をタイトルだけで推測するのは早
...続きを読む計。なぜなら、
扱う範囲は「痴呆老人」にとどまらなくて、「認知能力の低下
に対する怖れ」という事象をキーワードに、現在の日本と
日本人が抱えている問題にまで及んでいるのだから。
アプローチは、医学的見地をベースに、哲学や宗教の考え方
を絶妙にブレンドしたもの。哲学や宗教の部分は少し難しい
けれど、このブレンドのおかげで説得力が増しているのは
間違いない。
第一章 わたしと認知症
第二章 「痴呆」と文化差
第三章 コミュニケーションという方法論
第四章 環境と認識をめぐって
第五章 「私」とは何か
第六章 「私」の人格
第七章 現代の社会と生存戦略
最終章 日本人の「私」
付箋を貼った箇所の中でいちばん印象に残ったのは、第七章
で「ひきこもり」について触れた部分。
元々、日本の育児法は伝統的に他者とのつながりを重視
するものだったけれど、20世紀後半になってこの国は「自立」
した人間を育てるという方針に舵をきった。そこで何が起きたか
というと、疑問を解くため、あるいは判断をするための判断
基準を求める子どもに対して、親や教師は回答を与えずに
「自分で考えなさい」と返すようになった。まだ自己決定に
必要な能力を育んでいない子どもはそこで悶々として、
自己決定をしなければいけない場面から意識的に遠ざかる
ようになってしまった。これが「ひきこもり」の始まりだ、
というのが筆者の指摘。
そして、こんな事態を防ぐには、「判断基準というものが
どこにあるのかを子どもに教え込む作業が、前もって、
または同時進行的に行われなければならない」と説く。
この作業をきちんと行う重い責任が大人たちにはある。