大井玄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
新書やビジネス書を読むときは、面白いと思った箇所に
付箋を貼ったりするのだけれど、これほどたくさんの付箋
を貼った新書はこれまでになかったと思う。気づきを与えて
くれた点や、思わず唸って納得したりする点が随所にあって、
得るものが多かった一冊。
この本の内容をタイトルだけで推測するのは早計。なぜなら、
扱う範囲は「痴呆老人」にとどまらなくて、「認知能力の低下
に対する怖れ」という事象をキーワードに、現在の日本と
日本人が抱えている問題にまで及んでいるのだから。
アプローチは、医学的見地をベースに、哲学や宗教の考え方
を絶妙にブレンドしたもの。哲学や宗教の部分は少し難しい -
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
タイトルの付け方がうまいが、内容も高齢者だけでなく、人間万人に通じる深さを持っている。知性にもました情動の大切さ、自立の強調の偏狭さの指摘は身につまされた。一種の文明論である。痴呆老人やひきこもりだけでなく、乳幼児、知的障がい者からも同じ様な洞察が導かれるのではないかと感じた。「つながり」から「自立」へ急激に転換することの危うさ。
・認知症が延命努力に値しない惨めな状態…日本「迷惑をかけるから」、米「自分の独立性を失うから」
・認知症ならば延命措置を断る、というのは乱暴。
・夜中に騒ぐのは、家族との人間関係。
・一番良い経済環境は、老人か家族が全てを出すのではなく、双方が負担するのが発現率が -
Posted by ブクログ
ネタバレ差別用語に当るとされる「痴呆」をあえてタイトルに、「我々は皆、
程度の異なる「痴呆」である」という一文を帯に据えているため、
一見、とても挑発的な内容に思えます。しかし、実際は、極めて真
摯な態度で書かれた好著です(勿論、何故、あえて「痴呆」という
言葉を使うかについては、本書に説明があります)。
「世界とつながって生きるのは大変な作業である、と思うようにな
りました」という一文で始まる本書は、「つながり」のあり方をテ
ーマにしています。それは、痴呆=認知症が、記憶が定かでなくな
ることによって、世界とのつながりがほどけてゆく過程である、と
著者が捉えているからからです。
つながりを喪失す -
Posted by ブクログ
認知症であると診断された肉親などを持つ方々だけでなく、多くの人に読んでもらいたい本だと思いました。老人だけでなくひろく人間というものに必要なものがなにかを教えてくれます。
この本を読んでいるのといないのとでは、身内に認知症患者やその他引きこもりや統合失調症などの精神疾患患者が出た時のショックの度合いや接し方が絶対に違うと思います。立ち返ればごく基本的なことですが、その一見誰にでもわかるようなことを手に入れられないときに人は心を病んでしまうものなのだろうなと思います。もしも親が認知症だと言われたら、もう一度この本を手にとって読み返してみたいと思いました。 -
Posted by ブクログ
この本に救われた。
大好きな祖父がボケ始めたのは、私のせいだ。
14年前、私のつくったストレス状態が、脳梗塞を招いたのだ。
退院した祖父は痴呆症状を徐々に悪化させていった。
しばらく伯母の家にいたのだが、
手に負えなくなり、施設に入ることになった。
会いに行くと、祖父が帰りたいと言って涙を流すので、
母は祖父に会いたがらない。
私が実家に帰っても、
祖父に会う時間は数日間のうち1時間もなかった。
最期の10年間、一緒にいた時間は半日もない。
そのほとんどが、祖父が死んだ病院に入院してからの時間だ。
祖父は、私のことを覚えていなかった。
他人というより、祖父の姿をした宇宙人のような気がした。 -
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
ネタバレ「これから」をどう考えるか。3・11以降を生きる杖。
と、帯にあった通り、東日本大震災を経、これからをどう生きるかを9人が語っている。
養老孟:精神の復興需要が起きる
これを読みたくて買った一冊。いつもと違う養老センセ。スラスラとその思いのままに語り、面倒だから説明はヤメ、と突き放されるようないつもの文章よりも、ずっとずっと、静かでゆっくりとした口調で語られている。
「周りがうるさくなってくると静かにする。ブレーキをかける。そういう習性が身に付いているのです。」(本文より抜粋)という姿勢からきているのかもしれないが、意外なほどに、淡々と「これから」を語っていた。
「生きていれば、さまざま -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「私」とは何か?
「世界」とは何か?
人生の終末期を迎え、痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる、正常と異常のあいだ。
そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ、人間がどのように現実を仮構しているのかを、医学・哲学の両義からあざやかに解き明かす。
「つながり」から「自立」へ―、生物として生存戦略の一大転換期におかれた現代日本人の危うさを浮き彫りにする画期的論考。
[ 目次 ]
第1章 わたしと認知症
第2章 「痴呆」と文化差
第3章 コミュニケーションという方法論
第4章 環境と認識をめぐって
第5章 「私」とは何か
第6章 「私」の人格
第7章 現代の社会と生存戦略
最 -
Posted by ブクログ
痴呆老人の奇異な言動の背景には、痴呆老人独特の世界の解釈方法が存在する。というのは、痴呆老人はそれまでの人生におけるアイデンティティを発揮できるような環境の構造を、そのまま今の状況にあてはめ、それに沿った行動をとることが多い、ということ。以上が筆者の痴呆に対する考察だと思われる。(人間とは、自分の置かれた環境や状況の中で自我を拡張していきたがる存在という前提があり、それについても詳しく説明されている。)
具体的なコミュニケーション方法論は少なく、また痴呆の概念や関する記述は定説ではなくて筆者個人の意見である印象をうけた。しかしそれでも、痴呆に対して気が楽になる考え方を提示してもらえたと感じて