あらすじ
ハプスブルク家の心臓ばかりが埋葬された礼拝堂をウィーンに訪ね、ボヘミアでは骸骨装飾で名高い納骨堂に足を運ぶ。プラハのユダヤ人墓地やカタコンベ、フランクル、マーラー、エゴン・シーレなど歴史的著名人の墓参りで浮かび上がってきた文化と埋葬、生者と死者との関係とはなにか? 長年、人間の体を観察しつつ思考してきた解剖学者が明かす、ヨーロッパ独特の身体性と死生観。
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Posted by ブクログ
メメント・モリ、身体と死をめぐる養老先生の思索の旅。
季刊誌「考える人」、2012年春号~14年秋号に連載(8回)。連載時のタイトルは「ヨーロッパの身体性」。カラーページを飾っていた写真は、積み重なった骸骨、陳列されたしゃれこうべ、納骨堂、カタコンブ、人体標本……慣れない読者にはかなりインパクトがあったかも。
養老先生の初期の著作に回帰したかのようで、なんだか懐かしい。しかも、今回は実地。かつて夢見た墓地や教会、故人や骸骨たちに会いに行く。まさに巡礼の名にふさわしい。
中欧というのがなんともいい。始まりは、ヨーロッパの心臓部、ハプスブルクのウィーンから。しかも、ハプスブルク家の伝統では心臓だけ取り出して、遺体とは別に埋葬するという。洒落もきいている。
Posted by ブクログ
世界の趨勢だと思うが、社会が死を排除しつつある。大きくいえば、自然を排除する方向にいっている。すべての文化が、死によっておこるマイナスを補償する装置のようなものを備えるに至った。身体に関することをタブー視するようになった。
「メメント・モリ」・・「死を忘るるなかれ」
二人称の死・・・身体にこだわっているハプスブルク家の埋葬儀礼
死と共に「あの世」に移行する日本
Posted by ブクログ
ヨーロッパの死生観と身体性。
前半で語られるハプスブルク家を代表とする貴族、並びにユダヤ人の埋葬習慣は、現代の日本で主となっている火葬になれた人間としては非常に奇怪な風習に感じる。読み進めていく中に示唆される、「死者」との距離とその結果としての身体性を表現した墓のあり方が、年齢を重ね親族の死に立ち会う回数の増える自分には非常に興味深かった。
Posted by ブクログ
思いつくまま書きたいことを書き連ねたというような印象の文章なので本筋が見えにくいところがあったが、興味深い考えとか気になる情報がところどころちりばめられていて、読んでいておもしろかった。