超バカの壁

超バカの壁

小説・文芸
836円 (税込)

4pt

「今の日本社会には、明らかに問題がある。どんな問題があるか。私はものの考え方、見方だと思っている。そこがなんだか、変なのである」――フリーター、ニート、「自分探し」、テロとの戦い、少子化、靖国参拝、心の傷、男と女、生きがいの喪失等々、現代人の抱える様々な問題の根本が見えてくる。「バカの壁」を超える方法、考え方は自分の頭で生み出す。そのためのヒントが詰まった、『バカの壁』『死の壁』に続く、養老孟司の新潮新書第三弾。

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    Posted by ブクログ

    744円

    養老孟司ランキング3位

    養老孟司の思想を幾何学で表すと〇だな。

    こんな天災だらけの環境で築き上げられた日本の建築技術って本当に凄いなといつも思う。

    確かにお前サルみたいだよなって言われて怒る人って動物見下してる嫌な人だよね。だからフェミニストは性格が悪いだけだよ。

    「未成年のタレントが酒を飲んで暴れたことがニュースになりました。それが原因で彼は無期限謹慎の処分を受けたそうです。  昔は若い者が酒を飲んで暴れるぐらい当たり前でした。何度もやるのは問題でしょうが、破目をはずした奴をきちんと叱る、それでさらっと忘れてあげるのが普通の世間の常識でした。  注意をしたら若い奴は逆ギレする、若い奴は短絡的になっている、暴力的になっているとよく言われます。しかし実際のところはどうなのでしょうか。昔と比べて今の若者に本当にそういう傾向があるのかどうかは実はよくわからないはずです。なぜなら統計的に本当に暴力的な若者が増えたかどうかについて調べるのは難しい。単純に昔との比較はできません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「言いかえれば若い人が自由にフリーターやニートになれるような国になったということです。昔は就職せざるを得なかったですし、こんなにだれもが大学に行けるわけではなかったのですから。  中学を卒業すれば「金の卵」と言われた時代もありました。中学、高校を出れば引く手あまただから、若い人はいわば騙されて就職しました。私の若いころはそういう時代だったから、フリーターやニートが発生する余地がなかっただけです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「今の大人はよくお説教めかしてこんなことを言います。「昔のおれたちは労働というものをきちんととらえていた。大人にならなくてはいけないとわかっていた。今の若い奴らは、そこがわかっていないから駄目なんだ」  しかし落語にもたくさんフリーターもどき、ニートもどきは出てきます。夏目漱石はそういう人を「高等遊民」と称しました。私も、本当はそうありたかった。でもそれを諦めて今に至ったということです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「エコノミストの日下公人さんからこんな話を聞いたことがあります。戦前は旅館に泊まっている客を巡査が見回りに来た。そこで宿帳の職業欄に「無職」と書く客がいるのを見ると巡査は「きょうは客種がいいな」と言っていたそうです。今ならば無職は怪しまれるところですが、当時は働かなくても食べられるような人は地主のような大金持ちだというのが常識だったからです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。  仕事は自分に合っていなくて当たり前です。私は長年解剖をやっていました。その頃の仕事には、死体を引き取り、研究室で解剖し、それをお骨にして遺族に返すまで全部含まれています。それのどこが私に合った仕事なのでしょうか。そんなことに合っている人間、生まれ付き解剖向きの人間なんているはずがありません。  そうではなくて、解剖という仕事が社会に必要である。ともかくそういう穴がある。だからそれを埋めたということです。何でこんなしんどい、辛気臭いことをやらなきゃいけないのかと思うこともあるけれど、それをやっていれば給料をもらえた。それは社会が大学を通して給料を私にくれたわけです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「生きている患者さんを診なくていいというのも、解剖に向かった大きな理由です。一番助かったのは、もうこれ以上患者が死なないということ。その点だけは絶対安心でした。人殺しをする心配がないからです。しかし患者さんを診るという行為から逃げ出しても、遺族の面倒だとか何とか実はもっと大変なことがありました。  社会、仕事というのはこういうものです。いいところもあれば、悪いところもある。患者の面倒の代わりに遺族の面倒を見る。全部合わせてゼロになればよしとする。  あとは目の前の穴を埋めていれば給料をくれる。仕事とはそもそもそういうものだと思っていれば、「自分に合った仕事」などという馬鹿な考え方をする必要もないはずです。 NHKの「プロジェクト X」に登場するサラリーマンも、入社当初から大志を抱いていた人ばかりではないでしょう。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「最近は、穴を埋めるのではなく、地面の上に余計な山を作ることが仕事だと思っている人が多い。社会が必要としているかどうかという視点がないからです。余計な橋や建物を作るのはまさにそういう余計な山を作るような仕事です。もしかすると、本人は穴を埋めているつもりでも実は山を作っているだけということも多いのかもしれません。  しかし実は穴を埋めたほうが、山を作るより楽です。労力がかかりません。  普通の人はそう思っていたほうがいいのではないかと思います。俺が埋めた分だけは、世の中が平らになったと。平らになったということは、要するに、歩きやすいということです。山というのはしばしば邪魔になります。見通しが悪くなる。別の言い方をすれば仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「向き不向きだけでいえば、私は仕事に向いていないとずっと思ってきました。仕事よりも虫取りに向いていると今でも思っています。虫取りをしている間、自分で全然違和感がない。ただ、そればかりやっていても食っていけないということはわかっています。  向いている虫取りをするためには、どうすべきかと考える。すると、財産も何もないし、とりあえず働くしかない。だから仕事には向いていないと思うけど、やめろと言われるまではやっていていいのではないかと思っているのです。  本気で自分の仕事は天職だと思っている人はめったにいません。仮に虫取りが向いていても、それが仕事になっていいかというと、そうでもないでしょう。もしも虫取りが仕事になるとしてそれが嬉しいかといえばうっかりすると重荷になってしまうかもしれない。楽しんでいられることというのは、ある程度無責任だからこそなのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「今では世襲というと血縁があるというだけでボンクラに継がせるというイメージが強いようですが、そうではありません。築いてきた看板をだれに継がせるのか。そこには知恵が必要になるわけです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「 江戸時代には五人組という制度がありました。これも今の人は封建的だとか、圧政だと捉えているかもしれません。しかし実は庶民はそれで良かったのです。どうしようもない人は、その村でローカルに面倒を見ていた。ともかく生きる権利ぐらいは確保してやるということにしていました。日本人は基本的にはそういう慣習を持っていたのです。  結局、外へ出したら迷惑がかかるから内輪で何とかしていた。自分のところで使えない人が外で使えるわけがありません。今でも日本の会社というのは、そういう人を必ずある程度抱えています。給料を貰っているけれど、実際はニートみたいな社員です。勤めているふりをしているだけ、というような人です。  東京大学でもそうでした。東京大学という看板には、その下に何人か、ただぶら下がっているだけで食っている人がいます。医学部でも下手に外に出すと問題になるなあという人がいました。働かないけれども問題さえ起さなければいいや、というような人。こういう人を下手に放り出すとかえっていろいろな問題が起こる。結局、そういうことを全部きれいにしようとすると逆に大変になっていく可能性もあるのです。  怠け者をかばうのか、と真面目な人は怒るかもしれません。でもアリの集団のなかで全体の二割しか働いていないとして、その二割だけで集団を作るとどうなるか。するとまたそのなかの二割しか働かなくなるということはよく知られています。  これがシステムの持つ基本的な性質なのです(システムという言葉については後でもう少し詳しく述べますが、ここでは社会全体の仕組みのことだと思ってください)。余剰人員を全部合理化しようとしてもあまり意味がありません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「 そもそも私が育ったころと比べたら今の主婦はなんと暇なことかと思います。そう考えたらニートみたいな主婦がたくさんいます。  ニートや社内ニートに腹を立てたり彼らを放り出したりするよりは、そういう人が働かないから自分がちょっと働くだけで重宝されると思っておいたほうがいいのです。そう考えれば周囲にどんどんニートになってくれ、フリーターをやってくれと言いたくなるかもしれません。まさに努力さえすれば出世できるという社会になっている。  その点においてニートに感謝すればいい。彼らは初めから脱落してくれている。自分の価値を上げてくれているということです。それを働いているほうが怒ってはいけない。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「何かになりたいのならば、やってみなければ駄目ですし、あきらめた段階で駄目になります。でも、あきらめるのは別に悪いことではありません。向き不向きは他人のほうがよく見えていることがあるというのは憶えておいたほうがいいと思います。「合わないと思うんですけど、やめてもいいでしょうか」と聞いてみていいのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「日本人が「私」という言葉を「自己」という意味にしたのは明治以降です。そこで日本の「私」と西洋の「個人」が混同されてしまったのです。英語でいうプライバシー(私事)とインディビジュアル(個人)というまったく別の言葉が日本語では「私」という同じ言葉で表されるようになったのです。  昔の日本での公私の別というのは、それこそ「公」は社会であって「私」とは「家」のことでした。もっと簡単に言えば、「公」というのは天皇家のことでした。天皇家と「俺の家」が「公」と「私」だったのです。その「私」という言葉に明治以降は西洋の「個人」という意味も加えてしまった。それで混乱が生じた。  実際にその言葉の定義通りに何もかもが西洋流になれば別に問題はなかったのです。しかし、どれだけ「私」とは「個人」のことだと国語政策で、言葉の上で定義したところで世間なんてそういうことでは動きません。言葉をごまかしたって社会がそのとおりに変わるわけではないからです。それで、「私」の問題が尾を引いている。  日本人が「自分とは何か」というようなことで一々悩む必要はないのです。本来はそんなことは意識しなくてもわかっているはずです。  仏教は「無我」の必要性を説いてきました。それは、自分がどうだなどと無駄なことを考える暇があったら、他のことでも考えろということです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「『バカの壁』で、テロや戦争がなくならない理由は一元論であると書きました。自分の頭の中に「バカの壁」を築き、その向こう側のことなど想像もしない。起きている自分の意識だけが世界のすべてだと思ってしまう。そうした考え方が悪い形で出たものが、テロや戦争であるということです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「保守的というのは実はそういうことなのです。日々平穏というのは日常どおりのことをやっていて何も起こらないということです。それが実は予防ということです。  それは現代の普通の人の考え方とは違うかもしれません。多くの人は社会が進歩するというのは、どんどん変わっていくということだと捉えがちです。  でも、そうではなくて社会が本当に進歩するというのは、どんどん変化するのではなく日々平穏になっていくことなのではないでしょうか。つまり、我々が今防げない危険をだんだん封じ込めていけるようになることが進歩しているということになる。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「 現実に適応しているということは、無駄なことを好まないということです。女性で虫を集めている人はほとんどいません。虫好きの世界は男専科です。虫に限らず、コレクターというのはそもそも基本的に男の世界です。  マッチの箱とか、ラベルとか、切手とか、余計なものを集めるのは男が圧倒的に多い。女性は集めるにしても実用品中心です。フィリピンのイメルダ・マルコス大統領夫人は靴を山ほど集めていました。それも要するに実用品です。使い終わったものが残っているだけ。買い込みすぎて結果的に実用にならなかっただけです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「もしも女性の方が社会的に低い評価を受けるとすれば、それはそういう安定性を低く評価する文化があるからでしょう。女は頑固だ、というときには明らかに安定性を悪く言っている。しかし私はむしろ女性の安定性を高く評価すべきだと思っています。  もちろんこの安定性には欠点もあります。安定しているのはあくまでも自分です。ということは他人から見れば自分勝手だということにもなる。社会性が低いとも思われる。あくまでも個体としての安定性を持っているわけですから、そういう人とはつき合いづらいと思われるでしょう。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「政治家というのは基本的には男性的な職業です。そのなかでも小泉首相は極端な人ですから、ものすごく男性的だと言ってもいいかもしれません。  政治家は選挙中に子供を作っていることが多いそうです。それは要するにギャンブル性が高い行為に興奮しているからです。横山ノック前大阪府知事が選挙中に強制わいせつ事件を起こしたのもその意味ではわかります。選挙とはああいうものなのです。いいこととは言いませんが。  選挙はお祭りだといいますが、まさにお祭りの夜の男女みたいになっているのです。お祭りの夜は非日常的な頭になって興奮状態にある。  政治家に女性問題がつきものになるのもそれが理由です。それを昔は格好よく「英雄色を好む」と言っていたわけです。権力を追求するという行為自体がテストステロンという男性ホルモンの作用ではないかという気がします。多少の例外はあるにせよ、女性はあまり政治に関心を持たないでしょう。昔から、女は政治にあまりかかわっていない。その原因を社会構造や差別に結びつけるのはフェミニズムの発想で、実際にはおそらく関係ありません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「女性と同様、動物も頑固です。同じことしかしない。あいつらの習慣を変えさせるのは容易なことではありません。鹿児島で捨ててきた飼い犬が北海道まで追っかけてきたという類の話はよく聞きます。忠実といえばそれまでですが、随分頑固なやつらだともいえます。こいつと住むと決めたら絶対に追ってくるのですから。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「世界で最初の公開の解剖がイタリアのパドバで行われました。このとき解剖された二体の遺体はいずれも女性でした。その理由は「より動物に近いから」というものでした。念のために申し上げておきますが、これを言ったのは私ではなく、あくまでも十四世紀の学者ですからね。今そんなことを言ったら大変なことになるくらいはわかります。  別に動物に近いということは悪いことではありません。フェミニストの方は怒るでしょうが、それは動物に対して偏見があるからです。動物差別主義者といってもいい。  実はこれは身体に対する偏見と言いかえてもいい。要するに脳みそが優位だということと、意識の世界が優位だということを勝手に決めているからそういう偏見を持つようになる。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「本当のことをいえば人間の社会でも同じことができる。今は必要がないからやらないだけで、女性だらけのアマゾネスの国はできる。逆に男だけの部落というのは出来ない。だから空想の話としても聞いたことがない。そもそも気持ち悪い。  一応男性のほうのいい点をいえば男はロマンチックになります。女性が現実主義ですから、それに比べればそうなる。悪くいうと、女は近視眼的だとなる。哲学者のショーペンハウエルは徹底的に女の悪口を書きました。「芸術は長く人生は短し」という有名な言葉をもじって、「髪長ければ知恵短し」と書き残しているほどです。  その原因のひとつは母親と仲が悪かったからです。彼のお母さんは変わった人で「同じ家から天才が二人出るはずがない」という理由で息子をたたき出したという伝説があるくらいです。彼女の言い分は、「この家からはすでに自分という天才が出ている。もう一人天才が出るわけがない。だから出て行け」という無茶苦茶な論法です。そんなこともあってショーペンハウエルは女嫌いになって、下宿のおばさんを階段から突き落としてけがをさせるという問題まで起こしました。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「子供を大事にするというのはどういうことか。それは「手入れ」の問題だと思います。  自然のものというのは、根本的にはこっちが向こうの仕組みを全部理解しているわけではありません。車の修理ならば全部どうすればいいかわかりますが、自然の場合はそうはいかないのです。  だから何か都合が悪いことがあれば相手の反応を見ながら手入れしていくしかない。相手の反応を見ながら手入れしていくというのは、非常に手間のかかることです。  お母さんがうるさいのはなぜか。毎日のように飽きずに、ああしちゃいけません、こうしちゃいけません、こうしなさい、ああしなさいと言い続ける。子供とはそうやって毎日手をかけていかなくてはいけないものだからです。  子供というのは丈夫なところもあるけれども、弱い点についてはものすごく弱い。それは小児科の医者がよく知っていることですが、子供の病気は足が早い。熱がちょっと出たなと思ったら死んでしまうというふうに急激に容体が変化することも多い。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「旅行でもきちんとプランを立てて、そのとおりに進んだと言って喜んでいる人がいます。私はそんな旅行はつまらないなと思う。別に時刻表マニアの人をいけないといいたいわけではありません。人の好みはいろいろで構わないのです。自由です。しかし世の中の原則が「ああすればこうなる」式に支配されてしまうのは絶対におかしい。  もちろん、皆が意味不明、予測不可能なことばかりしたら世の中は回りません。旅行も、お金も持たず、時刻表も読めずでは成り立たない。「ああすればこうなる」式でやる人がたくさんいないと世の中は回りません。  でもその原則が通じるのは実は思っているよりも限られた範囲だと知っておいたほうがいいのです。これが第一原理になるとまずい。  それは暗黙のうちに原理主義につながります。だから常に意識的に気をつけておかなくてはいけない。それで私はこのことをいつも言っているのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「「風が吹けば桶屋がもうかる」ではないですが、「ああすればこうなる」式の蔓延が少子化につながっているのです。子供はああしてもこうなりません。どんなに一生懸命働いても米が不作ということはあります。労働に対価が見合わないといってサラリーマンならば怒って会社を訴えることもできるけれど、農家はお天道様を訴えるわけにはいきません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「都市化はいじめ問題の原因にもなっています。いじめは、今に始まったものではありません。よくいうのは今は陰湿でひどくて自殺者も出るからよくない、昔はもっと陽性だったということです。でもそれは違います。昔は逃げ場があったということです。  要するに人間が生きるためにやらなくてはいけないことが二つに分かれていたのです。対自然と対人間の二つの世界があった。  対人間世界が嫌ならば自然のほうに逃げるという手があった。仮に勉強が駄目だったり、運動ができなかったりしても、魚取りや虫取りが得意だとかそういう些細なことがきっかけになって、いじめっ子だったはずの子供が面倒を見てくれるかもしれない。  そういう世界が半分になってしまったのです。つまり対人間世界だけになってしまった。対人間世界、対自然世界、それぞれにプラス面とマイナス面があります。いじめは対人間世界のマイナス面の一例でしょう。対自然の世界がなくなるということは、対人間世界のマイナス面が相対的に拡大することになります。かつては世界の四分の一だったものが二分の一になってしまうからです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「 ある女性が中学生のときにいじめられたいきさつを書いた本を読むと、その中に出てこない要素があることに気づきました。それは花鳥風月です。天気や花、季節の話が出てこない。いじめられている当人の目が自然に向いていないということがよくわかります。彼女にも世界が半分しかないから、いじめが相対的に重くなって当たり前です。  もちろん自然にもマイナス面があります。洪水に遭ったとか、雷が怖かったとか、そういうことは自然のマイナス面でしょう。プラス面は晴れた日に外に行けばわかる。  同じように対人間の世界にもプラス面とマイナス面がある。先生に褒められた、親に褒められた、お小遣いをもらったというのはわかりやすい対人間世界のプラスです。それから先生に怒られた、親に殴られた、友達にいじめられたというのは対人間世界のマイナスです。そんなふうに世界は四つあったのです。  その本には、先生が何を言った、友達が何を言った、というような人間のことは嫌というほど書いてありました。しかしその日が雨だったのか、風が吹いたのか、月夜だったのか闇夜だったのかがわからない。こういう世界では当然いじめは深刻になるのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「こういう子供のいじめとは別に大人でもいじめられる人はいます。私の知り合いでも大人になってもそれで悩んでいる人がいました。彼は今は大学教授ですが、かつてはかなりいじめられたものです。その理由は傍目にはわかりやすかった。私ですらいびりたくなる人だったからです。それであるとき、彼に「いじめられるでしょう」と言ったら、案の定「いじめられるんですよ」と答えた。そのいじめのせいで彼は勤務先の大学から出て行くことになったくらいです。  この場合、彼自身にいじめを受けやすい癖がありました。ちょっと鈍感なところがあるのです。子供のいじめとは異なり、単に弱いというようなことではなくて、他人をいらいらさせるところがあるからいじめられる。それに本人は気がついていないのです。  それでも本人が強ければいじめられないのですが、弱いからいじめられる。その点においては人につけ込むすきを与えているのです。そういうすきがあったら、他人はいじめてくるものです。  それをなぜ防御できないかといえば、それも見ているとわかります。いじめられるタイプは自分の筋でしか物事を理解していません。必ず「なぜ私ばかりがいろいろ言われるの」と思ってしまうのです。それは相手の嗜虐性、サド性を誘発する性質を自分が持っているということでしょう。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「 たとえば、その人の特徴は、相手が関心を持っているかどうかにかかわりなくしゃべるということでした。しかも、ある種のしゃべりのプロだから非常にきちんと長くしゃべる。これがまずい。そのときに相手の反応を見ていないのです。自己中心的なのです。そのうえ決して強面ではありません。そういう人は大学でもたちまちいびられます。  自己中心的にしゃべり続けるということは、ある意味では相手を無視しているのです。それは相手からみれば、ある意味では、潜在的に自分の方が被害者になります。だから反撃として加害行為に出て、その部分だけを見るといじめになるわけです。こういう流れについて自覚のない人がいじめられっ子なのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「中国の首相もそんなことがわかっていないほど馬鹿ではないと思います。反日は政策の一環としてやっているわけです。中国共産党というのは結局革命で、武力で天下をとった。正当性は腕力にしかないというのが彼らの根本にあるわけで、その点には十分注意する必要があります。  むしろ北京政府の正当性とは何かということについては、日本政府は絶えず意地悪く尋ねてみるべきでしょう。直接そう聞かなくて回りくどい言い方でもいいのです。新しく誕生した中国共産党だと主張しているけれど、それならばなぜ清朝の歴代の皇帝が住んでいた紫禁城に幹部が巣くっているのか聞いてみればいいのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「東京外国語大学の学長をやっていた中国の専門家、中嶋嶺雄さんにこんな話を聞いたことがあります。五十年ぐらい前の時点でも中国には自分の村から一歩も出たことがない人が人口の半分くらいいた。逆にいうと、中国の村は、そうやっていても生きていけるところだった。それが今、近代化で壊れていっているのではないかというお話でした。  壊れつつあるとはいえ、まだ成り立っているならば、中国は相変わらず、毛沢東が言った通り農民の世界です。そうすると、今日本にいろいろと言っているのはごく限られた人たちだということになる。  中国の問題は常に彼らの内政問題です。こちらからすれば、中央政府、つまり中国人の脳みそはがちゃがちゃ言っているけれども、身体に相当している部分、農村の人たちのことは何も見えてこない。中国が変化していくときは、内政問題として変化していく。北京政府なんて鶏のとさかであって鶏ではないと思っていればいいのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「ただし中国の言っていることに正当性がないということと、こちらが潔白であるかどうかは別の話です。人間がよく陥るのは、自分が正しくないといられないという過ちです。要するに自分が負い目を感じていたくない。自分が潔白でありたいというのが、結構日本人に根強い感覚です。  初めから人間は罪を背負っているものである、気がついていなくても何らかの罪を背負っている、ということを意識していない。腹に一物もないということは、いいことだと思っている人が多い。そういう後ろめたさのない政治家は怖い。  その後ろめたさとずっと暮らしていく、つき合っていくというのが大人なのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「経済の世界というのは基本的に脳の中にそっくりです。耳から入った信号も、目から入った信号も、脳の中では同じになってしまう。それは当たり前だと思うかもしれませんが、実は極めて人間的な機能です。動物はそういう機能をほとんど持っていません。さまざまな感覚を同じにしない。感覚を区別して「違う」とする機能しか持っていない。だから動物は絶対音感の持ち主なのです。  人間は脳内で何でも金に変えられる。一円という単位は結局神経細胞の興奮と同じです。変えられるというのは同じにするということです。一生懸命働いて稼いだ月給とパソコン一台がイコールである、となる。とても一カ月の労働とパソコン一台が引き合うとは思えないということがあるでしょう。動物ならば、その両者を同じだとは思いません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「私も金に恨みは数々あります。母親の借金で、いろいろな人にさんざん嫌みを言われたことがあります。私が大学の教養学部の学生ぐらいのときに騒動が起きました。  母親が保証人になった相手が逃げてしまったのです。借金だけが残りました。  そこで、母親のかわりに謝りに行ったりするわけです。仕方がない、母親が返せないなら息子が働いて返せという話になる。  でも私は金を貸せるのはそっちに余裕があるからだろうと思っていた。若いときは自分の通帳に金が残っているとだれか困っているんじゃないかといつも思っていたものです。政府は必要な額しかお金は刷っていないはずだから、俺のところに金が余っているということは、どこかに足りないところができるはずだ、と考えていたのです。  皆がそう思っていれば、年寄りが無駄に金を郵便貯金に貯めこんでそれが回り回って、要らない橋や道路になるというような事態にはならなかったかもしれません。  入っただけの金を使っていればいい。私はこういう考え方でした。だから結婚した直後、貯金がないと聞いて、女房は呆れていたのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「「金で買えないものはない」ということと、「金がすべてである」ということは似ているようで実はちょっと違います。そこはよく混同されるところです。「金がすべてである」という考え方に立つと、自分の行動が金に規定されてしまいます。行動の基準が幾ら儲かるかということになる。すると虫とりなんか効率が悪いから馬鹿らしくてやってられないということです。  その分の時間で稼いだお金で標本を買えばいいかというと、そうはいかない。そんなものは楽しみではなくて、買った標本には何もついてこない。それこそヒルもついていなければ、風も日光もそのときのにおいも、そばにいたやつの顔も何も入ってこない。そういう標本は死んだ標本です。記憶に残らない。最終的にやる作業は、顕微鏡で真剣に見ることだという点では同じでも、見る側の気分が全然違う。  金で集めるタイプのコレクターは面白い虫をいっぱい持っています。しかしそれは持っているというだけで、貯金通帳の金と同じです。貯金通帳に入っている金というのは、使ったらこうだと想像する楽しみがあるだけです。お金を使う権利を持っているというだけの話です。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「「金で買えないものはない」といっている人よりは、それ以外を知っている人のほうが現実は広い。金で買えるものはいろいろあるけれども、金で買えないものもあると思っていたほうがいいのです。  そういうものを知っているほうが面白いということです。人間は金以外の動機で動くものなのに、ほとんどの人はそうではないと思っている。  金とは単なる権利だということがわかっていないからです。金でヤンキースを買うことはできるけれども、ヤンキースの四番になることはなかなか出来ません。球団を買って無理に四番に座ったら野球にならない。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「嫌みな言い方ですが、潤沢な研究費があってした仕事は、研究費がした仕事であって、おまえがした仕事ではないだろうということです。  ほぼ同程度の能力なら、金を与えたやつのほうがいい仕事をするに決まっている。そうなると金で研究はある程度買えることになる。すると買えない研究とは何かという問題に突き当たる。  別の言い方をすれば、本当の価値とは何かという問いにぶつかるはずです。お前しか生み出すことができないものは何だということです。  こういう疑問は、人間は何のために生きるのかということと直結しています。自分の行為が金になるとかならないというのは、一種の偶然に左右されます。その時々の状況に左右される。それはだれでもわかっている。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「 学問がすべてだと言っているのと、お金がすべてだと言っているのは同じです。「何々がすべて」という考え方は大方怪しいと思っておいたほうがいい。愛がすべてというのも同じようなものです。この手の言い方こそが一元論から来ているものです。お金がすべてなのではありません。「俺にとってはお金が大事だ」と言っているだけのことです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「もちろん他人がケアをしてあげたら、自分で気づくよりも早く治るということはあるのかもしれません。しかし経験からいうと、他人にケアしてもらうより自分で考えなければ役に立たないんじゃないかという気がするのです。心理学者の河合隼雄さんは、「相談を聞くといっても、話を聞くだけですよ」と言います。河合さんはあくまでも相手が自分で発見する手伝いをするだけだというのです。  そういう手伝いは河合さんのような相当なキャリアの持ち主だから出来るわけで、なかなか他人の心の傷のケアなんて簡単にはできません。下手に立ち入り過ぎると逆効果になるのが落ちです。フロイトが一番警戒していたのは、女性の患者さん相手に恋愛感情が成立してしまうことでした。それで結果が良くなることもありますが、悪くなることも十分にあり得ます。  結局、心の傷というものは自分で治すのが一番なのです。それを最近は何か他人が癒せるかのように思ってしまいがちです。だから心理療法士やカウンセラーになりたがる若い人が多いのでしょう。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「心のケアは、もちろん深刻な人については施す必要があります。しかし昨今は、余計な人まで気にしてしまっている気がします。甘ったれるんじゃない、と思います。  私自身のケースでいえば、トラウマのようなものがあったからといってひどい目に遭ったという話ではないわけです。もちろん損はしたかもしれませんが、マイナスしかなかったはずがない。もしかすると、非社交的になったことで内省的だけど物を考えるようになったということもあるかもしれません。ただ、得したところについては自分では当たり前だと思って気づかないのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「仮に戦争よりも阪神淡路大震災のときの方が被害者の心の傷が大きかったとしたら、そういう伝統的な考え方が変わってきたのかもしれません。それはつまり都市化が進んだことと関係があります。都市の人間は、物事を人のせいにしなくてはおさまらないものなのです。都市は人間が作ったものですから、そこで具合が悪いことが起これば、だれか他の人間がそれをやっているという結論になる。  日本人は水に流すという知恵を忘れてきたようです。段々、日本人はかつての日本人ではなくなってきている。  もともと日本人は世界でもっともそういう災害に対して強い人たちだったはずです。なぜならば、歴史上記録にあるマグニチュード六以上の地震の一割が日本で起こっていて、噴火の二割が日本で起こっているのです。その日本の陸地面積は世界の四百分の一にすぎません。〇・二五パーセントしかない陸地の上で世界的な大災害の一割、二割が起こっているということは、かなりひどい災害国家なのです。そこでずっと生きてきたわけですから、本来災害に対する耐性は世界一だった。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「人間が無意識にフェロモンなどの影響を受けているということが知られるようになったのは比較的最近のことです。でも昔からそういうことは事象としては知られていました。たとえば女学校の寄宿舎で、生徒の生理の周期が一致してしまうという現象です。それは互いに口に出していなくても感じていたとしか思えない。おそらく無意識に匂いを感じ取った結果だと考えられます。  動物でも同じようなことがあります。例えば、妊娠一日目、二日目のハツカネズミのところに、そのおなかの子の親ではない雄を入れると流産する。雄が何かしたわけでもないのに、それでも前の雄の子供を流してしまう。これは新しい雄のフェロモンのせいだと考えられています。その証拠にフェロモンを感じ取る鼻中隔にある嗅覚器を働かなくすると流産はしません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「極端な言い方をすれば年をとっても働いていいのは、個人で働いている人です。人間国宝が百歳になって働いていてもだれも文句は言いません。物を相手にしていれば他人に迷惑はかけないからです。  もしも一生働きたいというのならば、そういう仕事を考えるか、技術を身につけるしかありません。私の母親は九十歳を過ぎても医者をやっていました。  何と危険な、と思われるかもしれません。しかし実は年を取ってからは医療というよりも顔見知りの患者の話し相手、まさに心の傷の癒し相手みたいなものでした。福祉事業に近い仕事です。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「そういう立場でなければ言論の自由なんて成り立ちません。私はオープンに書いているのですから、向こうがオープンな場で反論すればオープンに返事をすることもあり得るでしょう。しかしオープンに言っていることに手紙という形でプライベートで反論してくるのは変だと思うのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「臓器移植の是非という問題は本来は医師会が決めていくべきことなのです。倫理が行動の規則だとしたら、職業倫理というのはある種のマニュアルです。  私が死体は生きている人と同じだろうと言ったときに、医学部の先生で、本気で悩んでいた人は助かったと思います。もちろんそんなことを考えていない人は何も感じなかったでしょうが。原則を持つ、職業倫理を持つというのは大事なことなのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「しかし、いずれにせよ、こういう調査をしてもはっきりした結論が出ないということがわかればそれはそれで非常に大切なことなのです。システムにおいて因果関係というのはそう簡単に証明できるものではない。「よくわからない」ということがよくわかりましたということでもいいのです。何だか屁理屈を言っているように思われるかもしれません。しかし科学理論の世界でいうところの「カオス理論」はこういう考え方に近いのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「これが暗に言わんとしていることは、つまり、学問、特に科学の世界では、ある客観的な前提の上で客観的な真実があるという形で物を論じてきた。しかしどうやら現実はそうではない。こういう単純な距離という問題、線の長さというような問題でも、客観的な長さなんてものは実は存在しないということがわかってくる。それは「アンチ客観主義」といってもいいでしょう。カオス理論もフラクタル理論もそうです。  世間の人は科学的な結論というのは一義的に定まっていて、正しい答えがあるとどこかで信じている。それは既に時代おくれだよということを優秀な科学者はすでに言っていたのです。  話をテレビに戻せば、社会の問題でも同じことが言えるわけです。暴力番組を見せたら子供に悪い影響があるというような単純な因果関係で論じることが困難になってきた。単純な是非を論じることが難しくなった。別に、何もわからないから何でもありだということを言っているのではありません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「 今の社会で、ここで述べているような考え方はなかなか理解されません。皆が暗黙のうちに科学的客観性、一元的現実というものを考えの前提に置いてしまっているからです。  だから私はいつも NHKの批判をするのです。客観、公正、中立なんて大嘘だろう、というのにはそういう意味があるのです。しかし、どうもそれがあまり理解してもらえないようです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「もっと一般論でいえば、「理路整然とした話くらいうそはない」ということです。なぜならば、自然や人間社会が理路整然としているはずがないからです。  理路整然ということは秩序がきちんと立っているということです。でもそれだけでは済まないということは物理でもはっきりわかっている。ここに理路整然とした秩序が立てられたとしたら、そのときには別なところへ無秩序が引っ越している。ごく単純化していえば、こうして無秩序が増えることを「エントロピーが増大する」というのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「エントロピーの法則が唱えられたのは十九世紀ですが、その本当の意味が今の人にどこまで理解されているか。おそらく九割九分は理解されていません。その証拠に、都会ではカラスが邪魔だから片付けろと言っています。これでカラスを片付けたらハトがのさばるかもしれません。そうしたらハトのフン公害が発生するはずです。  秩序を立てたら無秩序がどこかに引っ越すということです。  邪魔だからという単純な理由でカラスを殺しまくったら何か弊害が出てくる。でも、カラスを殺せと言っている人は、昔はこんなにカラスがいなかった、カラスが増えていることが自然じゃないんだと考えるのでしょう。それをいうなら昔は人間がこんなに一箇所に大量に住まなかった。無理やり都会を作ったからカラスが増えたのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「エントロピーの法則が唱えられたのは十九世紀ですが、その本当の意味が今の人にどこまで理解されているか。おそらく九割九分は理解されていません。その証拠に、都会ではカラスが邪魔だから片付けろと言っています。これでカラスを片付けたらハトがのさばるかもしれません。そうしたらハトのフン公害が発生するはずです。  秩序を立てたら無秩序がどこかに引っ越すということです。  邪魔だからという単純な理由でカラスを殺しまくったら何か弊害が出てくる。でも、カラスを殺せと言っている人は、昔はこんなにカラスがいなかった、カラスが増えていることが自然じゃないんだと考えるのでしょう。それをいうなら昔は人間がこんなに一箇所に大量に住まなかった。無理やり都会を作ったからカラスが増えたのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「そうするとかえって困る可能性がある。人間はある程度無秩序な状態を容認するしかないのです。だから社会は「自由」を重要なものとしているわけです。  経済学は現実には役に立たないということがよく指摘されるようになりました。それは当然のことで、極めて複雑な社会システムを扱う際に、学問のわかりやすい原理を導入して予測がつくと思っているのが間違いだったということです。少なくともそのことを経済学は証明してくれている。 NHKの調査について述べたことと同じなのはおわかりでしょう。  ここで、経済学をやっても意味がないと考えてはいけないのです。こんなに一生懸命やったのに、やっぱり答えが出ないということがわかった。よくわからないということがわかった。それは意味のあることではないでしょうか。  実はどんな社会を作っても、何らかの意味ではみ出てしまう人は出てくるのです。江戸時代にも木枯し紋次郎のようなアウトローが出るわけでしょう。つまり全員丸もうけのようなことにはならないのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「国語の試験ではよく、「筆者の言いたいことは何ですか」という問いがあります。これがよくおかしいと話題になる。解答の選択肢を見た筆者自らが「正解がわからない」「こんなこと言いたくなかった」と文句をいうのです。  そもそも変なのは、「筆者の言いたいこと」の正解を要求していることです。それは誤解の自由がないということを入学試験が教えているのと同じです。でも、誤解の自由というものは存在しているのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「普通、誤解されて怒っている人は、誤解されることによって損するのは自分だという考えを持っています。でも私は誤解して損するのは相手だというふうに思うようにしているからです。  たとえば『唯脳論』において、こちらの言ったことを誤解している人がいるとする。それで損をするのはその人のほうだと思うのです。もちろん、おかしな解釈をしたことで、瓢簞から駒のように得をする可能性だってないわけではない。それは相手の自由です。そう考えなくては言論が成り立ちません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著


    「そのとき私は、「誤解、誤解とおっしゃるけれども、女房と二十年一緒にいたって何考えているのかなんかわかりゃしない。だから、人間が誤解するのは当然だ。そんなことに構わずにいいと思うものを作ってください」と言ったのです。当然、 NHKも良識的に考えて作るんでしょうから、それでいいじゃないですかと言った。  誤解するのはその人の勝手です。それを無理やり止めることはできない。だからこちらはできるだけきちんとやるしかない。そうすれば誤解した相手が損をする確率が高くなるということです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「 もう少し穏当な考え方は「私」に帰ることだと思います。自分の発言が東大という世間で問題になった。学問をするうえで自分が正しいと思うことを言わざるをえないが、別にもともとこちらは世直しをしようと思っているのではない。もしも発言によって世間で余計な軋轢を生むのならば、「私」として書いていくしかない。「私」として書いていくぶんには、憲法で、思想、信教、表現の自由は保障されているのだから、だれにも遠慮することはない。そう思ったのです。  大学を辞めた理由のひとつはこういうことでした。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「自分の筋というものにとらわれると損をします。自分に対する自分の意見なんて、自分に対する他人の意見よりもはるかに軽いことが多いのです。そんなことに深刻になっているのは、若い証拠です。そういうときなんか、自分はないと思っているのがいい。「私は人の言いなりです」でいいのです。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著


    「もちろん流されているときに経験したことが、また何か考えるきっかけになります。そうなることも狙いのひとつなのです。  こっちが意識的に動くのではなくて、引っ張り出されないと経験できないことというものがたしかにある。それがわかっているから言われるとおりにするのです。犬も歩けば棒に当たるかもしれない。  はじめから自分の筋というものを決めてしまい、自分の好みにこだわって仕事を選んでいたら、チャンスが減ってしまいます。そういう気楽さは場合によっては不まじめだとか軽率だととられるかもしれません。しかしある程度軽く動けるくらいにならないと人は使ってくれません。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著

    「私も若いときは頭でっかちでした。それが切りかわったのは、中年になってからです。  一番、役に立ったのは解剖でやっていた様々なことです。解剖そのものだけではなく、ある程度の管理職的な仕事をしていた。それに育てられたと思います。うまくいこうが、トラブルが起ころうが、自分で責任を持つ。それを続けていくと、ひとりでに大人になってくる。」

    —『超バカの壁(新潮新書)』養老孟司著



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    2026年03月30日

    Posted by ブクログ

    男性と女性の本質的な違いが書かれているだけで私にとって価値がありました。
    これで男・女論争に苦しむことも無くなるでしょう。

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    2025年09月26日

    Posted by ブクログ

    バカの壁、死の壁と続いてこれ。
    何故か前2冊よりわかりやすく感じた。
    なぜだ。なぜなんだ。
    それでも難しい。一度読むだけでわかったような気になりたくないような、また読み返したくなる本。
    毒舌でくすりとなるところもあり、とても好きだなあと思いました。

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    2025年07月26日

    Posted by ブクログ

    はじめて大人になった気がしたのです、という終盤の一言に痺れた。かっこいい老人の、一言に救われる人もいるんじゃないかな

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    2024年10月30日

    Posted by ブクログ

    バカの壁、死の壁の続編、帯にこの「壁」を超えるのはあなた とある

    相談をするときに、具体的な答えを期待する人がある。それはおかしい。自分のことは自分で決めるので、相談とは、根本的には「考え方」についての疑問である。他人に伝えることができるのは、「考え方」だけである。
    人生とはそうした「些細な」体験の繰り返しである。歳をとれば、その「些細」が積もり積もったものになる。

    バカの壁は超えられなくても、超バカな壁は超えることはできるのだろうか。

    読んでいくうちに、著書は結構、極論が好きなのではというところが結構ありました。

    気になったことは以下です。

    ・国民皆労働が常識になったのは戦争のせいではないかと思います。今は豊かになってから、ある程度の人数が働かないで済むようになったのです。
    ・働かないのは、「自分にあった仕事を探しているから」という理由を挙げる人がいちばん多いという。これがおかしい。二十歳そこらで自分なんかわかるはずがありません。中身は空っぽなのです。
    ・会社は全体として社会の中の穴を埋めているのです。その中で本気で働けば目の前に自分が埋めるべき穴は見つかるのです。

    ・そもそも仕事は世襲でもいいのです。世襲というものは一時期、悪の権化みたいに言われていました。封建的だとか何だかという批判です。
    ・医者の世界でも三代目なんてケースは珍しくありません。要するに、地盤、看板が必要な職業は世襲にならざるを得ない面があるのです。「先代が死んだからもう病院を閉めます。さようなら」では、地域が困ります。世襲ならば、設備などのハードの面をスムースに引き継げます。その代わり子供が幼いときから職業のことをたたき込むのです。もし子供がいないか出来が悪いければ、外から才能のあるやつを引き抜いて養子にすればいい。

    ・「秀吉の草履取り」、本気でやることの大切さを教えているものです。秀吉は、草履取りを本気でやた。初めから本気でやれば、あそこまで偉くなれるという話です。だから本気で仕事をしろと教えているのです。

    ・ナンバーワンよりオンリーワン。努力すれば夢はかなうという幻想。
    ・時を中心に考えれば、本当に大切なのは、先見性ではなくて普遍性なのです。その人が普遍性をもっていらいつか時が来る。その人に合った時代が来るのです。

    ・日本人の自分は、西洋人とは違います。西洋人の I ト 日本人の私は実は違うものなのです。
    ・頭とは、いいよりも丈夫なほうがいいことが多いのです。
    ・あなたの考えが100%正しいということはないだろう。せいぜい60%か、70%だろうと言っているのです。

    ・倫理とは個人の問題なのです。
    ・税金はがんで死にそうな人でも収入があれば、取られています。だから「血税」というのです。

    ・生物学的にいうと、女のほうが強い。強いということは、より現実に適応しているということです。つまり無駄なことを好まないということです。
    ・複雑すぎる機械は壊れやすい。だから女というものは、比較的シンプルな作りになっているのです。

    ・都市化ということは、根本的に子供を育てることに反するからです。
    ・子供には個性があるから大事にしましょうというタイプの教育は、戦後すぐには始まっていました。その個性を大事にすることが子供を大事にすることだと思ってしまう。だから、親は子供に教えない。教えるということはある意味では叩き込むことです。
    ・昔に比べると子供は大事にされているというのはウソです。それは甘やかしていることと大事にしていることを混同しているだけです。

    ・私には、戦争責任はありません。本人の記憶のないことについてあれこれいうのはおかしなことです。実感がないから、当時のことなんかわからない。私に責任がないならば、若い人に戦争瀬金があるはずありません。

    ・靖国神社に参拝するのは小泉首相の勝手です。憲法で「思想及び良心の自由」「信教の自由」は保障されているのです。ただし、政教分離なのですから、日本国総理大臣と署名して参拝するのだけはやめればいい。

    ・人間は金以外の動機で動くものなのに、ほとんどの人はそうではないと思っている。金とは単なる権利だということがわかっていないからです。

    ・原則を持つ、原則ができればどんな苦情にも答えられるようになります。

    ・本気の問題。きちんと正面からぶつかる経験をしておけばよかった。

    ・雑用のすゝめ。若いときにはいろんなことをやってみることを勧める。

    目次
    まえがき
    1 若者の問題
    2 自分の問題
    3 テロの問題
    4 男女の問題
    5 子供の問題
    6 戦争責任の問題
    7 靖国の問題
    8 金の問題
    9 心の問題
    10 人間関係の問題
    11 システムの問題
    12 本気の問題
    あとがき

    ISBN:9784106101496
    出版社:新潮社
    判型:新書
    ページ数:192ページ
    定価:760円(本体)
    発売日:2006年01月20日

    0
    2023年07月07日

    Posted by ブクログ

    養老先生の考え方が書かれています。
    下記記憶に残ったものを抜粋しています。

    自分の好きな事を見つけようとするのは無理がある。社会で働くというのは、山を作るのではなく、空いている穴を埋める事だ。

    I≠私
    privacy(私情) とindividual(個人)
    という全く別の言葉が
    私
    という漢字で表されている。

    0
    2022年01月12日

    Posted by ブクログ

    思考を固定化し、ラクをすると壁(『バカの壁』)の外が見えなくなる。
    自分は変わらない、というのは、一見楽なこと(一元論)。でも、壁の向こう側は見えてこない。自分が変わることができれば、自分と違う立場のことは見えてくる。
    自分の思い込みを捨てることが学びにつながる。

    0
    2020年09月12日

    Posted by ブクログ

    ああなればこうなる理論が満映しているが、実際の世界はもっと複雑で、理論立て切ることはできない。
    何にでも因果関係を求めるのはいかがなものかといったような考えは、今読んでいるドラグマグラに通じて面白い。

    仕事は社会の穴を埋めるという考えはとても納得した。

    0
    2025年09月25日

    Posted by ブクログ

    今まで考えたことのない視点にハッとさせられた。
    特に仕事に対する考え方は、心に留めておきたいと思う。

    0
    2025年03月01日

    Posted by ブクログ

    著者の考え方が腑に落ちる。
    ・仕事とは社会に空いた穴であり、そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんてことはない。
    ・社会システムすら「ああすればこうなる」式のいわゆる科学的な論理で割り切れるというふうにどこかで思ってしまう。

    0
    2022年05月18日

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