倉本聰の脚本の魅力はどこにあるのか、その創作の原点が明らかにされる。本書において、倉本聰は「書くというより、創るということをしている」と述べており、ニンゲンは自らのドラマを創り出していると言える。
「創るということは遊ぶことであり、創るということは狂うことであり、創るということは生きることである。」これが倉本聰の生きる極意である。物事を深く極め、本質を捉え、自らの境地と熟練した技術を発揮する。倉本聰の『脚本力』は、単に物語を紡ぐ技術にとどまらず、その背後にある人間の感情や社会の構造を深く考察し、それを作品に反映させる力を指している。
倉本聰は「快感にはね、暴力があり、殺戮があり、残虐があり、恐怖があり、スリルがあって、だけど刹那的なんですよ。感動のように心に恒久的に残るものはない。」や「感動を呼ぶものの原点って何なんだろう、ずいぶんいろいろ考えてみたけど、結局集約すると「愛」ってことに突き当たっちゃうんだよね。」と述べ、恋愛を含む、兄弟愛、家族愛、友人愛こそが永遠のテーマであると考えている。
残酷であることは一つの快感であり、その残酷を乗り越えるのが愛であると解釈することができる。
倉本聰はラジオドラマの脚本からキャリアを始めた。ラジオはすべて音だけで構成されているため、映像はディレクターによって作られるのではなく、聴取者自身が自らの想像力を駆使して映像を創り出す。
『北の国から』の発想は『ロビンソンクルーソー』に起源を持ち、黒板五郎はまさにそのロビンソンクルーソーである。ある日、子どもを一人または二人連れて離島に行く。それが、どういうストーリーが展開されるだろうかと考えた。奥さんは離婚している設定にし、離婚の原因は奥さんの浮気だとする。五郎が離島に行くことになった背景には、田舎出身者である五郎の、自然があれば生きていけるという自信がある。それがアドベンチャーファミリー劇を形成し、小さな家族の大きな物語、動物がたくさん出てくる物語となる。
薬に例えるなら、苦い核に砂糖をまぶした糖衣錠のように、親子の絆や兄妹愛、草太の恋愛といった美味しい糖衣をたくさんつけて世に送り出す。良いドラマは、視聴者の感情を揺さぶるものであり、物語の中に本当に伝えたいメッセージを滑り込ませる技術が求められる。
高倉健の演技には喜劇性がある。健さんの魅力は、彼の上に人を置くとその人を輝かせ、下に置くと光らないところにある。彼が尊敬し、そのために命を張る人物を上に置くことで、義理と人情が見事に成立する。この点が日本人の琴線に触れる方程式となる。役者には欠点が見えないと面白さは生まれず、欠点が個性となっていく。本人が気づいているが隠しきれない欠点が明らかになると、描きやすさが増す。
登場人物が陽の人間か、陰の人間かを考えることが重要である。いかに役の上で陽を作り出しても、陰の役者が演じるとその役は陰になってしまう。田中邦衛や純、ホタルは陰系のキャラクターで、そこに陽のキャラクターである岩城滉一や竹下景子、いしだあゆみが加わることで、物語にバランスが生まれる。石原軍団は陽の人間の集まりであり、高倉健は陰、長嶋茂雄は陽、王貞治は陰と位置付けられる。このように人間関係のバランスが重要である。
桃井かおりとのやりとりの中で、倉本聰は桃井かおりに「なんか今日しょんぼりしているね。どうしたの」と問いかけ、桃井かおりは「うん、しんと寂しい花盛りって感じ」と返すその表現力には面白さがある。『前略おふくろ様』の桃井は「海」という名から由来するセリフがあり、名前は人物に色を与え、重要な要素となる。
ドラマの企画書は、概ねペラ三枚で600字以内にまとめられる。その中で、起承転結を考えることが至難の業であり、600字のストーリーを創ることが求められる。
感動ではなく快感を作り始めたのはスピルバーグなどからであり、シナリオを作るのは快感ではなく感動であると倉本聰は考えている。日本が快感に向かう中、『北の国から』は感動を追求し、別の方向を提示した。共感は快感と感動の中間に位置するものである。
履歴をしっかりと作り、時間的履歴と空間的履歴を整理することが、新たな出会いを生み出し物語を生じさせる要素となる。過去から掘り出すことで、いくらでもストーリーが展開できる。ドラマとはケミストリー、すなわち化学反応であり、5分間のシーンで涙を流させることが可能である。「泥のついた1万円札」や「子どもがまだ食べている途中でしょうが」というシーンは、ドラマの中の化学反応によって成立し、それが物語のヘソとなる。UFOの涼子先生は、純が結婚することになる結(内田有紀)に関わってふたたび登場し、このような意外性がドラマの中では必要である。
脚本の手本として『火曜日のオペラ』では、プロットから企画書、シーン7話が詳しく描かれている。それを通じて、シナリオはこうした手順で構築されるのかと納得させられる。
その物語は、ウンコを原料としてシアノバクテリアやクロレラ、ユーグレナ、スピルナを用いて食料生産を行う試みは、旧約聖書『出エジプト記』に登場する「天使のパン」、すなわちマナに繋がるものであり、約束の地に至るまでの40年のイスラエルの民の食糧となったとされる。この物語『火曜日のオペラ』は、コロナよりも強力なウイルスによって巻き込まれた人物たちの運命が描かれ、重層的な展開が待ち受けている。物語の軸に、災難が襲うという編集方法である。
倉本聰の『脚本力』は、シナリオライターへの遺言とも言える。