梨木香歩のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ時間軸2つからなる物語
むかしのままの手の入らない自然がいいのか、人が自然を楽しめるようにと計画される開発もありなのか
まさに今、家の近くの川沿いの公園化が行われていて、重機が入り、四季の移り変わりを見てきた木がある日行ってみると切られていたりする
胸がギュッと痛くなるが、誰も入れないよりも、自然に近づける場所があって、観察できること、季節を感じる機会を増やして、知ることで守る気持ちを持てるようにすることはいいことなんだろうか、
と思い直すようにしている
まっさらの原生林ではなく、何らかの形で人が作った場所なら尚更なこと、自分の感傷で物事を考えてはいけないのかという葛藤を日々感じている
自然と記憶の中の場面とどう折り合いをつけていくか
その内自分自身もいずれこの世から消えていく自然物の一つ
物語の中に自分を置いて考えてみる -
Posted by ブクログ
梨木さんの本は2冊目だが、話題になっていたのに読んでなかった。
ミステリの世界をちょっと歩いてみようと思ってから、文学作品から少し遠ざかっていた。
仕事を辞めた途端に、後を引かない話がいいと思うようになったのが原因かもしれない。仕事に逃げられなくなると、身軽な日常の方が健康上よろしいのではと思いついた。ストレスの源は仕事だと思っていたが、今になって思うとちょっとした逃げ場だったかもしれない。
あまりに本が溢れているので、退職後の時間の使い道に迷ったついでに、あまり知らないジャンルに踏み込んでみたらこれが面白過ぎた。
そして最近、何か足りない、情緒にいささか偏りがあると思い始めた。それが全部ミステリにどっぷり漬かり過ぎたので、幼い頃から馴染んできたものを手放しからではないかとふと思った。文学書のような区別の難しいミステリも多くてまだまだ卒業できそうになけれど。最近そんな気がしていた。
梨木さんの本を手にして、こういう文章が心を落ち着かせるのか、帰るところはこういう世界なのかもしれないと気がついた。
身の回りの話題から、世界を大く広げるようなエッセイ集だった。「ぐるり」と言う言葉は、「周り」ということに使われる。母の田舎では「田んぼのグルリの草刈りをしよう」「家のグルリをひと回り」などと普通に使う。
「グルリのこと」という題名の「グルリ」とは、「グリとグラ」に近い何かの名前なのかとぼんやり思っていた。わたしは何でも予備知識なしで取り掛かる欠点がある。
境界を行き来する
ドーバー海峡の崖からフランスの方に身を乗り出して見た時気づいた、「自分を開く」と言うことからつぎつぎに連想される事がらについて考える。
隠れていたい場所
生垣の中と外、内と外からの眺めや中に住んで見たい思いがイスラムの女性の服装について考える。
イスラームの女性の被りものは、覆う部位や大きさ、また国によって様々な呼び名があるが、総称してヘジャーブという(略)イスラームに対する批判の中には、唯々諾々とヘジャーブを「纏わされている」女性たち自身に対するものもある。「隠れている」状態は、それを強制させられていることに対する同情とともに抑圧に対する自覚がなく、自覚があるなら卑怯であり、個として認められなくても当たり前、というような。
それから、そういう印象を受けるイスラームの問題や、われわれの受け取り方や、わかろうとする無理について考える。面白い。
風の巡る場所
観光客が向けるカメラの先にいる現地の人たちに対する思いや、旅人の自分や大地を見つめて、考えたことなど。
大地へ
少年犯罪について、教育者の態度、子を亡くした親の悲痛な心について。逆縁の不孝、冠婚葬祭の風習などについても。
目的に向かう
この分は実に「ぐるりのこと」なので面白い。車で信楽に出掛けたところ、回り道をしてしまって伊賀上野についたり、昔ながらの田舎の庭が、イングリッシュガーデンの始まりに似ていると思ったり、私も野草や花が好きなので、近代的な花もいいが、昔ながらの黄色いダリアや千日紅、ホウセンカなどが咲いている庭を見ると懐かしい。共感を覚えて嬉しくなった。
群れの境界から
映画「ラストサムライ」を見て思ったこと。葉隠れの思想、西郷隆盛の実像などの考察。
群れで生きることの精神的な(だからこそ人が命をかけるほどに重要な)意義は、それが与えてくれる安定感、所属感にあり、そしてそれは、儒教精神のよってさらに強固なものになる(その「強固」もうすでに崩壊に向かっている訳だけれど)この儒教精神も絶妙な遣りかたで(結果的に見れば。その時々で都合のいいように使われてきたことの堆積が宋見えるだけかも知れないけれど)為政者側に役立ってきた。
こういう物語や、現実につながる過去の歴史が思い当たる。
物語を
風切羽が事故でだめになったカラスに出会う、あんたは死ぬ、と言って聞かせた後、帰り道でカラスが民家の庭にいるのを見る。迷子のカラスがペットになった話があったなと思う。カラスと目が合って「そうだとりあえず、それでいこう、それしかない」と思い、そうだ、可能性がある限り生物は生きる努力をする。生き抜く算段をしなければ。
アイヌのおばあさんの処世術について。
ムラサキツユクサの白花を見つけたが、そこが住宅地になってしまって胸が痛んだこと。
本当にしたい仕事について、
物語を語りたい。
そこに人が存在する、その大地の由来を
ますます好きになった梨木さんという作家の物語を楽しみに読みたい。 -
Posted by ブクログ
教師のわたし(ウタドリ)がマッドガイド.ウォーターの岸辺に棲む、小さな生きものヤービを語る物語。 章ごとのタイトルとサブタイトル、語り口調、字のフォントなどが可愛いらしくて、どこか懐かしい作りになっている。 物語自体もさほど、ハラハラドキドキする場面は少なく、やさしく、穏やかに進んでいく。 でも、たくさんのテーマがみてとれた。 環境問題、経済問題と親のイライラ等。私は、名前について話す場面が印象的だった。叔父さんが、ヤービたちの名前の考え方を、そのもののためだけの特別な名前に変える時期じゃないかな?というところ。私が子育てをしていた頃、「〇〇ちゃんのお母さんって言われるのは嫌だ」って言われ始めた。それを思い出した。名前ひとつにしても、時代やコミュニティの社会性を映し出す。
-
Posted by ブクログ
君たちはどう生きるか、という戦時中に書かれた自身の生き方を考えることに主題を置いた名著(ただし、結果として戦争を止めることはできず、それは後世の話かもしれないが)を受けて、その主人公にちなんだコペルと呼ばれる少年が登校拒否の友人であるユージンに会いにいくことに。様々な、もやもやを抱えて生きている少年たち、そのもやもやは言葉で説明できることではまだなくて、そして語彙だけでなく経験からも完全に定義できないものでもあり、そうしたことをより理解しようと近づいていく行為こそが、人生を彩る。ただただ大人になるだけなんて、本当に不幸だ。興味や好奇心とは、人を大きく大きくしてくれる。ゴールがどこにあるかはとにかく、自身の開かれた感性は、決して閉じてはいけない。そんなことを思った。
出来事は、衝撃のAVに出演してしまい、大きくというか壊滅的に傷つき、墓場というアクチュアルな死に場所にいたいという思いを持ったインジャと呼ばれる女の子との接触から大きく動き始める。コペルは、ユージンたちと一緒に、料理を作ったり、会話をしながら、かれらにとってとびきりの冒険の一日が少しずつ過ぎていく。群れの大切さ、心の拠り所としてのサードプレイスの大切さ、そして自分なりの生き方の定義、強く強く、前に進もうというメッセージ。自分のこととして、生き方を集団の中で、群れの中で感じ、そして希望を持つ子供たちから大人への成長の大きな一歩を描いている。 -
Posted by ブクログ
はぁぁぁぁ。素敵。
エストニアには私も2012年の5月(梨木さんの行く3ヶ月前だ!)に行って一目惚れした。
ロンドンから1人、タリンに向かう飛行機の中で、タリンのミュージシャンのお兄さんに出会い自作のCDを貰ったのを皮切りに、タリンではちょうど音楽祭が開催されていて、街の至る所で音楽が鳴り響く。広場のレストランでは夕暮れ時おばあさんたちが食事前にテーブルを囲んでいっせいに歌い出す。夜10時になっても明るい夜道で青年の鳴らすギターの音がする。
私が行ったのはタリンだけだったけど、
この本では梨木さんたちはエストニアをぐるりと一周。
文化というより、自然との共生を感じる旅をする。
すぐそばに自然がありその中で身の丈に合った生活をし、お金はないけれど自給自足で暮らすの、という島のおばあさん。
日本にもそういう地域はあるにせよ、失われつつある風景。
梨木香歩さんのすごいところは草の名前とか鳥の名前をよく知っていて、自然と一緒に暮らしているところ。
だからこそ環境破壊や戦いに対する怒りややるせなさの気持ちが本当のものとして伝わってくるんだよなぁ。 -
Posted by ブクログ
梨木香歩さんシリーズ。
3つの短編からなる本です。
一つ前に読んだ「からくりからくさ」の前後譚で、これも女性の世界の物語ですね。
最初の2編は、主人公ようこ(まだ「蓉子」ではない)が少女で、日本人形の「りかさん」と出会う頃のお話。
寄せ集めの雛飾りを始め、なかなか難しい人形たちの固く絡まった人生?を、ようこがりかさんの力を借りながら解きほぐして行きます。
人形と話をするというのは、ファンタジー、またはスピリチュアルに思えるけど、感じやすい女の子には普通にできることなのかもね・・・と、読んでて思った。
りかさんと、ようこの祖母・麻子さんがことのほか魅力的。
若い女じゃなくてやっぱおばあちゃん、ベテランの凄みさえ感じます。オレもこういうおばあちゃんにならないと・・・!(男だけど)
3編目は、「からくりからくさ」直後の話。
女性にとって赤ん坊とはどういう存在なのかを描く。男の読者としてはやはり濃厚っていうか、生々しさを感じますねー。 -
Posted by ブクログ
昭和初期に南の島に調査に訪れた学者が主人公。
島はかつて修験道の聖地で、死人からの伝言を伝えたりするモノミミという民間宗教も存在した。
主人公の調査は、特に南西諸島からの流れと思われる住居の構造。
章立てごとに地名と植物や動植物、虫の名前が並べられている。民俗学的道具立てや海に見える蜃気楼も相まって、著者のど真ん中の直球勝負か。
失われた寺院や宗教の痕跡、恋人達の悲恋の跡。豊かに自然を背景に、最初から失われていた事物。許嫁や両親を失ったばかりの主人公自身の心情にも同調しているように感じる。
冒険譚とも思える、島の調査行。濃密な自然と宗教の営みの遺物の記述に引き込まれる。
そして、登場人物達の語らいの後、ふっつりと物語は切れる。
その後の50年後の再訪で、更なる喪失が突きつけられる。
色即是空、空即是色。
「喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった」
長い長い、うそ越え。越えた涯。
この感慨は、まだ自分には判りづらいが、また読みなおしたくなる本だった。
廃仏毀釈は、ついこの前に読んだ「逆説の日本史」で取り上げられていた。不思議と同じ話題が違う本でアタルことがよくあるんだな。