梨木香歩のレビュー一覧
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イギリスのピアニスト、クレア・キップス(1890-1976)は、対ドイツ戦で灯火管制の続いていた1940年、玄関先で障がいを負ったスズメの雛を拾う。その日から12年間、スズメのクラレンスが老衰で亡くなるまで母子とも友愛関係とも取れる2人の交友が始まる。
マッチ棒の先のミルクを頼りに生命を繋いだ幼少期から、俳優のように地域の人気者になり、奇跡の歌声をむつみ出した青年期、卒中で倒れたあとシャンパンの「薬」によって奇跡の復活を果たし、眠るようにクレアの手のひらで亡くなった老年期。その一生は、本にされるや英国のみならず、世界中のペット愛好家から愛された。
私はつい最近、同じく英国で拾われたホームレスでビッグイシュー売り子の飼い猫が、瞬く間にロンドン子の人気者になって、映画出演まで(しかも2回)果たしたエピソードを思い出した。古今東西愛されペットの話は多いが、英国の愛され方は質が違うように思える。売るためにプロデュースされたペットは、時代を跨がない。僥倖にも拾われたペットが、その存在だけで、人に希望を与えるのである。思えば、ペルーからやってきて途方に暮れていた熊のパディントンも「拾われた」のでした。
その存在だけで?
いや、今回の相棒、2年前に夫を亡くしたばかりのクレアにとっては、唯一無二の個性と才能と愛らしさを持ったクラレンスは、彼女の冷静かつ詩的な文章によって普遍性のある人格まで(鳥格?)高められている。梨木香歩さんの訳も素晴らしい。むかし手乗り文鳥の飼育に失敗して可哀想なこともし、後悔の檻がずっと溜まっている私にとっても、とても癒しになる読書だった。
正月、ねおさんのレビューにより、本の存在を知った。ありがとうございます。 -
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ネタバレいろいろな場所へ旅をし、想いを綴ってきた梨木さんだが、コロナ禍でおもむきか変わった。旅ができなくなったこともあるが、コロナをきっかけに起きた、政府の方針や、外出制限で、引きこもることが当たり前になったことで起きた社会の変化だ。
梨木さんも引きこもりを余儀なくされ、思いはより個人の内側へと向かうかと思ったが、むしろ社会へ、政治へと向かっていた。コロナ禍の今を、誰もが危惧する戦争への足音を、梨木さんは書かずにはいられなかったのだろう。(これがのちに『ほんとうのリーダーのみつけかた』へ繋がっていく)戦前のジャーナリスト桐生悠々の『他山の石』を取り上げたり、ベラルーシでデモを行った若い人たちの声に耳を傾けたりする梨木さんの文章は、穏やかな言葉だが決意に満ちている。
この文章は2018年4月から2020年5月のあいだ、毎日新聞で日曜ごとに掲載されていたが、2023年になった現在、より現実味を持ってきている。
これまでご家族のことは書いてこなかったが、「神話の時間」であったという、父との最後を迎えるにあたり、連載を抱えているその時、自分の中を占めるものがそのことしかなかったため、文章にしたという。このことが新たなテーマとなっていくとも。
しかし、八ヶ岳に購った山荘で火を熾したり、野鳥やリス、時にはテンやシカの訪問を受けて暮らすひとときは、変わらない日常として訪れる。そこで思い出に語られる旅や、生活の描写は、炉辺の温度のように穏やかだ。 -
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『もしも物思いに耽りやすい夏の宵闇に、どこかで報われない恋の涙が落ちたとしたら、窓硝子の遥か彼方で彼女か流したものだったに違いない。』
第二次世界大戦下のイギリス。夫に先立たれた一人の老ピアニストが出会ったのは、一羽の傷ついた小雀だった。愛情深く育てられた雀のクラレンスは、敵機の襲来に怯える人々の希望の灯となっていく―。特異な才能を開花させたクラレンスとキップス夫人が共に暮らした12年間の実録。
わたしが好きな作家の梨木香歩さん訳、解説が小川洋子さんの作品だったので手に取った一冊。
戦争の描写は少なめで、雀との生活にフォーカスしているので楽しく読んだ。
雀のクラセンスには足に障碍があり、そのせいで巣から落とされてしまったらしいのだが、もし夫人と出会わなければ自然淘汰されていたであろう彼はとても個性的で、知的で、優しい音楽家だった。
なぜ彼が音楽家と呼ばれていたのかは是非読んでみて欲しい。
中でも好きなエピソードとして、近所に住んでいる野生の雌雀たちやアオガラから熱烈な崇拝を受ける様子が記されているのだが、その恋物語がなんとも微笑ましい。
本書には当時の写真も収録されているのも嬉しい。
そのおかげで想像を膨らませて読むことができた。
私たちの生活に当たり前に存在し、身近にいる生き物の雀がこんなにも愛らしく興味深い生き物だったとは思わなかった。
一羽の小さな雀を通して生き方を学べる一冊だ。
こんなひとにおすすめ.ᐟ.ᐟ
・動物が好きなひと
・梨木香歩が好きなひと
・小川洋子が好きなひと
・心あたたまる作品が好きなひと
・鳥が好きなひと
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ネタバレうむむむむ、難解・・いやいや、私の読解力や知識が不足しているだけ・・・
初めの、フリオの話は面白くて一気に読んでしまった。
梨木さんってこんな物語も書くんだ?と思いつつ、
久美の自問自答がちょっとおもしろいところもあって、
クスッと笑ってしまった。
いやー面白い、と思いながら読み進めると、一気にトーンというか景色というか、物語の色みたいなものが変わる。
カッサンドラの話は、口だけの三味線女がでてくるなんてホラーでしかないんだけど、叔母だけでなく両親の死までさかのぼって真相を、となると、もはやミステリーのようにもなってきて、心がかき乱される。後々わかったけれど、カッサンドラが久美にとってジョーカーで、ジョーカーを消したことで、ぬか床やその元の沼に変化が起きたってわけなのだな(と、書いておきながら、本当にその解釈でよいか、自信がない)。
カッサンドラがそんな感じだったのに、次のシマの話。
え?村上春樹?違うな。カズオ・イシグロ?(←ひと作品しか読んでないのに)小川洋子?と読書家の皆様から激怒されそうな的外れなとまどいを覚えつつも、そうか梨木さんには「裏庭」という長編ファンタジーもあったな、と思い出して、少し心が落ち着いた。
クスッと笑えたフリオの話から、菌類、無性生物と有性生物、全宇宙のはじまり、最初の細胞の孤独、などなど、どんどん壮大な話へと広がっていき、「これは何のこと?何を表現しようとしているの?」と自問することをやめ、そのまま、文章通りに受け取ることにした。
あらゆる生命体は、意図せずとも「孤独」を感じ、それゆえに繁栄へ向かっていくものであり、その過程で必ずやそのもの自身やまわりの環境に変化というものは訪れ、それはどうにも止めようのないもので、いずれは死、無に終着する。「生」の期間、自分と他者をどう区別しているのか。自分と他者を隔てるものは何なのか。
などなど考えながら読み進めたけれど、やっぱり深くは理解できなかったと思う。
ただ、読んで面白かったか、面白くなかったかと言われれば、面白かった。
いつも思うけれど、梨木さんの頭の中の思考はどうなっているのだろう。 -
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化粧品会社の皮膚科学研究員に務める山幸彦は、耐え難い「三十肩」と、その痛みにより誘発された鬱に悩まされていた。そんな折、従妹の海幸比子も原因不明の痛みに苦しんでいることを知る。海幸比子の薦めで訪れた鍼灸師に促されるまま、山幸彦は祖先が住んできた椿宿の屋敷を訪れる。
本書は梨木さん自身が四十肩の痛みに苦しんだことから生まれたという。痛みというのは、とかく厄介なものである。私もこの数年、左顎から首にかけての圧痛が消えないでいる。精密検査も受けたが結局原因が分からず、まあ悪い病気ではなさそうなので付き合っていくしかないかと諦観している。ここに至るまで、それこそ色んなことを試した。そんな実体験もあったので、とても興味深く読んだ。山幸彦が藁をも掴む気持ちになるのもわかる。
とはいえ逆に、頚椎ヘルニアの痛みや痺れが過去の因縁が解決したからといって消えるもんかとは思ってしまう冷めた自分もいたり…。あと個人的に、登場人物の一人、珠子さんは苦手である。
本書は『f植物園の巣穴』の姉妹編とのことである。梨木さんならではの、生と死、異界との接続の物語に、記紀の日本神話が絡まり、深みと広がりが増している。私の場合、『f植物園〜』は読んだのはあまりに前過ぎて、内容をほとんど覚えていない状態だった。本書単体でも読めるが、両者は地続きの物語なので、事前に読んでおくほうが、より物語を楽しめたかもしれない。 -
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ネタバレ久々に再読。梨木さんのたくさんの作品の中でも「家守綺譚」系統の植物と不思議が絡むお話。
最初は話の流れも途切れがちで次々に荒唐無稽な展開が続くと思われる中で、徐々に歯に空いた穴、木のうろ、白木蓮を失った後の穴…植物園職員である主人公の心に空いた穴の中をのぞきこみ、失われたものを自ら発見し、よどんでしまった「川」を流れるようにする、という芯が分かるようになる。
「ここは、過去と現在がみんないっしょくたに詰まっているのだ」理屈の通じない世界で、これが自分の心の問題であることをやがて主人公は悟るのだ。
人生で抱え込んできた淀みに対して、はっきりした問題を現実的に解決するとかではなく、ただあの時の気持ちともう一度向き合い、見つめて、そうであることを許す…そのうえであらためて抱えていけばよい、流れていればいい、というのが梨木さんらしくて好き。乳歯が抜ける、という解放の合図もいかにもという感じ。「裏庭」の礼砲のようだ。読むとすっきりする。 -
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ネタバレ「君たちはどう生きるか」という問いへの筆者なりの一つの答え。
これまで何も考えず、同調圧力に従い生きてきた気がする。
尊敬できるリーダーを探し求め、やっぱりちょっと違うなぁ、とがっかりしたり。
思ってもないことを言って、自己嫌悪に陥ったりすることもたくさんある。
「自分の中の、埋もれているリーダーを掘り起こす」作業をしたことがなかった。
自分的基準や批判精神を持って、自分にいいかっこしながら生きていく。劣位にある自分も受け止めていく。そうして、「自分という群れ」のリーダーとしての振る舞いを学び、世界への愛と祝福の想いを抱きながら進んで行けたら。引っかかったことに勇気を持って声をあげることも、いつか、できたらいいなと思う。