梨木香歩のレビュー一覧

  • 僕は、そして僕たちはどう生きるか

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    ネタバレ

    中学生のコペル、叔父と一緒に野草をとりに、ユージンの家を訪れる。

    かつて子供の頃、何度も訪れたユージンの家。
    広大な庭に広がる草木とのふれあい、不登校になったユージンに、そのわけを聞ける勇気もなく核心には触れずに接する二人。

    ユージンの従姉妹のショウコも加わって、食べられる野草を探し、料理して食べる。
    ショウコが話してくれたのは、この庭に人生に休憩を必要として一人でキャンプしている傷ついたインジャの存在。

    迫害されたユダヤ人たちの過去と、自分が当事者だったとき集団の正義に目をくらましていたかもしれないという不安。

    ユージンが不登校になるきっかけになった出来事。
    教師がかざした教育の間違い。
    嫌だと思ったことには、声をあげなければならないということ。

    生きる術。中学生、高校生になったら子供に勧めたい作品。

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    2021年11月28日
  • りかさん(新潮文庫)

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    人形にも草木にも想いがあって、それぞれの物語があるっていう梨木さんの考えが優しくってとっても好きだ。何度も読み返すと、そのぶん物語の深みを感じられるところも好きなところ。なんだかうまく言えないけれど、小さい頃のわたしがこの物語を好きでいてくれて良かったなあと改めて。

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    2021年11月27日
  • 沼地のある森を抜けて(新潮文庫)

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    壮大なスケールの話を、淡々と書いた小説。
    表紙の螺旋状の何かの様に、現実から、想像へ、一歩ずつ、気づかないうちに踏み込んで行って、今がどちら側なのか、わからなくなっていくような。(境目なんてないのかもしれないけど)
    生と死と、それはごく普通で、当たり前のこと。

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    2021年11月23日
  • 不思議な羅針盤(新潮文庫)

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    ネタバレ

    いるかさんの本棚で見つけました

    梨木果歩さん
    濁りのないその目差しにとても憧れる
    だけど遠いなあ
    だけどとても近く感じる

    ふとした動植物、土や風景、人、食べ物にに注がれる見識と愛情が素敵だ
    やっぱ遠いなあ

    澄み切った秋空のようなエッセイ集でした

    ≪ 生きていく その羅針盤 すぐそこに ≫

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    2021年11月11日
  • りかさん(新潮文庫)

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    最初の読み初めはなんだ?という感触だったが、途中から世界観に一気に引き込まれた。
    我が家の雛人形もこんな感じ?と少し見る目が変わった

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    2021年09月19日
  • 不思議な羅針盤(新潮文庫)

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    この本は2010年刊行。人との繋がり、時を満たすことの大切さ・・・コロナ禍にこの本を読む事は、何とも胸が苦しくなるが力づけられる読書ともなった。人と触れ合える時を取り戻してから必ず再読したい。

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    2021年08月14日
  • f 植物園の巣穴

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    夢の中の迷路に迷い込んだような荒唐無稽な不思議なお話。
    途中から主人公のように理屈で物を考えるのを放棄し、この世界観にどっぷり嵌まると、なんと心地よいことか。
    物語は過去へ過去へと遡り、当時味わいきらなかったため膿のように溜まっていた感情を思い出し、知らぬ間に書き換えられていた真実があきらかになっていくにつれ、本来の自分を取り戻す。
    それは癒しの旅となる。

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    2021年08月13日
  • 僕は、そして僕たちはどう生きるか

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    人が悩んだり傷ついたりって、ほんとに本人しか感じない些細なことなんだろう。ユージンに取ったら些細なことではなかったけど、僕にとったら、え!あのことで!?ってなってた訳だから、人を傷つけたり泣かせたりしないで生きるって難しい。知らない虫の名前とか草木の名前が出てきて面白かった。

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    2021年06月26日
  • りかさん(新潮文庫)

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    主人公で小学生のようこが2週間前に友達の家に遊びに行った時、偶然その時に来たみんながリカちゃん人形を持って来ていました。どうしてもリカちゃん人形が欲しくなり、おばあちゃんがプレゼントしてくれることになったのですが、届いたのは市松人形でした。名前はりかさん。もらった時はとても悲しかったのですが、そのお人形が喋り出し、ようことりかさんの人形をめぐる不思議な生活が始まります。りかさんを通じて色々な人形の物語や歴史に触れ、そして素敵なおばあちゃんとのことばで、ようこは優しく育っていきます。この素敵な人形物語に心が魅了されました。
    ようこが大人の蓉子になった時のお話「ミケルの庭」も併録されています。

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    2021年05月27日
  • 不思議な羅針盤(新潮文庫)

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    梨木香歩(1959年~)氏は、鹿児島県出身、同志社大学卒の児童文学作家、小説家。児童文学関連はじめ、多数の文学賞を受賞している。
    本書は、月刊誌「ミセス」に「不思議な羅針盤」として2007~2009年に連載された28篇のエッセイをまとめて2010年に出版され、2019年に文庫化された。
    私は、ノンフィクションを好み、小説をあまり読まないため、これまで残念ながら著者の作品に目が留まることはなかったのだが、小川洋子のエッセイ集『とにかく、散歩いたしましょう』を読んだ際に、その中で著者の『渡りの足跡』から引用していた一節に惹かれ、本書を初めて手に取った。
    エッセイ集については(当然ノンフィクションなので)、これまで、須賀敦子、白洲正子、藤原正彦、沢木耕太郎、藤原新也、内田洋子、最相葉月、福岡伸一、吉田修一、穂村弘、ジェーン・スー、石川直樹など、幅広い分野の書き手による、硬軟様々なものを読んできたが、書き手の物事の捉え方・考え方、人となりが如実に表れており、とても面白い。
    本書に収められた28篇のエッセイのタイトルは、「堅実で、美しい」、「たおやかで、へこたれない」、「ゆるやかにつながる」、「みんな本物」、「世界は生きている」、「「野生」と付き合う」、「夢と付き合う」、「「アク」のこと」、「百パーセント、ここにいる」、「「いいもの」と「悪いもの」」、「変えていく、変わっていく」などとなっており、いずれも、著者の造詣が深い鳥たちや草木のほか、身の回りにあるものや日常の出来事に託して、それらのテーマが綴られている。
    例えば、以下のような印象に残る記述がある。
    ◆「煮詰まった人間関係は、当人がどんなにがんばっても容易なことでは動かない。よく、自分が変われば他人も変わる、というけれど、今の世の中ではそういう法則も働かないことがある。あまりにも複雑な要因が絡んでいるから。「シロクマはハワイで生きる必要はない」・・・」
    ◆「倫理的でありたい、と願う気持ちと、自分は倫理的である、と自負する気持ちは別ものだ。倫理的でありたい、と願いつつ、それができないことを自覚する人の方が、なんだか「いいもの」のように思えるのはなぜだろう。」

    巻末の解説で臨床心理士の平木典子氏は、「読後にはある種の透明感が残る」と書いているが、小雨の降る午後や、静謐な夜に、ひとりで落ち着いて読みたくなるような一冊である。
    (2021年5月了)

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    2021年05月18日
  • 沼地のある森を抜けて(新潮文庫)

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    代々受け継がれてきた「ぬか床」が来たら、変なことが…、って、それが「ぬか床」という、おおよそ物語のテーマになることがないものだけに、かえって興味を引くんだけど、読んでいて、どーもイマイチ。

    というのも、「ぬか床」の話だからか、登場人物がなんだか妙にベチャベチャしていて。
    そのベチャベチャ人たちのベチャっとした人間関係に、たぶんうんざりしちゃったんだろう。
    と言っても、主人公はサバサバ、さらっとした性格なのだ。
    でもさ。なんだろ? 女性作家の小説って、なぜかこういう性格の女性が多くない?(^^ゞ
    それって、作家みたいに知性を価値観におく女性が思う理想の女性像みたいな気がしちゃって(そうなのかは知らないw)、結局、なんだかそれもベチョベチョした話だなぁーって感じちゃったって言ったらいいのかな?w
    前に読んだ『村田エフェンディ滞土録』は、すごく骨太な話だなーという印象だっただけに、この著者もこういう話を書くんだなーと、ちょっとシラケちゃったんだと思う。

    もっとも、「2.カッサンドラの瞳」の中の“家庭という不可思議なぬか床は醸成されていくのだろう。その曖昧さは、考えただけに窒息しそうなほどだ”の言い得て妙さには、一瞬、呆気に取られてしまって。
    人って、家庭でもいいし、職場でもいいし。学校だったら、クラスとか部活とか。あと、今はSNSがあるか。
    そういう囲われた他者の目が入らない中で、独自の価値観やルールをプツプツ音をたてて醸成されていくんだろうなーと思ったら、ニヤニヤと、厭ぁーな笑みを浮かべてしまったくらい感心してしまったんだけどね(^^;

    でも、つづく、「3.かつて白銀に靡く草原があったシマの話-1」は、変に説明くさくてつまらないし。
    「4.風の由来」は、さらにベチャベチャしてきたこともあって、これは他の本を読んだ方がいいかなーと思いつつ。
    つづけて、「5.時子叔母の日記」辺りを読んでいた時だったのかなぁー。
    ふっと、あ、ベチャベチャしてる話だけど、この話も『村田エフェンディ滞土録』から全然ブレてないなんだなーと感じてから、急に面白くなってきた。

    たぶん、“「決断力に溢れた男らしい」人間であったとしても、それは「自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢さ」と同じこと。自分のナルシシズムに溺れきっているからこそ、他人がナルシスティックなることが許せないのよ”という文を読んだ辺りかなぁー。
    そういえば、「4.風の由来」でも同じようなこと書いてたなぁー、と戻ってみると。
    “いわゆる、常識とか、普通って、言葉はもう使わないようにしましょうよ”
    “〇〇さんの今とった分析的な態度は、とても男性的なの。何人か集まれば、誰かがそういう役割をとらなければならない”とあって、あー、あー、これこれと。

    『村田エフェンディ滞土録』を読んだ時にも思ったのだけれど、この著者の小説(著者の価値観?)の面白さは、
    この「女性の」感覚、論理的知識的思考による感覚(思考による感覚って、なんか変だけどw)でなく、(女性の)肌感覚で、我々が思っている“常識”の、あるいは“普通”の世の中や世界に疑問を投げかけている所にあるように思う。
    いや、“「決断力に溢れた男らしい」人間であったとしても、それは「自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢さ」と同じ”と言われても、人は、自分の論理で決断をしなきゃならないのは確かだ。
    また、“〇〇さんの今とった分析的な態度は、とても男性的”であったとしても、著者も書いているように、“何人か集まれば、誰かがそういう役割をとらなければならない”わけだ。

    著者は、それは重々わかりつつ。でも、だからこそ、現在の人の世の習い的な“常識”や“普通”に反対を言いたいのだろう。
    だって、その“常識”や“普通”というのは、“「決断力に溢れた男らしい」人間”や“自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢”がつくった“常識”や“普通”にすぎないのだから、という、(慣用句的な意味での)「女性らしい」視点で著者は終始一貫しているのだろう。
    そこは、男である自分も、というか、自分が男だからこそ感心するものがある。
    人間は男と女、2種類なのだ(と言うと、今は怒りだす人もいるけどw、あくまで慣用としての話)。
    それは、同じようで絶対違う。違うのは、違うことが生物として必要だったからで、その必要を満たしたからこそ、人は(たぶん)生き残れたわけだ。
    男には、男なりの思いや考えがあって。女には、女なりの思いや考えがある。
    それは、どちらも生物としての人間の役割なんだと思うのだ。
    『村田エフェンディ滞土録』では、その二つの違いを「西洋と東洋」という慣用句(あくまで慣用句だ)で分けて、小説にした。
    一方、これは「男と女」という慣用句(これもあくまで慣用句だ)を二つの違いにして、小説にしたのだろう。

    例えば、今のミャンマーの状況下、軍事クーデターへの反対デモを決行することは「決断」しなきゃしょうがない。
    というか、それは間違った政権にNo!を突き付けるのは、国民一人一人が負っている義務であり責任でもあるわけだ。
    ただ、例えばデモで軍事政権が倒れたとしても、新政権の人たちが、もし、“自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢”な政治をしたら、国民の暮らしは軍事政権下と同じになってしまう。
    悪政を倒した人たちが、前政権の悪政の原因だった利権の独占をしてしまうことで、同じ悪政をしくことは普通にあるわけだ。
    つまり、間違った政権を正す“自分の側の論理”による「決断」を、著者は(慣用句としての)「男性」の視点(行動原則)とし。
    その新政権が前政権のような“自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢”な政治をしないように戒めることを、著者は(慣用句としての)「女性」の視点(行動原則)としている。
    そういう男性の視点、女性の視点が両輪がないと。人は、社会は歪んで、壊れてしまう。
    『村田エフェンディ滞土録』では、それを西洋の視点と東洋の視点にした。
    そういうことなんじゃないだろうか?

    その後の面白さは圧倒的なのだが、圧倒的すぎて、正直、著者の言いたいことを理解しきれてないように思う。
    ただ、いわゆる「利己的な遺伝子」論的な、“生物が目指しているのは進化ではなく、ただただ、その細胞の遺伝子を生きながらえさせること”、“細胞が死ぬほど願っているのは、ただ一つ、増殖、なんだ”というようなことが結論?ネタ?オチ?なのかなーと思った。
    だとすると、フリオが“自分って、しっかり、これが自分だって確信できる? 普通の人ってそうなの?”と言うのがよくわかる。

    人って、普段はあまり意識しないけど、でも、ふとある時、呆れるくらい自分が親や兄弟と似ていることに気づいたりするものだ。
    もちろんそれは、「似ている」で。フリオが言う、自分だって確信できないほどではないのだが、でも、それは人という生物が個の意識を過剰に持つがゆえに人であるからであって。
    遺伝子からしたらそれは違いではなく、コピーでしかないのかもしれない(爆)
    つまり、「自分探し」なんて、遺伝子からしたらヘソが茶を沸かすようなことなのだ(^^;
    でも、人は、遺伝子からしたらコピーにすぎないわずかな自分と他人の違いを認識するorしたいと思うからこそ、人なのだ。
    自分と他人の違いを認識するorしたい「自我」があるからこそ、人の遺伝子はここまで増えることが出来た、とも言えるんじゃないだろうか?
    というかー、もし、人がコピーだったら、著者の小説(『村田エフェンディ滞土録』)が成立しなくなっちゃうわけでー(^^;

    そんなわけで、遺伝子からしたらコピーにすぎない違いを認識したい自分からすると、この小説をホラーに作り替えたらどんなに面白いだろうって(爆)
    この話だけで『リング』~『らせん』、あるいは『ループ』まで包括出来ちゃうんじゃないかって、すっごくワクワクする(^^ゞ

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    2021年05月05日
  • f 植物園の巣穴

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    てっきり植物ほのぼの日記のようなていかと思いきやミステリーというかホラーというか。夢うつつの夢遊感の中進む物語。やっぱり梨木香歩さんと植物の相性バツグン。

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    2021年04月21日
  • 炉辺の風おと

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    梨木香歩の著書は片っ端から読んできたけど、こんなに同じ時間軸で書かれた本は初めてだった。
    変な話だけど、あぁ同じ時代に生きている作家さんなのかと実感。

    父親の件で、涙が滲んだ。大人ということ、娘ということ、あらゆる目線から湧き上がる感情を俯瞰的に眺め、今あることに集中する、その姿勢に感服した。
    私には出来ない。たとえ同じ歳になっても。このとき著者は、この文間に沈んだ時間の中で、どれほどの暗い感情を押し殺したのか。
    この著者の本をたくさん読み続けてきたから感じる、滲み出た哀しみ。怒り、そして怒りをを超えた悲しみ。何故かわからないけど、それでも柔らかさと美しさを失わない文章に、こちらが涙ぐんだ。この人の姿勢は、少なくとも文字列の中では、決して揺るがない。

    著者の本で初めてハッキリと違和感というか違いを覚える部分があったのも面白かった。私は非効率は目指せない。我々は違う時代を生きる別世代だということを痛感した。

    基本的にはいつもの豊富な知識量を誇る植物たちとのお話や、山小屋で出会う小動物たちとのお話。こんな暮らししてみたいなぁと思うが、狭い部屋だけでも管理が手一杯な私には憧れのまま終わる生活だな。

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    2021年03月07日
  • 炉辺の風おと

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    八ヶ岳の自然の中の暮らしも楽しそう。ずっと八ヶ岳で暮らしているのではなかったのでちょっと想像していた内容とは違ったけどエッセイとして面白かった。

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    2020年12月20日
  • f 植物園の巣穴

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    日常と夢まぼろしが徐々にマーブル模様になって、渾然一体になっていく。
    立ち現れるのは過去の記憶。

    様々な植物が茂る水辺や人ならずものが次々と現れて、生きることの力強さや不思議さが凝縮されたような世界観。
    皆さんおっしゃられるように、まさに梨木香歩版不思議の国のアリス。

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    2020年12月07日
  • 不思議な羅針盤(新潮文庫)

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    タイトルは素敵だが、テーマは「人との距離感」だと思う。少しちぐはぐ。
    植物や鳥の名前に造詣が深く、『赤毛のアン』が大好きなんだなぁと思う。ナビを彼女と読んでいる表現なんかは面白い。
    ただ授乳中の母親が携帯電話をいじることに批判的な表現は不快だった。傍目の美しさはないかもしれないが、授乳は子供を育てているだけで見せ物ではない。聖母像でも求めているのか、だまらっしゃいと思ってしまう。

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    2020年12月02日
  • 炉辺の風おと

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    八ケ岳の山小屋に籠もり小屋周りの鳥や植物、小動物、自然界のことを話りながら、話は人間社会に繋がり思索を深めていく梨木さんの語りが好きだ。
    炉辺の話に惹かれた。薪の魅力が存分に語られている。

    変わらず愛情深く鳥や植物、自然に目を向けているが、(野鳥の餌箱設置など)その距離感が以前とは変わってきた印象を受けた。
    ご自身のご病気、お怪我、身内のご不幸など辛いこともあり、より身近な自然へ眼差しを向けることが多かったのだろうか。

    どこに目を向けていようと、梨木さんの眼差しは常に優しく深い。じんわり心に染みてくる。

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    2020年11月19日
  • 炉辺の風おと

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     八ケ岳山麓の小屋に設えた暖炉の炉辺にたたずむ、憧れの姿勢だ。
     毎日新聞「日曜くらぶ」に連載されていたエッセイなので、テーマはいろいろだけれど、落ち着きのある文章に共感する。他人が書いた文章を読むことで、自分自身をつかんでいくような不思議な感覚だ。

     毎日新聞「日曜くらぶ」は僕が高校生のころから続いている日曜版だ。当時は文庫本のプレゼントコーナーや読者投稿のスペースがあり、高校生の僕の投稿も1度載せてもらったことがある。本書の書評で、「日曜くらぶ」掲載の・・・というところで一気に40年前のことが思い出された。遠くに来てしまったな・・・。

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    2020年11月01日
  • 炉辺の風おと

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    ネタバレ

    梨木さんの最新エッセイ。
    八ヶ岳に山小屋を得て、そこでの様子など徒然と。
    毎週の連載だったもよう。そちらでは挿絵の油絵があったようで梨木さんも好きだったようなのでできれば収録してほしかったな。
    相変わらず植物、鳥の名前が個別名がしっかり特定されてでてきて、本当に好きなひとは図鑑を引きつつ読むんだろうなあっと思う。
    残念ながらそれほどの熱意は私にはない。
    家に暖炉があるというのはいいものだろうなあ。
    それなりの手間がかかるのだろうが、チラチラとゆれる炎をずっと眺めているのは気持ちが良さそうだ。
    梨木さんは自分の手で実感することを大切にされてる感じがする。そーゆー意味で自分で自分の火をつける、という行為がなんとゆーか好きなのかなあっと。
    面識はないもののその住んだ家の気配に魅せられるお話が好きだった。
    残念ながらその家はもうないのだが。
    お父様の話は心痛めた。
    それがただの仕事、いや作業となってしまった時に起こる悲劇を思う。
    全くレベルは違うものの自分が働く姿勢のなかに、彼らのような部分があってしまっていることに反省。
    つくづく人の生き死にに関係ある仕事についてなくてよかったと思う。私は私が一番信用ならんから。
    ネジバナは私も大好きなのでその出会いを喜んでおられる一文に、私も好きなんです!っと心の中で叫んでしまった。
    好きな人が同じものを好きと言ってくれるとなんか嬉しい。
    あまりご自身のことをだされない感じの方なので、
    今回、背骨骨折やら、耳が聞こえないやら、お体があまりよくないこともあったことを書かれてて、
    どうぞご自愛ください!っとめっちゃ伝えたい。

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    2020年10月06日
  • f 植物園の巣穴

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    どなたかが不思議の国のアリスに似てるとおっしゃっていますが、まさしくまさしく。和製不思議の国のアリス。(物語の始まりが穴なのも。)もしくは、世界観が千と千尋の神隠しっぽい。梨木果歩作品に共通する、生と死、消失と再生の物語。

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    2020年09月29日