あらすじ
はじまりは、「ぬかどこ」だった。先祖伝来のぬか床が、うめくのだ――「ぬかどこ」に由来する奇妙な出来事に導かれ、久美は故郷の島、森の沼地へと進み入る。そこで何が起きたのか。濃厚な緑の気息。厚い苔に覆われ寄生植物が繁茂する生命みなぎる森。久美が感じた命の秘密とは。光のように生まれ来る、すべての命に仕込まれた可能性への夢。連綿と続く命の繋がりを伝える長編小説。
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Posted by ブクログ
はじまりは、「ぬかどこ」だった。先祖伝来のぬか床が、うめくのだ――「ぬかどこ」に由来する奇妙な出来事に導かれ、久美は故郷の島、森の沼地へと進み入る。そこで何が起きたのか。濃厚な緑の気息。厚い苔に覆われ寄生植物が繁茂する生命みなぎる森。久美が感じた命の秘密とは。光のように生まれ来る、すべての命に仕込まれた可能性への夢。連綿と続く命の繋がりを伝える長編小説。
「新潮社」内容紹介より
読後に残る欠片は、「原初の望み」みたいなもの.
結局はそれをプログラムされているんだ.
人間がそれをまねて組織を作るのも、絵として表現するのも、すべてそこにつながるんだ.
そして人として生まれてきたからにはそこからは誰も逃れられない.
人が作り上げてきたと幻想している家の格式とか、集落のしきたりとかといったものが、外部からの働きかけにより壊れていく様は、現在の様子に重なる.
ただ壊れるだけではなく、それは新しいものへの変容とか、再生といったものにつながっているところが、細胞と重なって面白いと思った.
Posted by ブクログ
なんとゆうか、これは、語彙力を試されているかのような話だった。
あらすじをゆうと、主人公の叔母が亡くなり、一族の故郷の島にある、沼の成分が入った家宝の「ぬか床」を受け継いだところから話が始まります。
ぬか床って、わたしもかつて世話をしていましたが、毎日手を入れて底からかき混ぜて空気を入れないといけない、けっこう手間のかかるものです。
それを引き取るかわりに叔母のマンションも譲り受けるのですが、そのぬか床の手入れを怠ると、ぬか床から文句を言われたり酷い匂いがしてきたり、昨日まではなかったはずの卵がぬか床の中から生まれて、卵からは人が生まれて、それが子供の頃亡くなった同級生の男の子に見えたり、親友に見えたり、両目だけがあちこち浮遊している、「カッサンドラ」というのっぺらぼうな女の人が出てきたりと、奇妙なお話が続きます。
物語がぐっと動き出すきっかけは、主人公の両親は事故で亡くなったと聞かされていたけど、実は叔母とおなじ心臓麻痺だったということを知り、真相を確かめるために、男性の体だけど男性という性別を捨てた風野さんという人と一緒に故郷の島にいくところから。
そこで、沼の秘密とは。
自己とは何か。
自分と他者との境界についてや、生物が一つのものが二つに分裂していくことを繰り返す無性生殖から、二つのものが一つになる有性生殖が始まった起源を辿るような、まるで神話を読んでいるかのような壮大な物語と様変わりしていきます。
他の梨木さんの作品でも生きることや死ぬこと、などのテーマを扱ったものがいくつかあると思いますが、この話はその根源的なルーツにも思えるような感じがして、読み終わった後はしばらく呆然としてしまうようなお話でした。
なんとも奇天烈な話ですが、ずっと心に残る作品です。
Posted by ブクログ
こんな物語に出会えて嬉しい。
生物としての喜び、幸せを斬新な切り口で伝えてくれる。自分の存在まで背中を押された気分になった。幸せになろうと思える話、ちょっと忘れちゃった。また読みたい
Posted by ブクログ
沼地のある森を抜けて 梨木香歩
ぬか床から人がってのでファンタジー?と思ってたら人が死んでるってのでホラー?そこからトラウマとかルーツ探し?と読み進めると、最後壮大な生命と再生の物語
この最後を読む為に今までの鬱々としたのがあったのね、と
言葉にできないほどにカタルシス凄い
"解き放たれてあれ
母の繰り返しでも、父の繰り返しでもない。先祖の誰でもない、まったく世界でただ一つの、存在なのだから、と"
もういないのに傷つけられた記憶と対人恐怖症だけ残ってる私には
この本はとてもよかった
この壮大な再生を言葉で表現して本で主人公と一緒に体験できるのがすごい
ひっそりととても良い本ですと
万人向けではないかもしれないけど、こじらせてる大人にはオススメです
Posted by ブクログ
何書いても余計になる気がするけど、書いてみたいから書く。
読み進めていくと、綺麗な情景や人間との関わり(個人的にそう感じた)と相対するように生物の底なしの存続への渇望が醜く表現されすごく絶妙な話だと思った。
最後、風野さんと久美ちゃんはどういう結末を迎えたんだろうか。
きっとしばらく経ってから読み返すべき話だ。
私には少し早すぎたのかもしれない。
Posted by ブクログ
ぬか床から始まる日常物かと思いきや、どんどん話が膨らんでいき、最終的には生命の深淵をのぞき、そして読者にも問いかけるような内容となっている。
後半から挿入される「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」はかなり抽象的だが細胞壁=ウォールを持つ生き物とそこに入り込んできた似て非なる生命のお話で(だと思っている)同じテーマをあつかっている。
もとはひとつの生命が生まれ、壁を作り、それを壊し、そしてまたひとつになることの不可思議さと奇跡、または呪いや祈り。
自分が何者かの定義の曖昧さもあれば、確固たる
自分の意思もあるような気がするその線引きの危うさと自由さ。
そういったものを深く考えさせられた。
誰もが良いと思う作品ではないと思うが、個人的に
忘れられない作品となった。
Posted by ブクログ
物語としては、「ぬかどこ」から始まる不思議なお話ではあるのだが、読んでいくうちに、現実の生命現象がすでに不思議な存在であることを再認識することになる。
生命とは、性とは、個とは。現代の生物学的知識を踏まえた上でも、語り切れるものではない。では、その先、我々はどう考えたらよいのだろうか? その問いに対して、本書は、ひとつの方向性を示してくれるだろう。
Posted by ブクログ
☆5じゃ足りないです
読み終わって世界の見え方が少し変わるような
自分の心や体の様子とともに周囲に五感を働かせてみよう
読後、ぬか床に挑戦したくなる!?
Posted by ブクログ
・動きや感触の表現が、読み返したくなるくらい綺麗だった。
・何について語っているのかはっきりと示されていない章もあり、色々想像しながら読み進めていくのが楽しかった。
・自分の意思がしっかりあって、冷静に適切な言葉で相手に伝えられる久美ちゃんのような大人になりたい。
・久美ちゃんと風野さんのその後がすごく気になる〜気になる〜
・めちゃくちゃ現実の中にあるありふれた物にファンタジー要素を落とし込んでいるのが最高。
Posted by ブクログ
梨木さんの世界。
はじまりは「ぬかどこ」。
世界に一つしかない細菌叢の世界。
しかも時間とともに変化し続ける。
一つの細胞から細胞膜、細胞壁、細菌、麹菌、動物、人。
脈々と続く時間の流れ。
境界のない世界。
とても大きな世界感。
人と人の結合がこのように語られるのか と驚き。
「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」もすごい伏線だと思う。
子どもの頃は100年なんて想像もできなかったけれど、梨木さんの世界に触れることで、今は1000年単位でも理解が出来るような気がします。
この本も大切な一冊になりました。
老若男女におすすめです。
で、読み終わってすぐですが、もう一度読み返しています。。
Posted by ブクログ
ぬか床から始まった物語は,酵母や菌類の成長と発展?につながり,ぬか床からクローンのように現れる人たちの不思議さに驚いているうちに,生命とは死と再生の力だと大潮の日に収斂していく.特殊な島の奥深い沼地の不気味さもあって,少しホラー的な要素もある.本編に差し込まれた3つの挿話「かって風に靡く白銀の草原があったシマの話」は意味深で謎に満ちた細胞の美しい物語だ.
Posted by ブクログ
再読、なのにはじめて読んだような感じです。最初に読んだときは、この物語を受け入れる準備が自分にはなかったのかな?と思う。たぶん三度目の再読があると思う。
Posted by ブクログ
読み終えるのに3、4ヶ月かかってしまった。
更に感想書き終えるのに数ヶ月?
ぬか床から卵が出てきたり、そこからひとが孵ったり。人に説明しようとすると、ついこのようにセンセーショナル?な感じで言ってしまってましたが、不思議ではあるけど嫌いじゃないんです。だけど伝わらない自分の語彙力。いや語彙じゃない。よりによって場面一部切り取ってそこしか言わんのがあかんのですよ、自分。とわかっちゃいるが、余りにインパクトがありまして。
ぬか床、酵母、菌。生命の根源から未来まで。
何言ってるんだか。でも相変わらず梨木さんの本は読んでいて気持ち良いのです。
カッサンドラの目がパタパタしてるのは気持ち悪いような、でも可愛いらしさも感じるような…まさに文章ならではの面白みだなあと。
島のイメージは青ヶ島とか勝手にそんな感じをイメージしたけど、もっと沖縄の離島な感じなのかな?
自分が行ったことあるのは父島の森だからなあ。
大東島とかそんなイメージもあったり。
途中で挟まれた僕たちの物語も嫌いじゃなかった。
しかし読み手を選ぶ本ですね。
Posted by ブクログ
沼地のある森を抜けて
先祖がぬか床を持って駆け落ちして以来、ずっと守られてきたぬか床。叔母の死をきっかけに、叔母のマンションと共にそのぬか床を継いだ主人公の物語と、ぬか床の中の酵母やら細菌やらから見た物語とが交錯しながら話が進んでいきます。
自分のアイデンティティ、命のはじまり、何故有性生殖か?、そして命は何を目指してどこにいくのか?
こういった問いが詰まった(結局結論は出ませんが)難しい話を、ある程度の難しさを残してはいますが、エンターテイメントにしてしまう著者の力量はたいしたものだなあと思います。
ぬか床が呻いたり、ぬか床の卵から人が出てきたりと幻想小説っぽいところもありますが、「家守奇譚」のようにそちらが主ではないので、さらりと現実的に描かれていて、その点も面白いなと思いました。
ちょっと残念だったのが、「おおーこの構造は、”世界の終わりとハードボイルドワンダーランド”(村上春樹)だー」とものすごく期待したのですが、2つの物語の絡み方や収斂の仕方が今ひとつだったのが、期待が大きかっただけに残念です。
もうすぐお盆なので、自らの自出やご先祖さんのことを、無い頭で考えてみている竹蔵でした。
竹蔵
Posted by ブクログ
親族から相続したのはぬか床。そのぬか床から現れるものは。久美と風野さんはぬか床の秘密を求めて「島」へと旅する。
ずっと以前に読んでいたのだけど、何か消化不良で心にひっかかっていた本。再読です。
梨木さんは、今のモノ・コトについて、その記録のページを一枚一枚めくるように思索を掘り下げていくのが得意な作家さんで、けっこうなナチュラリストでもあると思います。この本ではその科学的知識と命の進化から、生命とは何か、生命はどこから来るのか、という根源的な問いを深める作品でした。
確か前に読んだ時は「結局そこに落ち着くのか」みたいな、ちょっとしたガッカリ感を感じたのではなかったかと思いますが、まあ今回も、そこまで広げておきながら結論はそこかあ。という感想にはなりました。ただ、最後の誕生を言祝ぐ詩にはすごくグッときたのですが、これは多分このストーリー(落とし所)だったからこその効果だったんだろうなあ、と感じました。
しかし改めて読み返して感じたこととしては、梨木さんがすごく真剣に命はどこから来るのか、どこへいくのかについて向き合いながら書いたんだな、ということでした。共生説や受精になぞらえたサブストーリーなんかをみても、その思索のあしあとは迫力がありました。
同じく生命のゆくえについては「ピスタチオ」でもテーマにしていたと思うので、こちらも再読してみようと思いました。
Posted by ブクログ
うむむむむ、難解・・いやいや、私の読解力や知識が不足しているだけ・・・
初めの、フリオの話は面白くて一気に読んでしまった。
梨木さんってこんな物語も書くんだ?と思いつつ、
久美の自問自答がちょっとおもしろいところもあって、
クスッと笑ってしまった。
いやー面白い、と思いながら読み進めると、一気にトーンというか景色というか、物語の色みたいなものが変わる。
カッサンドラの話は、口だけの三味線女がでてくるなんてホラーでしかないんだけど、叔母だけでなく両親の死までさかのぼって真相を、となると、もはやミステリーのようにもなってきて、心がかき乱される。後々わかったけれど、カッサンドラが久美にとってジョーカーで、ジョーカーを消したことで、ぬか床やその元の沼に変化が起きたってわけなのだな(と、書いておきながら、本当にその解釈でよいか、自信がない)。
カッサンドラがそんな感じだったのに、次のシマの話。
え?村上春樹?違うな。カズオ・イシグロ?(←ひと作品しか読んでないのに)小川洋子?と読書家の皆様から激怒されそうな的外れなとまどいを覚えつつも、そうか梨木さんには「裏庭」という長編ファンタジーもあったな、と思い出して、少し心が落ち着いた。
クスッと笑えたフリオの話から、菌類、無性生物と有性生物、全宇宙のはじまり、最初の細胞の孤独、などなど、どんどん壮大な話へと広がっていき、「これは何のこと?何を表現しようとしているの?」と自問することをやめ、そのまま、文章通りに受け取ることにした。
あらゆる生命体は、意図せずとも「孤独」を感じ、それゆえに繁栄へ向かっていくものであり、その過程で必ずやそのもの自身やまわりの環境に変化というものは訪れ、それはどうにも止めようのないもので、いずれは死、無に終着する。「生」の期間、自分と他者をどう区別しているのか。自分と他者を隔てるものは何なのか。
などなど考えながら読み進めたけれど、やっぱり深くは理解できなかったと思う。
ただ、読んで面白かったか、面白くなかったかと言われれば、面白かった。
いつも思うけれど、梨木さんの頭の中の思考はどうなっているのだろう。
Posted by ブクログ
中盤から終盤までは、物語の根源風景がなかなか見えず、
少々読みあぐねたが、
文章自体はグングンと飛翔していくので、とにかく追いかけた。
終盤に「ぬか床」や「沼地」についてやっとこ入り込み、
「解き放たれてあれ」という名言に光を感じながら、
森を歩き、抜けていけた。
最終的に、自分の中でこの物語の世界観が心に定着したので安心した。
生命に問いかけ、根源を悟り、孤独と他者を知り、また始まっていく。
解説の一文
「個を超えた反復であり、同時にその場にしか生まれえないオリジナルでもある。」
のように生命の二律背反を感じつつ、時にそれを飛び越えていく物語だった。
にしても、このような物語を成立させる「言語」という機能は不思議で凄いなと感じる。人間の前頭葉のなせる技だろうか。
言語は人間から生まれたものであるならば、生命の型を持っているのだろう。
言語もそれだけでは「孤独」だから「他の言葉」を探し繋げ、
意味という膜、ウォールを作り、
他者に伝えていくのだろう。
Posted by ブクログ
壮大なスケールの話を、淡々と書いた小説。
表紙の螺旋状の何かの様に、現実から、想像へ、一歩ずつ、気づかないうちに踏み込んで行って、今がどちら側なのか、わからなくなっていくような。(境目なんてないのかもしれないけど)
生と死と、それはごく普通で、当たり前のこと。
Posted by ブクログ
代々受け継がれてきた「ぬか床」が来たら、変なことが…、って、それが「ぬか床」という、おおよそ物語のテーマになることがないものだけに、かえって興味を引くんだけど、読んでいて、どーもイマイチ。
というのも、「ぬか床」の話だからか、登場人物がなんだか妙にベチャベチャしていて。
そのベチャベチャ人たちのベチャっとした人間関係に、たぶんうんざりしちゃったんだろう。
と言っても、主人公はサバサバ、さらっとした性格なのだ。
でもさ。なんだろ? 女性作家の小説って、なぜかこういう性格の女性が多くない?(^^ゞ
それって、作家みたいに知性を価値観におく女性が思う理想の女性像みたいな気がしちゃって(そうなのかは知らないw)、結局、なんだかそれもベチョベチョした話だなぁーって感じちゃったって言ったらいいのかな?w
前に読んだ『村田エフェンディ滞土録』は、すごく骨太な話だなーという印象だっただけに、この著者もこういう話を書くんだなーと、ちょっとシラケちゃったんだと思う。
もっとも、「2.カッサンドラの瞳」の中の“家庭という不可思議なぬか床は醸成されていくのだろう。その曖昧さは、考えただけに窒息しそうなほどだ”の言い得て妙さには、一瞬、呆気に取られてしまって。
人って、家庭でもいいし、職場でもいいし。学校だったら、クラスとか部活とか。あと、今はSNSがあるか。
そういう囲われた他者の目が入らない中で、独自の価値観やルールをプツプツ音をたてて醸成されていくんだろうなーと思ったら、ニヤニヤと、厭ぁーな笑みを浮かべてしまったくらい感心してしまったんだけどね(^^;
でも、つづく、「3.かつて白銀に靡く草原があったシマの話-1」は、変に説明くさくてつまらないし。
「4.風の由来」は、さらにベチャベチャしてきたこともあって、これは他の本を読んだ方がいいかなーと思いつつ。
つづけて、「5.時子叔母の日記」辺りを読んでいた時だったのかなぁー。
ふっと、あ、ベチャベチャしてる話だけど、この話も『村田エフェンディ滞土録』から全然ブレてないなんだなーと感じてから、急に面白くなってきた。
たぶん、“「決断力に溢れた男らしい」人間であったとしても、それは「自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢さ」と同じこと。自分のナルシシズムに溺れきっているからこそ、他人がナルシスティックなることが許せないのよ”という文を読んだ辺りかなぁー。
そういえば、「4.風の由来」でも同じようなこと書いてたなぁー、と戻ってみると。
“いわゆる、常識とか、普通って、言葉はもう使わないようにしましょうよ”
“〇〇さんの今とった分析的な態度は、とても男性的なの。何人か集まれば、誰かがそういう役割をとらなければならない”とあって、あー、あー、これこれと。
『村田エフェンディ滞土録』を読んだ時にも思ったのだけれど、この著者の小説(著者の価値観?)の面白さは、
この「女性の」感覚、論理的知識的思考による感覚(思考による感覚って、なんか変だけどw)でなく、(女性の)肌感覚で、我々が思っている“常識”の、あるいは“普通”の世の中や世界に疑問を投げかけている所にあるように思う。
いや、“「決断力に溢れた男らしい」人間であったとしても、それは「自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢さ」と同じ”と言われても、人は、自分の論理で決断をしなきゃならないのは確かだ。
また、“〇〇さんの今とった分析的な態度は、とても男性的”であったとしても、著者も書いているように、“何人か集まれば、誰かがそういう役割をとらなければならない”わけだ。
著者は、それは重々わかりつつ。でも、だからこそ、現在の人の世の習い的な“常識”や“普通”に反対を言いたいのだろう。
だって、その“常識”や“普通”というのは、“「決断力に溢れた男らしい」人間”や“自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢”がつくった“常識”や“普通”にすぎないのだから、という、(慣用句的な意味での)「女性らしい」視点で著者は終始一貫しているのだろう。
そこは、男である自分も、というか、自分が男だからこそ感心するものがある。
人間は男と女、2種類なのだ(と言うと、今は怒りだす人もいるけどw、あくまで慣用としての話)。
それは、同じようで絶対違う。違うのは、違うことが生物として必要だったからで、その必要を満たしたからこそ、人は(たぶん)生き残れたわけだ。
男には、男なりの思いや考えがあって。女には、女なりの思いや考えがある。
それは、どちらも生物としての人間の役割なんだと思うのだ。
『村田エフェンディ滞土録』では、その二つの違いを「西洋と東洋」という慣用句(あくまで慣用句だ)で分けて、小説にした。
一方、これは「男と女」という慣用句(これもあくまで慣用句だ)を二つの違いにして、小説にしたのだろう。
例えば、今のミャンマーの状況下、軍事クーデターへの反対デモを決行することは「決断」しなきゃしょうがない。
というか、それは間違った政権にNo!を突き付けるのは、国民一人一人が負っている義務であり責任でもあるわけだ。
ただ、例えばデモで軍事政権が倒れたとしても、新政権の人たちが、もし、“自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢”な政治をしたら、国民の暮らしは軍事政権下と同じになってしまう。
悪政を倒した人たちが、前政権の悪政の原因だった利権の独占をしてしまうことで、同じ悪政をしくことは普通にあるわけだ。
つまり、間違った政権を正す“自分の側の論理”による「決断」を、著者は(慣用句としての)「男性」の視点(行動原則)とし。
その新政権が前政権のような“自分の側の論理を振りかざすだけの傲慢”な政治をしないように戒めることを、著者は(慣用句としての)「女性」の視点(行動原則)としている。
そういう男性の視点、女性の視点が両輪がないと。人は、社会は歪んで、壊れてしまう。
『村田エフェンディ滞土録』では、それを西洋の視点と東洋の視点にした。
そういうことなんじゃないだろうか?
その後の面白さは圧倒的なのだが、圧倒的すぎて、正直、著者の言いたいことを理解しきれてないように思う。
ただ、いわゆる「利己的な遺伝子」論的な、“生物が目指しているのは進化ではなく、ただただ、その細胞の遺伝子を生きながらえさせること”、“細胞が死ぬほど願っているのは、ただ一つ、増殖、なんだ”というようなことが結論?ネタ?オチ?なのかなーと思った。
だとすると、フリオが“自分って、しっかり、これが自分だって確信できる? 普通の人ってそうなの?”と言うのがよくわかる。
人って、普段はあまり意識しないけど、でも、ふとある時、呆れるくらい自分が親や兄弟と似ていることに気づいたりするものだ。
もちろんそれは、「似ている」で。フリオが言う、自分だって確信できないほどではないのだが、でも、それは人という生物が個の意識を過剰に持つがゆえに人であるからであって。
遺伝子からしたらそれは違いではなく、コピーでしかないのかもしれない(爆)
つまり、「自分探し」なんて、遺伝子からしたらヘソが茶を沸かすようなことなのだ(^^;
でも、人は、遺伝子からしたらコピーにすぎないわずかな自分と他人の違いを認識するorしたいと思うからこそ、人なのだ。
自分と他人の違いを認識するorしたい「自我」があるからこそ、人の遺伝子はここまで増えることが出来た、とも言えるんじゃないだろうか?
というかー、もし、人がコピーだったら、著者の小説(『村田エフェンディ滞土録』)が成立しなくなっちゃうわけでー(^^;
そんなわけで、遺伝子からしたらコピーにすぎない違いを認識したい自分からすると、この小説をホラーに作り替えたらどんなに面白いだろうって(爆)
この話だけで『リング』~『らせん』、あるいは『ループ』まで包括出来ちゃうんじゃないかって、すっごくワクワクする(^^ゞ
Posted by ブクログ
叔母が亡くなって先祖伝来の「ぬかどこ」をマンション込みで
受け継ぐことになった主人公:久美
ぬかどこが呻いたり、卵が出来て、子供が出た?(゚ロ゚;)エェッ!?
そして亡くなった叔母の日記を見つけて、
久美は先祖が育った島に向かうことになる。
命を繋ぐための進化・・・色んな解釈があるんでしょうが
種を守るための壮大な物語。これは楽しい。っていうか面白い。
そして久しぶりにフジテレビで放送されていた
グレートジャーニーを思い出しました。
Posted by ブクログ
最初に想像してたストーリーとは全然違った結末というか途中から予想してなかった話になってきて、
途中からどういうことや?となりながらでも読む手は止まらず。だいぶ専門的な感じがエッセイしか読んだことなかったけどそこで感じた梨木さんらしくてこんなに小説に特徴が表れるんだなぁと。
結局どうなったの?と言われれば全然わからないけど、すごく興味惹かれる内容ではあった。
Posted by ブクログ
途中までは軽快に次はどうなるかと想像しながら読み進めましたが がらりと変わってからはむずかしかった。
ちょっとついて行けなくなりましたが 命の始まりのことが最初からずっと繋がってたのかと思いあまりにも壮大すぎて きっとどんどんはまっていくと面白いのだと思いましたがやっぱり私にはむずかしいテーマでした。
島に着いてからはテンポ良く読みましたがなんとなく胸にひっかかりが残ってしまった
最後の詩はよかった。
Posted by ブクログ
先祖から伝わる「ぬかどこ」をめぐって奇妙な出来事が起こる。その「ぬかどこ」から自分のルーツを探しに行くんだけど予想の付かない出来事の連続で夢をみているようだった。 ただ、主人公を大事にしてくれた叔母さんの愛情が心に響いた。「血」の繋がりはどんなことがあっても切っては切れないものなのだなあと、ふと自分の家族の事を思い出してしまった。
Posted by ブクログ
梨木さんの本は何冊か読んできたけど、中でも少しハードな題材の物語だったという印象。
自己、生殖、性、生命、循環…。
幻想的ではありながらも、SF的な要素もあって新鮮な読み心地だった。
風野さんの「性別への嫌悪感」みたいなものがすごくリアルで共感した。私自身も「男の子になりたい」というより「女の子をやめたい」と思ったことが何度もあったし、「みーんな細菌になって無性別になればいいのに」って思っていたこともあったので、風野さんの考えを馬鹿らしいとは思えなかった。
特に印象的だったのは、最後の沼地での富士さんのセリフ。
『沼地は、もう、前のような方法では生殖を行わないから、彼らはこの種の、最後の人たちとして、ここで平和に滅びてゆくんだ。』
何故か分からないけれど、地域猫のことが頭に思い浮かんだ。
ずっと古代の頃は野生で、人間の事情でともに生きるようになって、ここ数年で人間の事情で野良猫は許されない存在になった。地域猫たちは避妊・去勢手術をされていることが多く、彼らの命は1代限り。いろいろな事情で昔のままではいられないからしかたがない変化ということはわかっている。ただ、彼らの最後も平和であってほしいと町で見かけるたびに思う。
Posted by ブクログ
『西の魔女が死んだ』『家守奇譚』などからしっとり系ファンタジーを予想していた。しかし、これははっきり言ってハード系SFだと思った。
植物に詳しい作者が、その嗜好全開で書いた作品と聞いていた。植物うんちくなどというものではなく、生物のありようを哲学する壮大な、思想というべきかというテーマを描いている。
時代も場所も現実幻想の境界をまたぐ目まぐるしい展開で、主義主張も随所に散りばめられている。面白いけれども、なかなか理解・共感ともに難しく、ハードな読み物であった。
Posted by ブクログ
梨木香歩さんの作品。
受け継いできた糠床。その糠床との生活は想像すると面白いがなんだか恐ろしい。そして、その糠床をなんとかしようとしたであろう両親や叔母は命を落としていて、どうやったら解決できるんだろうと思いながら読み進めていた。
最後の方、なかなか世界の理解が難しかった。
Posted by ブクログ
始まりはぬか床、ぬか床が生み育むのは美味しいぬか漬けや発酵菌だけではなかった。そこは豊穣たる命が宿り、生み出す世界。
…お漬物マニアなら、こんなこと考えたりするし言うだろうけど、まさかこんな惹句が400Pを超える長編小説になりうるとは…梨木ファンタジーさすがである。
時々引用される、男の子の物語とオーラス50Pほどについていけなかったのが残念。ここは完全に好み、で、俺がえらばれなかっただけ。及び腰になってしまったこの2つにがっちり嵌れたら、この小説は手放せなくなること間違いなしだと思う。
Posted by ブクログ
シュールでも、もう少しユーモアで突き進むのかと思いきや、壮大な結末に至って少し驚いた。結末付近の風野さんとのくだりはいらなかったのではないかな。
Posted by ブクログ
前半と後半の印象が違う。
怨念や呪いのような絡みつく繋がりは、それだけでなく暖めも育てもする、ような複雑な成り立ちにそういうものかも、と思う。
最終的な結末が意外であり、物語的にはそうでなくては成らない決められていた結末にもみえる。
前半が好みで、後半はちょっと苦手。
次に読んだときは印象がかわるかもしれない。
再読。
最終的なまとめかたが結局男女だから子孫を残すというのが、新鮮さが足りないと思ってしまったのかも。強引さを感じたのか。
二人の性格が、少し世間と外れているのだから、せっかくだから新しい形の子孫繁栄?がみたかったのかも。