あらすじ
コウコは、寝たきりに近いおばあちゃんの深夜のトイレ当番を引き受けることで熱帯魚を飼うのを許された。夜、水槽のある部屋で、おばあちゃんは不思議な反応を見せ、少女のような表情でコウコと話をするようになる。ある日、熱帯魚の水槽を見守る二人が目にしたものは――なぜ、こんなむごいことに。コウコの嘆きが、おばあちゃんの胸奥に眠る少女時代の切ない記憶を呼び起こす……。
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Posted by ブクログ
洋酒の効いたパウンドケーキ。
昔はよくわからなかったけれど、大人になるとその苦さも甘さも全部美味しくなってしまうような。
子供の時に読んで、大人になってまた読むべき本。
昔はふんふんと流して読んでいたフレーズが、「私が、悪かったねぇ」という彼女から溢れた何気無い言葉が、やっと救いの言葉に響いて、朝から涙ぐんでしまった。
ご馳走様でした。
Posted by ブクログ
これも すごい梨木さんの世界。
あっちの世界とこっちの世界。
人の中も複雑。
天使と悪魔。
それは本当にそれほど違う??
なにもかも認めることができれば、それはすごいことだと思う。
梨木さんの本は やっぱり良いなぁと思います。
まだ買い置きしているものがあるので、順番に読んでいきたいと思います。
Posted by ブクログ
文体から、いい子ちゃん小説かと思いきや、まったく逆ベクトルの凄まじい小説だった……!
悪意、暴力、女性性、旧約聖書の世界、罪と罰、罪悪感、の連鎖。
死体を石で幾度も打ち付ける場面には背筋が凍る思いをした。
願わくば最後に飛び出してきたエンジェルが、さわちゃんの心に届かんことを。
Posted by ブクログ
さりげない日常が昔の記憶を呼び戻すことがある。聖書をちゃんと読んでいたらもっと理解が深まっただろうけど、個人の罪とその懺悔の物語の深さは十分理解できた、と思う。これ何度読んでもラストシーンで泣いてしまうんだよな。ラストがどうなるか分かってるのに。梨木香歩すきすぎる。
Posted by ブクログ
寝たきりになったばあちゃんの夜のトイレの付き添いをママの代わりに手伝うことになったコウコ。
最近のコウコの精神不安はカフェインの取り過ぎだという思いと、熱帯魚を飼うことで心の安らぎを取り戻そうとしていること。
その頃からばあちゃんと私は、さわちゃんとコウちゃんお呼び合い、ここにいないかのようなばあちゃんとの不思議な会話をするようになる。
キリスト系の女学校に通うさわこが好きな人たちは、ばばちゃま、女中のツネ、担任の翠川先生と仲良くなりたいと思っている山本孝子さんだった。
翠川先生と山本さんが親密な関係であることを知り、嫉妬のあまり山本さんにきつくあたり、彼女の不幸を願ったさわこは、その時から悪魔の側に行ってしまった自分を悔やんでいた。
熱帯魚のエンゼルフィッシュはネオンテトラを攻撃するようになり、その様子をどうすることもできないままでいた、ばあちゃんとコウコ。
人はどんな時にでも、誰だって良い人でありたいと思うと同時に心にいる悪魔を飼っているのかもしれないね。
それが悪意となって外に出てしまった後の後悔を、ばあちゃんはずっと抱えていたのだけど
孫のコウコを通じて気持ちの整理がついたとき、ばあちゃんは本当の天使になった。
純粋に、こんな時代を超えての人の人生を書けるって
すごいなあって思う。
梨木さんの書く文は好きだなあ。
Posted by ブクログ
p80「ずっと後になって、私は、本心、というものが、それを言った当初はそう思えなくても、実は段々にそれに近くづいていくこともあるのだと思った。
むしろ、その時にはわからなかった本心がひょこっとかおをだす、ということがあるのかもしれない」
自分はその場の雰囲気に馴染まないような意見が言えない。はじめに賛同してしまう。こうちゃんの気持ちに自分を重ねてしまった。
でもその時は本心じゃなかったって悩んでいたこともこれで正解かもって思えるような勇気をくれた言葉だなぁ。
陀羅尼助っていう馴染みの腹痛薬が出てきて嬉しい。奈良県民には良薬として親しまれているんだ。
p79「時間というものは不思議だと思う。
その時点ではわからずにいた言動が、あとになって全体を振り返ってみると、あらかじめ見事にコーディネートされた一つのテーマに統一されているように見える。」
今の自分は過去の自分の積み重ねだ。
その積み重ねが糧となって一歩ずつ前に進んでいる。時間は繋がっている。
Posted by ブクログ
過去と現在が
交差しながら進む物語
ひとつひとつの繋がりが
徐々に徐々に解けてゆく
押し付けがましくなく
程よく空想の余地を残して展開し
閉じていくのがよい
Posted by ブクログ
梨木香歩さんの本を久しぶりに読んで、切なく、そして心が震えた。タイトルがすごくきいているのもいい。孫と祖母の話が交互に展開していく中、老いること、生きて死ぬこと、誰かにバトンを繋いでいくこと、そういった戦災な優しさの詰まった名作。
ツネがさわちゃんに託した天使が、コウコのところにやってきたこと、たとえ、本人に物が伝わらなくても、会えなくても、大切なものは時間をかけてやってくること、とても切ないけれどいいラストだった。
Posted by ブクログ
熱帯魚を飼う代わりにおばあちゃんの夜のトイレの介助をする事になってから起こる不思議な出来事
おばあちゃんが昔の事を思い出したり、エンゼルフィッシュが攻撃的になったり……
以下、公式のあらすじ
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コウコは、寝たきりに近いおばあちゃんの深夜のトイレ当番を引き受けることで熱帯魚を飼うのを許された。夜、水槽のある部屋で、おばあちゃんは不思議な反応を見せ、少女のような表情でコウコと話をするようになる。ある日、熱帯魚の水槽を見守る二人が目にしたものは――なぜ、こんなむごいことに。コウコの嘆きが、おばあちゃんの胸奥に眠る少女時代の切ない記憶を呼び起こす……。
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おばあちゃんの回想が旧仮名遣いなので、ところどころ読みにくい
でもまぁ、そんな仕掛けなので雰囲気はよく伝わってくる
こうこ、さわちゃんという名前の呼び方の一致
過去と現代の重なる部分
そして、
エンゼルフィッシュがネオンテトラを殺す残酷さ
昔読んだときの事は殆ど覚えてないんだよね
でも、何となく不思議な話だったのは覚えてた
ラストの展開は結構あっさりしている
ただ、単行本の方とはラストがちょっと違うらしい
文庫本の方が削除されている部分があるようで
普通は文庫化に際して加筆する事が多いんですけどね
単行本の方を読んでないので何とも言えないのだけれど
「語りすぎた」という事なのでしょうねぇ
読者に想像の余地を残したかったのかな?
Posted by ブクログ
子どもの頃に読んで、なんだかよくわからない難しい話という印象だけがありましたが、大人になってから読み返すと色々な感情が。
章ごとに時代が現代から過去、過去から現在へ移り変わり若かりしおばあちゃんとコウコ2人の目線で物語は進んでいきます。
章ごとでの主観人物の移り変わりやおばあちゃん視点の章の昔な文章の書き方、認知症?のおばあちゃんの介護や嫁の苦労など、なるほどこれは小学生の自分にはたしかに難しすぎたな、と納得でした。
当たり前だけどおばあちゃんにも若い娘さんの頃はあったんだよなぁ、と自分の祖母に思いを馳せ、コウコと覚醒したおばあちゃんとの解釈の違いに切なさを覚えつつ最期にあのような時間を過ごせたのは一生思い出に残るだろうな、と感じました。
Posted by ブクログ
目を背けたい現実を突きつけられているようでもありながら、優しさに包まれているような感覚もある不思議な物語だった。
私の家でもエンゼルフィッシュを飼育しているため(今は何代目だろう…)、彼らの凶暴性や残虐性を初めて見たときの悲しさや怒りのようなものを思い出し懐かしく感じた。
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コウコは、寝たきりに近いおばあちゃんの深夜のトイレ当番を引き受けることで熱帯魚を飼うのを許された。夜、水槽のある部屋で、おばあちゃんは不思議な反応を見せ、少女のような表情でコウコと話をするようになる。ある日、熱帯魚の水槽を見守る二人が目にしたものは――なぜ、こんなむごいことに。コウコの嘆きが、おばあちゃんの胸奥に眠る少女時代の切ない記憶を呼び起こす……。
Posted by ブクログ
あなたは、『エンゼルフィッシュ』を飼ったことがあるでしょうか?
私たち人間は人と人との繋がりの中で毎日を生きています。意見のぶつかり合いの一方で、お互いがお互いを思いやる瞬間も見る時間の中に、コミュニケーションあってこその暮らしの楽しさを感じもします。その一方で、自分の時間の中に人間以外の他の生物との時間を過ごしたいという欲求を持たれる方もいらっしゃると思います。ペットフード協会が公表している”飼育頭数調査(2021年)”によると、その数は犬が710万6千頭、猫が894万6千頭にものぼるようです。犬の方が多いと思っていた私には少しビックリな数でもありますが、犬や猫との時間を求める方が数多くいらっしゃることが確かに分かります。
一方で、マンション世帯など犬や猫を飼いたいと思っても自由に飼うことのできない方も多いと思います。そんな方が行き着く先、その一つが『熱帯魚』です。鳴くこともなく、散歩に連れて行く必要もなく、そして、隣近所の方に知られることもなく飼育できる生きもの。水槽という囲われた世界の中で全てが完結できる生きもの。『熱帯魚』が人気になる理由がよく分かります。
さて、ここにそんな『熱帯魚』の飼育を始めた一人の高校生が主人公となる物語があります。『ああ、きれいだ』、『蛍光灯の光の下で、ゆうゆうと泳ぐ二匹のエンゼルフィッシュと、キラキラ光る十匹のネオンテトラは、完璧な組み合せのように思えた』と、目の前の光景を見て、幸せな時間に浸るその高校生。そんな高校生は、祖母の介護、毎日深夜の『ばあちゃんのトイレ』を担当する中に、祖母との『不思議』な時間を過ごします。
この作品は、そんな高校生の日常と、『ばあちゃん』の若き日の姿が並行して描かれる物語。主人公が、飼育する『エンゼルフィッシュ』を見つめ続ける中に何かを感じとる物語。そしてそれは、祖母と高校生の二人が『ばあちゃん、気づいているんだ』という『不思議』な時間を共有する中に、人の魂が救われることの意味を感じる物語です。
『ねえ、きちんと世話をするから』、『自分でも意外に思うくらいの熱心さ』でママに頼みこむのは主人公のコウコ。そんなコウコに『熱帯魚って大変なのよ。もう旅行にも出かけられなくなるわ』と母親に返され、『別に熱帯魚がいなくたってもうできそうもないよ』と『居間の続き間をちらっと見』ると、そこには、『介護用のベッド』に横たわる祖母の姿がありました。『一年ほど前から床についたままになっ』た祖母は、『田舎の家で伯父さんたち』と暮らしていましたが、『突然伯父さんたちの一家が仕事で揃ってアメリカへ行く』ことになり一緒に暮らすことになった今。しかし、『ばあちゃんは自分の息子を』、『自分の孫を忘れて』しまっていました。一方で、『ママのことだけはママと呼ぶ。世話をしてくれる人、という意識があるのだろうか』と思うコウコ。そんな祖母の寝顔を見て『おばあちゃんは天使みたいだ』と母親はつぶやきます。そんなコウコの家は『もともと、ばあちゃんが小さい頃から住んでいた戦前からの建物』であり、『ばあちゃんは結局生まれ育った自分の町の家に帰ってきた』ことになります。
場面は変わり、『今日は、ばばちやまが田舍から今年一番の新茶をもつていらつしやる日』という中、『準備で大わらは』のツネを見て『なんだか大晦日みたい』と思うのはさわこ(祖母の若き日)。『私は人をおもてなしするのが大好きだ。それが大好きなばばちゃまだつたらなほのこと』と思うコウコは、『七時半にいつも通るしじみ賣りの聲に、慌てて家をあとにし』ました。
場面は戻り、コーヒーを『日に三十杯はゆうに飲む』というコウコは、『カフェインに「やられている」』と自身のことを思います。そして、『やっぱり、熱帯魚だ。私には神経を落ち着かせる何かが必要だ』というコウコは、夜中に目覚め『まだ二時半だ』と思います。そんな中、『廊下の電燈がつ』き、『ばあちゃんとママ』が現れました。『これからトイレなの』と言う母親に『毎晩、今ごろ?大変だねえ、ママ』と返したコウコは『私、やってあげるよ。明日から。ママ』と母親の代わりに祖母のトイレの担当をすることを申し出ました。そんな申し出に黙ってしまった母親でしたが、しばらくして『ありがとう。コウコ。じゃあ、明日からお願いするわね』とトイレの方から声がするとともに『次の日、熱帯魚飼育の許可が降り』ました。そして『熱帯魚』の飼育を始めたコウコ。一方で若き日の祖母・さわこの姿が描かれる物語。この二つの時代の物語が並行して描かれていく中に、それらが絶妙に一つの世界観を織り成していく物語が始まりました。
“私、コウコと、ばあちゃん、さわちゃん。トイレへ行く他はほとんど寝たきりの少し呆けた祖母の心にあるものは…。現在と、祖母の若い日の物語が1章ごとに交代で同時進行する”と内容紹介に端的に説明される13の章からなるこの作品。『補修や宿題の多さで有名な進学校』に通う主人公のコウコの物語が奇数章に、『ミッション系の』『女學校』に通うもう一人の主人公のさわこ(祖母の若き日)の物語が偶数章に交互に描かれていきます。作品自体は文庫本156ページとあっという間に読み終える分量ですが、あっさり感はなく、短い中にとても深い物語が描かれていたという読後感が残るとても意味ありげな作品になっています。ただ、ページ数の少なさは下手なことを書くとすぐにネタバレに直結してしまうため、なかなかにレビューを書くのが難しい作品でもあります。では、まずは、この作品の特徴でもある二つの時代の表現を見てみたいと思います。
まず現代のコウコは、『壁に組み込まれた熱帯魚の水槽』を『インテリア雑誌で見た』ことがきっかけとなって『熱帯魚』の飼育を熱望しています。上記の通り、祖母の介護の手伝いをすることと引き換えに飼育を認められることになったコウコは『早速近所の熱帯魚の専門店』で、『水槽のセットと、底に敷く砂、水道水の中和剤などを買って』きます。『風呂場で丹念に砂を洗』い、一方で、『物置の隅に眠っていた』『かなりの年代もの』の『サイドテーブル』を取り出してきて居間にセットします。『サーモスタットとフィルターを通電させ』水の循環が始まった様を『生命の循環の始まりだ』と書く梨木さん。そして、いよいよ熱帯魚の登場、『エンゼルフィッシュ二匹と、ネオンテトラ十匹』を買ってきたコウコ。『最近、聖書に凝っている』というコウコは、『エンゼルフィッシュ』という名前に親しみも感じながら、出来上がった目の前の水槽の光景を『ああ、きれいだ』と思います。『ゆうゆうと泳ぐ二匹のエンゼルフィッシュと、キラキラ光る十匹のネオンテトラ』を、『完璧な組み合せ』だと満足感に包まれるコウコ。この展開は、『熱帯魚』を飼育したことのある方には飼育する側の心の動きがとてもよく分かると思います。極めて読みやすい文章の中に極めて前向きな主人公・コウコの気持ちが描かれていく奇数章の前半を読む限りは、これって梨木香歩さんの作品だよね…何を言いたいのかなあ、とシンプルな展開が故の不思議な感覚に包まれます。
一方で、過去の時代を描く さわこの物語は一癖二癖あります。何故なら、その文章は戦前の表記そのままにこんな風に表現されるからです。
『夏の陽射しの中で走り囘つて遊んだ後、喉が乾くと、土間に据ゑてある水瓶の水を柄杓ですくつて飮んだ』。
どこに違和感があるかお分かりになるでしょうか?一つには撥音が大文字で記されている点です。”すくって”ではなく『すくつて』。二つには漢字が旧字体で記されている点です。”走り回って”ではなく、『走り囘つて』。そして三つ目には、『土間に据ゑてある水瓶の水を柄杓ですくつて飮んだ』という今の世とは全く異なる昔の日本にあった光景の描写だということです。コウコが主人公となる奇数章は、いかにも今の時代、さわこが主人公となる偶数章には、説明の通り、これでもかと古き日本を印象付ける表記をもってこの両者の違いを際立たせながら物語は進んでいきます。そんな偶数章は、はっきり言って読みづらいです。しかし、『お勝手で際限なく增え續ける、あはびの殻で緣どつた、私の大事な花壇』、『はうじ茶でつくつた茶がゆは、鹽が效いてゐて、おいしかつた』、そして『町内を行く金魚賣りの聲が、氣だるげに響く』と描かれていく古き良き時代の日本の風景はとても味わい深さを感じさせてくれます。この表記あってこその味わいとも言える表現の数々。この作品、単行本と文庫では結末含め内容に差異があるようで、単行本ではさわこが主人公となる物語の表現もこのようになっておらず、印刷の色合いで違いを出させているようです。私は文庫本しか読んでいませんが、この味わいのある表現が登場しないとすると、単行本より文庫の方が良いのではないか?そんな風に感じました。
そんな今と過去の物語が並行して描かれていくこの作品。上記した通り、その関係性に踏み込んでいくとそのままネタバレになってしまうため、残念ながら踏み込むことはできませんが、ひとつだけポイントに触れておきたいと思います。それがコウコの物語に登場する『エンゼルフィッシュ』と、『ミッション系の』『女學校』に通っていた さわこが見る『大天使ミカエルさまは、それは御位の高い天使さまなのよ』と描かれていく物語の対比です。
『私が、悪かったねえって。おまえたちを、こんなふうに創ってしまって』
祖母の さわこが語る意味ありげな言葉を聞いて『新しい風が体内に吹き込んだようだ』と感じるコウコ。二つの全く異なる時代の物語が、時空を超えて見事な繋がりを見せる瞬間。点と点の結びつきが一本の線になって二つの時代を結びつけていく、結びついた線の上に一つのドラマが出来上がっていく、そして、その先に梨木さんがこの作品で伝えようとされることがふっと浮かび上がってきます。そこには、『創造主』という言葉が意味する深淵な世界へと読者の感覚を誘う物語が描かれていました。
わずか156ページの物語の中に深い読み味を感じさせるこの作品。『さわちゃんは、私の心に住む人のようなしゃべりかたをする。私はなんだか違う時間に入り込んだような気がしていた』というコウコと祖母の さわこの心が交わっていく様が描かれるこの作品。二つの時代の物語を見事に編み上げていく、梨木さんの構成力に圧倒されるこの作品。
「エンジェル」を三つ重ねる書名の、どこか軽やかさを感じさせる物語の中に、人がこの世に生まれ、生きて、そして死んでいく、そのことの意味を想起させもする深い深い読み味の作品でした。
Posted by ブクログ
孫の「こうこ」に古き思い出の公子さんを投影していたのだろうか。「こうちゃん」と呼びたかったことや翆川先生と山本さんの姉妹の関係が羨ましたかったこと。エンゼルさま(エンゼルフィシュ)が少女時代の後悔を抱くさわこへ僅かな時間をくれたのだと思う。
止められない嫉妬心・攻撃的な態度で人を傷付けてしまった過去。そういう黒い気持ちってずっと忘れられないものだよね。
それを、どうにもできなかったエンゼルだってかわいそうだよと、他ならぬ「こうちゃん」に許された。
きっと安心して旅立だっていけたのだろうな
Posted by ブクログ
「さわちゃん、もし、このモーター音がうるさかったら、水槽、私の部屋にもっていくけれど……」
私は、ゆっくりと、言葉を切りながら言った。ばあちゃんはちらりと私を見遣ると、やはりゆっくりと、
「でも、そうしたら、私、コウちゃんとこうしてお話し出来なくなるかもしれない。私、消えてしまうかもしれない」
と、視線をそらしながら言った。
「……コウちゃん、神様もそう呟くことがおありだろうか」
「え?」
「神様が、そう言ってくれたら、どんなにいいだろう」
「え?」
「私が、悪かったねえって。おまえたちを、こんなふうに創ってしまってって」
Posted by ブクログ
コウコが熱帯魚を飼った現在と
おばあちゃんが少女だったころの過去の記憶が
交互に描かれ、巧妙にリンクする
短いけど深く重い作品。
読み進めるたび強くなる不穏な香りに
導かれるように一気読み。
透明で上品で精巧で、ほの暗く切なく苦しい。
特に少女のさわちゃんが
自分は暗い世界に行ってしまったんだと、
もう明るい世界には戻れないんだと
絶望する描写は心を抉った。
天使が、熱帯魚が、神様が、カフェインが、お茶の木が、聖書が、シュークリームが、木彫りが……
些細な描写が重要な意味を持って、
この作品の世界を形作っている。
細部まで意思がこもっていて、
一瞬たりとも気が抜けない。
(しかもこの事実は、その描写を通り過ぎて
読み進めないと気づかない!)
梨木先生さすがです、としか言いようがない。
“私が、悪かったねぇって。
おまえたちを、こんなふうに創ってしまってって”
自分の中に巣食う悪魔と、
それを自分が、他者がどう思うにせよ、
多分、結局は一緒に生きてかなきゃいけないんだ。
理性の及ばない、どうしようもない何かを抱えて、
存在を認めて、飼い慣らして。
ばばちやまみたいに上手に、
あるいはツネみたいになるたけ優しく
生きていきたいものだなぁ。
少なくとも悪魔の所業には
さわちゃんみたいに、心を痛める自分でありたい。
Posted by ブクログ
すぐに読み終わるけど、ページ数に不釣り合いな重さ。
梨木さんの書く話はいつもそう。
穏やかさの中に黒々とした不気味さがある。人間の嫌な部分に輪郭を持たせて、読者に訴えかける。
びっくりするような思いがけないグロ描写(私がグロだと思っているだけかもしれない)もあったりする。
だから無意識に、命にフォーカスした読み方をするようになる。
そして考える。梨木さんの作品はいつも、考えさせる。好きだ〜!!そんな梨木さんの作品が好きだ〜〜!!!
Posted by ブクログ
おばあちゃんと娘の二つの話がスイッチする。おばあちゃんの時はやや文が読みづらいがそれもまた良し。熱帯魚を飼いたくなるような、躊躇うような。聴こえないのに水の音がしてくるそんな心地よい小説。
Posted by ブクログ
とても短い本なのに、質がいいってこういう本のことなのかな。二つの物語のスイッチ、入れ替わる時の滑らかさが、とても素敵。若さゆえの傲慢さとか、やるせなさとか、切なさとか、後悔とか…
Posted by ブクログ
おばあちゃんと孫の対話
入れ子になっている物語を読み進めていくと段々と全体が見えてくるミステリーのような不思議な話だった
曖昧に夢現を行き来するような、常世と彼の世が行き来するような…。
ずっと罪の意識があったり、切ない。
おばあちゃんは最後に救われたよね
Posted by ブクログ
この物語から何を受け取ったらいいだろうか?
読みながら、なにかしらの意味や意図を探していたのですが、途中からなんだか読むのが謎の心地良さがあって物語を漂っていたら終わってしまいました。
御伽噺のようで、ちょっと怖いような、でも根底にはあたたかいような…。そしてちょっと懐かしいやうな。あの世とこの世、とかスピリチュアルなことは思いませんでしたがふと自分の先祖の存在を考えました。
Posted by ブクログ
おばあちゃんの深夜のトイレの手助けをすることを約束に、熱帯魚を飼うことを許されたコウコ。それ以来、夜中に覚醒するおばあちゃんと、水槽の中の悲劇。おばあちゃんの少女時代と聖書とコウコと熱帯魚の話。
「神様は悪魔のこと、かわいそうだなんて思ったのかな」
「創った私が悪かった、なんて呟いたんだろうか」
この2つの言葉に何となく癒された。
神様にも人格があるのだと考えると、世の中失敗してもまだ終わりじゃないって思えるような気がする。
Posted by ブクログ
読みやすかった
寝たきりの天使みたいなおばあちゃんと孫のコウコと熱帯魚
深夜のトイレを手伝うときだけ覚醒しておばあちゃんが昔の頃のように話す
おばあちゃんの少女時代のストーリーとおばあちゃんとコウコのストーリーが交互に進んでく
Posted by ブクログ
誰の心の中にもいる天使と悪魔、この世界を神様が作ったのなら、どうして悪魔が必要だったのだろう…
最期にサワちゃんはコウちゃんに「ごめんね…」と言えて救われたのだろうか…
Posted by ブクログ
なんと言い表せばいいかわからないけど、不思議な本だった。カフェイン中毒の女子学生のコウコ、認知症が始まったコウコのおばあちゃんのさわちゃん、2人の目線のお話が交互に書かれている。
カフェイン中毒を治すために熱帯魚を飼い始めたコウコと、その熱帯魚を見ると饒舌になり活動的になるさわちゃん。熱帯魚がさわちゃんの何を動かしていたのか。
お母さんがいう、「おばあちゃんは天使みたいだ」は場面によって違う意味を持つのだと思った。
Posted by ブクログ
梨木香歩がこちらに少し分けて見せてくれる世界は、谷山浩子のいる世界と繋がっているような気がする。
表現の方向性は違うけど、草間彌生とも少し。
少女趣味で、メルヘンで、グロテスクで、甘く苦く、毒で薬で、ミステリアスというより不気味で、なのに美しくて優しくて、いつまでもここで道草食いたくなる。
どんな物語もこちらの核心を無遠慮にふんわりとこじ開けようとしてくる。
ファンタジックなくせに、汗ばんだ肌のようなリアルに生々しい質感と湿度を持っている。
暗闇を理解している人だけが表せる光があるのだと感じる。