あらすじ
亡き友の家を守る物書き、綿貫征四郎。姿を消した忠犬ゴローを探すため、鈴鹿の山中へ旅に出た彼は、道道で印象深い邂逅を経験する。河童の少年。秋の花実。異郷から来た老女。天狗。お産で命を落とした若妻。荘厳な滝。赤竜の化身。宿を営むイワナの夫婦。人間と精たちとがともに暮らす清澄な山で、果たして再びゴローに会えるのか。『家守綺譚』の主人公による、ささやかで豊饒な冒険譚。
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Posted by ブクログ
『家守綺譚』続編。
姉妹編の『村田エフェンディ滞土録』から思いがけずはじまった梨木香歩一気読みターン、最高の夏休みでした。
今作の綿貫くんはゴローを探して旅をします。
旅の過程でもやっぱりたくさん不思議なことに出会うんだけど、それをすんなり受け入れて進んでいく綿貫、本当に良い奴で気持ちが良い。
ゴローに出会えたのかどうか、ぜひ読んで確かめてほしい。
赤竜とサラマンドラの話が知りたい方は絶対『村田〜』のほうも読むべき。あーあ、もっと読みたかったな。続き、出ないかな。
Posted by ブクログ
「家守綺譚」の続編。
前作よりも現代的な文体になっていて、前作の語り口が好きだった私としてはちょっぴり寂しい気もしましたが、前作同様「あるものをあるがままに受け入れる」という梨木氏の哲学が貫かれている。
「そのときどき、生きる形状が変わっていくのは仕方がないこと。(中略)人は与えられた条件のなかで、自分の生を実現していくしかない。」
こちらも見事な一作でした。続きを読みたい気もするのですが、この作品で終わりのようですね。名残惜しいです。
Posted by ブクログ
大好きな家守綺譚の続編。相変わらず読んでいてずっとこの世界にいたい読み終わりたくないという気持ちになる。
明治時代が舞台のこの作品、ファンタジックとか幻想的という感じではなく、解説にもあったが科学的ではない出来事があくまで普通の世界として淡々と語られていくところが不思議と心地良い。これを読むと科学の常識で縛られた世界って安心するようで窮屈で居心地が悪かったんだなと思えてくる。
綿貫、高堂、南川、犬のゴロー、河童の少年、、、
綿貫と友人たちの会話がなんとも好き。みんなそれぞれいいキャラ。淡々とした中にそこはかとなく漂う綿貫の高堂へのなんとも言えない感情が良い。ゴローは相変わらず素晴らしい犬でたまにしか出てこないのに愛おしいし、河童の少年はすごい達観しててじわじわくる。生き物たちがその辺の人間よりしっかりしてるのが面白い。
マツムシソウの話も、主人公が戦国時代の武将に思いを馳せる滝の話もしみじみと良い。
これから何度読んでも楽しめる作品だと思った。
家族中に家守綺譚も含めて勧めまくっているけどまだ誰も読んでくれない。。。
私の中ではこれ読まないなんて人生損してると言っても過言ではないほど大好きな世界
ゴローみたいな犬飼いたい
他の方の感想を見ていたら、主人公が旅しいつの日か水の底に沈むことになると作中で言われたこの物語の舞台が今はダムになっていると知って、前作よりメッセージ性を強く感じたのは現実とリンクしているストーリーだったからなのだと衝撃でもあり切なくもあるし改めて尊い作品だと思った
梨木香歩さんの文章と世界観、ユーモアのセンスは本当に素晴らしくて読み進めるたびに感銘を受ける。何をとっても抜かりがない作品
アニメで例えるなら夏目友人帳よりも静かで雰囲気があり蟲師っぽくもあるけどあの作品みたいな暗さとか悲しみみたいのはない。
好きすぎて長くてまったく纏まりのない感想になった
Posted by ブクログ
人それぞれ、見えているものや見えている景色が違うのは当然のことなんだけど、それを改めて実感する。そういう作品だと感じました。
どこか不思議な感覚になりました。
Posted by ブクログ
物書きの綿貫は非日常的な日常を過ごす中、いなくなった犬のゴローを探すため鈴鹿に向かう。
ひたすらどんどん歩いていく少し昔の旅。愛知川に沿った旅なので河童やイワナの夫婦など水辺の不思議な生き物との邂逅が多い。
高堂もくせつよ(今回出番があまりない)だけど今回はさらにくせつよつよの友人・南川が印象に残る。個人的におかみさんの出番が少なかったのがちょっと寂しい。
ゆったりした世界観を存分に味わいました。続編が出たら嬉しい。
永源寺から車で20分ぐらいのところにコストコができてGoogleマップで見ると道路が綺麗になってますね。でも田んぼも多くてこれ以上開発されるってこともなさそうな気がするし今の状態でさらに月日が流れていくのかなぁ。
Posted by ブクログ
家守綺譚の主人公が犬を探しに旅に出る。
怪異といえばそうだけどもっと優しい不思議な話。
各話タイトルの植物も知らないものが多い。
ゴローが尻尾振って駆けてくるだけで目頭が熱くなる(多分満面の笑み
Posted by ブクログ
この物語の中にいつまでも浸っていたくて、毎日少しづつ時間をかけて読み進めた。
知らない植物や言葉が出てきたら都度調べながらゆっくりと。
昨日の続きから読み始めようと思って、本を開くが、昨日読んでいた物語の内容がパッと思い浮かばない。
少し戻って話を思い出してから読み進める。
面白くなくて話を忘れているのではなく、現実とそうでない世界との境界線が曖昧で物語に入るのに少し時間がかかるのだ。
最後、ゴローが此方に向かってくる時の文章が、自分の目が綿貫の目になったかのように、ありありと思いうかび思わず涙してしまった。
家守奇譚と冬虫夏草はこれから先、何度も読み返す作品だと思う。
Posted by ブクログ
前作『家守綺譚』を読んでからというもの、すっかりこの世界観の虜になってしまった。あっという間に読み終わってしまい、さみしい気持ちで本屋の梨木香歩のコーナーをふらふらと見ていたら、この『冬虫夏草』が続編だということが判明したので、嬉々として手に入れて読んだ。やっぱり好きだなあ。ふらっと現れる高堂と主人公綿貫の、さっぱりした友情がとてもいい。題名である、冬虫夏草は、作品を通して非常に重要なものだと思う。各章タイトルが植物の名前なのもやっぱりすごくいいな。また読み返したい。
Posted by ブクログ
『家守綺譚』を読み終えてから、だいぶ経ってしまった。
それでも、この世界観にホッとする。
何も起きないのだが…いや、起こるは起こるのだが、季節や動植物の精霊に関してはまるで起きて当たり前のような語り口。(前作も同様)
たとえば狸が化けて法話を行ったり。
ムジナが毘沙門祭りに現れたり。
イワナの夫婦が宿屋を営んでいたり。
それだけでなく、神々も妖怪も姿を表す。
赤竜、天狗、河童…。
主人公である綿貫征四郎が記した随筆のような作りだが、すんなりと世界観に浸るには、まず『家守綺譚』を読んでからの方が良い。
その『家守綺譚』同様、各章が植物の名前になっている。
私なんぞは、もうこの時点でときめいている。
風情のある情景に、ちょっぴり笑いを忍ばせた、少し不思議なお話の数々。
「梔子」
昔、八重咲きの梔子を育てていた。
花付きが良い、いい子だった。
まったりと甘くて、それでいてまた嗅ぎたくなる、うっとりする香りだ。
大好きすぎて一時期ガーデニアというパフュームを愛用していたが、国内販売が期間限定だった為に纏め買いしたのを使いきってしまった。
本作では、綿貫が和尚と話をしていると、ふいに梔子の花の香りが流れてくる。
風向きの変化とかではなく、
「そうか、今、このたった今がこの匂い始めの先駆けであったのか、と少し気分が明るくなる」
との綿貫の考え方が素敵だなぁと、私の気分も少し明るくなった。
「ヤマユリ」
ヤマユリの章にモリアオガエルの文字を見つける。
またも私の思い出話だが、高校の生物の先生が変わった先生だった。
モリアオガエルの研究をされていて、いい感じの雨が降った翌日の授業は自習だった。
先生が、モリアオガエルを捕まえに行ってしまうからだ。
果物からビールを作ったこともある。
出来上がりの日、
「量が減っている子はごめんね、私が少し飲みました」
それよりも今思えば、高校生の歳で、しかも校舎内でビールなんて、良かったんだろうか。。。
もう何年も前、ある日、テレビに先生が出演されていた。
………!!
先生は二ノ宮くん(嵐)の体に透明のチューブをグルグル巻いて、ウミホタルを放った海水を流して光らせていた 笑笑
先生、前からそんなことしてたもんなぁ 笑
さて、本編はというと。
分かるけど、ちょっぴり気味の悪い話だった。
ただ、
「それに斯くも清らかな月光を総身に浴びつつ空中を落下する、その一瞬が一生のすべて」
に、ストップモーションのような、生命の神秘を感じた。
『家守綺譚』のレビューでも書かせていただいたが、本書は植物がお好きな方であれば一層楽しめる。
たとえば、
「この辺りの生垣の、山茶花の列には、一本二本は必ずよく似た茶の木が交じっているものであって、花が咲いて初めてそれと気づくのである」。
山茶花とお茶はどちらもツバキ科の植物で、葉はよく似ている。
これは「茶の木」の章でのお話。
また、続く「柿」では、
鯖街道や秋の日の入りの早さなどに触れており趣深い。
竜田姫も、その一つ。
竜田姫は奈良県生駒郡に祀られている秋の女神。
(ちなみに春の女神は奈良市に祀られている佐保姫)
高堂が急にやってきて、
「秋が疲れているのだ。家の垣根の隅で、野菊の弱弱しく打ちしおれているのに気づいていないか。」
「龍田姫が日枝においでになったまま、なかなか動かれない。…………紅葉が終わらぬ。」
「吉野にお渡り願わねばならん。何か、里心を誘うものを献上して。」
という。
綿貫のもとには、おかみさんから頂いた鯖ずしが。
明日が食べ頃だと言われ楽しみにしていたというのに、"里心を誘うもの"として半分取られてしまう 笑
竜田姫が紅葉を織ると言われている。
そして野菊も秋の季語となっている通り、秋が見頃だ。
季節は、訪れては通りすぎてゆくもの。
そうでなければならない。
竜田姫が吉野へ渡らないと、野菊のシーズンも終わらず、紅葉も一向に終らない。
雨ばかりでは野菊も花を咲かさずに根腐れてしまう。
こういった伝説の神や物怪が当たり前に登場するところに、この物語の良さがある。
季節の移り変わりを、その時期の野草になぞらえて語られるところも。
そしてこの高堂の登場シーン。
綿貫は火鉢の向こうに誰か居るのに気付き声を上げそうになるが、
「高堂だとわかり、胸をなでおろす。」
「ーおどかすな。来たら声をかけろ。」
いやいや…。
そもそも高堂は亡くなっており、毎回掛け軸から出てくるのだから驚くならそちらと思うが 笑
今回の大きな事件といえば、綿貫の愛犬ゴローが行方知れずとなる。
綿貫はゴローを探して蛭谷を目指す。
本作は、ゴローを探す旅行記のような感じだ。
途中、「節黒仙翁」という章がある。
『家守綺譚』のレビューでも述べたが、しつこく述べたい。
お時間がある方は、知らない植物の名が登場したら、是非、画像検索していただきたい。
作品の空気を感じとることができるからだ。
私は"節黒仙翁"を見たことがなかったので検索。
節黒の由縁であるという、黒い節の画像も見ることができた。
槻の木も同様に。
「椿」の章で綿貫と中居が、"タニシ"だ"たのし"だとのやり取りがあるが、直ぐ次の章で回収される。
なんともいじらしい。
「キキョウ」は切ない話だが、続く「マツムシソウ」で救われる思いだった。
綿貫はきっと、少女時代の松子さんと出会ったのだ。
いつまでも松子さんの中に、少女の松子さんは生き続ける。
マツムシソウは私も2色育てていた。
よく目にするのはピンク色だが、赤花マツムシソウもあるのだ。
ちなみに松子さんが言う"スガレ"とはクロスズメバチのことのようだ。
伊那谷では食用とされるらしい。
私が好きな場面は「杉」の章、お爺さんお婆さんが蕎麦を打って待っていてくれたシーン。
勧められた滝を見て帰ってきた綿貫に、お爺さんが"喜色満面で手招き"、
「ーどないどした、識盧の滝。」
「先生気に入らはるやろなあ、思たんどすわ。思たとおりや。」
などと声を掛けてくれる。
そこにお婆さんもやってきて、"どないどした、いやよかったです、を繰り返し"…という場面。
お爺さんというのだから蕎麦を打つのは大変だろうに。
急にやってきた他人である綿貫を、もてなそうという温かい心。
方言も耳(目だけど)に優しくてほのぼのする。
ゴローはなかなか見つからない。
それどころか、今は神に仕える身の高堂から、これまで歩いてきた村々が、将来水底に沈むかもしれぬと聞かされる綿貫。
手打ち蕎麦を振る舞ってくれたお爺さんやお婆さんも、蒟蒻屋の母君である松子さんも…。
綿貫と共に読者である私も、言い表せぬ気持ちになった。
高堂は言う。
「しかるべき順行というものがあっても、それがそうなるようにもっていくのは骨が折れる仕事なのだ。衰えていくものは無理なく衰えていかせねばならぬ。」
そうか、作者の梨木さんが村々の魅力的な人々を何場面も重ねてきたのは、読者にこの気持ちを味合わせるためだったか。。。
さて、ゴローは見つかるのか。
ラストシーン、短く句点を打った文章に綿貫の逸る気持ちが伝わる。
季節ごとの野草、自然、近畿の神々、そこに住まう人々…本作の空気を吸い込んで、リフレッシュできた気がする。
☆君ケ畑・・・滋賀県の君ケ畑集落。こけしなどの木工品を作る職人発祥の地。
☆木地師・・・木工品を作る職人。
☆杣人・・・林業従事者。きこり。
☆「あかねさす 紫野行き標野行き…………」・・・万葉集にある額田王が詠んだとされる和歌
☆あめのう・・・雨の魚、サケ科の淡水魚。琵琶鱒。あめのうのご飯は滋賀県の郷土料理らしい。
☆瀟洒・・・すっきりとあかぬけている様。
Posted by ブクログ
続編があるとは知らず…見つけた時は小躍りした(笑)ゴローの出演回数が少なかったのが残念だが、最後は感動して涙が出そうになった。ゴロー、ちゃんと愛されてる…ダアリヤにももっと出てほしかった。
Posted by ブクログ
「家守綺譚」シリーズの2作目。前作では主人公綿貫の住む「家」が中心のお話だったが、本作では旅先での出来事が描かれる。
愛犬ゴローと「イワナの宿」を探して、愛知川を上っていく歩き旅である。途中で出会う人々とその生活、自然、そして妖怪の類。前作にも増して不思議なことだらけだが、綿貫も地元の人も、さして不思議とも思っていない様子。そのおおらかさが心地よい。
雰囲気が似ているのか、脳内にジブリ映画の映像が浮かぶことも多々あった(「千と千尋の神隠し」「平成狸合戦ぽんぽこ」「崖の上のポニョ」あたり)。
本書の解説には「終わることなく読んでいたい」とあるが、同感である。前作からしてそうであったのだが、今回も、ゆっくりと味わいながら読んだ。
旅先は愛知川の永源寺あたりらしい。読み終えたら、旅先を地図で探してみるのもよいと思う。高堂の謎の言葉が何を意味しているのか、少しは想像できるかもしれない。
Posted by ブクログ
前作の家守綺譚に続き、どこか現実で無いような、でも何処かに確かに有りそうな世界の物語。ゆったりと世界に浸って、いつまでも読んでいたくなるような感覚は、この著者の世界を見る目と、言葉の選び方から来るのだろう。
美しい日本語、というのはあまり好きでは無い言い方なのだが、この小説に出てくる言葉達は、確かに美しい。亡くなる、を、はかなくならはる、と言う。秋が長引くことを、秋が老いた、と言う。ほんの少し前まで、持っていた感覚を呼び覚ましてくれるような言葉遣いが、実に心地よい。
特に好きなエピソードは、キキョウとマツムシソウ。初めて読んだ時はよく繋がりが分からなかったが、再読して、何と美しい話だろうと思った。故郷を離れた山奥に強制的に嫁がされた孤独な老女の魂が、時を越えて主人公の優しさに救われたのだと思う。「おなつかしい」の一言には、どれ程の思いが込められていたことか。
あとは、杉のエピソード。追われた虫もかわいそうでっしゃろ、と言う言葉が、どこまでも優しく、美しい。イワナの話もそうなのだが、生まれは選べない以上、今いる場所で精一杯生きていく、周りはそれを支え、受け入れてあげれば良い、と言う姿勢は、(情けない話だが)昨今からするとひどく貴重なものに思える。このあたり、理解は出来なくても、受け入れることは出来る、と言う、「春になったら苺を摘みに」にある精神にも通じるように感じる。
ゴローが見つかるようでみつからず、このままずっと旅が続いて行くのか、と思わせられていたら、最後で急にゴローの姿を認める展開は、最初読んだときは唐突な感もあったが、何度も読むとこれで良いのだと思える。ついゴローの手がかりが徐々に見つかり、ややもすると竜の洞の冒険を経てゴローと感動の再開をするような展開を想像するが、それは結局、こちらの独りよがりと言うものかもしれない。ゴロー失踪の理由、河桁のこと、竜の洞のことが分からなくても、それはそれで良い。わからないものがある、と言う事も、たまには受け入れるべきなのかも知れない。分かるべき事なら、いつかは自然と紐解かれることもあろう。名を付け、理解しないと気が済まない、というのは、時には悪癖ともなり得る。結局、「手に負えぬ煩いは放っておけ」というのも、また大事なのではなかろうか。
Posted by ブクログ
「家守奇譚」の続編。
ページを開くと、相変わらずゆったりとした空気が流れていて、心が落ち着く。
愛犬ゴローが失踪し、友人である菌類の研究者の南川に教えられ、綿貫は鈴鹿を探索することに。
生駒、鈴鹿、若狭、敦賀など馴染みのある地名が出てきて、想像をかき立てられる。
広々とのどかな風景や、山里の人々の生活が、とても興味深く描かれていて、綿貫が旅の途中で出会う人たちも皆いい人ばかりである。
およそ百年前の人々は、ほんとうに天狗や河童と共生していたのだろうか。
イワナの夫婦がやっているという宿にたどり着けるのだろうか。
はたしてゴローには会えるのか。
まるで山の中にまで竜宮があるかのような、夢のような冒険譚。
ふと気がつけば、脚絆に、ぼろぼろの足袋、泥にまみれた草鞋という綿貫の姿に感動しながら、いつまでもこの物語を読んでいたいと思う。
Posted by ブクログ
「家守奇譚」の続編。
今回は、ゴローを探す旅の物語。
個人的には、
身の回りの生活に「あるかもしれない」と思える
風流が豊かに描かれた前編の方が好みだったかな。
とはいっても、
本編は、一冊の中での伏線回収が素晴らしく、
期待を裏切らず面白かった!
Posted by ブクログ
浮世のゴロー探し散歩。
ゴローよ、おまえ
忠犬だったのか。
ま〜っっっっっっっっっっっったく気づかなくて
ゴメンなーーーーーー!!!!
忠犬というか、賢いとか利口な感じ。
浮世系かわいいワンコ、ラストの描写が尊いなっ、と。
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ゆっくりと読めてよかった
世界観が非常に良い
私もこんな世界でのびのびと生活したいなぁ
でも最後の方は飛ばし飛ばし読んで終わってしまったから、また再読したい
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「家守綺譚」の続編になるんかな?
とりあえず、主人公は同じ。
このゆっくりと流れる空間というか…ええ感じ。
主人公の家がね。
前にも書いたけど、安倍晴明の家みたいな感じ。特に庭が自然のままな感じが。
自然との一体感が良い!
まぁ、京都の疏水近辺が家なんで、ご近所といえばそうかも?
ぽっかりと空いた異空間に入り込んでって感じやなく、自身が見えてなかった隣りにいる精霊たちが見えるような独特な世界観が良いね。
今回は、ワンちゃん探し(愛犬ゴロー)が目的の旅へ!
鈴鹿の辺になるんかな。
そこにも、天狗、河童、イワナが、人と共に暮らしてる。
こんな世界に老後暮らすのええかも?
色んな精霊たちと会いながら、ゴローを探す!
あっ!
尻尾振って必死に走って、近づいて来る(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
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『家守綺譚』の続編。
前作同様、何事も分け隔てなく受け入れる征四郎の有り様が気持ちいい。
最後、頭に情景が浮かんで、霧が晴れたようなすごく晴れやかな気持ちになった。
ゴローの冒険譚もなかなかだったに違いない。
征四郎とゴローの帰路はどんなだったろうか。
前作『家守綺譚』を読んで祖父母の家を思い出したが、今回、鈴鹿山脈が出てきたことで、そう遠くない地方だったんだなと改めて気がついた。
また読もう。
Posted by ブクログ
家守奇譚に次ぐ作品。西魔女と比べると、文体が慣れない。相変わらず不思議な話で、頭のイメージが追いつかない。いつの間にかゴロー探しの話になる印象。この2作品を読みながら、日常生活からの離脱を味わう。
Posted by ブクログ
作品的には前作のほうがよかったけれども
こちらも負けず劣らずに不思議な雰囲気を
醸し出しています。
今回も不思議なものたちに出会います。
河童にも出会いますし、
死が近づいているものにも出会います。
そしてこの世の者でないものも…
綿貫はどうも優しすぎるんですよ。
死んでしまった人をついてこさせるとは
まあ罪深い…
Posted by ブクログ
名作「家守奇譚」の続編。
「家守奇譚」が、あの世界で暮らす綿貫征四郎の日常的エッセイだったのに反し、今作の「冬虫夏草」には一貫した目的があります。
ゴローを探せ!
綿貫征四郎は姿を見せなくなった犬のゴローを探しに、鈴鹿の山中を駆け巡ります。
いや、半分は旅行気分、物見遊山といった体ですが。
途中途中で村人たちとの交流あり、もちろん人以外のものたちとの交流もあり。
キキョウとマツムシソウの話が良かったな。
ラストも良い!
ああ、続きが読みたいなぁ。
Posted by ブクログ
綿貫、旅に出る。ゴローを探すために鈴鹿の山中へ足を運ぶ。そこはそれ、うかつな綿貫故の不思議な出会いの数々。人なのか、人ならざるものなのか。夢か現か。そして、やっぱりうかつな綿貫が騒動の原因の一因である。ゴローが鈴鹿の山中を走り回っているのは、綿貫のせいなのか、ゴローの生まれ持った責任感か。神出鬼没の高堂のぶっきらぼうな一言が、厳しくも優しくも聞こえる。旅をすることは自分と向き合うことでもあり、知見を広めることであり、己の無知を自覚することでもある。どこへ行こうとも綿貫は綿貫なのがよい。
Posted by ブクログ
ゴロー!!!!居なくなってしまうとは悲しすぎる!ゴローを探しつつ、イワナの夫婦が営む宿を目出して旅に出る主人公。出会う人々や景色など、家を飛び出しても不思議な世界観はそのまま。主人公の見えている世界は、まるで子供の頃見た無限に広がるキラキラした世界の様である。
Posted by ブクログ
なんか良かったなあ。言葉にしづらい良さ。
軽快で、安心して楽しめる。
ものすごくイメージしやすい文章の中に、時折不思議な生き物(?)たちがさも当たり前のように登場して少し混乱する、そんなのも全部楽しかった。
どうやら前作があるようで、それも読んでみたいな。
Posted by ブクログ
初読。松子さんの話がよかった。綿貫から教えられた想像力という概念が、彼女の助けになったのだろうか。綿貫とのあの一時をずっと大切に覚えていた松子さんにとってあれは救いだったんだろうね。
あと、村田がトルコに行ってたのが自分が思ってたより長い期間だってことがこの本を読んでわかった。