村上春樹のレビュー一覧
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フランス映画のような作品。
物語の展開よりもノスタルジックな雰囲気を楽しむもの。個人的にちょうど全てに意味と効率を求められるような現代に疲れていたので、明確なメッセージを押し付けられない作品には心地よかった。責任に縛られず掴みどころなく漂うのも若物の特権かもしれない。
直接関係はないが、今とは違う時代背景にも思いを馳せた。便利すぎず思考する時間のある学生は今より随分と大人びているし、現代の方が社会的な自由度を得ているはずの女性が、この時代の方が自立しているように感じる。これはおそらく小説の中の話だけでは無いはず。
村上春樹のデビュー作と知らずに急いで手に取った一冊。何度か挫折して敬遠していた村上春樹デビューとなった。 -
Posted by ブクログ
【2026年101冊目】
小説家、村上春樹が紡ぐ他人から聞いた話や自分の話。半ズボンが理由で離婚した両親を持つ女性、謎の電話と嘔吐に悩まされ続けた男、バカンス先で出会った車椅子の親子との話などなど、ちょっぴり不思議な話が詰まった短編集。
短編集なので、ふとした瞬間にページをめくってゆっくりと読みました。小説家でいることで、他人が話をしてきたがるそうで、他人の話を聞くのが苦ではない作者が蒐集した話が詰まっている、かと思いきや、作者自身が体験した話も入っています。あと、「珍しくセックスに纏わる話出てこないな〜」と思っていたら、途中からがっつり出てきて「やっぱりな」と思いました笑
ジャンルの異なる話が詰まってて面白かったです。村上春樹入門としてもいいかもしれません。 -
Posted by ブクログ
雨が降る日。雨音は思考をそこに止める。雨粒は何事をも停滞させてしまう。仕方がない。
今日は何もしたくないなと思って本を読んだ。以前のようには、ままならない思いとか、べつに気取っているわけではないけれど、ページをめくる指先ひとつを見てみても、そこに介在する意識、無意識の狭間のような、掴みどころのない感じ。わかりやすい感情とか、伝わりやすい思いとか、ときに面倒で、重くてしようがない。
“初恋”の、記憶をこえた“幻影”だなんて都合がよくて、それを自覚しているから悩みは尽きないだなんて。たとえば混雑する駅の構内や、波のように人々が行き交う横断歩道とか、よくも誰とも衝突せずに皆は器用にやり過ごすものだと、ぼくなんか、半ば呆れているけれど、想いの強さや深刻さ、まるで“幻影”を目の当たりにしているみたいな気分がするし、それらの“衝突”を避けるべく、あるいは、それが“幻影”なら、あえて衝突させてみたり。人混みでの“やり過ごしかた”と似ているような気もするし。きっと、皆は上手くやり過ごせてる、やり過ごさざるを得ない、ということかもしれません。
「最後の恋と決めた。それを初恋と呼ぶ」
adieuは『ダリア』という曲で、そう歌う。
幾度か重ねた末の“最後の恋”が“初恋”だなんて。そう。きっと、めぐりめぐった恋だからこそ“初恋”だったと気づくんだ。
初めての恋を大切にしまい込む。そんな気持ちは理解できるけれど、思い出したくない“初恋”があり得ることだって、同じく理解できる。それが“恋”だと自覚がなくても、最後を意識したことで、想うことができる“初恋”だって、きっとあると信じたい。
それだけに“初恋”って深くて、重いもの、なのかな。執着せざるを得ないほど手離せないものなのかな。ぼく自身なら、どうだろう。覚えているかな、初恋なんて。無自覚のまま忘れてしまったものか、それとも忘れようとして、うまい具合に忘れたものか。どちらにしても、さて、ぼくは覚えていないのです。
後々振り返り、あれを“初恋”にしておこう、そんな“初恋”の記憶もあったような、なかったような。忘れてしまったのなら、それはそれでつまらないものですね。
兎にも角にも男性の、“その”時点での“振り返り”。そう。そこで振り返ってしまうから、男性ってダメなのよね。女性は、さっぱりとケリをつけてしまうのに。
結局、いまの場所から動けない、踏ん切りがつかない。いわゆる男性の“業”ということなのでしょうか。こんな“オチ”でいいのかな。 -
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村上春樹のデビュー作、
短そうだったので軽い気持ちで。
大学生の主人公が夏休みに帰省した数週間の出来事が描かれる。
海が近くにある港町、
近所のバーで旧友とビールを飲んで、
夜は父親の靴を磨き、
レコード屋で働く女性と出会い、
何の事件もない一夏が淡々と描かれる、ノスタルジーを感じるような小説だった。
私の実家の近くには夜にいったら必ず旧友がいてしっぽり飲めるようなバーはないし海もないけど、少しだけ帰省したくなった。
旧友が、この夏が終わったら主人公は東京に戻っていってしまうことに、自分だけ地元に取り残されている感覚を味わっている所に寂しさを感じた。 -
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レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウもののひとつ。村上春樹の翻訳は、やっぱりすごいなと思う。なかなか思いつかない表現が随所にあって、それがマーロウのイメージにハマりまくっているというか、それ以外を想像できない。
この作品、プロットがめちゃくちゃややこしい。結局途中で正直よくわからなくなってきた。誰だったっけこれ、状態で最後まで読み切った。それでも読み進めてしまったのは、マーロウの毒舌が冴え渡っていたせいだ。こんなへらず口ばかり叩く奴がいたら、むかついてしょうがないと思うが、小説で読むと会話のテンポが気持ちいい。ダイレクトパスを自在に操るように、場の流れを読み切っている。
村上春樹さんがあとがきで書いていたが、チャンドラーはこれを書いていた時期、ハリウッドのシナリオを手がけたりしていて、調子を狂わせていたそうだ。どんな状況でも作品は残り、評価を受ける。誰も人生は平坦ではなく、困難の時期を迎える。そんな時でも形を残して次に進むこと自体に意味がある。マーロウ作品の最傑作「ロンググッドバイ」は、この作品の後に生まれている。 -
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不協和音が小さい音でずっと鳴っているような薄い不快感がある。ミステリアスな要素が落ちきらないところがある。ダークな音調、闇が深いのに対する光の照射が小さく、彩度が低い。全体を通して強い諦観がある。彼らは色を名前に持ちながら、36歳というおそらく人生においてもっとも豊かな、あるいは豊かに差し掛かる年齢にありながら、すっかりその色を失いほとんど枯れ切っていた。資本主義社会に疲弊し諦めていた。沙羅も私も少しうんざりしていた。面白そうな人たちは物語から早々にいなくなる。他作品に比べカタルシスが少ない。
とモヤモヤしていたが、巡礼の年を聞いてすっきりと腹落ちした。なるほど、先にこの曲があるのなら、確かにこの物語は春樹にしか書けないな。すごいな。 -
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安定した収入があって、家や車もあり、妻や子もいて、義実家との関係も良好で、全てが揃った人生を送っていると一般的には言えるが、本人としてはどこか物足りなさがあって、その穴を埋められるような存在が島本さんという過去の憧れ・夢。
イズミとの一件はあんまりだったが、それは再会した島本さんとの関係然り、始という人間の一貫性を感じる。
著者の具体的な人生と結構リンクしているようだが、飲食店の経営が読んでいて羨ましい笑
彼女は僕の前から消えてしまった。彼女はそこにいたが、今では消えてしまった。そこには中間というものは存在しない。中間的なものが存在しないところには、中間というものもまた存在しない。国境の南にはたぶんは存在するかもしれない。でも大腸の西にはたぶんは存在しないのだ。p273