村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『パン屋再襲撃』を読んで、僕はしばらくパンのことを考えていた。
もちろん、パンが特別好きだからではない。むしろ僕にとってパンは、朝食として食べるか、食べないか、その程度のものだった。けれどこの短編を読んでいると、パンというものが、単なる食べ物ではなく、人生のどこかに残された小さな借りのように思えてくる。
昔、空腹の勢いでパン屋を襲った男が、もう一度パン屋を襲う。
普通に考えれば、かなり馬鹿げた話だ。
でも人生には、そういう馬鹿げたことがある。
昔の自分がやり残したことを、何年も経ってから別の形でやり直す。自分ではもう忘れたつもりでも、なぜかそれだけが妙に心に引っかかっている。そして、その引っかかりを解消するために、僕たちはときどき奇妙な行動をとる。
この話で面白いのは、そんな重大そうなことが、ものすごく軽い調子で進んでいくところだ。
世界は別に何も変わらない。
パン屋を襲ったところで人生の意味が見つかるわけでもない。
それでも、パンを手に入れることで何かが少しだけ元に戻る。
僕はそこに、村上春樹の小説らしい「人生の穴」のようなものを感じた。
人間は、ときどき自分でも説明できない空白を抱えて生きている。その空白を、恋愛だったり、仕事だったり、お金だったり、あるいは夜中のハンバーガーだったりで埋めようとする。でも、本当に必要なのはもっと単純なものなのかもしれない。
腹が減っているなら、まず何かを食べればいい。
そして、それでもまだ何かが足りないなら、そのときはまた考えればいい。
『パン屋再襲撃』は、そんなことを冗談みたいに教えてくれる話だった。
読み終わったあと、僕は少しだけパンが食べたくなった。
たぶん、それで十分なのだと思う。 -
Posted by ブクログ
主人公が抱える、相手を思う気持ちにとても切なさを感じた。そばにいて何でも話せる関係でありながら、その思いが相手に受け入れられることはない。そのもどかしさや苦しさを読みながら、「恋をしている男性は、みな、このような気持ちなのだろうか」と想像した。
また、この作品では主人公だけでなく、登場人物全員の孤独が描かれていることが印象的だった。人生や置かれている環境はそれぞれ異なるが、どんな人も悩みや孤独を抱えながら生きている。人は誰かとつながりを求めながらも、最後まで完全には分かり合えない孤独な存在なのだということを改めて考えさせられた。恋愛小説であると同時に、人間の本質的な孤独を描いた作品だと感じた。 -
Posted by ブクログ
村上春樹を一冊も読んだことがない。
名前を聞いたことがあるが読んだことない小説家、くらいの認識だが、さすがに読んでおきたいと有名どころをチョイス。
まずは、一言。
描写がことごとく丁寧。一つ一つの動作を省くことなく大事に文字に起こしている。時間の経過や所作、その時の感情を漏らさない。
時に冗長に感じる時もあるが、自分は、今スマホをタップして文字を打っていることを、それ以上の文字数で表現することができない。でも、ここで村上春樹なら思考の部分とか、情景の部分とかを切り取って書くんだろうな〜と、どんな表現をするのかとすごく気になってしまう。
全6冊のうちの1冊目。あらすじまで8分目くらいのところまでかかった。まだまだ謎が多いのだが、伏線を張りまくっている状態だろう1冊目をそういうものだと割り切って、2冊目を読もうと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ村上春樹氏が翻訳していなかったら、きっと読まなかっただろうな、という作品。でも、結果としてはなかなかよかった。
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もともと1958年発表の作品ということで、70年も前の作品。
一言で言えば刑事もの、否探偵もので、探偵が何とも不思議な事件に巻き込まれつつ、最後は痛快な終わり方をするものです。
殺人事件あり、暴力あり、さらにはその事件には大金持ち、美女らが絡んでくるので舞台装置としても絵になる設定だと思います。
ただ、この主人公の探偵、フィリップ・マーロウなる人物、彼がひとからならぬ頑固さを持つ人で、なんというか、読んでいる読者でも『なぜ素直にならない!?』とイライラするのではないでしょうか。
口汚く、節を曲げない、というより、普通素直に行くところを曲げてきて物事を紛糾させる。とはいえ、一本筋の通ったことをする人物。もう、食えない奴なんです。
そして、そんなマーロウの世界を村上氏が『らしい』翻訳で演出してみます。
村上氏の作品といえば、多くの作品にでてくる『僕』が感嘆するあのことば、『やれやれ』です。これも本作で結構出てきます。いったい原語は何なんでしょうね。
その他、メモしなかったのですが、これは一体何を訳したらこういう訳になるのかなあという表現が幾つかありました。それだけ自然に読めたということでもあります。
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ということで、初めてのレイモンド・チャンドラーでした。
ハチャメチャな探偵で、以前読んだ舞上王太郎のようなシュールさすら感じました。
加えて時代の雰囲気を醸した村上節翻訳も面白かったです。こういう体験をすると、原書と翻訳を首っ引きで読んでみたくなりますね。 -
Posted by ブクログ
一つの街のほんの数時間の話だけれど多くの出来事が重なり合うことで、一人一人の人生まで想像させられる作品。
登場人物は全員謎なまま登場し、謎なまま物語が終わる。それぞれが謎な存在であるため、夜になると全く表情を変えるこの街がさらに強調される。様々な悩みを抱えているが、無意識中にそれぞれが相互的に救いあっていることを感じた。
高橋とマリの会話劇がチャーミングであり、どこか深みがあり没入できるところも魅力の一つと感じた。
この作品の視点は一人称視点ではなく、また、どの視点から物語を眺めているのか読者自身も捉えられないところも面白かった。防犯カメラの視点を飛び回っているような、天井に張り付きながら空間を見ている感覚を味わった。
個人的には他作品と比べて物足りなさを感じた。今までの作品とすこし雰囲気の違う作品で楽しめた。 -
Posted by ブクログ
久しぶりに村上作品を読み、現代小説でありながら、かな文学を思わせるような言葉の余韻と質感を感じました。
文体も用語も徹底して平易。それでいて、意味は容易に掴ませません。
そこに「説明しすぎない美学」を見るのか、それとも「説明する気がない怠惰」と見るのか。その評価は、読者それぞれに委ねられる作品だと思います。
当初の『街と、その不確かな壁』の発表は1980年。
ガルブレイスの『不確実性の時代(The Age of Uncertainty)』は1977年に発表され、日本でも1978~79年頃に広く紹介され、「不確実性」という言葉が一世を風靡しました。
作品の発表時期を考えると、村上春樹もまた、この「不確実」という時代の空気をどこかで意識していたのではないかと想像します。
世界は、確かなものとしてそこにあるのではなく、揺らぎ続けるものとして存在する。そんな共通項を思いました。
作中、ガルシア=マルケスのマジックリアリズムに触れてくる。まさか、村上春樹氏はマジックリアリズムだったのか?と。違うな、「現実だけを書いているわけではない。しかし幻想を書いているわけでもない。」
じゃあ 何を書いてるのかしら?
そこに ポストモダニズムにも触れてくる。
そもそも「現実とは何か」が決められない。
そのあたりが、目指すところなのでしょうか?
「僕の思う壁の中」