岸本佐知子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
これは、どこかの世界の独裁政権者のおとぎ話。
……と考えられたら、どれだけよかっただろう。
2026年の今この本を読むと、
某国の大統領の顔がちらついてしまって、背筋が寒くなった。
『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダーズ
独裁政権をコミカルに描いた寓話の代表格といえば
言わずもがな、ジョージ・オーウェルの『動物農場』。
登場人物は動物たち。
けれど、誰が権力を握ろうとも、
結局また次の独裁者が生まれる…
そんな痛烈な風刺を描いた作品だ。
そして本書『短くて恐ろしいフィルの時代』でも、
権力の座についた人物は独裁へと傾き、
やがてジェノサイドを始める。
まさに、この時代に読むべき物語だと思った。
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最初は、一度に一人しか入れない<内ホーナー国>と、
それを取り囲む<外コーナー国>という設定に、
「なんじゃそれ??」という気持ちで読み始めた。
けれど<外コーナー国>の国民たちは、
なぜか<内コーナー国>の国民を見下していて、
何かと理由をつけては税金を取り立て、
むしり取るものがなくなると、どんどんエスカレートしていく。
登場人物たちは機械や動植物のパーツでできているから、
表現そのものはどこかマイルドに見える。
でも、これが生身の人間だったら…と思うと、
その地獄の輪郭が急にはっきりしてくる。
そして何より恐ろしいのは、
その地獄が現実の世界と地続きに見えてしまうことだ。
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「河出文庫ベスト・オブ・ベスト2025」のキャンペーンで
ヒグチユウコさんの装画に惹かれて手に取った一冊でした。
さらりと読めてしまうのに、
『動物農場』と同じように、
きっとずっと記憶に残り続ける物語。
いちばん恐ろしいのは、思考を止めてしまった人間たち。
風見鶏のように権力者へ迎合していく人間たち。
自分はそうなっていないか。
ふと、立ち止まって考えてしまいました。 -
Posted by ブクログ
短編集という形になっているが、作家自身がモデルと思われる主人公の人生が断片的に描かれている。
語られるのはなんとも不条理な人生。生まれ持った障害、虐待、アルコール依存症、貧困、差別。それを淡々と語る。ユーモアも淡々と。その淡々と語られる言葉がなぜだかとてもきらきらしていて、目の前にぱっと情景が現れる。そしていつの間にかどっぷり嵌っているのだ。ただ、どんどん読めるという作品ではない。ストーリーというよりは言葉を味わう作品のように思う。
訳者の岸本佐知子さんの力も当然あるとは思うが、ルシア・ベルリンが生前に見出されなかったのが信じられないくらい。 -
Posted by ブクログ
2026.20
本屋さんに行く度に表紙とタイトルに惹かれて
毎回買うか悩んで買わない
それを10回くらい繰り返したあたりで買った
読んで良かった
前半の「火星から来た男」「キッチンドア」が
ものすごく印象に残っている
とくにキッチンドアで感じる
恐ろしい戦争の足音のようなものが
今の不安な気持ちとリンクしてゾワゾワした
差別や蔑視について考え
じんわりとした痛みを感じる短編集だった
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P43 何年かが過ぎ、新聞や雑誌の紙面が戦争の記事で埋めつくされるようになって、クリスティーは初めて彼の来た国がアジアのどこにあるのかを知った。その国の名は知ってはいたが、気にも留めていなかった。あまりにも馴染みの薄い地域だった。彼女の頭の中ではそのあたりの国々がいつもごちゃまぜになっていた。
だがどんなに考えても、彼の住む都市の名前までは思い出すことができなかった。絵はがきはとうの昔にどこかへ行ってしまった。彼は(北)だったろうか、それとも南)?彼は戦争の近くにいるのだろうか、遠く離れた安全なところだろうか?クリスティーンは何かに憑かれたように雑誌を買いあさり、一つひとつの写真を食い入るように見つめた!死体になった村の住民、行進する兵たち、大きく引き伸ばされたカラー写真の中の替えた顔、怒った顔、処刑されるスパイたち。地図をたどり、深夜のニュースを見、やがて遠いところにある国とその周辺は、彼女にとって自分の国より近しいものになっていった。一度か二度、彼を見つけたように思ったこともあったが、けっきょくは無意味だった。どの顔もみな彼に見えた。
P75 ベティが死んだと知らされたとき、私はいずれ自分も同じ運命をたどるのだと思った。あんなに他人に尽くし、好意を示したことへの代償がこれなのだ。それが彼女や私のような女(と当時の私は思っていた)の運命なのだ。
P90 この頃になるとようやくミセス・バリッジも、前の戦争のときのように報道官制が敷かれていることを知るだろう。バリッジにはその先がどうなるかは確信がない。いや、どうなるかはわかっているのだが、どういう順序でかは確言がない。彼女の予想では、次に来るのはガソリンと石油だ。いつも家に来るガソリン屋が時間になっても現れず、角のガソリンスタンドはある朝突然開鎖される。ただそれだけ、何の説明もない。
P222 私たちは現実世界に生きている。正確には、自分たちが現実だと思い込んでいるものの上に生きている。本物の現実世界(というのも妙な言い方だが)はグロテスクで、いびつで、危険に満ちている。私たちはその化け物じみた現実に背を向け、肌触りのいい人工の現実をつくりあげ、その上にあぐらをかいている。目を閉じ耳をふさぎ手足をひっこめ、自分はイノセントであると主張している。 -
Posted by ブクログ
優れた社会風刺の小説であることは、言うまでもない。
本筋のテーマより、むしろ、わたしが興味を惹かれたのは、「小説を読んだ時に、イメージされるもの」の謎である。
実は、それは「読書の快楽」の根幹ではなかろうか?
そして、さらには、人間の認知に関する重要な謎ではなかろうか?
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本作の情景や登場人物を、頭に「正確に描く」ことは、極めて難しい、というより不可能である。
(想い描くことが難しい文章を、読者に次々と投げかけることが、ジョークであり、コメディとして機能しているのだが)
だが、「なんとなく描く」ことはできる。
というより、あきらかに正確ではないが(細部や、空間的な連続性はないが)、なんとなく絵が思い浮かんでくる。
この「なんとなく思い浮かんでいる」という事態そのものが、本当は、ものすごく不思議なことである。
(子供の頃に、この不思議さに、うっすらと気がついていたような記憶が蘇ってきた…。この人間の能力は、けっこう難しいから、子供向けの本には「挿し絵」が付いているのだろうか)
読書中の頭の中の情景理解を、絵に描き写すことはできない。
描き写せば、その時点で別物になってしまう。
細部が存在しない・連続して繋がっていないものに、具体的な細部や、空間的な連続性を描かなけばならないからだ。
写実的には描けないし、描いたら「ウソを描き足す」ことにになってしまう。
もし、本作をアニメ化したとしたら、それは、読書後に腰を据えて、読書中には無かった「細部や、空間の連続性を描き足す」ということである。
読書中でも、部分図や、その配置図や、その関係図は、理解されている(ように思える)。
この論点は、実は、とてつもなく重要ではなかろうか。
読書の「楽しさ」というより、読書の「快楽」の根底に、この「イメージすること」の、圧倒的な不思議さが、大きく関わっている気がする。
わたしたちは、本当は、何をイメージし、何が伝達されているのだろうか?
この疑問は、本作のような「シュールなお伽話」だと気が付きやすいが、「現実的・写実的な小説」でも同様のことが起こっているのは間違いない。
つまり、日常会話を含む「言葉で語られる物語全般」でも起こっていることである。
さらに言えば、物語に限らず、「哲学書や論文」、果ては「数式」まで含む、「すべての言語表現」においても、起こっていることではなかろうか。
つまり、「言葉によって、何が描かれ、何が伝達されているのか?」という謎である。
これは、本当に不思議である。
この謎について、わかりやすい研究書などが出ていないだろうか? -
Posted by ブクログ
ネタバレ独裁を行うためのメソッドが満載。
・内をまとめるために敵を作る
・大きな声と断定的な口調で一目置かせる
・自分に従う者の自尊心をくすぐる
・マスコミを抱き込む
・中身が不明な全面委任を信頼(忠誠)の証とする(踏み絵的な活用でもある)
・時に武力行使も辞さない(刃向かうとこうなる、を早々に示す)
現在の国内外の政治にも通じて、薄寒いものを感じます。
最後フィルは自滅したようなものだけど、このまま独裁が続いていたらどうなったのか。独裁下での一時的な治安維持がしばらく続いていくのだろうか。
現代でもこのまま自然破壊が続いたら、「創造主」が天災という形で粛清してくるかもしれない、と想像しました。
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Posted by ブクログ
頭くらくら、胸どきどき、腰がくがく、おどる言葉、はしる妄想、ゆがみだす世界は、なんだか愉快。 奇想天外 抱腹絶倒のキシモトワールド。 ――帯より拝借――
岸本さんはまた多少自虐的に面白い日常を話してくれる。そこのところが同病持ちの私にグッとくる、思い当たる節々が多い。
博識でエピソードが笑える。読者にはそういう所がうけるのかも。読めば読むほど妙に嬉しくなり、相憐れむ心地よい気分になる。
あるあるぅ~という日常の出来事に、えへへ笑いを隠して読む。
時々読み返すように机の隅に置いてある岸本本も四冊目。これを読んで納得したり同じ世界に行ってみて煙に巻かれたり、日ごろのうっ憤を晴らしたりする。晴れなかったらもう一度読む。「身に覚え」を共有する。時には私だってこれでいいのだ、と思える強い味方の一冊
52編のエッセイとフィナーレ付き
1編が3ページに統一されていて、1ページを使って愉快なイラストがつく2019年の初版だが
それぞれ、締めの一言が誰かに話したくなるほど利いている。
52編の感想は多いし読むたびに違うので今日の笑いを少し。
・「ふるさと」
横浜の日赤で生まれたと思っていたら母は寿産院だといった。がっくり来たが寿町っていえば日本三大ドヤ街と知って、ワクワクした。そして寂しい夜更けなどに、小さな声でこっそり「どらぁ」と言ってみるのだ。
例えば
・「哀しみのブレーメン」
あまり外に出ないがたまに外に出ると興奮して喋り過ぎたり酔いつぶれたり、サイズ違いの服を買ったり座談会では緊張して「あう、あう」としか言えなかったり。膝を抱えて家の中にある「ダメなもの」を探す。でもそんなものにも優越感のはずが親近感を覚える。
・「洗濯日和」
物干しざおの端っこのキャップが外れてどろりとした赤茶色の液体がベランダの床に広がった。なんだこれ錆びなの?泥なの?キモいんですけど。ひょっとして有害物質?それとも宇宙からの生命体かなんか?
一方意識がドロドロの方にも行って、わっ何ここ、まぶしいんですけどこれどういうことやばいやばい、帰りたいです元の真っ暗がいいです。
中に新進気鋭の者もいて、ひゃっほう、やった苦節十二年おかしいと思っていたんだ。世界がこんなに真っ暗で狭くて細長いはずはないって、ああ。ああ。この色彩。この風……どこまでも広がっていける無限の空間。生きている。私は今生きている!
又 物干し竿は深く恥じていた。
ああなんてこと。自分の中からこんなものが出てきたなんて。……銀色メタルの直線の硬質の輝くボディのこの私が。ああ恥ずかしい。死んでしまいたい。でも何なのだろう、体の中にぽっかりと空洞ができてしまったようなこの感じは。もしやこれは寂しさ。なぜならあのドロドロは私が十二年かかって育んできた自分の分身。すこしずつしみこんだ雨水と自らの成分とで醸したわたしの大事な子ら。行かないで。帰ってきて。ほら、もう一度、この中に。私の胎内に。
三つに分かれたまま、私は長いことベランダに立っていた。
ドロドロを拭かねばという思いとどこまでも自由に広がりたいという思いと戻りたいという思いと恥と喪失感とその他何やかやのベクトルが均等に引き合って、微動だにすることができなかった。
台風が去ったあとの、からりとよく晴れた洗濯日和だった。
季節外れの黄色い蝶がひらひら飛んできて、サンダルの爪先に止まった。
というような異世界浮遊中の岸本節が素晴らしいです。ホント。
これこそこれこそ『中二階』の翻訳者。
なにか心の底に重いものでもあれば、その時読むと少しは軽い気持ちになれるかも?
かも!
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