岸本佐知子のレビュー一覧
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[1]今回も笑うのを抑えようとして「ぶひっ!!」という音を立ててまう一冊。他人がいる場所で読むのはとっても危険です。ホンマ、マジで。
[2]なんやろう、このヘンな気持ち。人生の参考にはまったくなりそうにないんやけど、生きていくうえですごく大切な何かが書かれているんやという妙な確信。
[3]もちろん、笑えるという点では人生の役にすごく立っているとは思うんやけど、それとは別に。
■簡単なメモ
《もしもこの世にレジで一番遅い列に並んだ人が優勝する競技があったら、私は確実に国体レベルで優勝する自信がある。ひょっとしたらオリンピックでもメダルを狙えるくらいの才能ではないかと思う。》p.11。おそらく全人類がそう思ってるかも?
《ダース・ベイダーも夜は寝るのだろうか。》p.15。ダース・ベイダーの自室についてはぼくも考えたことがあります(詳細は省略)。
「変化」ええ話やなあ…? 布団に顔を埋め「ぐひぐひぐひぐひ……」と苦しんでました。
《世界の進化を司る当局が、私というセンサーを使って人類の将来にとって不必要で後ろ向きなものを探知し、それらを選択的に絶滅に追いやっているのだろうか。》p.36。ぼくが「これ好き」と思った缶飲料は次から次に自販機からなくなります。
《アロマでごわす。》p.58。あらゆるお洒落で素敵なものを破壊する「ごわす族」の恐怖。「ごんす」「がんす」「やんす」「でげす」など仲間もいるらしい。「でげす族」は強力そう。
《たぶん私は「役に立たないもの」が好きなのだ。》p.84
《そもそも私は〝劣化した食品〟というジャンルを愛好していた。》p.104。柔らかい「ミルキー」はぼくも愛好してました。
《本当の私はまだあの雪の中に埋まったままなのではないだろうか。》p.126
《もし犬や猫やウサギやパンダに人間の耳がついていたらどうだろう。壊滅的にかわいくなくなる。だが逆に人間に動物の耳をつけると、むしろかわいくなる。人間の耳の一人負けだ。》p.209 -
Posted by ブクログ
ネタバレNHK「理想的本箱」、「戦争が近づいた時に読みたい本」の回で初めて知り、今日ようやく読むことができた。
中編程度の長さで、文章も決して難しくなく、児童文学のような雰囲気もあるので、活字に慣れていない人でも読みやすいのではないだろうか。
登場人物たちは機械の部品や植物、触手などで出来ている不思議な生物たち。
しかしその発言内容や行動は、人間にとても近く、特にSNSを見ていると差別主義者やヘイターがよく口にするような言い分のオンパレード。
そして完全に「善人」と言える人物はいないし、完全に「悪人」と言える人物も存在しない。
見たこともない不思議な生物たちの滑稽とも言えるような争いの話なのだが、その行動はナチスをはじめあらゆる人間(もちろん日本人も)が繰り返し、戦争に突入してきた流れの縮図であり、創作内のことでありながら全く他人事とは思えない。
最後、突如現れた創造主によって彼らは解体され、作り直される。
その時創造主はフィルの体は使わず、「モンスター」と名付けて象徴とした。
組み直された本ホーナー国の人々は正体不明のフィルを恐れるけれども、その中にフィルを恐れず、むしろ美しいものと感じる人物が現れーーー話は終わる。
創造主は本来の性質は「善」だと言った。
しかしフィルの部品を取り除いても、結局フィルの火種を摘むことはできなかったのだ。
ナチズムにも、レイシズムにも完全な“終わり”はない。
「いつまで先の戦争の話をしているんだ」と戦争反対を訴える人々を冷笑する人々がいる。
ホーナー国のように、現実でも火種はいつどこに芽生え、再燃するかわからないのだ。
だからいつまでだって訴えなければいけないと改めて感じた。
戦争反対。
憲法改正反対。
第二、第三のフィルは“生まれる”のだ。それはもう防ぎ用がない。
だから民衆は常に目を光らせ、のさばらせないように注意しなければいけないのだ。 -
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一行で終わる小説を含む、ブラックジョークと妄想力に溢れた短篇集。
小川洋子の『原稿零枚日記』みたいな小説を読みたくて、久しぶりにリディア・デイヴィスを手に取った。『原稿零枚日記』は根暗の奇行と妄想が炸裂して岸本佐知子のエッセイを思わせるのだが、岸本さんの訳業のなかでも特に岸本エッセイに近しい世界観を持っているのがデイヴィス(とニコルソン・ベイカー)じゃないだろうか。
思惑は見事的中した。特に「甲状腺日記」は気分にぴったりだった!このマシンガントーク。かかりつけの歯科医との変な関係。病気から広がる妄想。物忘れは酷くなるばかりなのに、不謹慎な連想は止まらない。『分解する』を読んだときよりずっと文章にのめりこめた。歳を取るってリディア・デイヴィスがどんどん面白く感じられるようになるってことなのかも。
デイヴィスは日々つけているネタ帳から短篇を作りだしているそうだが、実際に他人のノートを盗み見ているような生々しさがある。たぶん自伝的な事柄を書いているからというだけではなくて、ごっちゃごちゃに絡まったところまで含めて頭のなかで起きていることを文字で表すのが抜群に上手いからだと思う。
例えば「〈古女房〉と〈仏頂面〉」や「正しいと正しくない」はすごくR・D・レインの『結ぼれ』に似ているのだが、『結ぼれ』では数学的な繰り返しや図式で表現されていた感情を日常的なやりとりに落とし込んで笑えるコントにしている。それでいてレインと同じギリギリの緊張関係も表しきっている。だからこそ「ボイラー」のような話がポンと置かれたとき、笑いと悲しみと諦めと優しさがじわじわ滲んでくるような書き方もできるのだろう。
岸本訳だと訳者あとがきで岸本さんの文章まで読めるのがお得だ。デイヴィスの「とめどなく膨らんで小説化した遺書」、読みたすぎるからそれをそのまま出版してほしい。 -
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[1]初めて読んだ著者ですが、愛してしまいました。破壊的で危険です。ときおり吹き出すのを止めようとして「ふひっ!」とかいう音が出てきて周りに誰もいないのにキョロキョロしたり「く、く、く、く、く、く、く」となって苦しかったり。こんなふうになったのは昔、ジェラール・ダレルの『虫とけものと家族たち』を読んで以来かなあ。
[2]ものすごい才能です。素晴らしい妄想力です。ぼくも妄想しますがなかなかここまではいけないので妄想の神様として崇めることにしました。
[3]挿絵がクラフト・エヴィング商會というのに惹かれて読み始めたのですが大当たりで初めて読んだわけなのでまだ何冊も楽しめると思うと嬉しい。
■心覚えのためのメモ
生まれようと思ったって、なかなか日本三大ドヤ街で生まれられるものではない。(p.18)
実際に行くなどもってのほかだ。(p.22)
もう手遅れだ。ボブとサムはすでに私の中に入りこみ、(p.30)
ラジオ体操第−3。(p.38)
やっぱりばれたのだ、と思う。何がかは自分でもわからないが、そう確信する。(p.40)
私とゴキブリは、連れのように並んで横断歩道を渡りきった。(p.62)
いつそ、想念を物質化できればいいのに。(p.64)
正しい「ちょうちょ結び」の習得は大事にとってある。(p.78)
桃をご神体にした桃教、というのはないのだろうか。(p.82)
「鼎」とか「凹」なんかはいかにも魅力的な間取りだし、(p.86)
私が心の底からやりたいことは、たとえば、「つるっつるすること」だ。(p.92)
おそらくもう五輪はいたるところに偏在するのにちがいない。(p.96)
しかし成長は、いったんしてしまうとその後が存外つまらない。(p.132)
そうやって一つひとつ自分をリセットしていき、まっさらな状態でもう一度成長の瞬間を味わおうという作戦だ。(p.132)
きっとこれから先も何度でも忘れるだろう。(p.134)
そしてもちろんみんな何らかの守護凡人になる。(p.144)
名前はとうしよう。「善の組織・ほほえみ」とか。(p.156)
自分から落ちたネジなのか。(p.170)
十字顔の人のそれまでの人生や、その日いちにちのことを考える。(p.174)
ボトルの中身を説明しているのではなく、説明が中身を決定するのだとしたら。(p.251)
かかとはわたしです。(p.264) -
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ネタバレ横からぽっと現れた口の達者な人物によってあっという間に国が乗っ取られ、逆らう者を手にかける様子が恐ろしかった。登場人物が人間ではなく、色んなパーツのより合わせで動いているため生々しさは少ないはずだけれど、ある日突然権力者の決定によって殺されてしまうことに変わりはないのだった。
言葉を利用して鼓舞し、揚げ足をとり、押し切り、隙をついて場を支配するフィル。ちょっとしたアイデアから始まったはずなのに、気付けば全員従わざるを得ない状況になっていて、日に日に力関係の変化していく様子が面白かったし同時に怖かった。
長い物に巻かれて自分可愛さに保身に走る者たちや、それとは逆に、おかしいことをおかしいと言える者たちの心理も書いていて、全員が非常に人間らしいのである。特に被害者を責め始めるところがリアルだ。おとぎ話のようではあるが、現実の世界で起きていることと大差はない。
意外だったのは創造主が登場したこと。争いが絶えなかったのに“お前たちは善なのだ”と語るのを見て、これは人間を信じている話なのだと思った。
あれだけ暴君だったフィルも朽ち果て、何も知らない新時代の者にとっては遺跡を見る時のような不思議な癒しとなっているラストが良かった。過去に学び、よりよい世界を夢見ることが何よりも必要な気がする。そして人類にはそれができるはずだという希望が含まれているように思った。
中篇だけれど味わい深かった。 -
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狐に摘まれたようなとはこの読後感にピッタリの感想だろう。物語があるわけではないが、作品ごとに読者である私が受け取り紡ぐ、あるいは想起される出来事が不思議と湧き起こる。ここまで読者に意図的に委ねられている小説は初めて出会ったと思う。
特に今の自分に印象深いのは、「肉と夫」の夫への諦観と突き放し、「私たちの優しさ」の夫の矮小さ、甲斐性なさ、「グレン・グルード」の妻の焦燥感、輝かしい過去への憧憬といったところかな。自分の心情や状況にリンクしてしまう。
読む年代や置かれている状況によって一番刺さる作品は違ってくるに違いない、それほどまでに懐の広い作品群になっている。たった数ページで人間、社会の本質をつくを一文に出会ったらかと思ったら、幻想のように脳裏を掠めていく。去年他の短編小説も白水Uブックスで刊行されているとな。手に取るしかないとな。
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半泣きのような、半笑いのような。一編を読むごとに、きっとヘンな顔になっている。
ゾクゾク、ゾワゾワして、しんとする。僕の中の埃が溜まったへこみを押し開けて、入り組んで届きにくいカーブに指をぴたっと添わせてグイグイ突いてくる。
なんともイタ気持ちいい読後感。しばらく動けない。
ギュッと腕を身体に巻き付けて、バラバラに解けてしまいそうな自分の形を保つのに必死なとき。一緒にベッドに潜り混んでいる人の寝顔が、見知らぬ他人だと思うとき。バスタブの中で息を止めて、「ねぇ、私は悪くないよね」って呟くとき。
そんな危うい瞬間を潜り抜けて、残念な今日とウンザリな明日を生きていく誰かさんに、奇妙な回線で、接続してしまった。
『水泳チーム』
“朝起きるとわたしはまず思った。ー きょうは水泳の練習の日。それ以外の日は、朝起きると思ったー きょうは水泳の練習のない日。”
圧倒的な孤独の中に消失してしまいそうな自我をかろうじて繋ぎ止めるために、わたしは「水泳コーチ」という役割を進んで引き受ける。
教え子の老人達もまた、何もないちっぽけな町の中で耐え難く老いていく自分に抗うように、水泳の練習に打ち込んでゆく。
例えそれが、水を張った洗面器に顔を沈めて、手足を床の上でバタバタさせるだけだとしても。
アスリート特有のピュアで滑稽な真剣さを共有した素晴らしいチームを、後年に彼女はジョークにできない。
“もしあなたがこの話をおもしろがるような人だったら、わたしだってとっくに話してただろうし今もまだあなたと付き合っていたかもしれない”
悲しみと共に、アパートで泳ぐ老人のイメージが心に焼き付く。一番大好きな物語だ。