Posted by ブクログ
2019年01月27日
「最初の悪い男」(ミランダ・ジュライ)
「例えばシェリルの家の壁から、世界地図が外れなかったとしたら。」
この物語の主人公、シェリルは43歳独身女性。職場ではある程度の地位を得て、快適な一人暮らしを謳歌している。
本当の自分とか、生きる意味とか、無くても生きていくことはできる。煩わしさを排除...続きを読むして、毎日なにかを少し我慢しながら。
空想の世界では饒舌なシェリル。
人の良い感じがするけれど、その世界では誰かを踏みにじってしまうこともある。
それはそれで、ひとつの人生。誰にも当てはまる人生。
自分を感じずとも、生きることはできる。
だけど。
世界地図は外れる。ミランダの描く世界はひとところには留まらない。
望んだわけではない出来事だったはずなのに、足が臭くて暴力的な美人の娘、クリーが転がり込んできて、偶然は必然かのように、シェリルの人生は回り出す。
世界地図が外れる!
その展開のめまぐるしさ、生々しさ、ページをめくる手が止まらない。
前半は、シェリルのイジイジした様子、優しいようで、決して心を開かない様に、読みながらあんなに悶々としたのに。
新しい価値観に気付いたあとのシェリルの心の声は、センシティブの極み。ヒリヒリと心を打つ。
そして、声を限りの、
ノーノーノーノーノーノーノーノーノーノー。
サンドロップを見たときのこと。虹に似た何かなんてない。美しすぎるエピローグ。ここはもう、何度読み直したかわからない。
これ以上ない美しい気持ち、これ以上ない悲しい気持ち、これ以上ない優しい気持ちに満たされる。もちろんすごく笑わせてもくれる。会話のセンスが、ずば抜けて面白い。
あと、これは個人的な意見です、と前置いた上で書く。
ミランダがこの作品を、子供が産まれてから書いたこともやっぱり作品の手触りがより切実になった要因な気がする。
生まれたての子を昼夜問わず世話するあの、作中に出てくる言葉で言うところの、
「洗脳」、の表現。子を持つ前の自分がいなくなってしまうような感覚。
それでもなにかひとつでも、例えばずっと出なかったウンチがやっと出たりとか、初めて声をあげて笑ったとか、それで帳消しになるようなあの感覚。
すごくリアルだった。
奇跡と偶然で、「私たち」はここにいる。
絶対に、ひとりではないのだ。
作中の様々なシーンが頭をよぎる度、自転車を漕いでいても、バスに乗っていても、どこにいても、甘やかな痛みが鼻を刺しては目が潤む。
素晴らしい映画を観終わった後のような読後感。そしてまた始めから、味わうように読み直す。