岸本佐知子のレビュー一覧
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【火星から来た男 = The man from Mars】
こういうタイトルだが、別に宇宙人は登場しない。大学に通う主人公が、西欧系ではない男性に出会って、友達認定される。無下にもしないで適当にあしらっていたら、家にまで訪問される。これまで男性に見向きもされない、男性とはお友達関係しか築けないと思われてきた主人公は、にわかにモテるようにもなるが。
北と南という語句が登場するので、おそらく男性は朝鮮半島の出身。確かに、行くところ行くところどこにでも現れたら気持ち悪いかもしれないが、暴力をふるったわけではない。にもかかわらず、警察を呼ぶのは、彼の国籍が潜在的な差別意識に繋がったのでは。
【ベティ = Betty】
姉妹の妹視点で描かれる、魅力的な夫フレッドに対して、なんとも冴えない妻ベティのカップル。他の女性に色目を使うフレディに、段々おかしくなっていくベティ。
幼い頃と大人になった後では、ベティに対する見方が全く変わってしまったことを述懐するも、自身はやはりフレッドのような男性にちやほやされたい面があることを認める妹。
【キッチン・ドア = When it happens】
これは最初主婦の妄想?と思っていたが、次第に描かれる異変が真に迫ってくるため、現実に起こっていること?と不安が過る。
【旅行記者 = A travel piece】
旅行記事を書いている記者が乗った飛行機が、ある日不時着。ボートに乗って逃げ出すが、集団生活の常として、起こるべき事が起こってしまう。
こういう不測の事態が起こった際に、精神的に強い者が最終的に生き残るのだなとしみじみ。これかた大変恐ろしい事が起こるだろうことを予測させる気になる所で短編はオープンエンド。
【ケツァール=The Resplendent Quetzal】
メキシコ旅行に来ているサラとエドワードはいわゆる倦怠期夫婦。エドワードが関心のある鳥のことなんか全然気にもしていないサラ視点から物語は始まる。サラは死産となった子供の事が気になって、イエスの人形の万引きをしていた。今度はそんなサラの心のうちなどお見通しなエドワードの視点で語られる。しかしエドワードはサラの子供への執着には気が付いていない。サラのある行動が、まるで滝に飛び込むかのように見えてしまい。
既に破綻している夫婦がこのまま生活を続けるのか、それとも何か決断するのか。こちらもオープンエンド。
他【訓練 (トレーニング) = Training】【ダンシング・ガールズ = Dancing girls】収録。
初期短編集の復刊。今回は【ケツァール=The Resplendent Quetzal】が追加。 -
Posted by ブクログ
ネタバレアメリカの小説家ジョージ・ソーンダーズの中編小説。原書は2005年に発行。本書は2011年に出版された単行本を、2021年に文庫化したもの。
あらすじとしては、一人しか入れないほど小さい「内ホーナー国」と、それなりに広い「外ホーナー国」との間に起こるいざこざと、国境の監視役(自称)であるフィルが暴走し独裁者となる顛末を描いた「おとぎ話」となっている。軽快なユーモアはあるが、正直に言ってつまらないと思いながら読んでいたが、読後しばらく考えてみるとあることに気づく。確かに背筋が寒くなった。
登場人物はどれも奇妙な造形をしており、脳がラックに入っているものや、枝や鹿の角が突き出たもの、シャベルのような尻尾など、イメージを寄せ集めただけで悪意すら感じる。登場人物は少ない上に個性に乏しく恐ろしく愚鈍で、情景描写さえも「小川が流れてりんごの木が生えている」など、小学生でももう少し上手に描けそうなほどお粗末だ。ストーリーも行き当たりばったりで、まるで子どもの人形遊びのようだ。しかし、それこそが作者の意図なのだ。
もし、自分の子どもが人形の手足と文房具を付け替えて、本書にあるような残虐なストーリーを考え出したとするとどうだろうか。恐ろしくなってこないだろうか(私は恐ろしい!)。あとがきで以下のような著者の言葉が引用されている。「この本は、世界を過度に単純化し、〈他者〉とみなしたものを根絶やしにしたがる人間のエゴにまつわる物語なのです。私たち一人ひとりの中に、フィルはいます」
あとがきによると、執筆中のアメリカで9.11が起こっている。ソーンダーズが時代をどのように捉えたかはわからないが、本作のメッセージは政治的なことではなく、人間の根源的な欲求に根ざしているのではないか。つまり男の子の人形遊びが加熱していく姿に、人類の悲惨な歴史をぴたりと重ねたのだ。自分のお気に入りの人形があれば、都合よく強くする。カッコ悪いオモチャは倒すか破壊する。それに飽きたら捨てる。あの巨大な手のようにである。フィルは私が飽きて捨ててきたオモチャ達だった。
ジョージ・オーウェルの『動物農場』が引き合いに出されるらしいが、少しお門違いであると思う。『動物農場』は人間社会への確かな観察があり、コミュニティの理想が没落していく様をありありと描いているので良くできた「寓話」となっている。しかし本作には社会を観察しようという気はさらさらない。ステレオタイプな独裁者のイメージは、社会批判というにはあまりも稚拙だ。本作は、生活は豊かになっても歴史から何も学ぼうとせず、無知を安っぽいストーリーに埋められてしまう人類の写し鏡なのだ。
作品の批評をするときに、資本主義対共産主義、右翼対左翼、男対女、愛国心対反日などなど単純な二項対立に落としこむことが間々見られるが、それこそ子どものごっこ遊びである。結局、「善対悪」の構図にすり替えられ、〈他者〉はいつも「悪」にされる。そこには建設的な対話はなく、気まぐれなヒーローの勝利しかない。ありとあらゆるところで「分断」が起こっている今、脳のないフィルの暴走は、既にはじまっている。
とはいえ以上の感想こそお門違いかもしれない。あとがきにあるように、(裏読みばかりしてないで)この軽快でグロテスクな物語をゆっくり楽しむこともできる。不思議ともう一度読み返したくなるような、真似のできない魅力があるように感じた。 -
Posted by ブクログ
「技能の未熟な者がうかつに手を出せば、よくて空振り、悪くすればデッドボールとなり、手指の骨折や皿の破損、寿司ネタおよび酢飯の店内への飛散といった事態を招く結果となる。」
p.110 ここ行ったことない①回転寿司 から引用
行ったことのない回転寿司を勝手に想像してここまで書けるのがすごい。寿司のデッドボールって何なんだよ。おかげでカフェで1人で吹き出す羽目になった。好きだ、岸本佐知子。
過去刊行されているエッセイ集はたぶんほぼ全部読んでいる。今回は20年以上前に寄稿されたもの、日記、書評などなどバラエティに富み様々な角度から岸本さんの文章が読めてお得。
日記を読むと本当にたくさん映画や舞台、書籍、食事に日々触れていることがわかり、それがこの岸本ワールドを作っているのか…と思うなどした。
「意味がわからなくて怖い」と「面白い」って同時に成立するんだ。まあ、大抵は怖いです。
怖いのに、ときどき急にふわっと投げられる岸本さんの温かい文章がこれまた大好きで。
「ドラえもんは、べつに何もしてくれなくていい。四次元ポケットから便利なものをだして、私たちを助けてくれるんでなくていい。ただ未来から来てくれるだけでいい。そうすれば、私たちに未来があるとわかるから。」
p.44 オバQ、あるいはドラえもん より引用 -
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ネタバレあとがきにも書いてあったが、読後モヤモヤとした不安が残る話ばかりだった。
他者とわかりあえない、自分が正義だと思いこんでいても見方を変えればそんなことはない、無自覚な差別、いつかすべてが崩壊する予感など。
これが最初に日本で刊行されたのが1989年とのことだけど、現代のテーマでもおかしくない話が多かった。
決して明るい気持ちになる話ではないけど、惹き込まれるものがあり、あっという間に読めた。
『ベティ』の最後、「永遠に謎なのは、この世のベティたちなのだ」がすごく印象に残った。
正直私もフレッドの気持ちのほうが理解できるし、フレッドは世の中に多くいると思う。
『旅行記事』は、どうしても生きる実感が持てなかった主人公が飛行機の海への不時着を体験し、生きる意味を望んだことを後悔する話。
私もつい生きてる実感が希薄になることがあるけど、幸せで何不自由なく生きていられるからこその虚無感なんだろうと思う。
『ケツァール』は、お互いがお互いを理解できないままでいる夫婦の話。それぞれの視点から書かれていて、妻の視点からだと夫が理解不能だし、夫の視点からだと妻が理解不能。
結局他人の気持ちなんてわからないし、自分が正しくて相手がおかしいと思ってみんな生きているんだろうな。
『訓練』は、特に最後に胸が締め付けられた。心理描写がとにかくすごい。
医者の家系で、ふたりの兄はハンサムで医者としてもうまくやっていけそうなのに、自分はハンサムでもなく医者にも向いておらず落ちこぼれだと思っている主人公が、障害を持つ子どもたちが集まるサマーキャンプで働く話。
そこで出会ったジョーダンに肩入れしていくが……。
無自覚な差別や、善意でやったつもりが悪い結果になったり、憐れまれる側からの攻撃性、自分がやっていることも周りが頑張っていることもグロテスクで惨めであること……などなど辛くなる要素がなかなかに多かったけど、とても印象に残った話だった。
表題作『ダンシング・ガールズ』は相手が理解できないまますれ違い、各々が自分が正しいと思ったり、永遠に叶うことのない理想郷だったりと、これも読後切なさが残る話だった。 -
Posted by ブクログ
ドストエフスキー「罪と罰」を読まずに4人の作家が読書会を開き内容を推測し合う話
4人の作家たちがヒントを手掛かりに自由に推測、思ったままを言い合うのがこの本の面白さ
ほんの少しの話の断片のヒントから作家流に「わたしならこういう筋書き、こういう流れにする」とか想像力が半端なく広がる
いったいどんな物語なのか
期待に胸を膨らませ、夢中になって「ああでもない、こうでもない」と語り合う
そして読んだあとにまた集まって
読後座談会
私は読んだあとにこの本を手にしたが、作家たちの当たらずとも遠くなく、話が横道にそれることもしばしばあるにもかかわらず、ちょっとのヒントで軌道修正してくる様子に感嘆した
ラズミーヒンは修造だとか
ポルフィーリーは愛之助だとか⋯
みな自分の好き勝手に想像していいんだよと、いわれてるようで安心する
作家の感想にかかわらず、本は読んだ人それぞれ、謎解きや解釈があっていいんだと思わせてもらった
あと巻末に矢部太郎による解説マンガがあってホッコリとした気持ちになった