あらすじ
書くことをめぐる無二の長編
「翻訳の仕事をしていると、たまに「自分が今までに訳したものの中で一冊だけ自分が書いたことにできるなら何か」と質問されることがある。そんなとき、私はいつだって「『話の終わり』!」と即答してきた。それくらい私にとっては愛着の深い作品だ」(本書「訳者あとがき」より)
語り手の〈私〉は12歳年下の恋人と別れて何年も経ってから、交際していた数か月間の出来事を記憶の中から掘り起こし、かつての恋愛の一部始終を再現しようと試みる。だが記憶はそこここでぼやけ、歪み、欠落し、捏造される。正確に記そうとすればするほど事実は指先からこぼれ落ち、物語に嵌めこまれるのを拒む――「アメリカ文学の静かな巨人」デイヴィスの、代表作との呼び声高い長編。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
その女だけがもつ体のパーツの一つひとつが、それが愛する女のものであれば、彼にとってはかけがえのないものになった。持ち主にとってよりも大切なものだった。
Posted by ブクログ
トゥーサンが好きなら好き、と誰かが書いていたが本当にそう。奇妙で大好き。
全ての失恋した人に渡したいし、彼女のような目線で世界をみたい。というか、この本を読むと主人公の目線で世界をみている。本のインパクトの強さよ。
Posted by ブクログ
序盤は慣れない言葉のリズム感を楽しみ、〜中盤までは慣れなさによる酔いと停滞感で気怠く読み進めていたが
中腹辺りの展開から急に、血肉を持ったような生々しい不規則さで飲み込まれ、そこからは一気に読み上げた。
視点としては全く変わらない軸があって、章を跨がない限りはシチュエーションが大きく移らないのに
徹底したディティールの描写によってこんなにも得られる没入感が変わるものかと驚いた。
その一貫性に嫌悪感を抱く場合もありそうだが、何故そう過ぎるのか理由を探すと
自分の感覚を、自分のフィルターだけを通して発しているようなその浮世離れ感で。
それはわがままでも物知らずな訳でもなくて、ただ「ひとりが暮らしていく」という事を表しているだけという気がした。
外界との境界線が曖昧な訳ではなく、むしろありありと感じていく程に他者と自分と世が混在していくのなんて、まさに生活だ。
様々なことを横切らざるを得ない日々の中で策を練るのも動くのもこの身なので、そりゃそうだよなと思い始めたところからがこの小説のスタートなのかもしれない。
なんとなく避けていた理由がそのまま文章の中にあったので少し怯んだが、読めて良かったなと清々しく頼もしい気持ちでいる。
Posted by ブクログ
別れた12歳年下の彼から手紙が届き、返事をどうすればよいか考えあぐねてると、小説にしようと思い立った。記憶があいまいで思い出すのも順不同なのように、お話はとりとめもなく順不同に流れていく。
何も起こらないしどうなってるかよく分からない。でも、わからなくていいんだと思う小説だった。読んでいるうちに私自身も小説の中の彼を求める「私」になった気分だった。彼に会いたいのに、パーティに来て欲しいのに彼の言葉を聞くとめちゃくちゃ怒るという、なんと矛盾した行動とる私。彼の働くガソリンスタンドまで行っちゃう私。当初はお金を返さないダメ男の彼かと思ったけど、そうでもなさそうだと思った。
はっきり言ってこの小説では何も起こらない。
何も起こらないのに、けだるさが漂うお話に引き込まれてしまう。メランコリックでただぷかぷか浮いてるだけ(ときに激しく浮き沈みしてきるが)のような、そんなお話も好きだと感じた。