『ある男』『私とは何か』を読んでようやく平野啓一郎さんの代表作『マチネの終わりに』を読むことができた。私はこの作品の放つ美しさと哀しさに心を動かされた一方で、うまく感想がまとまらないままでいる。だけど、あえて書いてみようと思う。
平野啓一郎さんの作品はいつだって表面的ではない、人間自身について考えたくなるような本質を問うてきて、深く心が掴まれる。そしてその圧倒的な知性に敬意を感じている。そんな平野作品を読む時間は私にとってすごく特別で、好きな時間だと再認識した。
小峰洋子と蒔野聡史からは、愛を超えたような深い魂からのつながりを感じた。お互いがお互いで安らぎを得るのは。そしてお互いでしか得られない心地よさを感じるのは、二人にとってたがいに対する分人がかけがえのないものだったことが分かる。その分人を失うことの哀しさと切なさといったらない。それがこの物語に「やるせなさ」をもたらしているのだと思う。物語の中盤以降、ページをめくりたくないという思いとのめり込むように読みたいという衝動がぶつかりあって、結局すぐに読み切ってしまった。
安易に物語の結末をパッケージ化しないからこそ、その運命論と自由意志がせめぎ合った苦しい現実を差しだしてくる。だからこそ、その深い余韻に浸れるとともに、そのリアルな感覚に私たちは心を揺さぶられるのだろうと思った。
また過去は変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。それほど繊細で、感じやすいもの。
という表現は言われてみれば確かにそうかもしれない、と思ってすごく心に残った。二人にとってもお互いの過去が憎しみや悔いの対象でなく、美しい思い出になればいい。
この作品のすごさは、単なる恋愛小説にとどまらないところだ。現実に起こった戦争や経済の崩壊、災害も交えながら、その現実(過去)に思いを馳せる。今も戦争は続いている。それだけじゃない、静寂に対する<美>としての音楽、そして親子の愛情、などなどさまざまなテーマを織り込んでいる。たくさんの音楽を紹介しつつ、小説なのにどこからかギターの音色が聞こえてくるようだった。
読んだ後は、なんで自分が泣いているのかも正直判然としないまま、ただただ涙が流れた。なんというべきかわからないけれど、美しい作品だった。
物語の中の言葉から
「幸福とは、日々経験されるこの世界の表面に、それについて語るべき相手の顔が、くっきりと示されることだった。」
彼らは今、幸せに生きているだろうか。