あらすじ
日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し”の天才、豊臣秀吉。生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。古来、幾多の人々に読みつがれ、日本人の夢とロマンを育んできた物語を、冷徹な史眼と新鮮な感覚によって今日の社会に甦らせたもっとも現代的な太閤記である。
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戦国時代の庶民なんて、虫ケラに過ぎない。どこへ行こうが、どこで死のうが、誰も気に留めない。そんな境遇に生まれた猿顔の醜男は愛嬌と思い切りの良さだけで、自らの人生を切り開こうとする。
そして、彼はカネの力を知る。
武力、腕力がもてはやされる時代で「猿」と呼ばれる男は、マネーゲームの信者となり、そのルールを使って成り上がっていく。彼に言わせれば、武力も、腕力も、人材も、女もカネでどうにでもなる。
そんな作者独特の秀吉像が確立された上巻。絶対的権力者の織田信長の配下として台頭し、理想的家臣の黒田官兵衛を配下に組み入れたところで、下巻へ。
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上巻は秀吉の幼い頃からはじまり、「猿、猿」と呼ばれながら、どんどん頭角をあらわしていく様子が描かれています。
信長と秀吉のやりとりの面白さ(お互いの腹の探り合い)が際立っていました。秀吉が信長に仕え始めたころなんて、かなり激しいコントのよう!自分の出自や容姿へのコンプレックスも、生きる強さに変えてしまう秀吉に圧倒されてしまいます。親ガチャという言葉がありますが、秀吉が知ったら一喝されそうです。苦労人ゆえの人間味ある人物像が、これでもかというほど描かれていました。
秀吉は、出会う人々の良さを見抜き、しかも良いものを盗みとることの才能が卓越していると思いました。信長は、やはり怖いなあという感じです。司馬遼太郎さんの『秀吉愛』を感じました。
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泣かぬなら泣かせてみせようというのは本当によく言えているなと思う。秀吉の性格や人間性、商人気質や企画力がありありと描かれている。これほど卑賤から身を興していたとは知らなかった。
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司馬遼太郎の本は初めて読んだ。
秀吉の行ったさまざまなエピソードの裏で、恐ろしいほどに自分を蔑み、気を遣ってきたことなどが描かれていて、人物像がより深く見えた気がします。
下巻も楽しみ。
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太閤秀吉さんは明智光秀を討つまでが大好きな私にはこの上巻はたまらない展開でした。さて晩節が多少辛い展開になるかと思いますが、司馬さんはどう書くんだろう?と期待しつつ下巻に向かいます。
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出版当時は「新史」太閤記、今や「真史」太閤記。秀吉像を作り上げた一冊。
まるで見ていたかのような人物描写、圧倒的な筆力。最後まで一気に読ませます。
上巻は荒木村重の反乱まで。
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秀吉の放浪少年時代〜42歳毛利氏との戦いまで。最後で竹中半兵衛が死んでしまった…ショック。
秀吉が人たらしの能力を発揮して実績を残し、少しずつ信長の信頼を得ていく。その賢さに舌を巻くのと、信長の烈しいパワハラにハラハラする。
頭の中でドラマ信長協奏曲の配役に置き換えて読んだけど、秀吉の顔の描写がひどすぎて(特に物語前半、ひたすら猿顔についてディスる司馬遼太郎…)、山田孝之と合致しなかった。笑
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秀吉が鰻登りに出世する様子を見てかなりの勇気をもらいました。自分のコンプレックスを強みに変えていく様が何とも言いようがないくらい素晴らしかったです。普通に考えれば落ち込む所ですが、良いように考え人生が好転していく、これは自分の生活にも十分役に立てると感じました。
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小説とはいえ、あまりよくわかっていない、世に出る前の藤吉郎をそれらしく描いている箇所が面白かった。多分事実もこうだったんだろうと思わせる。そして信長の元どんどん出世するさまは、さすがの司馬節、納得感がある。
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豊臣秀吉。
その名を聞いて思い浮かぶ人物像としては”陽気"
"女性好き"そして"人誑し"…などが挙げられる。
司馬遼太郎はその"人誑し"の才能に重きを置いて物語を進めている。
それも、彼の持って生まれた人を惹きつける笑顔と陽気さの裏に隠された暗い、計算尽くされた側面を描くことで豊臣秀吉という将の器の大きさがより見えてくるから不思議だ。
上巻では、織田信長という偉大すぎる存在が豊臣秀吉の一種の鎖として機能していた。しかし、あの本能寺の変で織田信長が亡くなった後…、鎖を失った豊臣秀吉の躍進を思うと、高揚感と同時に薄ら恐ろしい感覚さえ覚えた。
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成り上がりの物語としての面白さはもちろんのこと、秀吉(藤吉郎)に限らず織田信長、竹中半兵衛、黒田官兵衛など周りの人間もとても魅力的に書かれているのでそれだけで読んでいて楽しい。上巻は竹中半兵衛が亡くなるところまでで下巻に続く。
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ご存知太閤記様。秀吉の物語。成り上がり物語でもあり。信長が、道具と人を扱うが秀吉だけは特別視する。信長と秀吉の絡みがメインで構成されていて信長が秀吉と思考が似ている部分があった気がする。活劇です。
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秀吉の明るさに救われる思い。
以下のフレーズが好きだ。
・猿の最大の美点はあくまでも陽気だったことだ。
・猿は「昔の飢えに戻るよりもましだ。叩かれてようと今の境遇がどれだけいいかわからない。」
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上巻は、秀吉が幼少の頃から、42歳頃の本能寺の変の数年前までの物語です。
信長に気に入られるように奮闘しますが、根本には誠実さがあったようです。
秀吉がとても魅力ある人物として描かれています。
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歴史小説の大家による太閤記。多分当時で地頭が1番良い人。徒手空拳から大成功を収めた人となると北条早雲、斎藤道三辺りが有名だが早雲は良い家柄の人で道三は親子2代の話なので本当の無名から成り上がったのはこの人のみとなる。
商人の発想で武士の世界に入り信長に殴られながらも真意を読み取りその時に出せる最善の行動を取るという小説とはいえ恐るべき人物である。ただ陽気なだけでなく心の暗部も描写されているのは良かった。山田風太郎先生の『妖説太閤記』と異なり王道的な雰囲気だが単なる礼賛記にしていないのは共通しているように思う。
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木下藤吉郎秀吉時代の豊臣秀吉を描いた作品。幼少期の賎民時代から織田信長に仕えて中国地方征伐を担当する前までを描いている。秀吉の人たらしさを発揮して成り上がっていく様は痛快でどんどん読み進めてしまった。
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豊臣秀吉の逸話と言えば色々あるが、それを凝縮して描かれている。国盗り物語などとを読むと、順番はどちらでもよいが、知識や内容が繋がり初めて余計に面白い。
農民の出など色々とあるが、このように分かりやすく、読みやすい物語となると歴史がより一層面白く感じるのではないか。
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実際の人物はどうか分からないが(だからこそ小説でいかようにも書けるのだが)、この上巻では、司馬は豊臣秀吉を人たらしの天才のみならず、相手の人物を瞬時に見抜く洞察力を持ち、また時には命を顧みず突撃する実行力が極めて高い人物として描いている。また所々で天下人としての器があることを示唆している。
この上巻は荒木村重の謀反までであるため(しかも黒田官兵衛が救出されたところまでで戦後処理については書かれていない)、まだ純粋で忠実な信長の家来としての秀吉でしかない(しかし着実に天下人への歩みを進めている)が、下巻で天下を取った後、司馬が人物像をどのように描写するか興味深い。
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藤吉郎(羽柴秀吉)を主人公に物乞いから信長に使える大将へと成り上がっていく戦国物語。
出てくる登場人物が本当に濃いキャラクターばかりで戦国時代をリアルに描かれている。
猿と呼ばれた秀吉がどんな人物であったか、
信長の事をどれほど思っていたか、
竹中半兵衛、黒田官兵衛、才覚ある武将を登用し、人の心を掴む人たらしという才能を思う存分発揮し、朝鮮攻略という大志を抱いて激しい時代を生き抜く様をありありと描いた大作。
下巻への期待も込めて星4つにします。
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秀吉の前半生に持っていたであろう天性の明るさを十二分にまで描き、その出世していく姿に対して、小説の力で見事なまでに面白さを加味しているところに、加速度的にのめり込ませられた。
当時としては、現代よりも当然として自身の能力よりも重要視されている家柄などのことに加えて、自身のコンプレックス(猿顔、血筋、身体能力等)をいかに単純に逆転していくかといったものでなく、あまり描き過ぎていないところがいいのかも知れない。
それ故に人たらしは何処か納得はするものの、真似のできない、捉えどころのない秀吉自身しか有せない、個性(とでもいいのか)と浮かび上がる。
下巻に秀吉の影がどの様に濃くなるか、気になるところではある。
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文庫版。秀吉の人間味ある半生がつづられ、元気を貰える。言い回しが古く固く感じ、読みにくい漢字もあったが、人生の生き方の一助にもなりそう。天下統一までの話で、晩年の話が少なかったのが残念だった。【満足度85点】
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おれはこの世で立つ何物も持ちあわせておらぬ。金も門地も。せめて律義でなければ人は相手にすまい。
いやはこの世は、いわば長い狂言の場ではありますまいか。
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ここのところ、どんどん司馬遼太郎ワールドへのめり込んでいく気がする、現代の歴史ドラマや小説は、視聴率やベストセラー狙いで、感動や涙を誘う演出・脚本ストーリーを盛っているような気がしてならない、しかし、この太閤記もそうであるが時代背景を元に淡々と進行していくようであるが著者の想いが伝わってくる、飾りすぎず、商売が原点でなく、とことん人物や時代に拘った作風が最近心地よく感じてしまう。
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藤吉郎という男の不思議。戦や殺人を好まない男が戦国時代に生まれ、なんなら商人ではなく武士を志し、これまでにモデルのない武将となる不思議。人を機能として見ることしかしない破格の武将に見いだされる不思議。これでは誰が語り部であってもファンタジーを語りたくなるだろうが、そこは司馬遼太郎が極力史料をもとに中立に描く。その答えがここで描かれている「誠実な人たらし」という人物像だ。権謀詐術を駆使しながらも、なぜか他人から好かれた男だったのが、やはり、人を傷つけたりすることが嫌いな男だからだ、という作者の視点が優しい。
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上巻では秀吉の出世が中心で、秀長の登場はごくわずかですが、秀吉の人物像が多く描かれていました。特に、「猿のやり方」を見て信長が驚く場面、最初から最後まで調略と謀略で動き、合戦はその一部に過ぎない、の描写が印象に残ります。秀吉のずる賢さと人の心をつかむ巧みさ、普通の武将とは違う魅力があるようです。竹中半兵衛とのシーンも多く、ドラマもあわせて楽しみたい。
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現代人のための太閤記決定版である。初版は1973年発行なので、既に40年も経過している。天下人、豊臣秀吉のエキサイティングでファンタスティクな物語である。
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「新史太閤記」は、時代的には「国盗り物語」の後編である「信長編」とだいたい同じような時代を書いた物語なのだけれど、視点と、中心となっている人物がだいぶ変わっている。
「国盗り物語」の後編での、各人物の描写の割合が、明智光秀:信長:秀吉=5:4:1だとしたら、この「新史太閤記」では、光秀:信長:秀吉=1:4:5になっている感じだ。
なので、「国盗り物語」では信長と光秀の、正反対ともいえる性格の相容れなさを描いていたけれど、この小説では、秀吉と信長の奇跡的な相性の良さを示すエピソードが中心になっている。
特に好きだった場面は、
・北陸遠征からの撤退の時、金ヶ崎城への籠城を申し出て、決死の防戦を決意する場面。(上巻p.327)
・京極高藤の娘である、おちょぶを貰いうけに行く場面(上巻p.391)
・対上杉戦で、柴田勝家の作戦に反発して、陣地を去って近江に帰る場面(上巻p.448)
・秀吉と黒田官兵衛の、性格的な類似を説明する場面(上巻p.514)
・柴田勝家を裏切った前田利家に対して秀吉がさりげなく気遣いをした場面(下巻p.366)
・秀吉に家康が謁見をする前日、単身で家康のところに乗り込んで根回しをする場面(下巻p.516)
秀吉には、誠実さを装うことで、人の心を掌握するような場面が多く登場する。その分、とことんまで自我を抑えて制御しているような計算高いところがあり、信長のような破天荒な天才型と比べると、面白さという点では劣る気がする。
なので、読み物としては、エンターテイメントというよりも、組織論としての気づきが多い、ビジネス書に近いところがあるのかもしれない。
この太閤記は、秀吉の一生が描かれているわけではなく、秀吉の全盛期ともいえる時期の少し手前のところで終わってしまう。何でここで終わってしまうのか意味がわからないぐらい中途半端な場面で、唐突に物語は幕引きになってしまうのだけれど、筆者としては、そこで秀吉という人物を示すに足る、特徴的なエピソードは描き切った気持ちだったのかもしれない。
家康を配下にしたがえて、関白になって以降は誰かの機嫌を伺うような政治的配慮の必要もなくなり、晩年には朝鮮出兵などの暗い陰も見えるようになることを考えれば、豊臣秀吉という稀有なキャラクターを、一つの理想的な形で表現し尽くした、「新史」と呼ぶにふさわしい一代記だと思う。
この猿の赤心、誠実の変形も、相手に理解能力がなければなにもならない。
お菊には、不幸にしてそれがない。
彼女の網膜にうつる相手は、者を言えば滑稽、だまっていれば醜悪、というだけの類人猿でしかない。(p.118)
猿は、信長という男の可笑し味は大人というものにならず、体だけそれに似たものに成長してしまったところにあると思った。そういう信長を、猿はこの地上でたれよりも好きになった。
(おれの場合は忠義というようなものではない。好きというものだな)
信長も、猿が好きでたまらぬらしい。もっとも好きといっても、この信長の場合、今川義元が美少年を愛するような大人の好みかたはなく、子供に似ていた。子供が犬猫を可愛がるのあまり、首を締めたり、宙吊りしたり、塀にぶっつけたりして動物の機動性を楽しむように、信長も猿にそれをした。(p.136)
義父にこそわからないが、当の寧々にはわかっている。ほとんど毎日やってくる藤吉郎ほど寧々にとって会話の仕映えのある相手はいない。寧々は生来機智に富み、退屈な相手が大嫌いだった。
この点、藤吉郎はみごとな男だった。こちらが何を問いかけても機智のあふれる返答が返ってきたし、ときには腹をかかえるほどに笑わせられるし、しかも人間に実があり、苦労をしているだけに趣もある。要するに面白いのである。(p.175)
猿は、人懐っこく、かつ信義にあつい。人懐っこさと信義のあつさは、猿の香気であり、もっとも重要な特徴であるように、半兵衛には思えた。げんに猿自身も、かつて半兵衛にいったことがある。
「わしは、人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ」
といった。そのくせ猿は調略の名人というべき才器のもちぬしなのである。もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなかったら、おそるべき詐略、詐欺、陰謀の悪漢になったであろう。猿はそういう悪漢の才能をことごとく備えていた。ところがそれらの悪才を、猿は、その天成のあかるさと信義の厚さというたった二つの持ち前の徳でもって、もののみごとに美質に転換させているのである。(p.257)
「智恵とは、勇気があってはじめてひかるものだ。おれはつねにそうだ」
が、胸中のこまごまとしたことは、依然いわない。言えないのであろう。目の前に生死の運命が屹立している。それを前になにをいったところで、言葉がむなしく虚空に散り消えるだけのことだということも、この豪胆な小男は知っているのであろう。半兵衛重治はこのときはじめて藤吉郎秀吉という男が、この地上で類のない男であることを骨の髄までしみとおるほどの感動をもっておもった。(p.450)
織田家をみよ、と官兵衛は思うのである。なるほど主将信長は権詐にみちたゆだんのならぬ大将であろう。しかしその華やかさは、古今に絶している。天下の人材は織田家の華やかさを慕ってあつまり、信長もまた卒伍のなかから才能をひろいあげてはつぎつぎに大将に仕立て、将も士も器量いっぱいに働いている。まるで才華の大群落をみるようではないか。(p.467)
「わしの神は別にいる。織田信長というお人だ」
と藤吉郎はいった。
なかば冗談であり、なかば本心である。正直なところ、信長は藤吉郎にとって神に似ている。信長によって智恵を啓かれ、運をさずけられ、こんにちの身分をあたえられた。霊験だけではなく、ひとつまちがえば雷神のごとき祟りをなす点も、神に似ているではないか。(p.479)