【感想・ネタバレ】新史 太閤記(上)のレビュー

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泣かぬなら泣かせてみせようというのは本当によく言えているなと思う。秀吉の性格や人間性、商人気質や企画力がありありと描かれている。これほど卑賤から身を興していたとは知らなかった。

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2024年04月10日

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司馬遼太郎の本は初めて読んだ。
秀吉の行ったさまざまなエピソードの裏で、恐ろしいほどに自分を蔑み、気を遣ってきたことなどが描かれていて、人物像がより深く見えた気がします。
下巻も楽しみ。

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2023年12月21日

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太閤秀吉さんは明智光秀を討つまでが大好きな私にはこの上巻はたまらない展開でした。さて晩節が多少辛い展開になるかと思いますが、司馬さんはどう書くんだろう?と期待しつつ下巻に向かいます。

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2023年11月04日

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出版当時は「新史」太閤記、今や「真史」太閤記。秀吉像を作り上げた一冊。
まるで見ていたかのような人物描写、圧倒的な筆力。最後まで一気に読ませます。
上巻は荒木村重の反乱まで。

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2022年09月14日

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藤吉郎(羽柴秀吉)を主人公に物乞いから信長に使える大将へと成り上がっていく戦国物語。

出てくる登場人物が本当に濃いキャラクターばかりで戦国時代をリアルに描かれている。
猿と呼ばれた秀吉がどんな人物であったか、
信長の事をどれほど思っていたか、
竹中半兵衛、黒田官兵衛、才覚ある武将を登用し、人の心を掴む人たらしという才能を思う存分発揮し、朝鮮攻略という大志を抱いて激しい時代を生き抜く様をありありと描いた大作。

文句なしの5つ星だった。

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2022年06月21日

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ネタバレ

秀吉の放浪少年時代〜42歳毛利氏との戦いまで。最後で竹中半兵衛が死んでしまった…ショック。

秀吉が人たらしの能力を発揮して実績を残し、少しずつ信長の信頼を得ていく。その賢さに舌を巻くのと、信長の烈しいパワハラにハラハラする。

頭の中でドラマ信長協奏曲の配役に置き換えて読んだけど、秀吉の顔の描写がひどすぎて(特に物語前半、ひたすら猿顔についてディスる司馬遼太郎…)、山田孝之と合致しなかった。笑




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2022年03月15日

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秀吉が鰻登りに出世する様子を見てかなりの勇気をもらいました。自分のコンプレックスを強みに変えていく様が何とも言いようがないくらい素晴らしかったです。普通に考えれば落ち込む所ですが、良いように考え人生が好転していく、これは自分の生活にも十分役に立てると感じました。

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2022年02月17日

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小説とはいえ、あまりよくわかっていない、世に出る前の藤吉郎をそれらしく描いている箇所が面白かった。多分事実もこうだったんだろうと思わせる。そして信長の元どんどん出世するさまは、さすがの司馬節、納得感がある。

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2021年04月14日

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豊臣秀吉。
その名を聞いて思い浮かぶ人物像としては”陽気"
"女性好き"そして"人誑し"…などが挙げられる。
司馬遼太郎はその"人誑し"の才能に重きを置いて物語を進めている。
それも、彼の持って生まれた人を惹きつける笑顔と陽気さの裏に隠された暗い、計算尽くされた側面を描くことで豊臣秀吉という将の器の大きさがより見えてくるから不思議だ。
上巻では、織田信長という偉大すぎる存在が豊臣秀吉の一種の鎖として機能していた。しかし、あの本能寺の変で織田信長が亡くなった後…、鎖を失った豊臣秀吉の躍進を思うと、高揚感と同時に薄ら恐ろしい感覚さえ覚えた。

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2020年10月26日

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当然秀吉の話は知っているが、秀吉が主役の本を読むのは意外と初めてである。

やはり秀吉の魅力は人たらしなところなんだな。ここまでやられては人は嫌な気にはならず秀吉のために、となる。それを本気でありながらしたたかに計算していることもすごい。

信長との関係も面白い。初めは不世出の天才としてどうやってこの主人に役に立ち出世しようかと考える。しかし終盤は天才の限界を感じるほどに自らが成長、器の大きさを示す。

最初から秀吉では天下統一はならなかったろう。信長の苛烈さは最初に国を切り取るのに必要。その後は秀吉の人心掌握での領地拡大であったのだろう。

二人の天才が世に同時に現れ、主従となった奇跡が天下統一になったと感じる。どちらかだけではなし得なかっただろう。

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2020年07月15日

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時代小説の革を被ったビジネス書。
部下としての仕事と、上司としての仕事と、社長としての仕事。全てが参考になる。
自分の年齢にあわせて何度でも読み返すべき。
毎回何かが得られる気がする。

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2020年05月15日

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【感想】
天下人・豊臣秀吉の人物史。
豊臣秀吉の生き方は、現代でも十分に通用する処世術だと思う。

愛嬌があり、人に可愛がられやすい。
敵を作らない。
人が嫌がることを率先して行なう。
長期的な視野を持ち、見返りを求めない。

もちろん秀吉はただのバカではないし、また都合のいいだけの人間ではなく、先を見据えて日々生きている。
言動ひとつとっても充分に頭の中で考えた上で慎重に行いつつ、その雰囲気を周りに気づかせない。
古今東西、自分の意見を通すことに必死な人間が多い中、「猿」の処世術は遅咲きになるだろうが、必須なテクニックであると思う。

物語の終盤で、合理・完璧主義の信長と猿の差が如実に表れていき、信長の限界に猿自身が気づく場面があった。
人は理屈だけでは動かない。
入念な準備と、愛嬌と、柔和さなどを持ち合わせて行動する大切さに気付いた1冊でした。


【あらすじ】
日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し"の天才、豊臣秀吉。
生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。
古来、幾多の人々に読みつがれ、日本人の夢とロマンを育んできた物語を、冷徹な史眼と新鮮な感覚によって今日の社会に甦らせたもっとも現代的な太閤記である。


【内容まとめ】
1.尾張の地形による国民性
道路が多く、水路も多い。自然の勢いで商業が発達してゆく。
また、地勢的に商売しやすいため、人間が利にさとくなり、投機的になる。

2.猿は、恩賞において侍ではなく商人である。
新恩を頂戴して信長に損をかけた以上、敵地を少なくとも千貫は切り取り、信長の出費をゼロにしつつ頂いた500貫分を信長に儲けさせなければならぬ。
信長から禄という資本(もとで)を借り、その資本によって信長を儲けさせることのみ考え続けた。

3.「わしは人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ。」
猿は人懐っこく、かつ信義にあつい。
人懐っこさと信義のあつさは猿の魅力であり、最も重要な特徴である。
もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなければ、おそるべき策略・詐欺・陰謀の悪漢になったであろう。
ところがそれらの悪才を猿は、その天性の明るさと信義の厚さという二点の持ち前を持って、物の見事に美質に転換させていた。

4.「智恵がある者は心術がつねに清々しくあらねばならぬと常々自分に言い聞かせている。俺には毒気がないぜ」
猿は自戒していた。一歩誤らぬために猿にはタブーがあった。家中の侍の批評をしないことである。

5.人々は猿が信長をあやすと嫉んだが、あやしているつもりなどない。
信長は史上類を見ないほどに人間に騙されない男であった。
猿は騙すあやすの手を用いているつもりはなく、ただ心魂をこめて信長のよき道具になろうとしているにすぎなかった。
また、それ以外の雑念がなさそうなことを、誰よりも信長が見抜いていた。

猿が天下に対し別念を起こすに至るのは、信長の死後のことである。


【引用】
p13
三河には、徳川家康とその家臣団の気風で代表されるような「三河気質」というものがある。
極端な農民型で、農民の美質と欠点を持っている。
律儀で篤実で義理にあつく、戦場では労をおしまず命をおしまず働く。
着実ではあるが、逆に言えば、投機がきらいで開放的ではなく冒険心に乏しい。印象としては陽気さがない。

が、隣国の尾張はまるで違う。地形が違うのである。
道路が多く、水路も多い。自然の勢いで商業が発達してゆく。
また、地勢的に商売しやすいため、人間が利にさとくなり、投機的になる。


p62
「猿殿は、なにになりたいの?」
「何にでもよい。俺の夢は、いつでも腰の袋に永楽銭が二十枚も入っていて、友だちが飲みたいといえば即座に振舞ってやり、食いたいといえば躊躇いなく奢ってやれる身分になりたいことだ」
「つらつら思うに…人に奢ってやるほどの快事はないような気がする」


p178
猿は、いかに美人であっても自分と同列の家の娘やそれ以下の階級の娘には何の魅力も感じない。
この心情は、猿の出生の卑しさに繋がるであろう。
加えて猿の向上心の激しさや、憧憬心の強さをも表していた。


p212
「殿様に御損をかけた。倍の千貫は稼ぎ取らねばならぬ」
侍の常識から見れば、ひどく滑稽な思想であった。
普通の家士なら、功名をたてて禄を得ればそれだけで侍の名誉をあげたとして自足するところであり、そういうことで主従関係は成立している。

しかし猿は、この点において侍ではなく商人である。
新恩を頂戴して信長に損をかけた以上、敵地を少なくとも千貫は切り取り、信長の出費をゼロにしつつ頂いた500貫分を信長に儲けさせなければならぬ。

猿は信長から禄という資本(もとで)を借り、その資本によって信長を儲けさせることのみ考え続けた。


p226
・竹中半兵衛との面談にて
信長が英雄であるかどうかはわからない。
ただ信長は、おそろしく仕事好きで、家来についても仕事をする者のみを好み、家来を愛憎したりすることをせぬ。
能ある者を好み、その好む度合いは馬を愛するよりも甚だしい。


「私は信長を嫌っている。足下は信長が士を愛するといわれるが、あの態度は愛するというより士を使っているだけだ。」
「貴殿ほどのお人のお言葉とは思えませぬ。愛するとは、使われることではござらぬか?」

なるほど、そうであろう。
士が愛されるということは、自分の能力や誠実を認められることであろう。
理解されて酷使されるとことに、士の喜びがあるように思える。


p257
「わしは人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ。」
猿は人懐っこく、かつ信義にあつい。
人懐っこさと信義のあつさは猿の魅力であり、最も重要な特徴である。

そのくせ、猿は調略の名人というべき才能の持ち主なのである。
もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなければ、おそるべき策略・詐欺・陰謀の悪漢になったであろう。
ところがそれらの悪才を猿は、その天性の明るさと信義の厚さという二点の持ち前を持って、物の見事に美質に転換させていた。


p293
(佞臣とおれとは、きわどい差だ)
だから、自戒していた。一歩誤らぬために猿にはタブーがあった。家中の侍の批評をしないことである。

「智恵がある者は心術がつねに清々しくあらねばならぬと常々自分に言い聞かせている。俺には毒気がないぜ」

単純な利家は、猿の心の朗らかさに酔ってしまい、内心感心し、あとで人にも言いふらした。
「あの男を憎むは憎み損よ、憎めば憎むほど無邪気によろこぶわ」と。
人も呆れ、あまり悪口を言わなくなった。


p350
猿は、信長を研究しぬいていた。
信長は、部将どもが独断専行することを憎み、かつ同時に、独断専行せぬことを憎む。
問題によっては相談せずに事を運んでしまい、問題によっては信長にしつこいほど指示を仰いでその厳重な指揮下で動く。

人々は猿が信長をあやすと嫉んだが、あやしているつもりなどない。
信長は史上類を見ないほどに人間に騙されない男であった。
猿は騙すあやすの手を用いているつもりはなく、ただ心魂をこめて信長のよき道具になろうとしているにすぎなかった。

また、それ以外の雑念がなさそうなことを、誰よりも信長が見抜いていた。
猿が天下に対し別念を起こすに至るのは、信長の死後のことである。


p522
(信をうしなえば、天下が取れぬ)
というのが、藤吉郎の持論であった。
ただでさえ織田家の独善と功利性が不評判になっているのに、またまた悪例をつくって天下に喧伝されてしまえば、このあとどんな事態が起こるかわからない。

そもそも、官兵衛が苦心して仕上げた播州における懐柔外交が一挙に崩れたのは、豪族たちのなかにひろがっていた織田家に対する不信感であった。

(…これが、この)
と、肚のなかで不逞のことを思った。
これが信長という天才の限界ではないか、ということだ。
この天才は戦略的功利性のみを貴しとし、重視し、心配りを常に軽視し続けている。

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2019年02月27日

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毛利方との高松城での戦までの上巻。秀吉活躍こそ戦国時代末期を飾る大きな歴史の分岐点であり、劇的な展開が用意されており、作者が描けばそれは面白くなります。
人たらしの秀吉らしい爽快なエピソードや軍略、信長や黒田官兵衛をはじめ有名どころの登場と、そこそこの厚さの上下巻でもテンポ良い展開で飽きさせません。
読み手すらたらさせる秀吉の人間的魅力を以てこその天下取りと改めて感じさせます。

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2019年02月25日

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かなり面白かったし、読みやすかった。
特に、藤吉郎の信長に対する感情が細かく書かれていて、楽しかった。
藤吉郎の「人たらし」能力は、現代の方が重要な気がした。

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2019年02月24日

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まさに出世モノの王道。ワクワクしながら読めます。
司馬さんの生き生きとした人物描写が、さすがという感じで、何といっても、信長と“猿”の主従関係が絶妙すぎます。相性が良かったのでしょうね。
この巻は、秀吉の少年時代から、中国攻めで黒田官兵衛と出会い、竹中半兵衛が逝くところで終わります。
下巻が楽しみです。

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2018年08月25日

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「国盗り物語」に続いて読む。信長と秀吉の関係はとにかく面白い。二人の生まれる順番が逆だったら、とか、二人の境遇が反対だったら、とか夢想してしまうが、秀吉の人格はあの境遇なればこそか。
「恵瓊の予言」が上巻だけで二度出てくる。同じような人物論のうち外れたものもいっぱいあるんだろうが、それでも空恐ろしくなる話だ。

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2018年03月12日

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☆☆☆2011年11月レビュー☆☆☆

容貌醜悪、卑しい出自・・・
コンプレックスの塊のような秀吉が
凄まじいまでの努力と優しさによって出世してゆく『太閤記』という読み物は日本が世界に誇る文学作品だが
本書は司馬氏が独自の『秀吉』を描く。
各国を放浪し、苦労しながらも信長に拾われ才能を発揮。全力で仕事をこなしていく秀吉の姿に心打たれる。
金ヶ崎の退却戦のシーンがもっとも印象に残った。
仲間を逃がすために自ら犠牲になろうとした秀吉の覚悟の大きさを見事に描ききっていると思う。
人たらしと言われたその力を生かし、敵をどんどん味方に引き込む彼の魅力もよく伝わってくる。
この作品もまた、読む人に元気を与える名作。


★★★2019年1月★★★

久しぶりに読んだ。
木下藤吉郎の若い頃。
悲惨な時代を知るがために必死に働く姿が胸を打つ。
「奉公を商っている」
つまり、使われるのでなく一人の個人として「奉公」というものを請け負っている。
この姿勢は素晴らしいと思う。
僕も一つ一つの仕事を「請け負っている」という思いで日々頑張りたいものだ。

藤吉郎は、その悲惨な前半生にも関わらず、いつも前向きで明るい。人を殺すのを好まず、調略で戦争を片付ける。戦国時代にあって、稀有の優しさを持った男だからこそ、天下を取ることができたのだろう。

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2019年01月11日

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豊臣秀吉の逸話と言えば色々あるが、それを凝縮して描かれている。国盗り物語などとを読むと、順番はどちらでもよいが、知識や内容が繋がり初めて余計に面白い。

農民の出など色々とあるが、このように分かりやすく、読みやすい物語となると歴史がより一層面白く感じるのではないか。

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2023年10月20日

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実際の人物はどうか分からないが(だからこそ小説でいかようにも書けるのだが)、この上巻では、司馬は豊臣秀吉を人たらしの天才のみならず、相手の人物を瞬時に見抜く洞察力を持ち、また時には命を顧みず突撃する実行力が極めて高い人物として描いている。また所々で天下人としての器があることを示唆している。

この上巻は荒木村重の謀反までであるため(しかも黒田官兵衛が救出されたところまでで戦後処理については書かれていない)、まだ純粋で忠実な信長の家来としての秀吉でしかない(しかし着実に天下人への歩みを進めている)が、下巻で天下を取った後、司馬が人物像をどのように描写するか興味深い。

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2023年01月03日

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勧められてなんとなく読み始めた一冊でした。テンポ良く、描写も伝わりやすくて、読んでいくうちにのめり込んでしまい、最後まで楽しめました。

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2022年06月23日

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 秀吉の前半生に持っていたであろう天性の明るさを十二分にまで描き、その出世していく姿に対して、小説の力で見事なまでに面白さを加味しているところに、加速度的にのめり込ませられた。
 当時としては、現代よりも当然として自身の能力よりも重要視されている家柄などのことに加えて、自身のコンプレックス(猿顔、血筋、身体能力等)をいかに単純に逆転していくかといったものでなく、あまり描き過ぎていないところがいいのかも知れない。
 それ故に人たらしは何処か納得はするものの、真似のできない、捉えどころのない秀吉自身しか有せない、個性(とでもいいのか)と浮かび上がる。
 下巻に秀吉の影がどの様に濃くなるか、気になるところではある。

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2022年03月20日

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以前に読んだものを再読。
やっぱり面白い。
登場人物が生き生きと描かれていて、こういう人だったんだろうなぁと思わせる。

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2021年05月02日

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文庫版。秀吉の人間味ある半生がつづられ、元気を貰える。言い回しが古く固く感じ、読みにくい漢字もあったが、人生の生き方の一助にもなりそう。天下統一までの話で、晩年の話が少なかったのが残念だった。【満足度85点】

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2021年02月11日

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おれはこの世で立つ何物も持ちあわせておらぬ。金も門地も。せめて律義でなければ人は相手にすまい。

いやはこの世は、いわば長い狂言の場ではありますまいか。

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2021年01月05日

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ここのところ、どんどん司馬遼太郎ワールドへのめり込んでいく気がする、現代の歴史ドラマや小説は、視聴率やベストセラー狙いで、感動や涙を誘う演出・脚本ストーリーを盛っているような気がしてならない、しかし、この太閤記もそうであるが時代背景を元に淡々と進行していくようであるが著者の想いが伝わってくる、飾りすぎず、商売が原点でなく、とことん人物や時代に拘った作風が最近心地よく感じてしまう。

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2020年08月25日

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藤吉郎という男の不思議。戦や殺人を好まない男が戦国時代に生まれ、なんなら商人ではなく武士を志し、これまでにモデルのない武将となる不思議。人を機能として見ることしかしない破格の武将に見いだされる不思議。これでは誰が語り部であってもファンタジーを語りたくなるだろうが、そこは司馬遼太郎が極力史料をもとに中立に描く。その答えがここで描かれている「誠実な人たらし」という人物像だ。権謀詐術を駆使しながらも、なぜか他人から好かれた男だったのが、やはり、人を傷つけたりすることが嫌いな男だからだ、という作者の視点が優しい。

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2020年08月22日

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駿遠の者は、要害を軽視し戦が起こったら三河者を戦わせている。猿=のちの日吉丸は思った「それでは三河兵が戦慣れして強くなるばかりではないか」また「当地は平和すぎる、志は伸べられぬ」。戦国武将のうちでも秀吉は最も下層から、のし上がった。僥倖もあれ出逢ったキャラを利用し、しかも利用されたと恨みを残さない利用法が成功の鍵か。多彩なキャラが登場。表情豊かは主人公の絶対条件、出世するものは凡庸な朋輩に憎まれ嫉まれる。著者は人蘯しという特性を付け加えた。美醜とは何だろう「この男は顔立ちに負け目を感じたことは一度もない」

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2019年03月15日

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歴史上もっとも出世した猿と呼ばれた人間の生涯を描いた作品である。

司馬観と呼ばれる独特の世界観が読者を飽きさせない。

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2019年02月18日

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ともすれば、姑息・卑怯等の悪いイメージを持たれがちな秀吉だが本書を呼んで180°印象が変わる。もちろん司馬遼太郎による脚色、想造によるところは多分にあるのであろうが、それを差し引いても秀吉の思考法は今の日本人が学ぶべきだと感じた。

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2018年10月25日

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「新史太閤記」は、時代的には「国盗り物語」の後編である「信長編」とだいたい同じような時代を書いた物語なのだけれど、視点と、中心となっている人物がだいぶ変わっている。
「国盗り物語」の後編での、各人物の描写の割合が、明智光秀:信長:秀吉=5:4:1だとしたら、この「新史太閤記」では、光秀:信長:秀吉=1:4:5になっている感じだ。
なので、「国盗り物語」では信長と光秀の、正反対ともいえる性格の相容れなさを描いていたけれど、この小説では、秀吉と信長の奇跡的な相性の良さを示すエピソードが中心になっている。

特に好きだった場面は、
・北陸遠征からの撤退の時、金ヶ崎城への籠城を申し出て、決死の防戦を決意する場面。(上巻p.327)
・京極高藤の娘である、おちょぶを貰いうけに行く場面(上巻p.391)
・対上杉戦で、柴田勝家の作戦に反発して、陣地を去って近江に帰る場面(上巻p.448)
・秀吉と黒田官兵衛の、性格的な類似を説明する場面(上巻p.514)
・柴田勝家を裏切った前田利家に対して秀吉がさりげなく気遣いをした場面(下巻p.366)
・秀吉に家康が謁見をする前日、単身で家康のところに乗り込んで根回しをする場面(下巻p.516)

秀吉には、誠実さを装うことで、人の心を掌握するような場面が多く登場する。その分、とことんまで自我を抑えて制御しているような計算高いところがあり、信長のような破天荒な天才型と比べると、面白さという点では劣る気がする。
なので、読み物としては、エンターテイメントというよりも、組織論としての気づきが多い、ビジネス書に近いところがあるのかもしれない。

この太閤記は、秀吉の一生が描かれているわけではなく、秀吉の全盛期ともいえる時期の少し手前のところで終わってしまう。何でここで終わってしまうのか意味がわからないぐらい中途半端な場面で、唐突に物語は幕引きになってしまうのだけれど、筆者としては、そこで秀吉という人物を示すに足る、特徴的なエピソードは描き切った気持ちだったのかもしれない。
家康を配下にしたがえて、関白になって以降は誰かの機嫌を伺うような政治的配慮の必要もなくなり、晩年には朝鮮出兵などの暗い陰も見えるようになることを考えれば、豊臣秀吉という稀有なキャラクターを、一つの理想的な形で表現し尽くした、「新史」と呼ぶにふさわしい一代記だと思う。

この猿の赤心、誠実の変形も、相手に理解能力がなければなにもならない。
お菊には、不幸にしてそれがない。
彼女の網膜にうつる相手は、者を言えば滑稽、だまっていれば醜悪、というだけの類人猿でしかない。(p.118)

猿は、信長という男の可笑し味は大人というものにならず、体だけそれに似たものに成長してしまったところにあると思った。そういう信長を、猿はこの地上でたれよりも好きになった。
(おれの場合は忠義というようなものではない。好きというものだな)
信長も、猿が好きでたまらぬらしい。もっとも好きといっても、この信長の場合、今川義元が美少年を愛するような大人の好みかたはなく、子供に似ていた。子供が犬猫を可愛がるのあまり、首を締めたり、宙吊りしたり、塀にぶっつけたりして動物の機動性を楽しむように、信長も猿にそれをした。(p.136)

義父にこそわからないが、当の寧々にはわかっている。ほとんど毎日やってくる藤吉郎ほど寧々にとって会話の仕映えのある相手はいない。寧々は生来機智に富み、退屈な相手が大嫌いだった。
この点、藤吉郎はみごとな男だった。こちらが何を問いかけても機智のあふれる返答が返ってきたし、ときには腹をかかえるほどに笑わせられるし、しかも人間に実があり、苦労をしているだけに趣もある。要するに面白いのである。(p.175)

猿は、人懐っこく、かつ信義にあつい。人懐っこさと信義のあつさは、猿の香気であり、もっとも重要な特徴であるように、半兵衛には思えた。げんに猿自身も、かつて半兵衛にいったことがある。
「わしは、人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ」
といった。そのくせ猿は調略の名人というべき才器のもちぬしなのである。もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなかったら、おそるべき詐略、詐欺、陰謀の悪漢になったであろう。猿はそういう悪漢の才能をことごとく備えていた。ところがそれらの悪才を、猿は、その天成のあかるさと信義の厚さというたった二つの持ち前の徳でもって、もののみごとに美質に転換させているのである。(p.257)

「智恵とは、勇気があってはじめてひかるものだ。おれはつねにそうだ」
が、胸中のこまごまとしたことは、依然いわない。言えないのであろう。目の前に生死の運命が屹立している。それを前になにをいったところで、言葉がむなしく虚空に散り消えるだけのことだということも、この豪胆な小男は知っているのであろう。半兵衛重治はこのときはじめて藤吉郎秀吉という男が、この地上で類のない男であることを骨の髄までしみとおるほどの感動をもっておもった。(p.450)

織田家をみよ、と官兵衛は思うのである。なるほど主将信長は権詐にみちたゆだんのならぬ大将であろう。しかしその華やかさは、古今に絶している。天下の人材は織田家の華やかさを慕ってあつまり、信長もまた卒伍のなかから才能をひろいあげてはつぎつぎに大将に仕立て、将も士も器量いっぱいに働いている。まるで才華の大群落をみるようではないか。(p.467)

「わしの神は別にいる。織田信長というお人だ」
と藤吉郎はいった。
なかば冗談であり、なかば本心である。正直なところ、信長は藤吉郎にとって神に似ている。信長によって智恵を啓かれ、運をさずけられ、こんにちの身分をあたえられた。霊験だけではなく、ひとつまちがえば雷神のごとき祟りをなす点も、神に似ているではないか。(p.479)

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2020年07月15日

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