【感想・ネタバレ】新史 太閤記(下)のレビュー

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Posted by ブクログ

家康が臣従し、ある程度近畿、関東の平定までの内容。

相変わらず司馬遼太郎の読みやすい内容でペラペラと手が進んでしまった。

九州、朝鮮への出兵はこの本では描かれていない。なぜなんだろうと考えた時、豊臣秀吉といえば確かにそれを物語る上で信長時代の出世。その後の豊臣政権確立までが秀吉だなぁと思った。九州、朝鮮出兵はあくまでその後の蛇足(すごい秀吉に失礼)秀吉の物語として描く必要はないのかなぁと感じた。

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2023年12月10日

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うわ〜ここで終わりにするのか!と思うくらいのエンディング。秀吉の生涯を最後まで書ききらない司馬さんにある意味、感謝しながら物語を読み終えました。
これはすぐれたビジネス書でもあり自己啓発の書でもあると思います。
俄然、やる気のでてくる物語でした。

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2023年11月11日

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下巻は天下人を目指す秀吉。一代記ではなく、下巻は大阪城での家康の謁見までです。
天下統一後の、朝鮮出兵や秀次切腹まで書くと、この本で描かれた秀吉像と整合が取れなくなる?
圧倒的な筆力です。昨今の作家の歴史小説など、人物像が薄っぺらく、ばからしくて読めなくなりますのでご注意ください。

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2022年09月14日

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最後までしっかり面白かった!本能寺の変から天下統一を目指すまでの下巻。元同僚達を懐柔し、時には武で制して臣下におさめていくリーダーシップはすごい。残酷なシーンはさらりと書いてあるのも良い。司馬遼太郎は裏切らないなあ…

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2022年03月21日

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全国統一のグランドデザインを、日本を経済圏として見ていたのは、武将ではない秀吉ならではの発想なのだろう。してみると、商人上がりの斎藤道三では時代が早すぎたし、織田信長は既成概念にとらわれない頭脳の持ち主とはいえやはり大名であり武士であるから、秀吉のような構想を持ちえたかどうか疑問だ。まさに歴史の要請があるところに、例を見ない上昇志向の持ち主がいて、しかも異常なまでのバイタリティと先見の明を持っていて、血縁や家柄であるとか、個人ではどうしようもない概念のような困難なものまで含んだそれまでの世の中の仕組みを、実際に変革していくだけの行動力を持った男がここに誕生していて、それにいろいろな偶然が重なりながら歴史が変わっていくことの妙。外交と経済で日本を統一していく太閤秀吉のスタイルには信長の残した資産が必要であったし、最終的に統一国家を継承する徳川家康は秀吉が造り上げた世界がなければ長期政権は無しえなかっただろう。すべてが筋書きのようですらある。主人公をファンタジーのように描くのではなく、とはいえ、妙に現代ビジネスマンのように描くのでもなく、歴史上の人物を同時代の人間が物を感じ物を考える人のように描く作者の人間描写が好きだ。

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2020年09月19日

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下巻はいよいよ本能寺の変から本格的に秀吉が天下統一を果たしていくことになる。

信長という存在がある限り、秀吉の目的は信長を儲けさせる事。そのためなら信長から殴られようが蹴られようが、その目的のために事をなしていく。

ふと信長のやり方よりも自分のやり方のほうが上手くいくと思っても、そこは耐える。主君を裏切ってまで我を張らない。自分のほうが器が大きいと思っても。

それが信長という存在がいなくなる事で解放された時、秀吉の才能が爆発する。後半は秀吉の独り舞台。

天下を取るために、どのように相手に振る舞えばいいか。大名という土台がないだけに自分一人の才能が頼りになる。

不世出の天才の後半は描かれない。小説としてここで終わるのは残念だが、この後は秀長が没し歯止めが効かなくなる。これでいいと思う。

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2020年07月15日

Posted by ブクログ

【感想】
上巻に続き、とても面白かった。
「本能寺の変」によって仕えていた信長を亡くし、悲しみつつも義理を果たしたと切り替えて、「今度は俺が天下を取る」と計画を達成していく様は、読んでいてとても爽快に感じた。

(例外も少々あったが)どの敵に対しても慈愛の心を忘れず接し、「不殺をもって人を手なずけ、世間を飼い慣らす」事に力を注ぐ。
こと戦に関しては、用意周到に準備を行なって、投機性を減らして必ず勝つべき態勢を作り上げていく。
出身が卑しいために難儀することも多かったが、決してそれに屈さず、陽気さを保って難事を乗り越え出世を果たしていくのは、本当に現代にも通ずる処世術だ。

また、快進撃を続ける秀吉に対し、「最大の壁」となり続けた徳川家康の巧妙さも読んでいて目を見張るものがあった。
これから読む「覇王の家」もとても楽しみだ。



【あらすじ】
備中高松城を水攻めのさなか本能寺の変を伝え聞いた秀吉は、“中国大返し"と語り伝えられる強行軍で京都にとって返し、明智光秀を討つ。
柴田勝家、徳川家康ら、信長のあとを狙う重臣たちを、あるいは懐柔し、あるいは討ち滅ぼすその稀代の智略は、やがて日本全土の統一につながってゆく。
常に乱世の英雄を新しい視角から現代に再現させる司馬遼太郎の「国盗り物語」に続く戦国第二作。


【内容まとめ】
1.秀吉のやり方は、キリスト教に似ているところもある。
過去のどの武将も見せなかった「愛」というものを意識的に持ち、敵にさえ愛を与えることで、恨みを買わずに天下の人心を集めようとした。

2.秀吉の合戦は、敵を見たときにはもはや合戦のほとんどが終わっていた。あとは勝つだけであった。
戦は勝つべき態勢をつくりあげることであった。
味方を増やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。
合戦のもつ投機性を減らし、奇跡を信じず、物理的に必ず勝つ態勢へ盛り上げていく。

3.「世の事はすべて陽気にやるのよ」
それが秘訣だ。悪事も善事も陽気にやらねばならない。
朗らかにあっけらかんとやってのければ、世間もその陽気さにひきこまれ、幻惑され、些細な悪徳までが明色に塗りつぶされて一種の華やかさを帯びる。

4.好人物であるはずの家康が、体のどこにそれをしまい隠したのか、人としての凄みを見せ始めている
どのようなアプローチをもっても、家康の態度は変わらず、ほとんど海底の魚のように沈黙し続けていた。

5.「人たらし」秀吉
人を無用に殺さぬということが織田時代から見せてきた彼の特色であり、彼の政治的標榜であるかのように天下に知られており、秀吉と一旦戦ったものでもあとで安堵して降伏する傾向が諸国で見え始めていた。
秀吉はそれを意識的な政策とし、不殺をもって人を手なずけ、世間を飼い慣らそうとしていた。


【引用】
p41
・鳥取城の攻略
直接的な戦いではなく、敵を籠城させ、一切の供給を断たせた。

秀吉のやり方は、キリスト教に似ているところもある。
過去のどの武将も見せなかった「愛」というものを意識的に持ち、敵にさえ愛を与えることで、恨みを買わずに天下の人心を集めようとした。


p51
・「百万石は資本にすぎぬ」
理屈と利益に鋭敏な信長にとって、高禄の諸将はもはや不要になりつつある。
罪がなくとも、強欲さや働きの鈍さなどで放逐されてしまう。

(征服が終われば、自分も追放されるか殺されるかもしれない)
という不安が秀吉にも常にある。
が、万事陽気な思想人は、その底冷えるような不安さえ逆手にとって積極的な思想に仕立てていた。
「百万石は自分の私財ではなく、織田どのを儲けさせ奉る資本(もとだね)である」という思想であった。


p151
秀吉の合戦は、敵を見たときにはもはや合戦のほとんどが終わっていた。あとは勝つだけであった。
(戦とは、そうあらねばならぬ。)
戦は勝つべき態勢をつくりあげることであった。
味方を増やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。
合戦のもつ投機性を減らし、奇跡を信じず、物理的に必ず勝つ態勢へ盛り上げていく。

行軍中の多忙さは、その勝利への情勢をつくるためであった。
戦場へ現れたときの彼は、すでに暇であろう。


p197
・清洲会議にて
信長が死んだ。
もはや義理は済んだ。信長の遺児にまで儲けさせることはないであろう。
(今度は俺が儲ける番だ。)
それには織田家の権を、その遺児どもには呉れてやらず、自分が横取りせねばならぬ。いわば、大悪事である。

(人間一生のうち、飛躍を遂げようとおもえば生涯に一度だけ、渾身の智恵をしぼって悪事をせねばならぬ)
ここで秀吉にとって肝心なことは、悪事を思い切って陽気にやらねばならぬことであった。


p280
「官兵衛、世の事はすべて陽気にやるのよ」
それが秘訣だ、と秀吉は思っている。
悪事も善事も陽気にやらねばならない。
朗らかにあっけらかんとやってのければ世間のものもその陽気さにひきこまれ、幻惑され、些細な悪徳までが明色に塗りつぶされて一種の華やかさを帯びてくる。


p288
・柴田勝家の家康に対する調略について
(何のためにわしが三七信孝を助けねばならぬ。)
理由がなかった。勝家の側にこそあるが、家康の側にはない。
勝家は常に相手側の都合や利害を考えようとしていない。

家康のみるところ、勝家は調略のできる男ではない。
いま家康が何を欲し、何を怖れ、何に魅力を感じているか。
そういうことについての犀利な分析がまるで欠けている。

しかしながら、羽柴に対しても家康はいま手を結ぼうとは思わない。
家康にすればこの混乱期を利用して強大な独立勢力をつくりあげてしまいたいと思っており、それ以外に余念はない。


p355
起き上がって飲む者は生きている証拠だろう。起き上がれずに倒れているのは死者であった。
秀吉は小人頭に命じて、高値な金を払わせて笠や蓑を集めさせた。
それらを負傷者にかけさせ、せめて直射だけでもそれによって防がせた。
この男は、こういう気遣いが自然に出る男であった。
可哀相だという感情が人一倍過剰で、別に演技ではなかった。


p367
「このたびの合戦、亭主殿に助けられ、そのおかげにて大勝利を得た。」
人扱いは秀吉にとってもはや名人芸というべきであろう。
この男は、内通、裏切りといったような、ひとの倫理観を刺激するような言葉を一切使わなかった。
彼はあくまでも「利家に助けてもらった」とのみ言い、お松にまで感謝した。
「今後どちらにつく」といったふうの露骨な言葉づかいも利家への思いやりのために避けた。

共ひとり連れずに敵城に乗り込み、湯漬けをかきこんでいる。
お松はそういう秀吉を見て、(天下はこの人のものじゃな)と心から思った。


p370
勝家は激戦の末、自刃して建物もろとも自分の遺骸を爆焼させた。
「やむをえなかったのだ!」
秀吉は敵城を見ながら大声で言った。諸将に聞かせねばならなかった。

人を無用に殺さぬということが織田時代から見せてきた彼の特色であり、彼の政治的標榜であるかのように天下に知られており、秀吉と一旦戦ったものでもあとで安堵して降伏する傾向が諸国で見え始めていた。
秀吉はそれを意識的な政策とし、不殺をもって人を手なずけ、世間を飼い慣らそうとしていた。

「勝家だけはちがう」
彼を生かしておいては今後の天下統一の大きな支障となる。
「天下を鎮めるためだ、やむをえぬ!」

織田家における最大の競争相手が滅んだことが、秀吉の生涯に新しい時期を画させることになった。
今まで秀吉の意識や行動、才能さえも束縛していた「織田家」というものが、勝家の死によって彼の頭上からまったく取り払われた。


p420
「なんという男だ」
すでに造営中の大阪城に移っていた秀吉は、はじめてあの小太りの三河人に対し、恐怖に近い思いを持った。
どのようなアプローチをもっても、家康の態度は変わらず、ほとんど海底の魚のように沈黙し続けていた。

「家康というひとは、右大臣家の死後、お人が変わられたようだ。」
秀吉の家康観をあらためさせたのは、あの好人物であるはずの男が、体のどこにそれをしまい隠したのか、人としての凄みを見せ始めていることであった。


p505
天正13年7月に関白に任ぜられ、同年9月には豊臣の姓を授けられた。
この国の歴史に「豊臣」という姓が新興したのである。
この姓は、黄金の輝きをもっていた。
秀吉の巨万の富がそう世間に印象させただけでなく、この男の運の良さがそう印象させた。

しかし、家慶に対する懐柔はその後も続き、彼の生涯における最大の事業になってしまった。

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2019年03月12日

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播州三木城に幽閉された黒田官兵衛を救出するところから天下を平定するまでの下巻。
山場が3つ、明智光秀の謀反と秀吉の政治的立ち回り、賤ヶ岳の戦いを山場とした柴田勝家との闘争、家康との駆け引き。
信長の死でそれまで骨の髄まで献身的だった秀吉が自己のために動き出す劇的な描写が印象的です。
人を引きつける陽気で友好的な政略は大いに学ぶべきコミュニケーション手段と感じる。
深いテーマが多く盛り込まれた良書です。

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2019年03月03日

Posted by ブクログ

非常に読み易く、あっという間に読み終えてしまった。

何より印象に残ったのが、秀吉は要所要所で腹をくくり、賭けをしていること。
もしかしたら、1人で相手の屋敷に飛び込んだら殺されるかもしれない。でも、それをしないと事は成就しない。
常人であれば、相手の屋敷に飛び込む事はないが、秀吉は躊躇わずに飛び込む。
恐るべき胆力と、運の良さを持ち得た人物だと思う。

併せて面白かったのが、合戦の時は事前準備に全精力を注ぎ、開戦時にはすでに勝ちが決まっていること。
孫子の兵法どおりのやり方だが、事前準備の大切さを思い知らせてくれるエピソードだった。

この本は、示唆に富むことが多い。定期的に読み直したい。

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2018年01月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

終盤、秀吉の焦りを記述しているあたりから、特に人物描写が繊細になっている。非常にリアルな秀吉を感じることができた。何度読んでもやはり面白い。

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2017年04月22日

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秀吉が改めてすごいなと思うのは、その処世術。上から気に入られ、下から慕われるための行動力が天才的すぎる。現代の仕事の人間関係にも通じる要素だなあと思った。

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2015年12月29日

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とにかく秀吉がイキイキしていてかっこいい。
違う価値観を作り、天下をとる。
当然、簡単ではないよなぁ。

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2024年04月08日

Posted by ブクログ

小牧・長久手の戦い以降の展開が早い。さらには、大坂城での家康との対面以降は書かれていない。つまり、九州征伐、小田原征伐、秀次事件、朝鮮出兵には全く触れていない。

司馬が関心を持っているのは、秀吉が知恵を駆使して戦国時代を生き抜き成り上がっていったところまでであり、権力者となって以降の秀吉には関心がないということだろう。

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2023年01月23日

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 下巻、高松城の水攻めから、天下統一のために家康を懐柔させるところで幕は閉じる。個人的には九州征伐、北条征伐を行うところまでは進めて行って欲しかったところではある。
 しかしその後の朝鮮出兵ともなると、権力に魅入ら、闇を纏い、最後には枯れ衰える秀吉を描くことに、著者は抵抗があったのかも知れず、話の盛り上がりに欠けるところが見えていたのかもしれない。
 信長に見出されたことで開花した自身の能力を最大限に発揮して、他の者との違う視点と工夫で戦を展開していく姿に読者は引きずり込まれ、さらに後半ともなると、他者に対する気配り以上の演者として(それは信長に仕えたから養えたものなのかもしれないが)振る舞う姿に、やはりどこか憎めなさが認めら、その点で話の潮時を押さえていたのかも知れない。
 著者は秀吉自身に「おれの天下も、あの狂言できまったわさ」と言わしめ、秀吉の人生そのものを狂言として喩えさせている。
 人生において、つまらぬプライドや意地により、自身だけでなく、多くの人に迷惑をかけてしまうことが多々あるだけに、相手の予想を上回る立ち居振る舞いにより、物事を円滑に進めていければなあとしみじみと思わされてしまう。
 誰しも頭で分かっていても、そういう事が出来る人物は稀有であり、逆に憐れを通り越して凄味が出てくるのであろう。

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2022年04月09日

Posted by ブクログ

やはり司馬遼太郎、だと再認識させられた一冊。面白く読ませることに関しては群を抜いている。自分が知らず知らずのうちに彼の説を取り入れていたんだなあ…と、少しショックでもあった。

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2022年03月22日

Posted by ブクログ

生涯に渡り狂言を華麗に演じた秀吉。自分自身をも騙し切って相手を喜ばせることが人に取り入る時のコツなのだなと学ばせてくれる。とはいえ並大抵の人間では出来ないこと。そのため底抜けに明るく演じている時でさえ背筋が凍るような恐ろしさを感じたり感じなかったり。

司馬先生の描く秀吉は一貫して好感度に溢れている。おそらくこれを読んで秀吉を嫌いになる人はいないだろう。

くるくると七変化の如く感情というエネルギーを爆発させうまく自己表現している。そして見ている者の心を摘む。出世する人は昔も今も変わらないと思わせられる。

『夢のまた夢』で終わる辞世の句は、農民の身分から知略と愛嬌で天下取りまでのし上がった、慌ただしく忙しい人生が終わっていく儚さが表れており、哀愁が漂っていてキュンとくる。おつかれ秀吉。

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2022年01月05日

Posted by ブクログ

以前、読んだものを再読。
やっぱり面白い。上巻から読んできて、藤吉郎が皆がイメージする秀吉になっていくように感じた。

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2021年05月24日

Posted by ブクログ

戦がうまいだけで天下はとれないことがよくわかる。一方で家柄・地盤無くして天下をとった過程も説得力あり。物語然としていないところがいつもながらよい。

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2021年04月30日

Posted by ブクログ

文庫版。秀吉の人間味ある半生がつづられ、元気を貰える。言い回しが古く固く感じ、読みにくい漢字もあったが、人生の生き方の一助にもなりそう。天下統一までの話で、晩年の話が少なかったのが残念だった。【満足度85点】

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2021年02月11日

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人生を狂言の如く、強く生き抜いた秀吉。
出生の卑しさを物ともせず、出世の道を一人の努力と才能とセンスで切り開き、日本一の栄華を極めた者の心の光と影を、筆者は優しさで包み込むようにして描いていた。文末の辞世の句が胸に染みる。

露と置き露と消えぬる我が身かな
       浪華のことは夢のまた夢

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2020年08月11日

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ネタバレ

司馬遼太郎を初めて読む。

千利休繋がりで豊臣秀吉のキャラクターに興味を持ち購入にてみたが、とても面白い。
司馬を読むとその主人公のファンになってしまうとどこかで読んだが、まさにこの期間は秀吉ファンとなってしまった!中村と言う土地の田舎の童が、僧に拾われたのをきっかけに商人を目指して、街に出る。その間、貧しく生きるのにも精一杯の中、なんとか様々な仕事先を得て、持ち前の賢さ、身のこなしの軽さ、そして計算高さ、またひょうきんに振る舞う術を活かした「人誑し」にて着実にのし上がっていき、最終的には天下も統一してしまう。
数々の武将が、秀吉の屈託ない姿に愛着が湧いてしまうように、私自身読んでいてもその処世術に引き込まれてしまう。彼の武運を象徴する水攻め戦法、信長の敵討ちとしての中国大返し、山崎の戦い、柴田勝家との乱など、一つ一つの調略、戦略自体も面白い。そして彼は働きっぱなしである。

ただ戦国時代は裏の裏を読まなければ死んでしまう、騙し合いの時代だなと思うと、なんて生きづらいときなんだろう。。

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2020年04月28日

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この時代に生き、名を馳せていく人間達の凄さを感じた。
死をこれほどまでに近いものとして見ているのは本当に凄い事だと思う。

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2020年04月01日

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もううろ覚えになっていた歴史を学び直した感じ。秀吉が人気なのも分かる。秀吉の出発点が信長や家康のような立場だったら後半の苦労も無かっただろうに。でもそうじゃなかったから、魔術的な戦略、演出が出来たし、そのエネルギーも生まれたのかと思う。とにかく猛烈な働き者ですね。

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2017年12月17日

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【文章】
 読み易い
【気付き】
 ★★★★・
【ハマり】
 ★★★★・
【共感度】
 ★★★・

本能寺の変で織田信長が討たれてから、徳川家康を引き入れるまで。

家柄を持たず、実力で登り詰めた秀吉に対して、快く思っていない織田家系の家臣を、如何に上手く取り込むかに腐心していた。

秀吉が人たらしと謂われる所以がよく分かる。

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2017年10月21日

Posted by ブクログ

秀吉の一代記、最後どこまで描かれているんだろう・・・と思ったら、秀吉が頂点に登りつめたところまで、だった。司馬遼太郎の前に、他の小説家の戦国時代小説を読んだので、いかに全ての時代小説において司馬遼太郎が影響を与えているかが分かる。「下」は家康が多く登場した。鳴かないホトトギスを「殺す」織田信長。「鳴かす」豊臣秀吉。「待つ」徳川家康。最後の勝者は「待つ」か。興味深い。

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2017年05月31日

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豊臣秀吉の生まれから天下人になるまでの半生を描いた作品。他の歴史小説で断片的には読むものの、ここまで詳細にわたって語られる作品は初めてであり、知らないことも多くあった。言うまでもなく天下一の人蕩らしであり、人の心の機微を察することで、結果自分の思うように相手を動かす人心掌握術は、実生活においても繋がる部分があるように感じる。晩年、朝鮮出兵など人が変わったような施策を行うのであるが、そこまでは触れず、天下人としてのピークで終わっているあたりが非常に心地よい。

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2017年05月13日

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ネタバレ

 敵は京であり、戦場ははるかに遠い。しかしながらこの間、秀吉はたえまなく軍令をくだし、使者を放つなど、すでに戦場にあるように多忙であった。行軍しているかれの鞍の上がすでに作戦所であった。この点、かれの作戦思想は、かれ以前の軍事的天才たちとまるでちがっていた。かれ以前の軍事的天才たちーー上杉謙信、武田信玄でさえーー敵を肉眼で見てから合戦を開始した。しかし秀吉の合戦は、敵を見たときにはもはや合戦のほとんどがおわっていた。あとは勝つだけであった。
(戦さとは、そうあらねばならぬ)
 そうおもっている。戦さは勝つべき態勢をつくりあげることであった。味方を殖やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。合戦のもつ投機性を減らし、奇蹟を信ぜず、物理的にかならず勝つ態勢へもりあげてゆく。
ーーかならず勝つ、という態勢ができてからはじめて戦さをする。戦さは、それをはじめる前にすでに勝っていなければならぬ。
 というのが、かれの思想であった。後年、この男は越後へゆき、神秘的名将ともいうべき上杉謙信の故郷をたずね、
ーーしょせんは、田舎大将だ。
 と評した。謙信のやりかたは投機性がつよく、つねに現場の技巧主義であるということが、田舎ーー旧式である、ということを、秀吉は言いたかったのであろう。


「ぜひぜひ、岐阜さま(三七信孝)にお力添えを、賜りますように」
 といった。勝家にすれば要するに「自分は雪で南下できない。幸い貴殿は東海の暖地にいる。すぐ兵をさしむけ、信孝を援けよ」ということであった。
(そういうひとだ)
 と、家康は柴田勝家という人物の身勝手さがおかしくなった。
(なんのためにわしが三七信孝をたすけねばならぬ)
 理由がなかった。理由は勝家の側にこそあるが、家康の側にはない。勝家はつねに相手の側の都合や役割を考えようとはせず、自分を中心に轆轤でもまわすように物事をまわそうとする。そういうひとだ、と家康がおもったのはそのことであり、
(相変わらずらしい)
 と、そのことがむしろおかしかったのである。家康のみるところ、勝家は調略のできる男ではない。調略をしようと思えば、いまは家康がなにを欲し、なにを怖れ、なにに魅力を感じているか、ということについて犀利な分析がなければならないが、勝家にはそういう感覚がまるで鼻が欠けたように欠けている。

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2017年01月06日

Posted by ブクログ

豊臣秀吉、この男の後年は暗い。今まで抑えてきた感情を年老いて抑えることが出来なくなり、朝鮮出兵などを無謀をおこす。

司馬遼太郎は秀吉の辞世の句でこの、物語に幕を下ろす。

露と置き露と消えぬる我が身かな
    浪華のことも夢のまた夢

まさに夢ような話だ。
織田信長がいなくなってなら、柴田勝家との戦い、そこで発揮される人並みはずれた知略と人誑しの才能で、天下人となるのだか。

徳川家康を上洛させて物語が終わる。
秀吉の人誑しの才能と並々ならぬ精神の強さ、智略、それらを駆使して掴んだ天下人の地位。
だから、この終わりでいいのだ。

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2020年11月09日

Posted by ブクログ

ついに本能寺の変が起こり、高松城を水攻めしていた秀吉は毛利軍とすかさず和睦し、東に転じて、光秀を討つ。教科書ですべての日本人が知っている筋書きである。しかし、そうした決断力や行動力以上に、本著の上下巻を通じて書かれているのが、秀吉の外交手腕であろう。毛利氏も、時を追って本能寺の変を知ることとなるが、決して追撃はしなかった。していれば、秀吉に打撃を与えることができたであろうがしなかった。既に、誰が天下人となる事を理解していたのである。

そして、信長筆頭家老であった、柴田勝家との対決し、諸大名がどちらへ付くかという葛藤が書かれている。その後の関ヶ原で行われていたような政治的駆け引きが既にここで行われていたということだ。秀吉は、織田家の子孫を利用して偽りの大義名分を掲げながら自らの天下取りに利用した。図らずして、自らの死後に徳川家康は同じように豊臣家の為という大義の下、天下を自らのものにしたのは皮肉である。

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2018年10月08日

Posted by ブクログ

信長はもとより音楽をこのみ、よく笛師や鼓師をかかえていたが、かれもこの世でこれほど微妙な階律をきいたのはむろんはじめてであったであろう。
信長はそのオルガンに寄りかかり、心持首をかしげ、すべての音を皮膚にまで吸わせたいという姿勢で聴き入っていた。藤吉郎のおどろいたのは、その横顔のうつくしさであった。藤吉郎は信長につかえて二十年、これほど美しい貌をみせた信長をみたことがなく、人としてこれほど美しい容貌もこの地上でみたことがない。その印象の鮮烈さはいまも十分に網膜の奥によみがえらせることができるし、時とともにいよいよあざやかな記憶になってゆくようでもあった。
(このひとは、神だ)
と、このとき、理も非もなくおもった。その神が藤吉郎の頭上に存在しているかぎり、かれは何宗といえども信じないであろう。(p.46)

「官兵衛、世の事はすべて陽気にやるのよ」
それが秘訣だ、と秀吉はおもっている。悪事も善事も陽気にやらねばならない。ほがらかにあっけらかんとやってのければ世間の者もその陽気さにひきこまれ、眩惑され、些細な悪徳までが明色にぬりつぶされて一種の華やかさを帯びてくる。
(そういうものだ)
と、秀吉はこの重大行動に出るにあたってことさらにそれを思った。(p.280)

この時期、家康は四十をすぎたばかりであり、織田家との同盟二十年のあいだ、信長の協力者として百戦の経験を経、自分の力量を知るようになり、世間にはさほどの者がおらぬということを知った。かれは自分を凌ぐ者は第一に武田信玄であり、第二に信長であるとひそかにおもっており、その両人がすでに失せたこんにち、秀吉以外におそるべき者はないとおもっている。(p.414)

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2020年07月15日

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