【感想・ネタバレ】新史 太閤記(下)のレビュー

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Posted by ブクログ

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終盤、秀吉の焦りを記述しているあたりから、特に人物描写が繊細になっている。非常にリアルな秀吉を感じることができた。何度読んでもやはり面白い。

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2017年04月22日

Posted by ブクログ

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司馬遼太郎を初めて読む。

千利休繋がりで豊臣秀吉のキャラクターに興味を持ち購入にてみたが、とても面白い。
司馬を読むとその主人公のファンになってしまうとどこかで読んだが、まさにこの期間は秀吉ファンとなってしまった!中村と言う土地の田舎の童が、僧に拾われたのをきっかけに商人を目指して、街に出る。その間、貧しく生きるのにも精一杯の中、なんとか様々な仕事先を得て、持ち前の賢さ、身のこなしの軽さ、そして計算高さ、またひょうきんに振る舞う術を活かした「人誑し」にて着実にのし上がっていき、最終的には天下も統一してしまう。
数々の武将が、秀吉の屈託ない姿に愛着が湧いてしまうように、私自身読んでいてもその処世術に引き込まれてしまう。彼の武運を象徴する水攻め戦法、信長の敵討ちとしての中国大返し、山崎の戦い、柴田勝家との乱など、一つ一つの調略、戦略自体も面白い。そして彼は働きっぱなしである。

ただ戦国時代は裏の裏を読まなければ死んでしまう、騙し合いの時代だなと思うと、なんて生きづらいときなんだろう。。

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2020年04月28日

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 敵は京であり、戦場ははるかに遠い。しかしながらこの間、秀吉はたえまなく軍令をくだし、使者を放つなど、すでに戦場にあるように多忙であった。行軍しているかれの鞍の上がすでに作戦所であった。この点、かれの作戦思想は、かれ以前の軍事的天才たちとまるでちがっていた。かれ以前の軍事的天才たちーー上杉謙信、武田信玄でさえーー敵を肉眼で見てから合戦を開始した。しかし秀吉の合戦は、敵を見たときにはもはや合戦のほとんどがおわっていた。あとは勝つだけであった。
(戦さとは、そうあらねばならぬ)
 そうおもっている。戦さは勝つべき態勢をつくりあげることであった。味方を殖やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。合戦のもつ投機性を減らし、奇蹟を信ぜず、物理的にかならず勝つ態勢へもりあげてゆく。
ーーかならず勝つ、という態勢ができてからはじめて戦さをする。戦さは、それをはじめる前にすでに勝っていなければならぬ。
 というのが、かれの思想であった。後年、この男は越後へゆき、神秘的名将ともいうべき上杉謙信の故郷をたずね、
ーーしょせんは、田舎大将だ。
 と評した。謙信のやりかたは投機性がつよく、つねに現場の技巧主義であるということが、田舎ーー旧式である、ということを、秀吉は言いたかったのであろう。


「ぜひぜひ、岐阜さま(三七信孝)にお力添えを、賜りますように」
 といった。勝家にすれば要するに「自分は雪で南下できない。幸い貴殿は東海の暖地にいる。すぐ兵をさしむけ、信孝を援けよ」ということであった。
(そういうひとだ)
 と、家康は柴田勝家という人物の身勝手さがおかしくなった。
(なんのためにわしが三七信孝をたすけねばならぬ)
 理由がなかった。理由は勝家の側にこそあるが、家康の側にはない。勝家はつねに相手の側の都合や役割を考えようとはせず、自分を中心に轆轤でもまわすように物事をまわそうとする。そういうひとだ、と家康がおもったのはそのことであり、
(相変わらずらしい)
 と、そのことがむしろおかしかったのである。家康のみるところ、勝家は調略のできる男ではない。調略をしようと思えば、いまは家康がなにを欲し、なにを怖れ、なにに魅力を感じているか、ということについて犀利な分析がなければならないが、勝家にはそういう感覚がまるで鼻が欠けたように欠けている。

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2017年01月06日

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