Posted by ブクログ
2020年05月02日
「無知の知」を人々に説いたソクラテスが、「弁論を用いて若者を悪に誘った」として大衆に捉えられた後の裁判で語った弁明。および、死刑確定後の投獄後、脱獄を勧める友人クリトンとの議論を、弟子のプラトンが書いた本。
『弁明』ではソクラテスを悪と断じた大衆に対し、最後まで「無知の知」を説く。
あなたは何を知っ...続きを読むていて、何を持って悪と断じるのか?と大衆の正義を問う。そして、大衆側の論を崩し、その裏には何ら正義がないことを暴く。
ソクラテスは以前「ソクラテス以上の賢者は一人もない」という信託を受けていたが、その後自己の無知を知り得た事で、その矛盾に悩んできた。
しかし、数々の人に弁論を挑み続ける中で、無知を知ってるからこそ賢者なのだという考えに到達している。
それにより、この信託を理解し、自身の天命として受容したのだろう。
裁判では「今後黙るならば釈放すると言われても、私はそれをやめず死刑を受け入れる」と、自らが成すべき天命を貫く事で、「無知の知」があるべき姿なのだと500人余りの大衆に示し、足掻くことなく判決を受け入れる。
『クリトン』では、脱獄を勧める友人クリトンに対し、国宝に則り死刑を受け入れる意義を説く。
生を受けて以降、好きな諸外国へ移動もせず、国法に守られて来た身として最期に投げ出すとはどういう了見かと論を展開する。
刑の受容を持って、「ソクラテスは善く生きた」姿を示すことに意義がある。
ソクラテスはこの時70歳で、「天命」を受けてからも長らく活動してきた。
誰彼構わず弁論を挑み、相手に無知を説こうとした結果、多くの敵を作り、大衆により裁判に追い込まれた。
最期は自ら毒薬を服し、死刑を受けいれたが、その姿は正に「善い」と言えるだろう。
本文は演説と議論なので、比較的軽い。ソクラテスに心酔した弟子プラトンが、師が自己の「正義」を貫く姿を如何に正確に、雄弁に書こうとしたかが伝わってくる。
『自省録』に引き続き、何年経っても人間がやってる事は変わらんなと感じたいい本でした。