平野啓一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ今回もかなり盛りだくさんでした。
✔︎ショパンのピアノ論(リストとの比較)
✔︎ショパンの演奏会
→表現が秀逸過ぎて音色が聞こえるようだった
✔︎人々のショパンの演奏会の感想(技術面に特化した)に対してのドラクロワの反発
→分析よりも驚嘆が先に来るはずだというドラクロワの芸術論。「知識の増加が感性の摩耗を招くというのは、どうした不幸な現象だろう?」
✔︎フォルジェ男爵夫人の恋心と葛藤
→会えない寂しさと、会うことによって生じる寂しさ
✔︎ドラクロワの天才としての葛藤、それをヴィヨに言えなくなってしまった気まずさ
✔︎ショパンの事故
→死への恐怖よりもピアノが弾けなくなる恐怖の方が大きい -
Posted by ブクログ
高校生の頃、「決壊」を読んだ。
「加害者家族の問題はあまり考えたこと無かったな…あくまでも尊重されるべきは被害者や被害者遺族だけど、加害者家族も在り人間や生活が存在するのも事実だ。それでも何よりも被害者や遺族がもっとも尊重されるべきだし、被害者遺族大なり加害者家族だろうよ」と感想を抱いた…ような気がする。印象は強かった。
あれから10年経ち、この本で久しぶりに平野啓一郎の文章に触れた。10年も経てば人の考え方は別人のように変わる。社会や様々な環境に翻弄される生身の人間に触れた、私の道程を思い起こす本だった。
平野氏の伝えたいことにふれるほど、とても個人的な自分自身のあゆみについて考えてしまう -
購入済み
気になる
いくつか無料試し読みを読ませていただきましたが、最も続きが気になりました。
映画も上映中で、読んでから見るか、見てから読むか悩ましいところです。
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ネタバレ 購入済み
とてもいい作品
最近読んだ中で1番良い作品で、1番表現しにくい作品。
最後に幸せがそこにあって、本当のことを言うべきなのかすら悩んだのではないか、その事で3回目の自殺だったのではないか...。
想像できる限りの当事者の心情を慮ったが、正解はわからない。
生きるとは誰しも難しいのだと、そこに立場や出自は関係なく皆悩みながらそれぞれ懸命に生きているのだと思った。
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Posted by ブクログ
何と、15年強も前の本だったということにびっくり。たしかに、FacebookやTwitter、スマホが一般化する前の時代として語られている。当時でも十分にネット社会の到来を思わされていたけど、いまになってみれば隔世の感あり。特に梅田さんの予測的発言なんか、2022年のいまとなってはどうだろうなんて底意地悪く読んでみたんだけど、けっこう的を射たこと言ってたんだなという印象。
当時にしてどっぷりウェブ社会にハマっている梅田さんと、ちょっと懐疑的に見ている平野さんの対話が面白い。平野さんのほうがだいぶ頭カタいなあという印象。自分もどっちかというと、(いまでもなお)平野さん寄りだけどその自分ですらそう -
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分人と個人について
空白を埋めなさいのドラマを観て興味を持ち読みました。統一されない人格として人を考えると破綻してしまいますが、分人としてレイヤーする状態で存在する人と捉える考え方で少し気持ちが楽になりました。また分人の好き嫌い相手にも半分責任があるという言葉で何処で誰といる時の自分の状態を分析して考えられました。
自分という言葉も自らが分かる なのか 自ら分るなのか語源を調べて考えてみようと思いました。文明開花がもたらした意識改革は東洋的な自己理解とは異なりつつ整理できないままでしたが本書で整理できました。 -
Posted by ブクログ
平野啓一郎によるサロメ。解説でご本人が述べられていたが非常に少女性があるサロメになっている。好きな男を振り向かせようとして一生懸命なサロメ。だけど振り向いてくれず最後は殺してしまう。ヘロデも娘を振り向かせようと領土の半分を与えようとする。耽美的になりすぎず一方でサロメ独特の魅力も残したままうまく訳されていると思う。
平野さんの解説も出色で世紀末の京都の雰囲気が懐かしかった。田中さんのワイルドに関する解説もワイルド、サロメ理解を深めてくれるもので、田中さんのアドバイスがあっての平野訳ということでもあるのだろう。リヒャルト・シュトラウスのサロメとは違うということも解説を通じて知ることができた。
宮 -
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『とある魔術』世界の根源の考察
〇聖トマスとはトマス・アクィナスですね。
宗教と科学、神中心と人中心の両立を
考えた?
〇もちろん現代人にとっては
科学的に人造人間を作るとしたら今後かな?
でも、世界のことわりを知ったら、
錬金術的に実現していたかもしれない。
〇両性具有者は単に両性を備えるだけでなく、
善悪とか全てにわたって統合されているようだ。
世界とか存在そのものか?
〇堕落司祭がもっと大きな堕落から
堕落的に弱まっていて
むしろ敬虔な修道僧にも見えるというくだり。
(カラマーゾフ家の父親?水商売を振興する?)
托鉢僧が、知的に低俗でも労働している者へ
引け目を持っ