平野啓一郎のレビュー一覧
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読書感想文は苦手なのだが、この小説に感想を書こうなんて百万年くらい早い気がしてきた・・・。
再読しなければ、感想など書けないような、
そんな壮大な作品だった。
読み始めて挫折されている人が多いようだが、私も実にその一人である・・・。
読書にじっくり時間を割けないのであれば、
この作品は読まない方がいいのかもしれない。
じっくり向き合える時に読むべき、超大作なのではないかと思う。
この作品は「作者名」で「作者買い」してしまった一作なのだが、作者の初期の作品だからそこまでではないだろうと思ったのが敗因。。。
これは素晴らしい。
何度も何度も読み返し、web で調べて、また進んで、戻っ -
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『その苦しみを優しい寛大さと喜びもを以て耐えている姿にはね、生まれてくるこの子にとってだけじゃなくて、僕らすべての生を生きられるに値すると感じさせるような慰めがあると僕は思う。』
『この世界に3キロほどの重みを持って、最早、否定出来ないような事実として放り出される前にはね、やっぱり、母親という一個の人間の内部に、最初の場所を許されていた。これは、人間の生が始原に於いて抱えている根源的な条件だよ。』
『今もまだ、「優しい」理由は何だろうか? 別れてからも、いつまでもよく思われていたいという、男のあの見苦しい、単純な願望のせいだろうか?』
『なぜそうしたいんだろう? 俺が今、生きようとしてい -
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「決壊(上巻)」
きっかけは、日常にあり。
ある日に見つかるバラバラの遺体が発見された。被害者は沢野良介。平凡な家庭を営む会社員だ。事件当夜、彼は兄・崇と大阪で会っていたはずだった。
と言う文言が表紙に載ってしまっている。おかげで被害者は分かってしまうし、犯人も何と無く兄じゃないかと推測してしまう。
上巻は、事件の背景や刑事の捜査が描かれると思いきや、良介と崇の生活が主に描かれる。良介は家族と仲良く実家に帰り、久々に兄と語る。崇は、海外から帰ってきて公務に職しながら、独身生活を楽しむ。一見、楽しい生活である。
しかし、一見は一見。よく見ると葛藤が見えてくる。弟は、実家に帰る途中 -
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これは間違いなく「トンデモ本」だ。その爆笑性ゆえに5点満点である。2006年刊行であるため8年たって「トンデモ本」になってしまったともいえるが、何せ梅田何がしという「はしゃぐ猿」のはしゃぎっぷりがそもそもトンデモない。まず言っている事すべてが猿でもできる後知恵でしかない。刊行当時はそれこそ未知なものとしてのインターネットの権威としてかなりの人数をわかったような気にさせたことは想像できるが、8年たってのこのWEBを取り巻く世界がひとつも、本当にただのひとつも想像すらされていないところがともかくトンでもない。「10年から15年先のことは正確に予想できる」と自慢げに語り、グーグルのすべてを理解してい
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ネタバレ約1年前に、新書「私とは何か」を手にとって以来、ようやく分人小説4部作を読み切った。文庫化を心待ちにしていたこの作品のテーマは、ずばり分人と愛。事故で足を切断した女優と、義肢のデザイナーによる恋愛っていうと、ちょっとアルモドバルのトークトゥハーを連想して「献身」がテーマなのかと先入観を持ったのだが、さすがに平野文学は圧倒的なリアリティー。
刹那に宿る「恋」を花だとすれば、関係の維持に努める「愛」は果実であり、その狭間にあるセックスは、花が果実になるための季節の変わり目のようなものだという。愛は利他だけでなく利己が必要であり、利己の塊のような存在である三笠を通して相良は、完全な献身にも愛はな -
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芥川賞作家・平野啓一郎氏による初めての恋愛小説です。『日蝕』や『葬送』などの重厚な作品を書くというイメージが強い方だったので、最初は正直面食らいました。
この記事を書く際にはじめて知ったのですが、この本は平野啓一郎氏にとって初めての恋愛小説だったのですね。物語は交通事故によって左足を切断するという重傷を負った『美脚の女王』の異名をとる女優の叶世久美子と、離婚を経験し、デザイナーとしての仕事は順調なものの、心にどこか空白の部分を持ったデザイナーの相良郁哉が中心となって物語が進んでいきます。
さいしょは作中にちりばめられているiPod nanoやWikipediaやグーグルやユーチューブという -
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平野啓一郎氏の最初のエッセイ集です。三島作品を論じた「『金閣寺』論」「『英霊の声』論」を中心に、文学、音楽、美術、建築、そして自らの作品について論じたもので、平野文学を理解する『鍵』であると思います。
本書は作家、平野啓一郎氏の最初のエッセイ集です。対談集である『ディアローグ』とこの『モノローグ』発意をなす存在であると思っておりますので、一気に読もうかと思っておりましたが、諸般の事情でこっちを読むのが遅れてしまいました。しかし、内容の濃さとページの厚さを考えると、二冊同時に読むのはかなり苦労するだろうなと今にして思えばそう思います。
本書は三部作構成になっておりそのⅠは最初から平野氏の文 -
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作家、平野啓一郎氏の対談集です。ここで語られているのは本当に膨大な情報で、正直な話、ついていくのが本当に大変で、半分も理解できたかどうかは怪しいものですが、『現在』に至る様々な道筋が示されております。
作家、平野啓一郎氏の対談集です。20代の作家としてデビューした手の頃から31歳当時の時までのものが収録されており、作家、平野啓一郎の『始まり』と『現在』を結ぶ鍵のような位置づけに当たるものだな、と考え読んでおりました。
扱われているテーマも、非常に多岐にわたっており、自身の文学的な出発点でもある三島由紀夫をはじめとした文学論に始まり、デビュー作であり、また芥川賞を受賞した『日蝕』にも扱われて -
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ここで中心となって描かれるのはサンド夫人の娘であるソランジュと彫刻家のクレサンジェとの結婚と、金の絡んだ複雑な愛憎劇です。俗になろうと思えばいくらでもなるテーマをここまで重厚に纏め上げるのは凄いです。
やっと。やっとのことで読み終えました。しかし、これでもまだ道半ば。まだ後半分残っているかと思うと楽しみであり、また長い旅路になるなぁと思いながら最後のページをめくりました。ここで中心に描かれるのはサンド夫人の娘であるソランジュと、彼と夫婦関係になる彫刻家のクレサンジェが軸になって描かれます。
その結婚をサンド婦人は了承し、あちこちに手紙を書いてそれを知らせるのですが、その愛人であるショパン -
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ロマン主義の全盛期、十九世紀パリ。音楽家ショパンと画家のドラクロワとの友情を軸とし、女流作家でショパンの愛人でもあるジョルジュ・サンドを始めとする人物たちが織り成す豪華絢爛な芸術賛歌を描いております。
これは自分の中でずっと読むのを避けていた小説のひとつで、理由はというとなんといってもテーマの重厚さと原稿用紙2500枚分という膨大なボリュームからでした、しかし、今回この小説を読むきっかけとなり、また、僕の背中を押してしてくれたのは、誰あろう筆者である平野啓一郎氏その人でありました。
以前、平野氏のツイッター上で『葬送』の話題になっていたときに僕が
『僕も読もうと思っておりますが、あの重厚 -
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圧倒的な知識量で描かれる渾身の現代ミステリ。
まだ事件の起きない上巻では家族、友人、恋人に対して抱く微かな「不信感」や、自分以外が他者であるがゆえの「心のズレ」を感じる違和感を巧みに書いている。
人間関係を上辺では体裁良く保っていても、日常的に心の奥底に感じている上記のような空虚感は誰でも抱いた事があるのでは無いだろうか。
序盤のシーンで韓国語教室のCDを義母が流した時に、佳枝が「夫が在日韓国人なのではないか」と不意に疑ってしまう部分から、様々な人間が抱く不信感の連鎖はまるで自分を見ているかのよう。
ただ上巻は地の文が三人称なのだが、二次的な一人称が一つの章の中でコロコロと変わってしま -
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ネタバレ死にゆくショパンを中心に描いた巻
この本を読んでいた2週間に
iPodにショパンのプレイリストを作成して通勤の間にヘビーローテーションしたり、PCの壁紙をドラクロワの名画のスライドショーにしたりと、作品の世界にどっぷり浸かり込んでいた私には非常に辛かった、早く楽になって欲しかった。
ドラクロワはショパンの死に立ち会わない。
それは、彼の臆病さ故かもしれない。
ショパンと対照的に、彼は生きる。
自分の天才に忠実に生きて、作品を残す。
フランショームの言葉が印象に残った。
”「……いえ、固より人間の生活とはそんなものなのでしょうか?もし我々の時代の新し不幸があるとするならば、それは、嘗てはきっ