平野啓一郎のレビュー一覧
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読書感想文は苦手なのだが、この小説に感想を書こうなんて百万年くらい早い気がしてきた・・・。
再読しなければ、感想など書けないような、
そんな壮大な作品だった。
読み始めて挫折されている人が多いようだが、私も実にその一人である・・・。
読書にじっくり時間を割けないのであれば、
この作品は読まない方がいいのかもしれない。
じっくり向き合える時に読むべき、超大作なのではないかと思う。
この作品は「作者名」で「作者買い」してしまった一作なのだが、作者の初期の作品だからそこまでではないだろうと思ったのが敗因。。。
これは素晴らしい。
何度も何度も読み返し、web で調べて、また進んで、戻っての繰り返しだった。
そのくらい深く、難しく、自分の中でイメージを固めるのに時間がかかった。
私にはまだ早かったのかなぁ?と何度も諦めそうになってしまった。
やっと1冊終わったところだが、話は今とても面白くなっている・・・。
さて、私、次を読み進めるのか・・・。
一旦休憩するのか・・・。
私にもまだわからない。。。 -
Posted by ブクログ
『その苦しみを優しい寛大さと喜びもを以て耐えている姿にはね、生まれてくるこの子にとってだけじゃなくて、僕らすべての生を生きられるに値すると感じさせるような慰めがあると僕は思う。』
『この世界に3キロほどの重みを持って、最早、否定出来ないような事実として放り出される前にはね、やっぱり、母親という一個の人間の内部に、最初の場所を許されていた。これは、人間の生が始原に於いて抱えている根源的な条件だよ。』
『今もまだ、「優しい」理由は何だろうか? 別れてからも、いつまでもよく思われていたいという、男のあの見苦しい、単純な願望のせいだろうか?』
『なぜそうしたいんだろう? 俺が今、生きようとしている理由は何だろう? ここから落下するための数秒では足りなくて、更に数十年が必要な理由とは、一体何だろう!』
『…俺はただ、捏造された自殺の苦痛を、新鮮に保ち続けることでしか、生き続けることが出来ない!』
『俺は名声には興味がない。しかし、その考えを突き詰めれば、たった一人から蒙る評価だって、捨てなきゃならないだろう。他方で、名誉はどうか? 名声は量的な評価で、名誉は質的な評価だと言う。しかし、俺にはその違いが分からない。誰に褒められるかに拘ってみせることは、実は軽薄なんじゃないかと思う。』
『人に喜ばれると、実際は当たり前に嬉しいと感じるからね。だけどね、自分という人間が、そういう他人からの承認の束を支えにして存在しているという考えには、救われないんだよ。』
「シャワーじゃ物足りなくてお風呂に入りたいっていうのは、一種の退行的な儀礼なんだと思うよ。合理的に考えれば、ヘンな習慣だから。夜になる度に、こういう狭い場所に全裸で身を屈めて入って、体温くらいの液体に浸るっていうのは。浴槽が母親の子宮の象徴で、お湯が羊水でって考えると、ちょっと分かりやすすぎるかもしれないけど。…」
「眠りが死の象徴っていうのは世界中で共通してるのかもしれないけど、その前に必ず入浴があるっていうのは、そんなに一般的にじゃないよ。日本人は、そういうところで、手が込んでいるだね。母親のお腹に回帰したような余韻に浸って、布団に入るなら、死ぬっていうより、自分がこの世界に出現する前のゼロの状態に戻るみたいな感じがするかもしれない。ーー沙希ちゃんが言うみたいに、リセットっていう感じなのかな、それは。…」
『そうして彼が今、苦しい胸の裡を明かすのが、自分でなく見ず知らずの誰かであるということが、彼女には理解できなかった。それも、浮気をしているだとか、おかしな趣味があるだとかいったことではない。誰よりも家族が支えとなるべき仕事のことで、彼は妻を相談相手として選ばなかったのだった。』
『彼女は、再び自問した。なぜ、自分ではないのだろう? 愛していればこそ、相手に知られなくないというのだろうか? しかし、そうまでして守る愛とは、一体何なのだろう? そんな、こわれものを扱うようにして大事にするのが夫婦の愛なのだろうか?…』
「知性というものが、蛇に似ていると気がついた古代人は偉大だね。そう思わないか? 柔軟で、艶々しくて、掴み所がなく、何でも一呑みで消化して、頭から尻尾へという単純な一本の線にしてしまう。おまけに不気味で、凶暴だ。咬まれれば全身に毒が回る。ーーあなたを留まらせたのは、あなたの蛇だよ。」
「あなたには、殺したい人間がいる。ーー結構。殺すべきだ! あなたがそう思ったという事実こそが、あなたの殺人を全面的に肯定してくれる。」
「殺人は、太古の昔から今日に至るまで、一日として例外なく行われてきたことだ。自然死と同じくらい自然にね。そして、未来永劫にこの事実は変わらない。」
「人間というのは、そういう愚かな存在だ。ーーその愚かさこそを、むしろ人間は、人間性と呼んでいる。」
「ーーところでだ。人間の行為の中で、最も愚かなのは、殺人ということになっている。つまり、殺人こそは、最も人間的な行為というわけだ。ーー分かるね? 簡単な三段論法だ。」
「いいかね? 存在者から存在を奪う! これは月の引力が海をも引っ張り寄せるように、人間を密やかに、しかし、逃れ難く強力に拘束している考えだ。この世界は、表面上、確かな殺人を駆逐するフリをしてきた。尤も、その唯一の現実的な方法は、常に殺人だったがね。」
『テレビは視聴率の前では盲目のブタだ。』
『殺す阿保に見る阿保
同じ阿保なら殺さな損損www』
『わたしは、わたしの生きている世界には、わたしの居場所がないと思っています。反論する人がいるでしょうが、もう聞き飽きました。
人間はひとりとして同じ人はいません。なのに、この世界は一つしかありません。その世界は、一部の人たちにだけ、都合よくできていて、わたしにとってはそうではありませんでした。だからわたしも、離脱者の一人になることにしました。法律からも、道徳からも、完全に離脱します。
わたしは、世界は、人間の数だけ多様であるべきだと思います。みんなが納得できる世界なんて、あるはずがないと思います。それで、わたしはわたしの世界で生きていくことに決めました。
人を殺すのはどうかと思いましたが、それもわたしが、離脱する前にいた世界の勝手なルールにとらわれているからだと考えなおしました。
わたしは、わたしに、とても言葉では言い表せないような残酷なことをしてきた人たちに、これから一人ずつ復讐していきます。その人たちは、わたしのやりかたを責めるかもしれませんが、それはその人たちの考えなので、わたしには関係ありません。』 -
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「決壊(上巻)」
きっかけは、日常にあり。
ある日に見つかるバラバラの遺体が発見された。被害者は沢野良介。平凡な家庭を営む会社員だ。事件当夜、彼は兄・崇と大阪で会っていたはずだった。
と言う文言が表紙に載ってしまっている。おかげで被害者は分かってしまうし、犯人も何と無く兄じゃないかと推測してしまう。
上巻は、事件の背景や刑事の捜査が描かれると思いきや、良介と崇の生活が主に描かれる。良介は家族と仲良く実家に帰り、久々に兄と語る。崇は、海外から帰ってきて公務に職しながら、独身生活を楽しむ。一見、楽しい生活である。
しかし、一見は一見。よく見ると葛藤が見えてくる。弟は、実家に帰る途中に不思議な現象に襲われ、語らう兄にはコンプレックスを抱えていた。一方、兄は人を愛せず、不倫を常習化している。どこか語り口調もヒステリックだ。
インターネットに吐露する良介は、人には吐露出来ず、深みにはまっていくようで、熱くなると宗教臭くなる崇も心のどこかに小さなヒビが入れば、一気に決壊しそうな危うさがある。
更に、父親の鬱病まで、2人は抱えることになるのだ。今後、彼らは決壊せずに居られるのかは疑わしい。尤も良介は既に死んでしまったが。
この物語には、既に心が決壊している少年が登場する。この少年は、悪魔のような男に説き伏せられ、どんどん壊れていく。正直、初めからどこかおかしい為、さほど同情の気が沸かない。サイコパスでは無いのだが、十分に悪質な変態っ振りを見せ付けているのだ。そりゃ、悪魔も目をつけちゃうよなぁと。
因みに、本作は「殺しと赦し」をモチーフにしている。人はなぜ人を殺すのか、人を赦すとはどういうことか、絶対に赦し得ない事が起きた時、人はどんな行動を取るのか。それを著者は追求したかったと言う。
その追求も下巻で一気に進むに違いない。そして、願わくば納得出来る追求結果を見たい。 -
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これは間違いなく「トンデモ本」だ。その爆笑性ゆえに5点満点である。2006年刊行であるため8年たって「トンデモ本」になってしまったともいえるが、何せ梅田何がしという「はしゃぐ猿」のはしゃぎっぷりがそもそもトンデモない。まず言っている事すべてが猿でもできる後知恵でしかない。刊行当時はそれこそ未知なものとしてのインターネットの権威としてかなりの人数をわかったような気にさせたことは想像できるが、8年たってのこのWEBを取り巻く世界がひとつも、本当にただのひとつも想像すらされていないところがともかくトンでもない。「10年から15年先のことは正確に予想できる」と自慢げに語り、グーグルのすべてを理解していると胸を張る梅田某が、次から次へと語るに落ちて、ボロボロと皮がはがれていくさまは爽快感すら覚える。平野はさすがの作家たる想像力で、LTEやスマホの普及や、形而上的な予想されうる「闇」について言及しているが、いちいちその鋭い洞察をわきに押しやって、おだてられるままに木にどこまでも登っていく「はしゃぐ猿」梅田。
声を出して突っ込みを入れながら、2014年の今こそ爆笑できる一冊である。 -
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ネタバレ約1年前に、新書「私とは何か」を手にとって以来、ようやく分人小説4部作を読み切った。文庫化を心待ちにしていたこの作品のテーマは、ずばり分人と愛。事故で足を切断した女優と、義肢のデザイナーによる恋愛っていうと、ちょっとアルモドバルのトークトゥハーを連想して「献身」がテーマなのかと先入観を持ったのだが、さすがに平野文学は圧倒的なリアリティー。
刹那に宿る「恋」を花だとすれば、関係の維持に努める「愛」は果実であり、その狭間にあるセックスは、花が果実になるための季節の変わり目のようなものだという。愛は利他だけでなく利己が必要であり、利己の塊のような存在である三笠を通して相良は、完全な献身にも愛はなく、愛には献身と身勝手という両義的な価値が必要であることを気付く。谷崎の陰翳礼賛を引用し、光と影の絶え間ない反転こそが人間の関係性の本質であると。
僕は、ずっと分人主義的な考えでは、同時にいろいろな人を愛することを肯定してしまうのではないかと疑問だったのだが、それにもしっかりと答えを出してくれる。愛とは、相手の存在が自らを愛させてくれることだからだ。だから、一生をかけて一人の人を愛し続けるということは、一回しかない自分の人生を一生かけて愛し続けることに他ならないのだ。 -
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芥川賞作家・平野啓一郎氏による初めての恋愛小説です。『日蝕』や『葬送』などの重厚な作品を書くというイメージが強い方だったので、最初は正直面食らいました。
この記事を書く際にはじめて知ったのですが、この本は平野啓一郎氏にとって初めての恋愛小説だったのですね。物語は交通事故によって左足を切断するという重傷を負った『美脚の女王』の異名をとる女優の叶世久美子と、離婚を経験し、デザイナーとしての仕事は順調なものの、心にどこか空白の部分を持ったデザイナーの相良郁哉が中心となって物語が進んでいきます。
さいしょは作中にちりばめられているiPod nanoやWikipediaやグーグルやユーチューブというまさに現代を象徴するキーワードに正直面食らいましたが、この作家は古典を多く描いてきて、つい最近もオスカー・ワイルドの「サロメ」を彼が翻訳を書いているはずなのにこのシフトチェンジはすごいなとさえ思いました。で、話を戻すと、映像化は困難ですが、山あり谷ありの王道的な恋愛小説で、最後まで一気に読み終えてしまいました。
相良と叶世の二人の展開も魅力的ですが脇を固める人間もまた個性的なキャラクターが多くて、相良の母親のような役どころを演じる原田紫づ香と叶世のマネージャーを務める曾我もまた、人間味のあふれるキャラクターで、特にマネージャーで彼女が所属する事務所の社長である曾我には叶世久美子を育てる、という身のささげ方には
『こういう生き方もあるのか!!』
という驚きがありました。
義足が完成して、叶世と相良はファッションショーに赴く、というのがこの作品のハイライトですが、結末は自身で確認いただくとして、もう一度、人を愛してみようか…。この本は僕にそんなことを思わせてくれました。本当に久しぶりの恋愛小説を読んでそんなことを思いました。 -
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平野啓一郎氏の最初のエッセイ集です。三島作品を論じた「『金閣寺』論」「『英霊の声』論」を中心に、文学、音楽、美術、建築、そして自らの作品について論じたもので、平野文学を理解する『鍵』であると思います。
本書は作家、平野啓一郎氏の最初のエッセイ集です。対談集である『ディアローグ』とこの『モノローグ』発意をなす存在であると思っておりますので、一気に読もうかと思っておりましたが、諸般の事情でこっちを読むのが遅れてしまいました。しかし、内容の濃さとページの厚さを考えると、二冊同時に読むのはかなり苦労するだろうなと今にして思えばそう思います。
本書は三部作構成になっておりそのⅠは最初から平野氏の文学的な原点である三島由紀夫。その三島文学の新たな読みを提示した「『金閣寺』論」と「『英霊の声』論」は原典を読んだことがない状態で読んでしまったので、その内容、読み方のあまりの深さについていけず、展開されている三島論並びに作品論は文字を追いながら『あー、こりゃあまず原典を読んでからにすればよかったなぁ』と思ってしまいました。
しかし、この中にも、後に『分人四部作』に結実する思想が断片的に記されていたように思いました。さらには、自身がそのほかに影響を受けたオスカー・ワイルドやミルチャ・エリアーデに関する論考。『ディアローグ』で平野氏が芥川賞を受賞した当時に対談した日野啓三氏が他界したときの追悼文も言語において精緻を極める平野氏ならではの心のこもった追悼文ありました。
Ⅱは建築、演劇、音楽、美術に関する評論やエッセイをまとめており、建築に関して自分はそういう分野にはわかりませんで、平野氏の言葉を虚心坦懐に読むだけでありましたが、演劇では劇団四季の『オペラ座の怪人』や『コンタクト』を観劇したときの批評。さらには「ディアローグ」でも対談した横尾忠則氏に関する文章。『美』というものを小説で謳い上げる氏の『芸術観』を垣間見たような気がいたしました。
Ⅲは個人的に最大の読みどころだと思っておりますが、平野氏本人による自作の解題で、デビュー作であり芥川賞を受賞した『日蝕』その内容と独特の文体から賛美と毀誉褒貶が巻き起こり、平野氏自身が筆を取って『日蝕』の解題するなかで的外れな評論およびそれを書いた人間を『愚評』『愚評者』と一刀のもとに切り捨てていたのを読むと、頭をレンガで殴られたような気がし、
『この文章も愚評なんだろうなぁ…』
と思いながら書いているのですが…。それなりに誠実にはあろうと思っていますけれど…。ただ、あの『日蝕』も日常では使わない漢字を多用しているので、PCに手書きで漢字を入れるなどの実に涙ぐましい努力をされているということを読み、あれは天から与えられた才能だけによって書いたものではなかったことを知り、とても面白かったことを思い出します。
他にも、様々な工夫を凝らして書いた短編集や、現代の性を書いた『高瀬川』についても自身の筆によって書かれ、対談集である『ディアローグ』同様、平野啓一郎という作家および作品を知る『鍵』であることは確信できるかと思います。 -
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作家、平野啓一郎氏の対談集です。ここで語られているのは本当に膨大な情報で、正直な話、ついていくのが本当に大変で、半分も理解できたかどうかは怪しいものですが、『現在』に至る様々な道筋が示されております。
作家、平野啓一郎氏の対談集です。20代の作家としてデビューした手の頃から31歳当時の時までのものが収録されており、作家、平野啓一郎の『始まり』と『現在』を結ぶ鍵のような位置づけに当たるものだな、と考え読んでおりました。
扱われているテーマも、非常に多岐にわたっており、自身の文学的な出発点でもある三島由紀夫をはじめとした文学論に始まり、デビュー作であり、また芥川賞を受賞した『日蝕』にも扱われているカソリックにかかわる問題。これは同時期に読んでいた本が上祐史浩氏の告白手記だったので、余計に身につまされることになったオウム真理教を代表する『カルト』の問題。果ては演劇論。現代の性。さらにはインターネットビジネスと、一冊の本の中にこれでもか!といわんばかりに情報を詰め込んでいるので、その量と内容の濃密さに圧倒され、正直な話し、理解できたのは半分にも満たないのですが、「作家、平野啓一郎」の作品及び個人の来歴を知る上で、欠かすことの出来ないものであると思いました。
対談の相手も一人ひとりがこれまた魅力的な方ばかりで、日野啓三/古井由吉/島田雅彦/山折哲雄/菅野昭正/鐘下辰男/瀬戸内寂聴/高橋源一郎/横尾忠則/キム・ヨンス/青山真治/大江健三郎/近藤淳也――というラインナップで、一人ひとりとのやり取りがこれまたスリリングで、まさに『知的格闘技』といった色合いがすごく強かったです。特に瀬戸内寂聴氏と現代における『性』について語るときや、同郷出身の映像作家である青山真治氏との対談は自分の生まれ育った所に対して持っているアンビバレントな感情や、音楽や写真についても語られているところは読んでいて面白かったです。
さらに、ここ最近は平野氏の作品について駄文をつづっている以上、おこがましいことは百も承知で言いますが、僕はこの対談集を半分は『答えあわせ』のつもりで、もう半分は『平野啓一郎氏の個人史と文学的な精神史』として読んでいました。『答えあわせ』というのは今まで、平野氏の作品を読んでいて、自分の考えと平野氏がたとえば『葬送』にどれだけのものをこめたのか?ということを確認する、というをした結果、本当に散々な結果に終わり、2割あっていれば御の字という状態で終わりました。これについてはたぶんに反省の余地ありと。もしも仮に平野氏ご本人がこれをご覧になったのであれば、これは諒とされていただければな、ということを願ってやみません。
しかし、後者に関しては『あぁ、そういう経緯を経て作家、平野啓一郎は生まれたのか!』という箇所がいくつも散見され、現在に至る様々な『萌芽』があちこちに見られて『あぁ、ここの部分がアレに繋がっていくのか』というものも、読みながら感じておりました。本書が発行されてから、かなり年月が経っているので、『現在』の平野氏がどういったことを考え、日々、創作活動に励まれているか、それをぜひ知るためにも、続編を期待したいところでございます。 -
Posted by ブクログ
ここで中心となって描かれるのはサンド夫人の娘であるソランジュと彫刻家のクレサンジェとの結婚と、金の絡んだ複雑な愛憎劇です。俗になろうと思えばいくらでもなるテーマをここまで重厚に纏め上げるのは凄いです。
やっと。やっとのことで読み終えました。しかし、これでもまだ道半ば。まだ後半分残っているかと思うと楽しみであり、また長い旅路になるなぁと思いながら最後のページをめくりました。ここで中心に描かれるのはサンド夫人の娘であるソランジュと、彼と夫婦関係になる彫刻家のクレサンジェが軸になって描かれます。
その結婚をサンド婦人は了承し、あちこちに手紙を書いてそれを知らせるのですが、その愛人であるショパンは重篤な病に伏せっているのでした。彼と親友で画家のドラクロワはクレサンジェの性癖―軽佻・利己・浪費―を普段からよく知っているだけに、この結婚がはたしてうまく行くのかと大変不安がっているところから始まります。
その危惧は残念ながら的中し、クレサンジェは持参金の名の下にサンド夫人から20万フラン(残念ながら当時の価値はわからない)をせしめるためにあの手この手を使って画策をするという場面に相成るわけでございます。それにしても人間の愛憎劇をここまで濃密かつ緻密に、かつ美しく表現するとは至難の業だろうなと、読みながらつい、そう思わずに入られませんでした。
そのハイライトであるサンド夫人と娘のソランジュ、そしてクレサンジェがサンド夫人の家の中で文字通り修羅場を演じ、サンド夫人とソランジュが親子の縁を切る場面の描写は個人的にはついつい人間の持つ俗な部分に目が行ってしまうので、芸術に生きる人間もまた、お金であり、家族関係なりそういったものに向き合わざるを得ないと言うことを突きつけられるものでありました。
やがて、その事実はショパンの下にも伝わり、ソランジュからの『馬車を貸してほしい』という訴えを手紙で受け取り、馬車の手配をしてからサンド夫人との前々からギクシャクしていた関係が一気に表面化してくるのです。そして、彼らの関係は一度もあって話をすることなく、すれ違いのまま破綻することになってしまうのです。
サロンではこの事実が一気に広まり、ショパンの見方をする者をはじめとしてさまざまな態度をするさまが丹念に描きこまれており、これに関しても現代とさほど変わらないなぁと読みながらつくづく思いました。一方のドラクロワはかつで自分のところで修行していた元弟子に自分の芸術を遠まわしに馬鹿にされたりしながらも、病弱の体を押して作品に没頭し、長年関わっていた下院図書室の天井画を感性にまでこぎつけます。
ここに描かれた絵を平野氏の書いた文章を読んでから、実際にドラクロワの画集を開いて僕は確かめました。なるほど、描かれているすべての絵が平野氏の筆による詳細な描写によって描かれ、さながら時を越えた芸術家同士の『異種格闘戦』のように思え、自らの仕事をたった一人で再確認するドラクロワと筆者の姿が重なるような思いがいたしました。それにしても、芸術に関する賛歌を高々と歌い上げ、哲学的な思索を施しながらも、その裏にある金や欲望を中心とした悲喜劇まで余すところなく暴き出す。1読者としては20代半ばの若さでなぜここまでの仕事をなしえたのか、本当に敬服と筆者の底知れぬ才能を思わずにはいられませんでした。
読み終えた後にはしばらくの間、放心状態になりますが、もし機会があればぜひ一度手にとって、ご覧になっていただければと思います。 -
Posted by ブクログ
ロマン主義の全盛期、十九世紀パリ。音楽家ショパンと画家のドラクロワとの友情を軸とし、女流作家でショパンの愛人でもあるジョルジュ・サンドを始めとする人物たちが織り成す豪華絢爛な芸術賛歌を描いております。
これは自分の中でずっと読むのを避けていた小説のひとつで、理由はというとなんといってもテーマの重厚さと原稿用紙2500枚分という膨大なボリュームからでした、しかし、今回この小説を読むきっかけとなり、また、僕の背中を押してしてくれたのは、誰あろう筆者である平野啓一郎氏その人でありました。
以前、平野氏のツイッター上で『葬送』の話題になっていたときに僕が
『僕も読もうと思っておりますが、あの重厚さに二の足を踏んでおります。』
と書き込んでみたところ、なんと平野氏本人から
『読み始めるのは大変ですが、ぼくの小説の中で一番好きだと言ってくれる人も多いです。最初が重たいとよく言われる小説ですので、第二部上のショパンのコンサートから読んで、この前後ってどうだったんだろうと、遡ってみるというのも、一つの方法かもしれません。』
というメッセージが返ってまいりました。
原作者からそこまで言われれば読まないわけにはいかないと。ある種の決意を持ってページを読み勧めてまいりました。物語の舞台になっているのは十九世紀パリ。芸術的な動向としてはロマン主義の真っ盛りだそうで、その辺の知識が欠如しているのは非常に残念です。物語の軸となるのは『天才音楽家』の称号を恣にしたフレデリック・ショパンと近代絵画を確立したウージェーヌ・ドラクロワとの友情とショパンの愛人であり、閨秀作家のジョルジュ・サンドとの関係を中心にして物語は進められていきます。ショパンやドラクロワにかかわらず、当時のサロンで語られている芸術論の情熱的な語り口や、彼らを取り巻く弟子、友人、そしてサンドの子供たちとショパンとの複雑な関係からにじみ出るような緊張感も非常にスリリングですし、特に、サンドの娘であるソランジュの結婚にまつわるひと騒動はとても印象に残っております。
当時の社会情勢や芸術界について、もっと自分に知識があれば物語世界に踏み込んでいけるんだけれどなぁと残念この上ないのですが、ショパンとドラクロワと取り巻く『人間ドラマ』としてこの小説を読んでも、深みのある物語ですし、当時の世相というか、芸術の動向を知る手がかりとしても面白く、何でこれを今まで読まなかったのかと、若干の後悔を持ちながら長い長い旅路をはじめたような気がいたします。
今後、彼らがどうなっていくかはまだわかりませんが、楽しみに読んで行こうと思っております。それにしても改めて知ったのですが、平野氏がこの作品を世に問うたのが25歳の頃。この事実を再確認するにつけ、本当の天才というのはやっぱりいるのだなと、筆者のような人間が『芸術の神』に愛された存在なんだなと、そういうことをとみに思うのでございました。 -
Posted by ブクログ
圧倒的な知識量で描かれる渾身の現代ミステリ。
まだ事件の起きない上巻では家族、友人、恋人に対して抱く微かな「不信感」や、自分以外が他者であるがゆえの「心のズレ」を感じる違和感を巧みに書いている。
人間関係を上辺では体裁良く保っていても、日常的に心の奥底に感じている上記のような空虚感は誰でも抱いた事があるのでは無いだろうか。
序盤のシーンで韓国語教室のCDを義母が流した時に、佳枝が「夫が在日韓国人なのではないか」と不意に疑ってしまう部分から、様々な人間が抱く不信感の連鎖はまるで自分を見ているかのよう。
ただ上巻は地の文が三人称なのだが、二次的な一人称が一つの章の中でコロコロと変わってしまって分かりづらいシーンが多かった。