平野啓一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ分人主義を提唱する平野啓一郎さんの著書。
複数の分人を一つの肉体に宿すとする分人主義。
戸籍を入れ替え、名前もその人の人生をも変えてしまって生きる"ある男"はある種「究極の分人」と考えられるのでは無いでしょうか?
夫婦といえど、相手のすべての分人を知ることは出来ない。但し、知ることは出来ずとも幸せを育むことは出来ると本書はまとめているように思えました。ある男の本当の名前や人生を知らないままに「幸せな時間」を過ごすことが出来たように。そして、その秘密を知ってもなお幸せだったと思えたように。
一方、主人公城戸の妻は最終盤に不倫を仄めかしています。城戸は敢えてそれに目を瞑り、子供との幸せを噛み締める。事実は結局明らかにされていませんが、ここにも相手の分人を知ることなく家庭を築く一面が描かれています。
ある男の秘密は、本書を読む一般人にはある種ミステリーのように感じさせる中、城戸夫妻の様子から実は非常に身近なテーマであると気付かされます。
愛とは相手の全てを知らなければ育まれないのか?全くの嘘や秘密を抱えても育むことが出来るのか?
非常に興味深く読むことができました。 -
Posted by ブクログ
恋愛が人生を大きく変えてしまう強さがある反面、それは自らだけではないため、すべてはタイミングであり、それが運命と呼べるのだと感じた。
洋子の父ソリッチが言っていた「自由意志というのは、未来に対してはなくてはならない希望だ。自分には、何かが出来るはずだと、人間は信じる必要がある。そうだね? しかし洋子、だからこそ、過去に対しては悔恨となる。何か出来たはずではなかったか、と。運命論の方が、慰めになることもある。」
まさに強い意志たちが交差したいわゆる"運命"を、お互いの意志により惹き合わしたラスト。
なにが幸せかはわからない。
ただこれがなければ生きられないはあるのだろう。 -
Posted by ブクログ
純粋に恋愛小説としても楽しめると思うが、私自身は、「過去を変えられる」というフレーズに取り憑かれた。作者の作品で、直近に「ある男」を読んでいるのもあり、なにかこう、人が生きる上で、逆らえない、未来に向かう時間の流れと、その中で、人が人と魂同士で関わり合うことによってお互いに及ぼし合っているチカラを感じて、哲学的な物も感じた。作品から読み取ったとしては、あまりに月並みな薄っぺらい言葉になってしまうかもしれないけれど、辛い過去も、今、この瞬間を生きる事で、良いものに変わるのであれば良いなという勇気をもらえた。今、そして未来を生きる希望というか…いつか、きっと という。
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Posted by ブクログ
読んでて一番きついのは、二人とも相手を嫌いになったわけでも、気持ちが冷めたわけでもないってこと。むしろ想い合ってるのに、誤解とか、ちょっとした選択のズレとか、自分から動けない不器用さとかが積み重なって、取り返しのつかないところまで行ってしまう。「あの時ちゃんと確かめてたら」「あの一言を言えてたら」って、読んでるこっちが何度もやきもきさせられた。
平野啓一郎の「人生は連続してるようで、実はいくつかの決定的な選択の積み重ねでできてる」みたいな考え方が、この二人のすれ違いを通してめちゃくちゃ説得力持って迫ってくる。恋愛小説っていうより、大人になってからの選択とか後悔について考えさせられる話やった。
読み終わった後、しばらく他の本に手が伸びんかったくらい、余韻がすごい一冊。 -
Posted by ブクログ
気がつくと3年が経過し、徹生は一度死んでいた。
徹生だけでなく、日本では復生者として一度死んだ人が生き返る現象が起き始める。
当時の検死では自殺と判断された。
しかし、「自殺なんてあり得ない。誰に殺されたのか?」というミステリー調で物語は始まる。
ミステリーを好まないので身構えこそしたが、読み進めるうちに、平野啓一郎の思想である「分人主義」や深い「死生観」へとテーマが移り変わっていく。分人主義を小説という形式に落とし込んだ作品とも言える。
印象に残った一節を3つ抜粋したい。
まずは、死生観について。
「どんな人生でも、死に方にさえ立派であれば、立派な人生だ。――それは人を破滅させる思想です。」
第二次世界大戦中の惨劇、ホロコーストの舞台であるクラクフにて思いを巡らせながらこの本を読めたのも良かったかも。
日本には切腹を美徳とする文化があり、森鴎外の「阿部一族」のように、その価値観を感動的に描いた作品もある。しかし、文化や時代が変われば、その「美徳」は一変するし、共感も肯定もされないだろう。
とは言え、当時の倫理観が自死を肯定するならばその時代精神を全否定出来るだろうか。当時を生きた人々には、その時代ならではの当事者の苦悩や価値観は汲み取るべきであろう。
環境次第で、人は驚くほど残酷にもなれるし、自らの倫理観を見失うこともある。そんな脆弱さを認めた上で、死に方で人生を美化してはいけないと結論づけたい。
次は分人主義に関して素敵な一説があったので引用を。普段から引用するものの読んだことないので、またの機会に読んでみたい。
「自分のことをまるごと肯定する、まるごと愛するというのは、なかなか出来ないことです。
よほどのナルシストじゃ無い限り、色々嫌なところが目についてしまう。"しかし、誰かといるときの自分は好きだ"、と言うことはそんなに難しくは無い。
その人の前での自分は、自然と快活になれる。明るくなれる。生きていて心地が良い。全部じゃなくとも、少なくとも、"その自分は"愛せる。だとしたら、分人を足場に生きて行けばいい。もしそう言う相手が、2.3人いるなら、足場は2つになり、3つになる。だからこそ、分人化という発想が重要なんです。」
最後の引用は、疲労と幸福に関して。
我々体育会系は、とかく「Do my Best 」や限界まで追い込むことに美徳を感じがち。
だからこそ、この文章で自分の努力の尺度について再考の必要性を感じた(今は何も努力せずに遊んでるだけなのに大層なことを書いてる自分が恥ずかしい笑)。
「こんなに疲れるまで働いてるんだから、僕は胸を張って、幸せになっても良い気がしました。今の時代、人に誇れる本物の幸福は、お金でも運でも無く、疲労で手に入れたものじゃないか。」
「どんなに幸せでも、みんな疲労に加算されてしまう。晩婚化で人生の『幸せな出来事』が30代に集中している事実と、30代の自殺の多さには因果関係があるのでは無いだろうか。」
忙しいこと、疲れていることを、自分の価値や努力の証明にしてしまう。
「不安に対してやり切ること」だけが美徳ではない。頑張りすぎている友人や、いつか休息の必要性に気づくはずの未来の自分へ、この視点を伝えてあげたいと思う。
幸せになるために疲弊し、その疲労を正当化してしまう矛盾。
まさに今の時代を生きる私たちの危うさを鋭く突いてきてますね! -
Posted by ブクログ
「私とは何かー個人から分人へ」が平野啓一郎さんの著書ではじめて。その中で紹介されていたため読んでみることにしたのが今回。
分人が当たり前の世界で、それが他者の良い面悪い面を受け入れやすい世の中を作ってるようで、別の分人を別人のように扱う節も見えたり、悪いことが肯定されたり、良いことの評価が弱くなったり。人間そんなもんだよなと思った。
監視社会の生きづらさと安心感の狭間のもやもやもよく分かる。「神様が見てる」みたいな程よい「恥」は似たような要素を持つのかもしれない。でも生き過ぎた恥の文化は同調圧力にも繋がる。
分人主義も監視社会も、何事もバランスが結局大事やなと。 -
Posted by ブクログ
天才ピアニストと聡明かつ美人ジャーナリストの結ばれない愛の物語。
2人の出会いのシーンで感じたのは、教養で付き合える人の幅が広がるということ。
洋子の教養には驚かされるものがあった。
話の中盤からは「三谷はなんてことをしてくれたんだ…」という想いでしかなかった。
彼女さえいなければ蒔田と洋子は深い愛で結ばれ、幸せな家庭を築いていたというのに。
しかし、蒔田に尊敬と異常なまでの愛情を持って大きな過ちを犯した三谷を強く責めるものは、誰もいなかった。責められなかったという方が正しいのか。
愛に結ばれず、しかし互いに愛と信じた道を歩んでいく。なんとも寂しく、大人な話だと思った。
40を過ぎて人生最愛の人に巡り会えるとは、人生いつ何が起こるか分からないものだな。
「過去は現在によって変えられる」というような意味合いの言葉が心に残った。
私は「過去は現在の自分自身の解釈によって、変えられる」と解釈したが、洋子の父の話や三谷が打ち明けた過去などは正にそうだろう。
自分がどんなレンズを通して今を、そして過去を見ているか。そのレンズによって良くも悪くも人生が変わるのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
新型コロナウィルスのパンデミックを挟んで、10年近く前にまとめられた書籍であるにも関わらず、アテンションエコノミー、SNSがもたらすエコーチェンバー、そしてAIによるオートメーション化がどのように「私たちの自由」と関わるのか、問いことに言及している視点の奥行きの広さと深さに驚かされる。
刊行当時理解されなかったであろう事柄、特にUber Eatsが都市部では当たり前となり、リモート会議も珍しくなくなったパンデミック以降の感覚では、「職業」によって回収される近代的個人から分人的な働き方を通じて得られる自由、あるいはリモートワークで得られる住む場所の自由も実感のあるものとして深く理解できる。
テクノロジーの爆発的発展により、見通しの効かない未来を生きざるを得ない中でここまでの議論を展開していることには驚かされるが、現在の読者としては、さらにこの先の「自由」のあり方について著者の考えを知りたいとどうしても思ってしまうのは免れ絵なことだった。