井上荒野のレビュー一覧
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5年前に死んだ画家の父親の作品を集めた美術館に済むいずみと母親鞠子。いずみはその離れに居候する伏見に憧れていた。鞠子は夫の絵を切り売りしながら贅沢を謳歌し、伏見を始めとした大学時代の取り巻きと楽しく暮らしていた。いずみは父のことを知ろうとする…。
気難しい不思議ちゃんと、ほんわか掴みどころのない不思議母親に振り回される友人たちの話。何もかも嫌いという女性作家らしいすべて投げるスタイルだが、それ以上にどう仕様もないキャラクターがいるお陰でそこまで嫌な印象はない。
話自体は小さく細切れにされているおかげで読みやすく、予想したよりもキャラクターも増えすぎない程度でまとまっているため、読んでいてそこまで嫌になることはないであろう。
同著者の以前に読んだ『だりや荘』にくらべ、全体にまとまりは有るし、快適に読めたのには、解説で長嶋有が書いていた通り、「セックスに逃げる」という部分が無いからであろう。どうしてもこういう作品で嫌になるポイントはそこにあるが、本作ではそういう話は出てこない。むしろ有るのかと見ていると全く無いので意外に感じるくらいだ。
マガジンハウス系の退廃女性文学としては、とても良いバランスを築けている一冊ではある。で、なんで表紙はこれ? -
Posted by ブクログ
井上荒野さんの本を読むのは初めて。
ふと井上荒野さんの本を読んでみようと思い、あらすじが面白そうだったので手に取った。
瀬戸内寂聴(と井上光晴)の不倫が下敷きになっているとは全く知らずに読み始めたので、「女性の作家で夫と娘を捨てたことがあるなんて、瀬戸内寂聴みたいだな」と思って読んでいたらその作家が出家すると言い出し、「まさか本当に瀬戸内寂聴?!」とびっくり仰天した。
「書く」ことによって、ある出来事や事実について、推敲するうちにどんどん主観が込められ、捻じ曲げられてしまうのでは、自分の気付いていなかった気持ちが見えてしまうのでは、とみはるや笙子が考えているのが興味深かった。
たしかに過去の出来事を繰り返し思い出していると、いつの間にか自分に都合のいいように書き換えられていることがある。
思い出すだけでも書き換えられるのだから、それを「文字」という形に残す作業では、その書き換えが起きる可能性はもっと高いのだろうな。
他の女性との恋を繰り返した白木が癌になって、病床で笙子の姿が見えないと、大きな声で「おーい」と呼び続けるのが哀れだった。
誰かをどんなに大事に思っていても、その人を裏切るような真似をやめられないのが人間なのだなと思わされる。
1960年代のみはるの語り口のさっぱりしていて媚びたところがない感じが、本当にその年代の女性らしくて、自分がここ10年以内に出版された最近の本を読んでいると忘れるほどだった。
瀬戸内寂聴さんについては出家後の姿しか知らないけれど、テレビなどで見るといっつも恋愛の話をしていて、ベタベタしたおばあさんだなと正直あまり好きではなかった。この本のみはるに対してはそんな印象を抱かず、むしろ淡々としているところや落ち着いた視点に好感も持っていたので、一部の姿だけ見て好きとか嫌いとか思うのはあさはかなことだったなと反省したりする。
とはいえみはるが白木への弔辞で「セックス抜きの関係だった」などと抜け抜けと述べているところは、やっぱりベタベタしてるというか、出家後はさておき不倫関係にあった以上セックスには言及しなければいいだけのことでは?いい大人が何してるの?とモヤモヤ。笙子がこの弔辞に好感を持ってたとしてもわたしは嫌だ! -
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ご存知の通り、『100万回生きたねこ』(1977)は、佐野洋子さんの絵本です。最後に主人公の猫が死ぬのに、心からよかったーと思える、不思議でとっても深いお話でした。少し哲学的で、大人の方が響くかもしれませんね。本書は、この名著に捧げる13名の錚々たる作家諸氏のアンソロジーです。
最近読んだ町田康さん、谷川俊太郎さんも書かれていて…、あ、谷川さんは佐野洋子さんと(短期間)ご結婚されていたんですね。また書き下ろしの広瀬弦さんは佐野洋子さんの息子さん!
なんと不思議な巡り合わせです。当然ながら、全編とも名作絵本への愛と敬意が根底にあり、様々な視点で読ませてくれました。
各話の冒頭には、作家さんがそれぞれ原典の絵本への想いを綴ることから始まっています。
オマージュ作品とは言うものの、短編小説だけでなく詩もあり、また原典のとの絡め方も、かなり直接的だったり着想のみでまるで別作品だったり、多種多様でした。
でも、猫、愛、生と死、側にいる人との心の揺れ動きと変化、時間の経過等々、滋味あふれ深く考えさせられる一冊でした。
初出は、「小説現代」2014年10月〜12月の12篇に書き下ろし1篇
※自分のための『100万回生きたねこ』のあらすじ
(ネタバレ、になるのかな?)
主人公の猫は、100万回生まれかわり様々な飼い主のもとで死に泣き悲しまれますが、猫が好きなのは自分だけで、何度も生き返るので死ぬ事も恐れていません。
ある時、猫は誰の猫でもない野良猫になり、100万回生きた事を自慢します。すり寄ってくる猫の中で、唯一関心を示さないメスの白猫がいて、気になり始め、ただ白猫のそばにいたいと思うのでした。
猫は白猫と一緒になり沢山子猫に恵まれ、猫も自分より白猫や子猫達の方が好きになります。やがて子猫達も育ち猫の元を去り、白猫も年老いて、ある日猫の傍で静かに動かなくなります。
猫は生まれて初めて泣き、動かなくなった白猫を抱えて100万回も泣き続け、ある日のお昼に猫は泣き止みました。そして猫も白猫の隣で静かに動かなくなり、もう決して生き返りませんでした。 -
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物凄く大きな出来事が起こるわけではないけれど、段々と恐怖のようなものを感じる。
色んな意味での人の悪さみたいなものを見た気がする。
タイトルにある「その話は今日はやめておきましょう」という意味が内容にも沿っていて、意味深いと思った。
老夫婦の家庭に家事手伝いとしてやってきた一樹。
悪くはないやつだと思うけれど、流されてしまうような。もし、辰夫がいなかったらこのまま良い関係を築けていたんじゃないかなとも思う。
それが良いかどうかは別にして。
老夫婦の昌平とゆり子も、異変に気付いてはいつつもその話をしようとしない。まさに「今日はやめておきましょう」感。
それぞれの立場だった時に、自分だったらどうしただろうか。 -
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贅沢な列車に、贅沢な名前の並ぶ小説
それぞれの物語がとてもあたたかい気持ちになる
そこに乗車するそれぞれが
何らかの思いを一緒に乗せて旅に出る
誰かを大切に思って
大切な人を誘って
願い叶わなかった列車の旅になっても
「その人を思い出すこと」が供養にもなる
1話目の
さよなら、波瑠/井上荒野
一見、芯もあって強くて…こういう人の気持ちが
苦しくて苦しくてね
思わず感情移入、涙が出た
糸井重里さんの
「帰るところがあるから、旅人になれる」
当たり前なんだけど
そんなふうに考えたことなかったからね
さすがだな、
糸井さんの言葉だな、って思った
静かな気持ちで読めるキレイな本でした -
Posted by ブクログ
設定がキャッチ―なだけで、登場人物がみな凡庸で、人と人との関係性に距離があり、親子も夫婦もみな遠慮し合っているのがもどかしい。なぜ、思っていることを口にしないの?そこはちゃんと話そうよ、相談しようよ、対話が必要じゃないの?という局面で、誰もが言葉を飲み込んでいる。夫が自分を捨てて他の女に走った段階ではともかく、その後将来を共にしようというパートナーとめぐり逢ったときになぜ夫と離婚しようとしなかったのか、謎。それを要求しなかった(もしくは問いたださなかった)パートナーの蓬田も謎。夫の病気のことをなぜ娘たちに話せない? 人と人との心理的距離があってそれが縮まらないのと、読者と作品の距離が縮まらないのが比例する感じで、没入できなかった。とくに女性たちが男の機嫌を損ねることをおそれて言葉を飲み込むような場面を作者は何の批判的視点もなく、よくあることとして何度か描写していて、悪くもないのに「ごめんなさい」と謝ることさえしている。それらの遠慮は思いやりや思慮深さとは別物である。その上で最後に「これは愛なのか、それとも...」的なことを問われても...である。
是枝裕和監督が『真実』を撮ったときにフランスの女優が脚本を読んで「フランスの女はこのような場面で謝ることはあり得ない」と書き直しをくらったという話をどこかで読んだ。フランス人のようであれとは言わないけれど、日本の女性もそろそろ、というか、ほんとうはとっくに、こういうしぐさから脱した方がよいと切に思う。自戒を込めてだけれども。とはいえ、最後のシーンの母親歌子さんの心情はよくわかる。もしかしたらここだけが唯一の彼女の切実さが伝わってくるところかもしれない。不治の病を抱えながら孤独に死んでいこうとする夫を放っておけない、なんとかしなくては」という思い。
百合中毒のエピソードも防犯カメラのエピソードもあまり効果的とは言えない気がするし、サクソフォーンを妻に内緒で練習していました、のところにおいては蛇足では...