井上荒野のレビュー一覧
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自分が食いしん坊なので、気付いたら食べものの本を手に取ってしまう。相変わらずな読書スタンスで、今年も駆け抜けてゆきそうです(*‘ω‘ *)
こちらはお惣菜屋さんの話。料理上手な女性3人の視点で描かれている。人生色々ありつつも季節にあった料理が生きる糧になっている、そんな風に感じました。話の内容は少し地味だけど、美味しそうなお惣菜のラインナップが絶妙で印象的でした。
『春は貝だ。三月はじめ、夜はまだ少し肌寒いけれど、空気はねっとりとやわらかくなってきて、ちゃんと春めいている。春の空気には貝の味がしっくり合う。-あさりフライ-』
結局何をキャベツ炒めに捧ぐ…?について、私はその料理に纏わる新しい思い出かなと思って読んでいた。巻末の文庫解説で平松洋子さんが、感謝を捧ぐと書いていたので、なるほどなーと思った。
『あのとき、食べる元気をくれてありがとう。料理を作る気持ちに導いてくれてありがとう。あの味で身も心もあたためてくれてありがとう。三人三様の人生の場面で、食べものはいつも誰かを支えてきた。そのありがたみを知っている三人だからこそ、「ここ屋」の惣菜は人の味覚を喜ばせる。-解説-』
キャベツは今1玉が倍ぐらいの値段になり、お米の価格も高騰しているので、口に入れる時には、より一層噛み締めてもいきたい(´~`)モグモグ
2025.2 -
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*綾「私は初めて会った16年前から涼さんを愛し続けている」。涼「僕にかかわった者は、みんな死んでしまう。女も男も。僕が綾を愛しすぎているせいで」――
音村綾(旧姓・上里)は30代半ば。現在は信州でペンション経営兼漫画家として活躍。夫・子ども・母と四人で暮している。
祥川涼。画家。40代後半。妻を失い、その後同棲していた女性とも別れ、現在は酒浸りの日々を送っている。
冒頭の「現在」では、綾のコミック発売記念サイン会のシーンの衝撃的事件から始まり、「1年前」「4年前」「8年前」「10年前」「12年前」「14年前」、そして二人が出会った「16年前」へと時をさかのぼり「現在」に戻る。謎とサスペンス、そしてストーカー小説の雰囲気も交えた〈究極の恋愛小説〉である*
不思議な読後感の物語。
愛を貫くのも愛を温めるのも難しいな… -
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5年前に死んだ画家の父親の作品を集めた美術館に済むいずみと母親鞠子。いずみはその離れに居候する伏見に憧れていた。鞠子は夫の絵を切り売りしながら贅沢を謳歌し、伏見を始めとした大学時代の取り巻きと楽しく暮らしていた。いずみは父のことを知ろうとする…。
気難しい不思議ちゃんと、ほんわか掴みどころのない不思議母親に振り回される友人たちの話。何もかも嫌いという女性作家らしいすべて投げるスタイルだが、それ以上にどう仕様もないキャラクターがいるお陰でそこまで嫌な印象はない。
話自体は小さく細切れにされているおかげで読みやすく、予想したよりもキャラクターも増えすぎない程度でまとまっているため、読んでいてそこまで嫌になることはないであろう。
同著者の以前に読んだ『だりや荘』にくらべ、全体にまとまりは有るし、快適に読めたのには、解説で長嶋有が書いていた通り、「セックスに逃げる」という部分が無いからであろう。どうしてもこういう作品で嫌になるポイントはそこにあるが、本作ではそういう話は出てこない。むしろ有るのかと見ていると全く無いので意外に感じるくらいだ。
マガジンハウス系の退廃女性文学としては、とても良いバランスを築けている一冊ではある。で、なんで表紙はこれ? -
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井上荒野さんの本を読むのは初めて。
ふと井上荒野さんの本を読んでみようと思い、あらすじが面白そうだったので手に取った。
瀬戸内寂聴(と井上光晴)の不倫が下敷きになっているとは全く知らずに読み始めたので、「女性の作家で夫と娘を捨てたことがあるなんて、瀬戸内寂聴みたいだな」と思って読んでいたらその作家が出家すると言い出し、「まさか本当に瀬戸内寂聴?!」とびっくり仰天した。
「書く」ことによって、ある出来事や事実について、推敲するうちにどんどん主観が込められ、捻じ曲げられてしまうのでは、自分の気付いていなかった気持ちが見えてしまうのでは、とみはるや笙子が考えているのが興味深かった。
たしかに過去の出来事を繰り返し思い出していると、いつの間にか自分に都合のいいように書き換えられていることがある。
思い出すだけでも書き換えられるのだから、それを「文字」という形に残す作業では、その書き換えが起きる可能性はもっと高いのだろうな。
他の女性との恋を繰り返した白木が癌になって、病床で笙子の姿が見えないと、大きな声で「おーい」と呼び続けるのが哀れだった。
誰かをどんなに大事に思っていても、その人を裏切るような真似をやめられないのが人間なのだなと思わされる。
1960年代のみはるの語り口のさっぱりしていて媚びたところがない感じが、本当にその年代の女性らしくて、自分がここ10年以内に出版された最近の本を読んでいると忘れるほどだった。
瀬戸内寂聴さんについては出家後の姿しか知らないけれど、テレビなどで見るといっつも恋愛の話をしていて、ベタベタしたおばあさんだなと正直あまり好きではなかった。この本のみはるに対してはそんな印象を抱かず、むしろ淡々としているところや落ち着いた視点に好感も持っていたので、一部の姿だけ見て好きとか嫌いとか思うのはあさはかなことだったなと反省したりする。
とはいえみはるが白木への弔辞で「セックス抜きの関係だった」などと抜け抜けと述べているところは、やっぱりベタベタしてるというか、出家後はさておき不倫関係にあった以上セックスには言及しなければいいだけのことでは?いい大人が何してるの?とモヤモヤ。笙子がこの弔辞に好感を持ってたとしてもわたしは嫌だ! -
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ご存知の通り、『100万回生きたねこ』(1977)は、佐野洋子さんの絵本です。最後に主人公の猫が死ぬのに、心からよかったーと思える、不思議でとっても深いお話でした。少し哲学的で、大人の方が響くかもしれませんね。本書は、この名著に捧げる13名の錚々たる作家諸氏のアンソロジーです。
最近読んだ町田康さん、谷川俊太郎さんも書かれていて…、あ、谷川さんは佐野洋子さんと(短期間)ご結婚されていたんですね。また書き下ろしの広瀬弦さんは佐野洋子さんの息子さん!
なんと不思議な巡り合わせです。当然ながら、全編とも名作絵本への愛と敬意が根底にあり、様々な視点で読ませてくれました。
各話の冒頭には、作家さんがそれぞれ原典の絵本への想いを綴ることから始まっています。
オマージュ作品とは言うものの、短編小説だけでなく詩もあり、また原典のとの絡め方も、かなり直接的だったり着想のみでまるで別作品だったり、多種多様でした。
でも、猫、愛、生と死、側にいる人との心の揺れ動きと変化、時間の経過等々、滋味あふれ深く考えさせられる一冊でした。
初出は、「小説現代」2014年10月〜12月の12篇に書き下ろし1篇
※自分のための『100万回生きたねこ』のあらすじ
(ネタバレ、になるのかな?)
主人公の猫は、100万回生まれかわり様々な飼い主のもとで死に泣き悲しまれますが、猫が好きなのは自分だけで、何度も生き返るので死ぬ事も恐れていません。
ある時、猫は誰の猫でもない野良猫になり、100万回生きた事を自慢します。すり寄ってくる猫の中で、唯一関心を示さないメスの白猫がいて、気になり始め、ただ白猫のそばにいたいと思うのでした。
猫は白猫と一緒になり沢山子猫に恵まれ、猫も自分より白猫や子猫達の方が好きになります。やがて子猫達も育ち猫の元を去り、白猫も年老いて、ある日猫の傍で静かに動かなくなります。
猫は生まれて初めて泣き、動かなくなった白猫を抱えて100万回も泣き続け、ある日のお昼に猫は泣き止みました。そして猫も白猫の隣で静かに動かなくなり、もう決して生き返りませんでした。 -
Posted by ブクログ
物凄く大きな出来事が起こるわけではないけれど、段々と恐怖のようなものを感じる。
色んな意味での人の悪さみたいなものを見た気がする。
タイトルにある「その話は今日はやめておきましょう」という意味が内容にも沿っていて、意味深いと思った。
老夫婦の家庭に家事手伝いとしてやってきた一樹。
悪くはないやつだと思うけれど、流されてしまうような。もし、辰夫がいなかったらこのまま良い関係を築けていたんじゃないかなとも思う。
それが良いかどうかは別にして。
老夫婦の昌平とゆり子も、異変に気付いてはいつつもその話をしようとしない。まさに「今日はやめておきましょう」感。
それぞれの立場だった時に、自分だったらどうしただろうか。