プロローグで、どうなるのか⁇という不穏な思いを心の隅に残して読む。
ラストには、淡々とした普通の親子の会話…なのに涙した。
これが家族なんだと。
これは、日本と韓国のふたつの家族が、子を欲しいと願い飛びついた医療の結末である。
医大生の菜々子は、自分の血液型が両親からは生まれてくるはずのない
...続きを読むことに気づく。
母は、当たり前のように家族全員O型であることを信じていた。
法医学教授に頼み家族全員のDNA型親子判定をする。
その結果、二人ともが親ではなく、日本人としても稀な結果が出ていた。
母子手帳を持って当時の医院へ行く。そこは、昔はまだ未承認だった凍結卵子による顕微授精もしていたとブログやツイッターで書かれてあった。
母に可愛がってもらった記憶もなく、弟が生まれてからは邪険にされることもあった菜々子は、おばのサーちゃんに母が不妊治療をしていたことを聞く。
一方で、勝手に産婦人科へ行ったことで、弁護士から今回の事の顛末と二十三年前の説明をしたいと言われ家族で赴く。
当時のカルテで凍結授精卵の胚移植で不妊治療を受けて、妊娠したとの記載。
そして、ふた組分の受精卵を二人の患者に移植し、そのときに取り違えが生じた可能性があり、ほぼ同時期に妊娠、出産されている。
もうひと組は、韓国籍の患者であり、連絡先もわからず未確定であると。
菜々子は、韓国の友人であるジヒョンの協力で、密かに韓国へ行き、取り違えのあった家族に会う。
だが、何も話せないでいた。
もう、自分たちは、日本には、行かないです。
いつもここにいる。ナナコさんは、いつでもきていいですよ。
こう言ったことばから、もしかしたらすべてを知っていて、自分たちの育てた娘を守ろうとして、日本へは行かないと決めたのだと感じた。
韓国の旅を終え、出発前に抱えていた悲劇の感覚が消えたあと、思春期に入ってからずっと、明滅していた得体の知れない拠り所のなさにも、一つの決着がついたのかもしれない。
とあったが、菜々子本来の真っ直ぐさや強さ、そして内に宿る本物の優しさを改めて感じた。
レビューを書くにはとても難しくて、ほとんど内容になってしまった…。
かつて子どもの取り違えは現実にあったと記憶しているが、授精卵の胚移植となればお腹の中ですでに育んでいるわけで、すでに我が子であろうと思う。
遺伝子だけの繋がりよりも育てるということのほうが、親子であり家族だと感じるのではと思う。
だが、国籍が変わってもそうなのか…と。
やはりそれもそうなのだろう。
それは、もはや愛情なのだろうから。