姜尚中のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ今日も大変。でも書評ブログは続けるよん。今日の書評は「見抜く力」姜尚中(カンサンジュン)著。
お前、コリアンの方の書評って言われる方もいるかもしれないが、サンジュン先生は在日二世で、もちろん日本語はペラペラ。早稲田大学大学院博士課程修了後、ICU准教授、東京大学大学院教授、聖学院大学学長などを歴任している、まさに日本人にとってのオピニオンリーダーの一人なのだ。
「サンジュン先生なら知ってるよ!朝まで生テレビに出てた先生でしょ?」と言われる方、かなりの通ですね。私もサンジュン先生を同番組で知りました。氏の日本国への愛情はディープ(深い)かつコンシスタント(首尾一貫)で、私も「この方日本好きなんだな~」と思っていました。
そこで今回、毎日新聞さんと契約が終了したことに伴い、感謝の意として毎日新聞出版でなにかいい本がないかな~と思ってたところサンジュン先生の本著「見抜く力」が発刊されていたので早速購入。で読み終えました。
では早速紹介します。
まず「見抜く力」とは何かと定義します。
サンジュン先生は人生、時代を「見抜く力」とはどういうものかを、詳述しています。
しかし、それらを考える前に身辺雑記や私生活にかかわるような「極私的」な出来事と、国家や世界情勢のような大事件とは、直接には結びつかず、切り離して考えないといけないといいます。
しかしながら、サンジュン先生はよくよく考えてみたら、それらは同時並行的に起きていて、別々の世界として考えることは不自然であると喝破します。
そのような「見抜く力」を卓越的に持っていたのが、かの文豪の夏目漱石であるとサンジュン先生は指摘します。
漱石は「硝子戸の中」で「私は丁度ドイツが連合軍としているように、病気と戦争しているのです。今こうやって貴方と対座して居られるのは、天下が太平になったからではないので、塹壕の中に入って病気とにらめっこしているからです。私の身体は乱世です。何時どんな変が起こらないとも限りません」
これについてサンジュン先生は喝采しています。
「継続中の病気」であれば、なおもすれば「自分のことばかり」気にする傾向にある。
それを自分の身体を「乱世」そのものと呼び、自宅の硝子戸の中を「塹壕戦」に見立て日々戦っており、あきらかに漱石は自分の身に降りかかってきた、病魔という個人的な物を第一次世界大戦という公的なものとシンクロさせているから、と述べます。
なぜ漱石がそのような「見抜く力」を持っていたのかについて、サンジュン先生は「距離を置く」という行為が漱石には可能だったと述べます。
漱石の言葉を借りれば、私たちの社会は人間の塊からなっていますが、その人間は同じ共同体を形成していても「貴と賎」「正と邪」「男と女」「貧と冨」など、自分に対してでもなく他人に対しても、またこの世界についてもその見方は違ってくるに違いない。
それは突き詰めれば、人生観の相違であり、それが集団的な利害や思想、理念の違いとなって、イデオロギーや世界観の対立となって、力と力のせめぎあいになると言われます。
したがって、その結果絶対的な立場や視点などは存在せず、自分や他者、世界の見方をどう見るか相対化せざるを得ないとのことです。
その相対化の過程で、どの見方も真実であるという結論が得られます。しかしながらその相対化の過程で、自分というものを常に疑うことが必須となります。すなわち自分という主観へのこだわりだけで、自分自身や他者、世界の見方が異なってくるからです。
しかし、言うまでもなく、世の中は、世界は社会は私たち一人ひとりがそれらをどう意識しようが、存在しています。
それでは漱石はどのような意味で客観的と言っているのでしょうか?
漱石はそれは「大人が子供を見る態度」「両親が児童に対する態度」であると述べています。
この比喩はあくまでも喩えであって「人生観の高下」を指しているのではありません。あくまでも大人が子供に接するかのような態度で物事を観察し、叙述することを指しているのです。
しかも物事を客観的に見ること、つまり距離を置く態度は当の視察主体である自分自身にも容赦なく適用されるのです。
時には煩悶し、苦悩し、悲しみ、泣く自分自身を他者に対する場合と同じように突き放してみるよるのですから、そこには道化のようなユーモアが発生するとのこと。
そのことを漱石は「自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下ろしして笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら、揺籃の中で眠る子供に過ぎない」(「硝子戸の中」)と語っています。
とここまで本書のさわりを紹介してきましたが、さらに「見抜く力」についてサンジュン先生の深い洞察かつ論理が展開されています。
しかしながら、それは前書きだけで、本書の大部分がサンジュン先生の私生活及び政治情勢に関するエッセイです。このブログではほんのさわりだけ紹介しました。サンジュン先生の魅力に触れたい方ぜひ本著を手に取ってみてください。 -
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ネタバレ仕事とは何か、何のために働いているのか、このような疑問を持つ人は多いだろう。特に現在の仕事に満足感を得ていない人ほどもやもやした思いを抱えながら、それでも仕方なく毎日仕事をしているのではないか。本書は姜尚中さんが自らの体験を交えながら、仕事の意義について語る。そもそも仕事とは何か、という問いに対しては「社会へのチケット」、「自分らしさの表現」と答えている。二つめの「自分らしさの表現」というのが難しく、特に仕事ではそれが達成できないことが多くなっている。そこで著者は仕事だけでなく複数の軸を持つことを勧めている。また「自然」、そのままの自分を受け入れることが大切であると話している。そのままの自分を知る上でも、社会を見通す為にも人文知が必要になる。人文知を得る良い方法として古典の読書を勧めている。ベンジャミン・フランクリンは有名だが、「ロビンソン・クルーソー」が資本主義と関係しているとは思いもしなかった。そうした気づきが新しい視点をもたらし、世の中を複眼的に捉え、自分についての理解にもつながるのだろう。
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ネタバレ読書数がある程度増えてくると、良書には共通した考えが流れていることに気づきだした。
本書でも、アドラーの共同体、マインドフルネスの考え等の内容が参照もしていないのに自然と書かれていることに驚いた。
著者自身の経験談も豊富に語りつつ、これまでの研究成果も引用されており、非常に説得力ある内容になっている。
単なるノウハウ本ではなく、これからの時代の仕事とは何かということを一緒に考えるための良書である。
・自分はなぜその仕事をしているのか、その仕事を通じて自分はどうなりたいのか、そして社会に対して自分は何ができるのかを、日々、真剣に問うことは、働くうえで原点になると思います。
・複眼的な視点を持つことは、ものごとの本質をとらえる、?凡でも、行き詰まりを打開するうえでもたいへん重要です。複眼的にものを見るということは、自分の思い込みで対象を見ないということであり、すなわち、客観的になるということです。
・人文知は、人間が生きることや働くことに意味を与え、判断力や構想力など、創造性に関わる力を養うことができるのです。現状がままならないときこそ、ビジネスパーソンは人文知に学び、自らこの困難な状況に向き合い、それを乗り越えていくための知恵を身につけてほしいと思います。
・人文知に学ぶことは、一つめの「自分にとっての仕事の代意味を考えよう」にも、ニつめの「複眼的な視点を持とう」にも深く関わり、それぞれに通底する根本的な教えなのです。
・先ほど「コーリング」という英語を挙げましたが、人が社会への入場チケットを得ることも、なんらかの「自分らしさ」を表現することも、自分の思い込みだけでは成立しません。必ず他者の介在が必要であり、他者から「その仕事はあなたでなくてはできない」とか、「その仕事はあなたらしいね」と承認される必要があります。
・自分らしき」には二通りあるということです。一つは自分が自分自身に対して考えている「自分らしき」。人が「自分らしき」と言うときま、たいていこれを意味します。しかし、このほかに、外の目から見た「その人らしさ」というものもあるのではないでしようか。自分で考える「自分らしき」は、往々にして思い込みであること力多いのですが、それに比べると、他人から見た「その人らしき」は客観的で、正鵠を射ていることが少なくありません。
・もし、「自分らしき」とは何なのかがわからない状態で、なおかつ、目の前にチャンスのょうなものがやってきた場合は、「とりあえず」でもいいから乗ってみたらどうでしょう。
人生においても、軸足以外のもう一つの足は、できるだけ別のステージにかけておくほうがよいと思います。自分の中にいくつか切り替えのチャンネルを設けておいて、いったん仕事を離れたら、別のことに意識を移す。
・自然。とは、ネイチャーの意味での「しぜん」ではありません。仏教用語で言うところの「じねん」です。自然には「おのずから」という意味も含まれ、すなわち、ありのまま、そのままということです。無理せず、見栄も張らず、作為的にもならず、ありのままの自分を認識するということです。かと言って、別に努力を放棄するわけでもありません。そうではなく、無理して自分を大きく見せたりしないのです。と同時に、自分を安く見積もることでもありません。いま、ここに存在している一個の人間として、自分をそのまま認識する。それが自然です。
・自然であるためには、自分の中から出てくるモチべーシヨンに真剣に耳を傾ける必要があります。社会的に最も価値があるとされているからそれを学習しなさい、という模倣の段階を超えて、自分なりのモチべーションや使命感にいかに向き合うか。それは内なる自分の価値を発見することと言い換えられるかもしれません。この根底の部分の目的意識や志がないと、いくらマルチな能力を持っていたとしても、仕事がら真の充実感を得るこはできないでしょうし、本当の意味ですぐれたパフオーマンスを発揮することはできない。
・自然ということは、「足るを知る」、「自足する」ということに近いのかもしれません。
・人生とい、つのはつらいこともあるけれども、それでも得人はエンジョイできるのだと。いや、エンジョイしなければならない、それはむしろわれ天われの義務なのだ。
・「いま」と「ここ」を一生懸命生きよということでもあります。不確実だから、明日はどうなるかわからないから、それゆえにこそ、いま、ここを精一杯生きるのです。人間の思考の中には、「過去」と「現在」と「未来」という三つの時間概念があります。
・人間の悲劇は、「未来を予測したがる」ことと「記憶を持っている」ということに起因しています。すなわち、過去を悔やみ、未来を不安に思うために、心の病に陥ってしまうのです。
・無駄を減らすと経済効率がよくなる側面はあるのでしよう。けれども一見無駄に見えることを一生懸命やることによって、人生が豊かになることもある。
・・新書は必要な情報や知識、新概念などを効率よくフオローすることを目的に、あまり時間をかけずに読むとよいでしょう。
・、長い目で見た場合の知性の健康を考えるなら、べースとなる部分は干もの(古典)から手堅く取り入れるのがよいでしょう。そのうえで、必要に応じて生もの(ベストセラーや流行の本)を取り入れるのが、上手な読書法ではないかと思います。
・企業の真の目的は、社会や個人のニーズ・欲求を満足させることにほかなりません。したがって、企業は自社の好きなものやこれまで作ってきたもの、ましてや単に売れるものを作るのではなく、社会が必要とするものを作らなくてほならないのです。
・人文知とは、文学、歴史、哲学、心理学、宗教学、倫理学、美学などの、いわゆる人文科学のことです。
・さまざまな仕事の局面を考えてみると、人と人が関わる仕事であればあるほど、人文知が必要とされる場合が多いのです。グループの中でリーダーシップを発揮することも、スキルと言えばスキルですが、しばしばそこには人柄という要素が入ってきます。教養に裏づけられた思慮深さは、リーダーとして必要なものです。また、多くの人数を束ねるリーダーになればなるほど、周囲の人を言葉によって説得し、理解してもらうというある種の弁論術も必要になってきます。
・すぐれたリーダーの共通項とは①時代を読む確かな目を持つこと②岐新しい価値を生み出す創造性や構想力に秀でていたこと③口分の限界をわきまえていた人たちだと思います。つまり、自分一人ですべてを成し遂げることはできないと理解していて、協力者や意見してくれる人の必要性に自覚的です。④最後に何より大切なことは、人間への信頼があったこと。
・企業や政治のトップに限らず、会社のプロジェクト長やチームリーダーといった立場の人たちにも先見力は必要になってきます。どのようなレべルであれ、人の上に立ち、人を引つ張っていく立場にある人は、いまの歴史の大きな潮流がどちらから流れてきてどちらかへ流れていこうとしているのか、読めなければなりません。
・一与えられた役割の中で、自己の限界や会社の限界を見極めた、?ぇで、その人のミッションに忠実に従い、最大限のパフォーマンスを発揮するという心持ちでいることが大切です。
・歴史は現代という未定形の時代を生きる私たちの問いかけを通じて初めて、知るに値する事柄を開示してくれるということです。逆に言え1現代という時代に対する痛切な問題意識や問いかけがないならば、歴史は単なる記録の集積にすぎず、暗記すべき出来事のシークエンスになってしまうのです。
・現実問題として、地域の中小企業にとって、社会関係資本につながる部分を大切にしていかないと、地域で生き残っていけないという側面もあるのでしょう。
・ー目先の実益だけを追い求めていると、なかなか見いだせません。ですから、実益や効率に結びつかなくても、自分の興味や関心領域を広げていかねばなりません。自分はこれでいいという垣根を作ってしまうと、越境的な知は生まれてきません。知的好奇心を常に持たなければならないのです。それがあってこそ、自分なりのミッションに気付くことができます。
・大学でも、細かくプログラミングされた外部に、社会的な領域がいっぱいあるわけです。そういうところに積極的に足を踏み入れていくことが大切です。
・目覚めと気づきとは、ものの見方が変わるとい、つことであり、これまで使ってきた言葉では、複眼的視点を持つことです。それは多くの場合、他者との出会いによって達成されるものです。他者には書籍や歴史上の人物も含みます。他者と出会うことは、それまでとは異なる社会的な関係性が生じることでもあるのです。それが自分のミッションを見いだすことにつながるのです。 -
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1996年から2004年頃に執筆された、ナショナリズムに関する著者の論考や対談をまとめた本です。
比較的短い論考が多い中でとくに読み応えがあると感じられたのは、日本における戦後民主主義を思想面でリードした大塚久雄や南原繁、丸山眞男らの国民国家論的な立場を批判的に検証する論考でしょうか。こうした仕事は、米谷匡史や中野敏男らによって精力的に進められてきましたが、加藤典洋の『敗戦後論』によって一気にアクチュアルな問題になったという印象があります。本書における小林よしのりの『戦争論』や西尾幹二の『国民の歴史』への批判的な言及も、そうした背景のもとで読まれるべき内容であるように思います。
また網野義彦との対談では、石母田正の歴史学を同様の視点から批判的に捉え返す必要があるという主張があり、日本における一国主義的な歴史観を解体するための興味深い視座が示されています。その一方で網野が、韓国の金大中が檀君神話を念頭に「韓民族五千年の歴史」という言葉を用いたことに言及し、旧植民地における対抗ナショナリズムが孕んでいる問題を指摘していることにも注目しておきたいと思います。こうしたことを含めて、私たちは国を超えて同じ問題に直面しているという感度を共有することが重要なのではないかと考えさせられました。 -
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ネタバレ読書途中。20人の講師による。一人90分の講演会の収録である。一気に読めるはずもなく、じわじわと読んだ。
姜尚中の講演のなかで、夏目漱石が奥さんをなぐっていたエピソードがあった。ノイローゼであったらしい。私は夏目漱石になれないけど、夏目漱石よりましだなと少し思った。考えかたとしてまちがっているのかな?どんな偉い人もほんとうにいろいろな苦しみにもがいていきているのだと思い直した。
20名全て役に立つわけでないが、中には、気に入る人もいるかもしれないとのことだろうか?3.11後の話など考えさせられたり。光触媒の話は興味を覚えた。文学、美術に関心を持った。宇宙論や素粒子の話は、わからないので、もういいとの気持ちであった。こんな講演会を聞けるのは、エリートの家の子供だからいいなとひがみたくなるが、本として出版されているので、誰でも接する機会があるのだと思い直す。マスターキートンにあった、「勉強はどこでもできる。便所でも」を思い出す。 -
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本のタイトルにあるように、日本に今後戦後80年は
くるのかという議題で、現政権を中心に批判する
下記の講義集
内田樹氏ー比較敗戦論
東浩紀-本と新聞と大学は生き残れるか
木村草太-集団的自衛権問題とはなんだったのか
山室信一-戦後が戦前に転じるとき
上野千鶴子-戦後日本の下半身
河村小百合-この国の財政・経済のこれから
姜尚中-総括講演
このなかでも、山室信一氏、上野千鶴子氏、河村小百合氏の
3本がとても興味を引きました。
どれも、日本が破綻し、または戦争の道に進むのでは
ないかという潜在的な恐れを感じる内容です。
支持率は高いですが、本当に今の政権でいいのでしょうか?
他人事ではないような気がします。英国や米国、韓国、
日本と反知性主義的というのか、そういうものが蔓延して、
そのうえに乗っかっている知性的でない治世者に将来を
奪われていくことになるような暗い気持ちになってきます。
そうではないかもしれませんが、そうならないためにも
これらのことを、警告として受け止めて
自分の判断基軸の一つとして認識することに意味が
あるのではないかと思います。 -
Posted by ブクログ
今現在の、世界中の社会に立ち現れた悪意が起こした事件の様相を紐解きながら、悪とはそもそも何か、私たちは悪に対してどう抗って行けるのか、悪に負けないための共生という考え方などを説いています。
新書版であり、エッセンスだけを本書に込めたとのことですが、厚み以上の濃い内容です。
「人は大きな虚無に捕らえられたとき、自分であれ、他人であれ、死への刃を振るいたくなるのでしょうか。」
この一文を読んだ時ぶるっと震えが来ました。
「空っぽ」の中に悪が巣くう。言い得ていると思いました。
これまでの「力」シリーズのように、多くの世界や日本の文学が引用されています。純文学(一部ですが)へのブックガイドとも読めます。
著者のおっしゃるように、悪の連鎖がいつか人間的な連鎖へ全て変わっていく希望は持ち続けて生きたいものです。