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ミリオンセラー『悩む力』と長編小説『心』の著者が、夏目漱石が一○○年前に書き残した最大の問題作に挑む。登場人物“先生”の長大な遺書を収めた漱石の『こころ』は、なぜ多くの読者の感情を揺さぶってきたのか。それは、この世に生きる者がみな、誰かに先立たれた存在だからだ。「死にゆく人々は、みんな先生」という認識から見えてくるものとは?漱石『こころ』とトーマス・マン『魔の山』の後日談を描いた実験的小説も収録。心の実質を太くする生き方を提唱した、新しいスタイルの物語人生論。【目次】第一章 現代という武器なき戦場/第二章 なぜ生きづらいのか/第三章「魔の山(イニシエーション)」の力/第四章 真ん中でいこう/第五章 「語り継ぐ」ということ/終章 いまこそ「心の力」/おわりに
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Posted by ブクログ
グローバリゼーションが進み、多様化が進むどころか、むしろ人びととの価値観が画一化し、「代替案(オルタナティヴ)」というものを考えられなくなった。どのような生き方が賢くて、どのような働き方が尊敬されて、どのような生活スタイルがカッコいいのか。そうしたことについての価値観が異様なくらい画一的になっていて、それ以外のものを思いめぐらす想像力がないのです。一つの価値観しか持っていないと、それが崩れたときに逃げ場がないという恐ろしさがあります。
心の豊かさとは、究極のところ複数の選択肢を考えられる柔軟性があるということなのです。現実はいま目の前にあるものだけではないとして、もう一つの現実を思い浮かべることのできる想像力のことなのです。
まずは自分自身がいいと思う道を進んで、それがダメだったらいくらでも図太く方向転換すればいいのです。心の豊かさとは、けっきょく自分中に選択の幅を持っていることなのですから。
Posted by ブクログ
「心をどう捉えるかについてはさまざまな考えがあるでしょうが、心は、自分が何者であり、自分がこれまでどんな人生を歩んできたのか、「そして、それから」どう生きようとするのかという、自分なりの自己理解と密接に結びついています。その意味で、心は、人生に意味を与える「物語」においてのみ、理解可能なのです。」
「これは、いくら意志堅固でも選択肢を持たない者は脆弱であり、軟弱なようでも選択肢を持っている者は頑強だということを象徴してあるのではないでしょうか。」
「私は、ハンス・カストルプの洗礼盤、河出育郎の万年筆が象徴しているような、受け継ぎ、さらに語り継いでいくものを、みなさんがしっかりと自分の手で握りしめてほしいと思います。そして、生きづらくても、生きづらくても、最後まで放り出さず、ぎりぎりまで踏ん張ってみてほしいのです。カストルプや河出のように。そして自分などトリエのない凡庸な、つまらない人間だなどと思い違いをしてほしくありません。なぜなら、カストルプと河出がそうであったように、人生のイニシエーションを受けながら、決して染まらず、まじめに生きつづけることにおいて、平凡さの中の偉大さを遺憾なく発揮していることになるのですから。」
Posted by ブクログ
金曜日の仕事帰り、ちょっと寄り道した串焼き屋で、この本を手にぼんやり考えてみる。
著者は20世紀は心の病が発見された世紀である、としている。生きとし生けるものは何がなんでも生きようとするのが本能であるのに、自分から生きることをやめようとするのは不自然なことであり、そのような自殺が多発する現代は人類史を俯瞰するに大変不穏な時代である、と言う。その異常性は近代化と共に漱石の時代に始まったのだ、とするのが筆者の近現代観になっている。
しかし本当にそうだろうか。
心中という言葉が浄瑠璃と共に市民権を得たのは江戸時代のこと。そして支配者階級である武士には切腹を一種美化するカルチャーがあり、「こころ」の先生が自殺するきっかけとなった乃木希典の殉死も、江戸時代の武士たちの殉死・追い腹に起源を認めることができる。
「魔の山」で拳銃決闘に臨みながら自らの頭を撃ち抜いたナフタの思想的起源がどこにあるのかは知らない。少なくとも日本について言えば、死を美化する考え方は明治時代よりも寧ろ江戸時代に始まったと見ることができ、乃木の殉死も、例えばもう少し後の太宰治の情死のような事件も、前時代の残滓と見るのが妥当で、高度成長を経て高度に資本主義化した現代との連続性の方が寧ろ薄いのではないか。
などと考えに耽りながら、このような時間も筆者の推奨するところ、一種のダヴォス的な時間ではないかと考えてみる。人間には無駄と思える時間も必要。入社してから重役になるまで、30年間一直線で頑張れる人もいる。しかしそのような人ばかりでは会社も社会も成り立たないだろう。モラトリアムも心の成長の役に立つのだ、と。
つまるところ、筆者の憂鬱や危機感には過剰なものや必ずしも根拠が明確でないものもあるが、ダヴォス的な場所や時間は人間にとって必要なもの、という主張には深く同意できる。そう考えると、筆者手製の「こころ」「魔の山」の続編妄想ストーリーも、「過去を力に変え、心の実質を太くする」という本のオビも、ようやく私の心に落ちてきた。
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