鷲田清一のレビュー一覧
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ネタバレ自分が存在するためには、他者に他者として認められなければならない。だから、親族のためにする家事、介護では、奉仕が当然と受け止められてしまい、自分の存在価値を認めることが出来ない。
しかしながら、自分という存在がぼやけることにはある種の快感があり、他者への異常な献身が例にあたる。(近年の推し活ブームもこれかも)
じぶんになるということは、ありえたかもしれない自分を棄てること。
親に「子供とは気が合わない」と言われたら、親は子を他者として認めたということであり、こちらの勝ちである。
〜ここまで本の内容〜
人生というものを一貫したストーリーとして捉えるのは間違っているが(筆者の主張)、昨今自分の人生 -
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現代は待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。現代社会が失った「待つ」という行為や感覚の現象学的な考察から、生きること、生きていることの意味に分け入る、臨床哲学からの哲学エッセイ。(紹介文より)
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まえがきでグッと惹き付けられた。
けれど、本文はまさに哲学的な内容で、
理解したり共感したりする部分もあるけれど
私には難しかった。
(まえがきより)
・「待ち遠しくて、待ち構え、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ち焦がれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず…。誰もが -
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久々の鷲田清一。
老いや身体の不自由さを身を以て体感しているからだろうか、上手くいかなさをはらんだ言葉の運び方になったような気がする。
「やましさ」という言葉と、面と向き合う機会になった。
災害や争いで苦しんでいる人を知りながら、自分だけがのうのうと生きていることへの罪悪感。
どうして人は、人と比べてしまうのだろう。
知らなければ、比べなければ、味わうことのない感情が沢山ある。
コロナ禍におけるエッセイも沢山詰まっている。
身体や場について論じてきた著者が目の当たりにしたソーシャルディスタンス。
けれど、著者自身も、自身の生のために守らざるを得ない規範であったことだろう。 -
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・様々なテーマから、「表層」への享楽が浮かび上がる
哲学教師の職を得た三十代には、ひとが科学の基礎づけなどという「重い」仕事をやっているときに、顔や皮膚というもっとも表層的な主題に没頭した。そのあと、二十世紀の思想史から消え、だれも見向きもしない二つのテーマ、所有と幸福の問題に取り組んだ。 こだわる対象は刻々と変わってきたけれど、こだわりそのものは全然変わっていない。が、そのかたちには心なしかうらぶれたところがないではない。そう、洗い場の使い古したスポンジのように。
>>>本書、p214
この部分で出てくる、「表層」が、ケアや政治の言説、デザインからファッション、ブラン -
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「待つ」という行為について、考察した本です。
本書は、重要な事柄において、待つ以外の選択肢がない場合の「待つ」を対象としています。本書を引用すると、以下の様な場合です。
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意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、自分を超えたもの、自分の力ではどうにもならないもの、それに対しては、ただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなく、ただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」を込め直し、幾度となく繰り返されるそれの断念の中でもそれを手放すことなくいること、おそらくそこに、<待つ>ということが成り立つ。
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なの -
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⚫︎対談形式が多いからサクッと読めるね
⚫︎内田さんは日本辺境論は面白かったし、わかりやすくて読みやすい。ゆっくり読めば咀嚼できる丁度いい内容。あ、これ以上いくと無理だなってとこで止まる絶妙な文体。
⚫︎成熟した大人がいないのは、まあしょうがないのかもなあとか、そもそも自分だってなあとか…政治家は国民のレベルを写す鏡だから、結局日本人が成熟していないってこと?でもそれもなんだか安易な自虐論理みたいで嫌だなあ。
⚫︎内田さん、ネットだとよく炎上しているイメージだけど、本はしっかりしているよね。大学の教授だったこともあり、話が分かりやすい。
⚫︎なんというか、ちょっと神霊的な話も出てくるけど、それ -
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オキシトシンが分泌されるような深い共感体験もオキシトシンの体への影響という意味で、「体を通す」体験と言えるだろうか。
体を通して何かを味わうことが、ヒトを人間たらしめると言えるのか。自己の隙間部分に他者を入れることによってしか安定した「私」は感じられないということだとすると、人間は他者に依存しないと生きられないというのも、さもありなんといったところだ。
p132より
黙過は身体に秘められている。それが他者との「出会い」を通して現れざるを得ない時(何かを破壊する文脈時)に、二人の共謀として現れる。その意味で黙過は常に共創造されたものと言えるのではないか。 -
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ネタバレ本作の内容は、さらっと言えば「自分らしいキャリアの築き方」、敢えてそれっぽい言い方をすれば「「労働」という概念における実存的間主観性の地平」、でしょうか笑
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四章+補章の計五章の小品ですが、一章から三章は労働と余暇という二つの概念の分析で、いかにもテツガクっぽい話で、残念ながら私のサメ脳にはあまり入って来ませんでした。
おすすめは、四章と補章で、こちらはアツめで面白かったです。
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そこでは、家事という無給の仕事をとっかかりに、ボランティアという無給仕事を対比させ、さらに阪神淡路大震災以降のボランティア熱の高まりから、労働に必要とされる新たな要素を抽出します。
これからの労働 -
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2020年、COVID-19が席巻した世界では次々と社会の歪みが露呈した。そのコロナ期とポストコロナ期に、次世代の若者たちがどう生きるべきかを内田樹をはじめとした様々な年代の言論人たちが語る。
内田さんが声をかけて集まった様々な分野の今をときめく著名人たちがコロナとコロナ後の世界をテーマに執筆しました。内田さんのセレクトだけあってみんなけっこう尖っていて(偏っていて)どれも読み応えのある内容でした。中学生向きということで平易な文章で一編が短いのも読みやすくていいと思います。そしてみんな分野が違うので、コロナ期というものを違う角度から見ているのも面白い。また、分野が違っても結局、多くの著者が今 -
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社会は変わり人も変わり生き方も時代も変わった。かつて戦後復興から奇跡的に世界のトップにまで上り詰めた高度成長。何をするにも働き手が不足し「24時間働けますか?」の掛け声の元、土日返上寝るのも惜しんで人は働き続けた。実際私の父も土曜日は当たり前の様に働き、日曜に仕事に行く事も何度もあった。今考えたら一体いつ休んでいたのだろう。家にはテレビ、冷蔵庫、エアコンは当たり前、何不自由なく生活できた上に、小学生の時には家も建て替えられ、自分の部屋を持って自分専用の本棚、一人で占有するベッド。何もかもがあった。パソコンだって今では考えられないハードディスク装置(今はFlash、SSDが当たり前だが)すら無い
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