鷲田清一のレビュー一覧
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ネタバレ技術進歩により、簡単に人と繋がることができ、情報をとることができる現代社会において、待つことに対する耐性が著しく低下している。待つことより待たなくても良いものを選択しがちであり、想定外の出来事により待つことを余儀なくされたときの精神的動揺は殊更大きなものとなる。こうした現代社会における待つことのストレスを再認識するきっかけとなった良書だと思う。「聴くこというのは待つということである」という言葉を日常生活の中でも意識していれば、コミュニケーション能力が向上するかもしれない。後半からは自分の中で消化不良であり、いずれ再読したいと思う。
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なんとなく、厳しい市場原理からするとあまったれた感じもするが、それなりに説得力もある。
(1)「勤め」と「務め」をばらす感覚。長寿化とともに、会社で一生勤めあげるというよりも、勤め人としての生活は人生の半分と考え、それよりはるかに長い人生を俯瞰してものごとをなす、つまり個としてのじぶんの「務め」をさぐるという感覚である。(p186)
悪くないけど、金を稼ぐ現役時代から連続して、自分の使命を果たす務めに少しずつ転換していくことも可能ではないか。
(2)「ヴォランティアという活動が浮き彫りにしたのは、他者のまえで、そのだれかとしての他者にかかわるという、ひさしく労働というものが失っている -
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先日、鷲田さんの講演を聞いた。臨床哲学などを交えながら、看護職の専門性について語ったもので、かなり面白く、うなずけることも多かった。話したようなことが書かれている本はないかと探して見つけたうちの一冊がこの本。
……実は、鷲田さんの講演を聞いて本を読んでみたのって初めてじゃないような気がする。そして、いまいち読みきれた感がない読後感っていうのも同じ。浅薄な自分はなかなか哲学の本が読めるようにならない。
書中にこんなことが書いてあった。
――働くこと、調理をすること、修繕をすること、そのための道具を磨いておくこと、育てること、教えること、話しあい、取り決めること、看病すること、介護すること、看取る -
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鷲田さんは、哲学者。
東日本大震災後の1年を振り返って、臨床的な立場で、被災者への思いを語っている。
とても繊細な言葉がつづられていて、一部を切り出して、コメントするのが適切ではないが、全体を通して、被災地、被災民によりそって丁寧に対話を続ける姿勢がはっきりしていて好感が持てるし、自分が無意識に不作法な発言をしていないか、反省させられる。
著者の文章を読みながら考えたこと。
(1)鷲田さんはトランスサイエンスということばを使っているが、全体の科学の進歩の状況、社会経済情勢などをきちんと目配りする能力が、鷲田さんは科学者に求められていると書いている。
むしろ、そういう能力が国 -
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ネタバレ臨床哲学の第一人者鷲田清一氏による臨床哲学の入門書にふさわしい一冊。
他人の話を「聴く」行為はまさに「他人を受け入れる」ことだと冒頭では述べられている。
当然の行為である「聴く」ことを哲学的行為と定義し
聴く側の自己を創成する上で大きな意味を持っていると本書では指摘する。
ことばを受け止めることこそが、他者の理解に繋がっていく。
「聴く」行為の主体者になるよう語りかけてくる。
鷲田の論考を読み解く際に、掲載されている植田正治のモノクロ写真は本文の雰囲気を一層醸し出す。
哲学的視点から「聴く」ことの意味を明瞭にし、
一人一人の読者が他者とのより関係を構築する際のヒントを提示する。
哲学 -
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「臨床哲学」ということば自体つい最近知ったが、そういえば中村雄二郎も「臨床」を使っていた。能動知に対する受動知という意味あいであった。
哲学とはとにかく個人的な思惟を語ることであった。もちろん時代との交渉はあったにせよ、その語りのほとんどは古代ギリシャ以来の伝統の文脈に沿ったものであった。それがどんどん世間とかけ離れたものになっていった。
「臨床」とは社会というベッドサイドのことを指す。それはある特定の当事者に寄り添うことであり、当事者の声を聴くことによって物事の本質を見出す作業とされる。自分というものを中心におかない。
カール・ロジャーズの心理カウンセリング理論がすぐに思い浮かぶが、著者はメ