鷲田清一のレビュー一覧
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個人の独立と依存、どちらを欠いてもわたしたちは生きてゆけない。
依存感情は異常だ、誰にも抱きたくないと思っていると同時に、誰かに依存することで楽になりたいと思う私にとって、どこか安心する言葉だなと、
私のプライドなんて取るに足りず、ないほうがいいと思っていたんだけど、本文の最後で「プライドというのは、〜他者から贈られるものだと、わたしはおもう」と描かれていて驚いた、過去に他者から大切にされた経験をもって、粗末にしてはいけないという感情を抱くことになるそうだ、わたしが必死に排除しようとしていたものは何だったんだろうね、自身に価値を見出すことなんて無価値で、自身のことを何もないと思っていたほうが -
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昨年の大震災の後、さまざまな「ことば」が飛び交うようになりました。「がんばろう日本」「絆」といった言葉です。それらはもちろん、被災者へ向けた励ましであり、被災しなかった国民に対して共に力を合わせようという呼びかけの言葉です。しかし私は、被災者へ心を傷めながらも、メディアを通じて伝わってくるそれらの「ことば」には、どこか違和感を持っていました。被災者の計り知れない傷みに思いを馳せる前に励ましや協力を謳うことには、「ことば」の本来の意味から外れた思惑を感じました。そして、震災から一年経って、その違和感について考え、本物のことばを紡ぐことを提唱する本に出会いました。この本では、癒しの押し売りで傷つい
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鷲田先生による、じぶんとはなにか、わたしとは誰かという壮大な思考実験の一冊、と私は読んでそう解釈しました。
わたしとはなにかを考えるプロセスにおいて、他者の他者という概念から、じぶんとは何かという問いは自己の中に内在するわけではない、がしかし、わたしとする存在を決定づけるのは他者の認識によるとするなら、もはやわたしの生死は関係ないのではないか、固有名称すら必要ないかもしれないという話にまで至るが、やはりじぶんとは何かという問いに答えなどでない、というふうな感じで締めくくられている。
わずか170ページ超の薄いが骨太な新書は、立派な哲学書でした。久々に哲学してあたまが沸騰しています笑笑
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自分とは何か?について考察する本。様々な体験や例え話が登場するが、メッセージは一貫しており、「自分とは、固有なものではなく他者との対比や社会の中に位置付けられることによって見出されるものである」いうもの。
自分らしさなどというものを自分の内部から見つけ出すことは不可能であり(そのようなものは存在するはずがない)、むしろ眼を外に向けて誰にとってかけがえのない人であるかを考えてみたほうがいいとする筆者の考えは、心を軽くしてくれる。
多くのエピソードや、他の学者の言葉を参照しながら、比較的客観な説明がなされているが、74頁の「人生を一本の線だけでイメージするのは、それだけ人生をもろく壊れやすいものに -
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鷲田清一さん、高校生のとき国語の教科書で出会い、文章にびびっとくる感覚を教えてくれた人。
やっぱり鷲田さんの言葉は心にスっと入ってきて、自分の話だと思える感覚がある。
だんまり、つぶやき、語らい
だまって相手の言葉を待つこと、綺麗な文章になっていない言葉の大切さを知った。今までそれらをコミュニケーションが途絶えていること、自分の語彙不足だと思っていたが、相手と語ること、自己をつくり直すうえで大切だと知ったので、これからはその時間も大切に思えそう。
自分は人の話を遮って疑問をぶつけてしまうことが多いなと反省した。それは相手の大事な思考の整理の時間を奪ってしまうこと、相手の考えを自分の型にはめ -
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(2016/10/15)
中高生に、とあるが、我々大人が読んでも十分学べる内容。
物事の考え方を、平易なことばでみごとに説明してくれている。
小田嶋さんの成功者村上龍への食いつきは面白い。「会社員」という仕事がないと。
村上龍は成功しているから会社員をはずしていると。
確かに、13歳のハローワークに上がっている仕事で食っていける人はごくわずか。
みな「会社員」として何とか生きている。
白井さんの「意味」には際限はない、というのはなるほど。
本能的欲求は限度があるが、誰も持っていないものを持つ、という欲求には切りがない。
そこにはまったら最後だな。
戦争中における「国」とは、国民でなく国体 -
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(2022/1/8)
2020年、まだコロナ第2波くらい、オリンピック延期、という段階で書かれたアンソロジー。
日本の知性が集結している。多くの方が参加している。
読み始めたとき、それぞれのお名前の横に簡単な肩書しか書かれておらず、
もう少し人物紹介すればいいのに、、、と思ったのだが、巻末にまとめて紹介されていた。
この本は中高生向きなので、それぞれの著者を知らない可能性が高く、人物紹介が長いとかえって予断を持って読み始めてしまうので、避けたのかな、と推察。
私は彼らの著作を結構読んでいるので、背景を知って読むとより立体的に読めた気がする。
一つ一つのコラムにコメントをするのは野暮 -
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自分はまさに「待つ」をしているな、という自覚をしているところだった。そんなとき、この本を読んだ。
この本は決して、"つまり「待つ」とはこれこれこういうことである"のような解説でも、"「待つ」ことがつらかったらこういうふうに考えよう"のようなハウツーでもない。「待つ」という行為をしているときの心情、ジリジリした焦がれややるせなさのような、ひとつのことばではどうも表せない、得体の知れない気持ち。いま私が抱えてるこれって、つまりどういう状態なの?という分からなさ。「待つ」に関するエピソードや引用を各方面から連想のように書き連ねられている。同じようなことを繰り返 -
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読み終えて、とてもびっくりした。
こんな素人みたいな始まり方で申し訳ないが、この衝撃は、京都について、余所の者とそこに住み続けている者との見方の差異や、京都がこんな街だとは思わなかったとか、そういう事ではなく、あくまでも、街という存在が、目には見えないところで燻っている、底の知れない人と歴史の複雑な積み重ねで、今なお生き続けている、不可思議なものであることを、まざまざと実感させられたからである。
とは書きつつも、哲学者の「鷲田清一」さんの視線で見た、京都の裏ガイド的意味合いがあるのも確かなので、まずは、親しみやすいところから書いていきます。
京都は、元祖ヴィジュアル系の「ザ・タイガース」 -
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当たりの本でした。
大人とは、幅のある人。本音と建前とか。矛盾を理解。
今は一様、幅がない。
・学びの意味、価値は事後的に知る。消費者マインドは受入れ不可。
・個性とは他者から与えられるもの。探すものではない。
・対話:両義的。善し悪しを理解して変わらないと成果ではない。
・周りの大人の価値観はずれてた方がいい。両親の価値観一致は有害な条件。心のひだ(人としての幅)ができる。
・SNS 投稿は呪い。だから匿名が有効。ネットのでのいじめ自殺は呪殺。言論の自由は呪詛を許容するわけではない。誤解。
言論の自由とは、何でも言って良いのではなく、その価値、扱いを世間に決めてもらうことに同意すること。
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生きてゆくうえで本当に大事なことにはたいてい答えがない。答えではなくて問うこと、それ自体のうちに問いの意味のほとんどがある。
大事なことは困難な問題に直面したときに、すぐに結論を出さないで、問題が自分のなかで立体的に見えてくるまでいわば潜水しつづけるということなのだ。
「受験勉強でついた頭の癖というのは存外しつこかった。」との鷲田さんの言葉に、自分自身の頭の使い方もそういうことかなと思った。短い時間で要領よく点数を稼ぐ方法を考える。わからなければ答えを見て、そこから解法を考える。常に答えをはやく探そうとしてしまう。
意味、人格、責任、自由など13章に、身近な例を挙げながら優しい語り口