鷲田清一のレビュー一覧
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よく知っている京都の街並みを思い浮かべながら、京都という街の構造についての話を聞いている感じで面白かった。鷲田清一氏の文章は、大学受験の頃よく読まされて苦手意識があったが、今回は思ったより内容がすっと頭に入ってきた。
奇人の話、歌舞伎における「しるし」の話、服装のリミットの話では、なんとなく実感はしていたものの言及されることで改めて気づいた点も多く、とても興味深かった。それから、おしゃれな猥雑さが京都には似合う、というのには激しく同意。
私は2013年から京都に住んでいるけれど、ここ2〜3年で京都の街は「観光客が想像する京都」に近づこうとしている気がする。最後の方に書いてあった「京都らしさ」の追求が、こうした違和感のある街づくりに誘っているのかな。
内容とは関係ないが、自分の好きな店が本で紹介されていたので少し嬉しかった。 -
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模試の文章で使われていたのが面白くて原典を見つけたので読んでみた。
鷲田さんも山極さんも現代日本でもトップクラスの知の巨人だが、お互い違うジャンルなことを生かして色々な視点から現代社会を見ていく。対談形式で文章も非常に読みやすかった。
・教育(特に大学教育)が向かうべき方向性について
・人間そして都市の成熟について(京都について)
・人類学的な家族形成について
・アートについて(アートは唯一目的を持たない人間の行動だ!)
・食と性の比較(動物は食を隠し性交は公に見せるが、人はなぜ食を人に見せ性交を隠すように進化したのか)
・教養とは何か(人が考えるということの意味と効用、これからの未来について) -
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様々な知識と広い見識を持つ2人の多岐にわたるテーマの対談はどの話題を取っても好奇心が擽られ読みながらワクワクする。
ミーティングでは相手を役職名ではなく必ず「さん」付けで呼ぶ。呼び方一つでその場の空気が明らかに変わる。
リーダーとは自分がいなくても周りがうまく動くようにセッティングする人の事。getting things done by others.
リーダーは周りの人の適性や能力を的確に判断し、チームワークを先導して目的に向かってみんなをまとめる。リーダー自身は目立たなくていい。
本当は強いんだけど、それを抑えている事が出来る。これが愛嬌。ゴリラのリーダー。
ロビン・ダンバー「人間の会話のほとんどはゴシップでできている」
明治9年までは妻は実家の姓を名乗らなければならなかった。夫の姓を名乗るようになったのは明治31年(1898)とは案外日本の家族の歴史の概念は近年大きく変わったんだな。それまでは養子をよくとるし、そこに外から妻を迎えるなどしたら、〇〇家という完全に血縁はなくなる事があった。
そもそも人間の子供は共同で保育する様に生まれついている。これが他の霊長類との決定的な違い。人間の赤ちゃんのみ泣く。ゴリラ、チンパンジー、猿も赤ちゃんは泣かない。なぜ泣くか?母親が赤ん坊を離すから。他の霊長類は生まれてから1年間は赤ん坊を胸に抱いて離さない。しかし人間の赤ん坊は重いので母親が抱え続ける事ができない。赤ん坊はひ弱なので自分の不具合を訴えるために泣く。ひ弱なのに抱き続けられないのは脳が急速に発達するために体脂肪率がゴリラの5倍あるから。脳を成長させるには脂肪が必要。ゴリラの4倍近く人間の脳は大きくなる。
絵画などは学問と同じですでに基礎技術が確立されていて、その技術を使えば感じたものを巧みに表現できる。しかしそれだけだといずれ壁にぶつかる。だから近代の画家は例えば右利きの人が左手で描いたり、ピカソなんかもわざと稚拙に描いた。器用さをあえて封印することで逆にセンサーをフルに機動させようとしたのではないか。
一般市民にとっていい専門家とは何か?→一緒に考えてくれる人。専門家が寄り添っていく事。
人間が生きる為に1番重要なのは関係性。関係性を知る手がかりは、相手が何を考えているのか、自分に対して何を望んでいるか知る事。それこそがセンサー。直感力。その上で仲間の意向について自分がどう考えるか。察知しながら行動を規制し、それを前提として自分の行動も規制する。AIにはできない事。 -
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京都生まれの哲学者による京都案内。京都をぐるりと回る206系統のバスに沿って、その場所場所について生活目線で語られています。京都育ちの大学の先生と一緒にバスに乗り、いろんな蘊蓄を「へぇ」と気軽に聞きながら楽しむ。そういう気楽に読んで楽しめる内容になっています。
それに加えて、観光としての京都とは違った、そこに住んで感じる地元としての京都を、そこで育った哲学者ならではの感じ方で知ることができます。外からと内からでは、全く違うということは一般的にもありうることですが、それがどう違うのかということを体で感じることができるのが本書の魅力なのかと思います。
まず、一般の京都の観光をし、京都の歴史について学んだのち、本書でそれとはまた違った「平熱」を知ることで、京都に深く入って行くことができたような気にもなれます。私が「気にもなれます」と書かされる理由についても、読めばわかっていただけると思います。 -
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本書では、自らが行う「仕事」について、労働と余暇といった二項対立の議論では収まらず、双方が相互に「入りくんでいる」様相であり、現実的に対処できないことを示している。この説明にあたっては、例えば、「目的の有無、価値の生産と消費、効率と非効率、規律と自由、まじめとあそび、つらさとたのしさ」(p.11)や自由と自律というように対比させ、これらを軸としている言説は、巷のエッセイやSNS上でもよく目にする。著者はそうした背景には、多くの人々が《労働社会》に生きていることが生活の基盤となっているためと指摘する。その背景には仕事を含めた日常生活における様々な過程で求められる「前のめり」の意識と姿勢があるという。自分自身も、労働時間以外の余暇という時間に対して、更なる意義・意味・目的・充実感を求めることは多々ある。そのプロセスが楽しい瞬間もあるが、著者に言わせれば〈インダストリー〉というエートスにとらわれている、という状況にある。さらに社会という段階でみれば、常に前のめりで変化し続けることが標準となり、他方、安定を求めればそれは後退と揶揄される時代が今日といえそうだ。とはいえ、私のクラスターには、こうした時代に見事に適応した人々がわりと多い。
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高校生が文章を読むに当たり、基本的な考え方をあたえてくれる、良本。
平川克美「人口減少社会について根源的に考えてみる」ではグラフの見方とともに、当たり前のようにように言われている言説について批判的な見方を示唆する。
仲野徹「科学者の考え方-生命科学からの私見」ではパラダイムシフト、疑う、シンプルに考えるなど科学を発展させている考えが書かれている。
白井聡「消費社会とは何か-『お買い物』の論理を超えて」ではボードリヤールの考えを援用し、いわゆる「消費」的な感覚が政治や教育にも適用させようとする現在の社会のゆがみと弊害を述べる。
山崎雅弘「『国を愛する』ってなんだろう」では、政治的無関心が生む危険と愛国の意味の多義性について分かりやすく述べている。 -
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【読書メモ】
p185
・何のために勉強するのですか?
自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです。山本義隆
p190
・同じことを、違った側面から考える視点を与えてもらうためにディスカッションをするのです。当たり前のことですが、自分は自分の考えに染まりきっています。そこへ、違う刺激を与えてもらって、自分の考えを方向転換させたり、バージョンアップさせたりすることが重要なのです。
p103
・科学がグローバルである最大の理由は、真実をあつかうからということです。
…科学的な視点は予測できない社会を生きるうえでの全員にとってマストなものの見方なのかもしれない。情緒的に考えたとしても、それを相手に理解できる自分の言葉で伝えて、ブラッシュアップしていかなきゃいけない。誰かが先に答えを用意してくれている時代でないのであれば、自分の考え、意思を言語化して、まず自分を納得させることができなければ、何も頼りにするものがなくなってしまうから。自分を納得させるために、何故自分がそう考え、思ったのか、その前に何が頭に浮かんだのかを自分自身に伝えなければならない。
科学的なものの見方とは、パラダイムが人間の思考をいかに制限・固定・維持しているかを理解したうえで①まず疑う、②データに基づいて具体的に説明する③合理的に考える④いっしょに考えてグロ−バルに展開してくという流れ。
・消費社会について
…資本主義がすすみ、消費社会が到来した。最初は「必要だから」何かを求めていたものが、今では「これを持っていると周りから羨望の眼差しを向けられるから」といった“意味”に価値が置かれている。だって、物が溢れる時代に、物をほしがり続けてもらわないと資本主義は回らないのだから。
しかし、そうした消費社会の高度化が人間精神の在り方に異常を来していると筆者は述べる。「お買い物」の論理を、その論理が当てはまらないもにまで当てはめようとしているからだ。
選挙の投票や教育はその良い例。
投票は、投票したい候補者がいないし行っても無駄、という合理的な考えで処理されることがあるが、その危険性はでかい。あなたがほしがるものをお膳立てしてくれるわけではない。あなたが何もしなかった行為そのものが、結局はあなたとあなた以外の人にふりかかることになる。だから、「もっともマシ」だと思う人に投票することが求められる。
また、教育はお金を払えばすぐに分かりやすい商品価値が返されるものではない。つまり、商品として捉えるならば出来損ない。さらに教育が商品とみなされたが、教育は不可能になる。学ぶ主体が「消費者である」と自己認識している限り、最低限の支出で最大限の有用性を得ようとしている限り、教育は死ぬ。お客様→学ぶ主体
・「愛国心」について
…そもそも「国」をどう捉えるかは3種類ある
①外国的に「独立国」として承認されている国家の領土
②その領土内に住む国民を特定の政府が統治する国家体制
③政府に統治される側の、一人一人の国民の命と生活環境
時代的背景によって、上記の優先順位は前後する。
第二次世界大戦で、ドイツ軍に攻め入れられたフランスは、わずか6週間で降伏を宣言した。③市民の命を最優先にし、①領土の半分を失い、③ドイツ寄りの中立の立場をとることになった。
一方、太平洋戦争中の日本は、軍人や市民の命が犠牲になったとして、早く負けを認めて戦争をお渡せようという空気は起きなかった。なぜなら②天皇とその天皇が統治する国家体制が何よりの崇高なものであったわけで、③はそれを支えるために存在していると解釈されていたから。
日本で「愛国心」というと、この戦時中のイメージが先行されてしまうきらいがある。なぜなら、平和な時代の③を優先する愛国心(いわゆる新バージョンの愛国心)の概念ができあがっていないから。
反戦運動をする人に対して「裏切り者」や「売国奴」などど軽々しく言うひとにとっての愛国心は、②と③を最優先にさせたもので、指導者が決めた物事について疑いをかけずに従順に突き進んでくれる都合の良い存在。いわゆる「馬鹿」なのだけれど、そんな存在を刺激するには近隣諸国に敵をつくって、危機を煽れば良い。そういったかれらにとっての愛国心は、本当は国を破滅に導くとも知らずに、彼らはついてくるから。
「もしかしたら、自分の国の指導者は間違った判断をするかもしれない」と考える市民、そして命を最優先に考える市民にとっての「愛国心」は上の人たちとは違うことを理解しておく必要がある。
自国の黒歴史、つまり、戦争のために命を落とした人たちの死が無駄であったか、そうでなかったかは軽々しく結論付けられないが、それを決めるのは現在と将来の私達の行動にかかっている。
P281
ブレーズ・パスカル「われわれは絶望が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶望のほうへ走っている」(パンセ)