鷲田清一のレビュー一覧
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目もくらむようなスーパー秀才エリートだった人たちが、声をそろえてもはや反対することができない空気があったと言っている。ドイツ語で日記を書けるような、言葉を自由自在にあやつることができるエリートたちが、一億人の運命を左右するような決めごとを、最後には言葉でなく空気を読んで身を委ねたと語っている。
福島の原発事故直後の危機を回避するための政府首脳の重大会議、40年以上も続いた政府の憲法解釈を内閣の形式的合議だけで大きく変えてしまった経緯、いずれも議事録が残っていない。それが僕たちの国の致命的な欠陥だ。これはもう病気と呼んでもさしつかえないと思う。かつて有名な政治学者はこれを壮大なる無責任体制と呼 -
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この本さえ読めば素人でも哲学の使い方、仕方がわかると
いうようなハウツー本、マニュアル本ではないので要注意。
この現代という時において哲学とはどのような役割を果たす
べきか、どのようにあるべきか、そもそも哲学は意味ある
ものとして存在しうるのかどうか。哲学者が哲学者として
哲学と向き合う上で発せざるを得ない「悲痛な叫び」として
私はこの本を受け止めたのだが、さほど間違ってはいないと
思っている。
日本の教育には宗教教育(ある一つの宗教の教義を教え込む
のではなく、人間として宗教というものとどう向き合うか
を教える教育)が欠けているのが大問題であるのと同様、
哲学教育も欠けているのは大問題で -
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ともに柔軟な哲学的思考の実践者として有名な、内田樹と鷲田清一の対談と、二人の論考を収録している本です。
内田も鷲田も、身体感覚と他者感覚を重視する点では同じような立場に立っていると言えるでしょうが、内田に比べると鷲田の議論には制度論的な視角が目立たないような気がします。その意味では、「大人のいない国」という表題は、どちらかと言えば内田がこれまであつかってきたテーマに寄っている印象を受けます。
ただそのことは、内田の立場の優れているところであると同時に、他者感覚の重視が共同体論へとスムーズにつながってしまう彼の議論の危うさを含んでいるのではないかという気がしないでもありません。 -
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河合先生の対談本は何冊か読んでますけど、だいたい対談の相手がカウンセリングを受けてるみたいになってるんですよね(笑)。
ついつい話が弾んでいく様子がよくわかります。
で、今回のお相手の鷲田先生の提唱されている臨床哲学の考え方は日々臨床に携わる上での参考になります。
エビデンスの重要性が盛んに言われますが、実際のところは諸問題を未然に防ぐための方便の要素の方が強いのが実情ではないですかね。
現代人は因果律で考えることが大好きなので、原因と結果で説明された方が納得しやすい。
しかし現実は偶然の積み重ねや、様々なめぐり合わせで事態が好転することが多いのは臨床家なら経験していることでしょう。
外 -
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「自由」、「家族」、「市民性」、「コミュニケーション」といった13のテーマについての考察。
特に「時間」についての話で、時を流れていくものとして捉えたところで、どうしてその流れを自覚できるのか、自分もその流れの中にいるのに、というあたりが面白いと思った。時を区切ることで時が駆られる、というのが面白い。うちの親は空いている時間は常に旅行に芝居に映画にと忙しく過ごしているが、この忙しさを作るのは時を駆るためではないかと思う。仕事をしないと自分から区切らないといけなくなってしまう、という例を表しているようだ。また、「責任」についての部分で、「何にでもなれるということは、あらかじめ何も決まっていな -
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京都らしさ、とは何か。
「◯◯のある街」などとひと言で言い表せないところだろう。
『都市としての襞やチャネルが多く、奥行きと重層性をもっていて、どこからめくっても都市としてのそれなりの顔が見えてくる。そのことで京都は、都市としての圧倒的な存在感をもってきた…』
「隙間」や表のきわで別の世界へとつづく「孔」がそこかしこにあり、聖と俗が隣り合わせる街。きわものを受け入れる街。
『必死で勉強して、きつい恋愛して、はんなりと遊んで、ときおり「まんまちゃんあん」。人生行路みたい』
世界への口がぽっかりと空いている、そこにたまらない魅力があるのかも知れない。 -
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内田:格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすでに当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可疑の前提から出発している。自分たちの社会システムが不調であることに対しては、自分にはまったく責任がないと思っている。「責任者は誰だ?」とい