鷲田清一のレビュー一覧
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ともに柔軟な哲学的思考の実践者として有名な、内田樹と鷲田清一の対談と、二人の論考を収録している本です。
内田も鷲田も、身体感覚と他者感覚を重視する点では同じような立場に立っていると言えるでしょうが、内田に比べると鷲田の議論には制度論的な視角が目立たないような気がします。その意味では、「大人のいない国」という表題は、どちらかと言えば内田がこれまであつかってきたテーマに寄っている印象を受けます。
ただそのことは、内田の立場の優れているところであると同時に、他者感覚の重視が共同体論へとスムーズにつながってしまう彼の議論の危うさを含んでいるのではないかという気がしないでもありません。 -
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河合先生の対談本は何冊か読んでますけど、だいたい対談の相手がカウンセリングを受けてるみたいになってるんですよね(笑)。
ついつい話が弾んでいく様子がよくわかります。
で、今回のお相手の鷲田先生の提唱されている臨床哲学の考え方は日々臨床に携わる上での参考になります。
エビデンスの重要性が盛んに言われますが、実際のところは諸問題を未然に防ぐための方便の要素の方が強いのが実情ではないですかね。
現代人は因果律で考えることが大好きなので、原因と結果で説明された方が納得しやすい。
しかし現実は偶然の積み重ねや、様々なめぐり合わせで事態が好転することが多いのは臨床家なら経験していることでしょう。
外面的には論理的に考えてるようで、実際のところは場の論理やら縁やらシンクロニシティを重視しながらなんとなく仕事をこなしていく、というのが今後の目標になりました。
(ええのか?これで。) -
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「自由」、「家族」、「市民性」、「コミュニケーション」といった13のテーマについての考察。
特に「時間」についての話で、時を流れていくものとして捉えたところで、どうしてその流れを自覚できるのか、自分もその流れの中にいるのに、というあたりが面白いと思った。時を区切ることで時が駆られる、というのが面白い。うちの親は空いている時間は常に旅行に芝居に映画にと忙しく過ごしているが、この忙しさを作るのは時を駆るためではないかと思う。仕事をしないと自分から区切らないといけなくなってしまう、という例を表しているようだ。また、「責任」についての部分で、「何にでもなれるということは、あらかじめ何も決まっていないということ、(中略)自分がしたいことが見えないかぎり、何にもなれないということである」(p.94)の部分もなるほど、という感じ。この世の中、自分の生き方について何でもいい、とかよく分からない、という人は淘汰される、とまで言ってしまうと言い過ぎだろうか。でもこれと決めて、あるいはこうしたい、と思える人が圧倒的に強いことは確かだ。そう思えるように「キャリアデザイン」なんてことを考えなきゃいけないんだから。という、思考することの面白さを与えてくれる本だった。ただこういう文は高校の時に現代文なんかで読んでもめんどくさいと思うことの方が多かったが、今読むと面白いと思う。(14/06/--) -
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内田樹はブレないなあー。
先見的知についても、邪悪なものの鎮め方についても、今までに読んだ著作で書かれていることが多い。
けれど、そこに鷲田清一が加わって、より分かりよくなっている感じがする。
内田樹よりカタカナの羅列が多い鷲田清一。
上には上がいるのだな。。。
内容も面白かった!
価値観が画一化されることで、子供のままで社会人になることが可能なシステムが出来上がった日本。
間違いを許せなくなった社会だと評した言葉を思い出した。
クレーマーの多発、ネットの炎上。
自分ではなく、権利と匿名性に守られた者たちが放つのは「呪」だと内田樹は言う。
言葉に価値がないから、匿名でいられる。
その視点に、なるほど、と思わされた。
この状況を打開するには、無秩序な一角が必要だと言う。
しかし、私は行き過ぎた秩序は、結局無秩序に結ばれていくのではないかと思う。
少なくとも、呪に彩られたネット社会はもはや無秩序と化している。
私たちが見つめる二つの世界の中、無秩序を以て新たな大人は生まれるのだろうか。 -
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京都らしさ、とは何か。
「◯◯のある街」などとひと言で言い表せないところだろう。
『都市としての襞やチャネルが多く、奥行きと重層性をもっていて、どこからめくっても都市としてのそれなりの顔が見えてくる。そのことで京都は、都市としての圧倒的な存在感をもってきた…』
「隙間」や表のきわで別の世界へとつづく「孔」がそこかしこにあり、聖と俗が隣り合わせる街。きわものを受け入れる街。
『必死で勉強して、きつい恋愛して、はんなりと遊んで、ときおり「まんまちゃんあん」。人生行路みたい』
世界への口がぽっかりと空いている、そこにたまらない魅力があるのかも知れない。 -
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内田:格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすでに当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可疑の前提から出発している。自分たちの社会システムが不調であることに対しては、自分にはまったく責任がないと思っている。「責任者は誰だ?」という犯人捜しの語法で社会問題を論じる人間はみんなそうですね。彼ら自信が久しくこの社会のフルメンバーであり、その不調に加担しているという意識が欠落している。でも、自分の属する社会の現状にまったく責任がないというのは「私は子どもです」と宣言していることと同じでしょう。(P.17)
内田:彼らは自分たちは生産に関与しない、もっぱら消費する人間だと思っている。今の日本における「未成年者」は、現実の年齢や社会的立場とは無関係に「労働し生産することではなく、消費を本務とする人」というふうに定義できると思うんです。労働を通じて何を作り出すかではなく、どんな服を着て、どんな家に住み、どんな車に乗って、どんなレストランで食事するか…といった消費活動を通じてしか自己表現できないと思っている。(P.19)