鷲田清一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
鷲田さんは、哲学者。
東日本大震災後の1年を振り返って、臨床的な立場で、被災者への思いを語っている。
とても繊細な言葉がつづられていて、一部を切り出して、コメントするのが適切ではないが、全体を通して、被災地、被災民によりそって丁寧に対話を続ける姿勢がはっきりしていて好感が持てるし、自分が無意識に不作法な発言をしていないか、反省させられる。
著者の文章を読みながら考えたこと。
(1)鷲田さんはトランスサイエンスということばを使っているが、全体の科学の進歩の状況、社会経済情勢などをきちんと目配りする能力が、鷲田さんは科学者に求められていると書いている。
むしろ、そういう能力が国 -
Posted by ブクログ
ネタバレ臨床哲学の第一人者鷲田清一氏による臨床哲学の入門書にふさわしい一冊。
他人の話を「聴く」行為はまさに「他人を受け入れる」ことだと冒頭では述べられている。
当然の行為である「聴く」ことを哲学的行為と定義し
聴く側の自己を創成する上で大きな意味を持っていると本書では指摘する。
ことばを受け止めることこそが、他者の理解に繋がっていく。
「聴く」行為の主体者になるよう語りかけてくる。
鷲田の論考を読み解く際に、掲載されている植田正治のモノクロ写真は本文の雰囲気を一層醸し出す。
哲学的視点から「聴く」ことの意味を明瞭にし、
一人一人の読者が他者とのより関係を構築する際のヒントを提示する。
哲学 -
Posted by ブクログ
「臨床哲学」ということば自体つい最近知ったが、そういえば中村雄二郎も「臨床」を使っていた。能動知に対する受動知という意味あいであった。
哲学とはとにかく個人的な思惟を語ることであった。もちろん時代との交渉はあったにせよ、その語りのほとんどは古代ギリシャ以来の伝統の文脈に沿ったものであった。それがどんどん世間とかけ離れたものになっていった。
「臨床」とは社会というベッドサイドのことを指す。それはある特定の当事者に寄り添うことであり、当事者の声を聴くことによって物事の本質を見出す作業とされる。自分というものを中心におかない。
カール・ロジャーズの心理カウンセリング理論がすぐに思い浮かぶが、著者はメ -
Posted by ブクログ
20/8/10
噛み切れない理論>棄てる側ではなく「棄てられる」側の噛んでも噛み切れない論理しか信用しない
哲学を馬鹿にすることこそ真に哲学することである>パスカル
言葉が他者との間に成り立つときには、まず働きかけとして機能する。働きかけること、感情を忘れること、対象にふれようとすること
どう変わって欲しいのかがはっきりしないと相手は変わらない
言葉をうけとめるといっても、そこには常にアースがひつようだ。自分がきちんと受け止めたら、自分のほうがもたない。それにがしっと受け止めると、それが反射して相手に悪影響を与えることもある。
私たちがいま失いかけているのは「話し合い」などではなくて