無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
聴く、届く、遇う、迎え入れる、 触わる、享ける、応える……
哲学を社会につなげる 新しい試み
第3回桑原武夫学芸賞受賞作
わたしは、哲学を〈臨床〉という社会のベッドサイドに置いてみて、そのことで哲学の、この時代、この社会における〈試み〉としての可能性を探ってみたいとおもうのだが、そのときに、哲学がこれまで必死になって試みてきたような「語る」――世界のことわりを探る、言を分ける、分析する――ではなく、むしろ「聴く」ことをこととするような哲学のありかたというものが、ほのかに見えてくるのではないかとおもっている。
本文より
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
哲学など縁がなかった僕が始めて読んだ臨床哲学試論だ。鷲田さんの言葉はまるで音符のように心に沁みこむ(音符は読めないが)瞬間もあれば、デジタルチックな難解な数学の公式の森を彷徨っているだけの瞬間もあった。兎に角最後まで読むことができた自分に拍手したい。
以下、気になった箇所、自分へのメモとして抜粋。
「臨床」とは「社会のベッドサイド」だそうだ。
「ことばは、聴く人の「祈り」そのものであるような耳を俟ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。」
「そしてなによりも<わたし>はひとりで棺桶に入ることさえできないからだ。」
「だれかが、あるいはは何かがじぶんを「待っている」という確信、これしもがしかし奪われたとき、ひとはいかにして「なお生きる」ということに耐えられるのだろうか。」
「子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることである。」
「こういう贈り物ができるかどうかはm¥、ふたたびそのひとが、つまり贈る人自身が、かつてたった一度きりであっても、無条件でその存在を肯定された経験があるかどうかにかかっている。」
Posted by ブクログ
哲学者である鷲田清一が「臨床哲学」という新しい領域を設定し、「聴く」という行為を切り口に、哲学の本質と可能性について論じたものです。論じること、書くこととしての哲学ではなく、「聴く」という営みとしての哲学を模索し、特定の他者に向かっているという特異性(シンギュラリティ)の感覚を重視することで、一般的原則が一個の事例によって揺さぶられる経験としての哲学を捉える。そのような姿勢を持つことで、哲学が「臨床」と結びつくのだということが解りやすく解説されています。「臨床哲学」を「明るいホスピタリティ」として位置づけ、哲学の新しい可能性を開示した桑原武夫学芸賞受賞作。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
試し読み
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用