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古い寺社は多いが歴史意識は薄く、技巧・虚構に親しむ。けったいなもんオモロイもんを好み、町々に三奇人がいる。「あっち」の世界への孔がいっぱいの「きょうと」のからくり――。〈聖〉〈性〉〈学〉〈遊〉が入れ子になり都市の記憶を溜めこんだ路線、京都市バス206番に乗った哲学者の温かな視線は生まれ育った街の陰と襞を追い、「平熱の京都」を描き出す。(講談社学術文庫)
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Posted by ブクログ
京都に関する不思議が、驚くほど明快に示されている良著。 質素なイメージの禅寺とギトギトラーメンの対比。 首都としての保守的な面と日本初の電車を通した先進的な面。 表面をなぞるだけでなく、著者自身の経験や歴史に関する造詣から炙り出される説が面白い。京都に少しでも関わりがある方、あった方におすすめです。
読み終えて、とてもびっくりした。 こんな素人みたいな始まり方で申し訳ないが、この衝撃は、京都について、余所の者とそこに住み続けている者との見方の差異や、京都がこんな街だとは思わなかったとか、そういう事ではなく、あくまでも、街という存在が、目には見えないところで燻っている、底の知れない人と歴史の複雑...続きを読むな積み重ねで、今なお生き続けている、不可思議なものであることを、まざまざと実感させられたからである。 とは書きつつも、哲学者の「鷲田清一」さんの視線で見た、京都の裏ガイド的意味合いがあるのも確かなので、まずは、親しみやすいところから書いていきます。 京都は、元祖ヴィジュアル系の「ザ・タイガース」を生んだ街であり、それに抵抗が無いのが太秦の存在だという面白い一面を持ちながら、『個』としての時間をもてる喫茶店という空間が、自然と自立を促すことの出来る、近代都市としての支えになっていた、誰でも受け容れてくれる自由な一面も持ち合わせている。 また、意外と知られていない京都の凄いところとして、琵琶湖疏水の工事を指揮した23歳の技師は、世界で二番目の水力発電所も建設し、飲み水としてだけでなく発電用水として活用しようとした、その試みは、後の西陣織等の伝統産業の近代化と、わが国初の路面電車の敷設に繫がっている事や、深泥池(みどろがいけ)の水生植物群落は、屋久島の縄文杉の比では無い、ウルム氷期の植物「ミズガシワ」等の氷河期の生き残りであり、その壮大なロマン故に、かつては幽霊が出るとの噂もあった、おまけ付きだ。 いや、おまけ付きだなんて失礼なことを言ってはいけない。そもそも京都の地には幽霊が見えるといった、嘘のような本当のような話も聞いたことがあるが、それは鷲田さんによると、『弱い者の自衛手段』なのであり、平安末期以来、外部者の権力争いに繰り返し巻き込まれてきた京都人の、それこそ『千二百年も都市であり続けた』故の、無意識に染み込まれていった、自我を持ち続ける為の必死な思いの継承もあったのかもしれず、だから京都人は、『身の丈を超えた京自慢などせずに、それぞれの地域で小さくて濃くて高度な幸福をしずかに堪能している』のではないかと感じさせられる。 しかし、そんな弱い者の自衛手段を分かっているはずの京都人が、それに相反するような行い─覆いや緩衝を許さない視線の暴力─をしている事も知り、それを『都市はいま空襲を受けている』と表現された鷲田さんには、京都という街に対するただならぬ思いに加え、京都から何か大切なものが消え去ってしまいそうな、大きな危機感も窺えるようで印象的だった。 例えばそれは、財布が軽くても、それでも「見かけ」に、「装い」にこだわった、戦後市民の心の張りに見られた、『損得を超えた心意気という「芯」』の喪失が、「着倒れ」がまさに倒れかかっている理由であることや(不況のあおりなどではなく)、ファッションについて、ここまでは何をやっても良いといった、リミットの存在に加え、自由と秩序が共にはっきり明確であることを説いているのは、いのちを保ち続ける多面体としての都市のあり方であり、おそらく、そうしたものが失われる事への多大な危機感を抱いたのだろうと私は思う。 ただ、そんな京都の弱い者の自衛手段を素晴らしい形に転換したと感じられた事の一つに、ファッションを『発姿音』と書かれた、「堀宗凡」さんが主人の、「玄路庵」の喫茶去を称えた、松岡正剛さんの、奇想天外ならぬ『奇想天内』という言葉があり、そこには、単なる奇人の奇想天外なものがあるのではない事に加え、京都でいうところの奇人は、リミットの基準となる程の達観した粋を持つものであり、それを自然に受け容れる度量を持つ京都人は、当然その基準を知っており、外から見えるなんて、そんな品位に反する野暮なことはせずに、その内なる空間でひっそりと華やかに、他では決して見ることの出来ない極上の芸術を披露する。これを粋と言わずに何と言おうか。 そして、更にそれを実感させられた文章を、少し長いが掲載したくて、これは私も目から鱗の思いだった。 『「ワンポイント・チャーム」という言葉があるが、これは褒める言葉がないときに、無理してなにか褒めるべきところを探したときに出てくるものだ。ほんとうに魅力的な物や人には、そんなチャーム・ポイントは探す必要がない。圧倒的な存在感があるだけだ』 まさに私は、この圧倒的な存在感を京都という街に感じられた上で、その存在感には、どこか隙があり過ぎるようでもあり、思わず見るに見かねて、つい手を差し伸べたくなるような、放っておくことのできない魅力的な街なんだと思う。 本書の表紙や本編に収録されているモノクロの写真たちを見ていると、色などには決して惑わされない、『ものの本質』がそこにあるように感じられる。そして、それは普遍的なことだから、きっと言葉も時代性も必要ない。 学校の歴史の授業で教えてくれるのは、「何かが起こった」という結果のみであり、そこから、未来の人達にどのように影響したのかは、自ら知ろうとしない限り、おそらく一生知らずに生涯を終えてしまうのかもしれない。 だからこそ、今回本書を読むことで、京都の街の中に潜む、数え切れない歴史と人々の、美しいことも汚いことも派手なこともささやかなことも全て引っくるめた、数え切れない思いが詰まりに詰まった、街自身の、永きに渡るいのちの歩みを知ることが出来て、とても嬉しかった。 本書は、Macomi55さんのレビューをきっかけに、知ることができました。 ありがとうございます。
はあ、鷲田さんの京都愛がじんわり伝わってきて心がぽかぽかする。特に市バス206番で一周というのがまた良い。なぜならそれは、ガイドブックに乗るような「定番の京都」とは違うので。京都に根を置いている者だからこそ見つけられる、「あっち」の世界への孔。これは単なる京都案内でも紀行本でもなく、京都という都市の...続きを読む見えない側面への誘いとなる本だ。
鷲田センセの学生時代とと自分の学生時代は重なっていないけれども、昔の知らなかったこと沢山教えて貰う。 その後も住み続けている自分にとって、身近なことを紹介してもらうと嬉しく、戒めとなることも沢山教えて貰う。 モジカで美品を購入。
副題の「哲学者の都市案内」というのが「何??」という感じがしないでもないのだが…これは「哲学の教授である筆者が綴った“都市”を論じたエッセイ」という程の意味のように思う。“哲学”等と付けば、何やら酷く面倒なことや、難しい話題のような感も抱くかもしれないが、決してそういうことはない。京都に縁深い大学教...続きを読む授が、普通に、京都を題材に“都市”を語る感じだ。大学の講義や、一般向けの講演で、先生が話しているのに耳を傾けるような気分でドンドン読み進められてしまう文章だ…
京都市内を1周する市バス206系統に乗った形式で、第一旭、イノダコーヒー、DX東寺、善書堂、神馬堂など「名所」を案内しながら、京都を紹介する本。特に、著者が北区在住のためか、その周辺の紹介には愛を感じる。 「おもろい」ことを尊ぶ風土、聖と俗、革新と伝統の混ざり具合などが繰り返し述べられる。驚いたのは...続きを読む著者の子ども時代に、車通りの少なかった西本願寺近くの堀川通で野球ができたとの記述。今では考えられない。あと、この本を読んで、縁切りの願い事を書いた絵馬が並ぶ安井金毘羅宮は行ってみたくなった。
以前京都に住んでいたことを思い出しながら、当時のことやそれ以前の京都の風景を懐かしみ想像しながら読んだ。 一度、この本を片手に京都市バスに乗って、京都の町を実際に巡ってみたい。
「京都」というコトバには独特の響きがありますね。 本書は、京都生まれの哲学者鷲田清一氏による「京都の町」「京都の人」をテーマにしたエッセイ風の読み物です。 鷲田氏流の京都案内の中に、これまた鷲田氏流の哲学的エスプリがトッピングされていて、京都に馴染みのない私にとっては、「なるほど」と首肯できるく...続きを読むだりが満載で、とても興味深く読むことができました。 鷲田氏が本書で語っている多層的・多義的な「京都」の姿について、是非とも、ほかの京都の方々の受け止め方も伺いたいですね。
じっくり読みました。 僧侶と舞妓さん、そして祇園。。 細い路地を、目的もなくぶらぶらするのは気持ちいい。 雨が止んだあと、町屋が濡れている景色にはいつも心惹かれる。 本多さんの「ALONE TOGETHER」の意味を、「うどん」の考察に見つけました。
案外、京都人は京都のことを知らないのでないか。 本書は、京都人による京都人のための京都案内である(勿論、京都人以外も楽しめる)。 JR京都駅から京都市バス206番に乗ってぐるり市内を一巡する趣向で、京都生まれ育った筆者が京都の町を案内してくれる。 しかしそれは単なる旅行ガイドではない。京都と...続きを読むいう町が持つ歴史・風俗から京都人の気質など、さまざまなの話題を硬軟取り混ぜて、いろいろな角度から論じている。そして、再び京都駅に帰ってきたとき、筆者が主張する京都論が見えてくるのだ。しかもそれは京都を論じながら日本のこれからをも論じているのである。 というようなことを書くと、かなり硬い本のように思えるが、そのようなことはない。大文字を「犬」文字にした学生のいたずら話からストリップやラーメン屋の話もある。「河原町のジュリー」を懐かしく思うのは、私だけではあるまい。 イラストや写真を多用し、タイアップした店の紹介に終始するスカスカで凡百なガイドブックなんぞは、もういらない。本書があれば充分だ。そうだ、本当の京都へ行こう。
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京都の平熱 哲学者の都市案内
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鷲田清一
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〈ひと〉の現象学
大人のいない国
生きながらえる術
老いの空白
試し読み
語りきれないこと 危機と傷みの哲学
「聴く」ことの力
岐路の前にいる君たちに ~鷲田清一 式辞集~
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