【感想・ネタバレ】しんがりの思想 反リーダーシップ論のレビュー

あらすじ

やかましいほどにリーダー論、リーダーシップ論がにぎやかである。いまの日本社会に閉塞感を感じている人はとくに、大きく社会を変えてくれるような強いリーダーを求めている。しかし、右肩下がりの縮小社会へと歩み出した日本で本当に必要とされているのは、登山でしんがりを務めるように後ろから皆を支えていける、または互いに助け合えるような、フォロアーシップ精神にあふれた人である。そしてもっとも大切なことは、いつでもリーダーの代わりが担えるように、誰もが準備を怠らないようにすることであると著者は説く。人口減少と高齢化社会という日本の課題に立ち向かうためには、市民としてどのような心もちであるべきかについて考察した一冊である。

鷲田清一(わしだ・きよかず)1949年、京都生まれ。哲学者。京都市立芸術大学学長。大阪大学名誉教授。せんだいメディアテーク館長。専門は臨床哲学・倫理学。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学教授、同大学文学部長、総長、大谷大学教授をへて現職。著書に『分散する理性』『モードの迷宮』(以上2冊でサントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)、『「待つ」ということ』、『哲学の使い方』など多数。2004年、紫綬褒章受章。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

いつも通りの鷲田さん、やっぱりいつ読んでもいいなぁと思う。こんなに現代社会を言い当ててるひとは数少ない。しかも、こんなに大切な言葉で。あったかい言葉で。

0
2015年09月26日

Posted by ブクログ

私たちは『いのちの世話の能力を失っている』という言葉にとても納得した。
 指一本で何でも動かせて便利になって幸せ〜って思ってたけど、実はそうではない。
 自分で自分の世話ができてない。お風呂も洗濯もお皿洗いも買い物も全部人間がやらなくなってきている。

 時代の流れもあるし、人に頼ることは必要だけど、いい意味のものではなく、悪い意味で頼りすぎているのかも。


0
2023年01月15日

Posted by ブクログ

大学の推薦図書で読みました。題名と内容が一致する部分は少ないが、現代社会の問題、といってももっと根本的な考え方の問題に触れている。なるほどなと思った。しんがりという言葉が好きになったし石工みたいになりたいと思った。

0
2022年02月03日

Posted by ブクログ

昭和から平成へと時代が移り変わり、様々な生活スタイルが変わって行く。将来子供達の時代はどうなって行くのか?

0
2017年02月12日

Posted by ブクログ

縮小社会・日本に必要なのは強いリーダーではない。求められているのは、つねに人びとを後ろから支えていける人であり、いつでもその役割を担えるよう誰もが準備しておくことである。新しい市民のかたちを考える。
「BOOKデータベース」より

リーダーになりたいなんて思ってないし、リーダーになれ、と言われても断るような自分には半分不要な本.働くときに傍(はた)を楽(らく)にしながら仕事をしようと思っている人にも半分不要な本.リーダーになれと無責任に言う側の人間が読むべき本.
自分に必要と思う半分は、頭ではわかってるんだけどね.という感じ.これほどまでに冠婚葬祭のみならず生きるに必要なことの大半がお任せになる以前の生きることに対する姿勢と実践.
東南アジアの山の中に行けばあるけど、これはグローバル化とかインフラの整備とかいう名のもとになくなっていく現象がある.
社会は前に進んでいるのか後ろに進んでいるのかと思う.

0
2016年06月04日

Posted by ブクログ

フォロワーシップという言葉がある。
良いリーダーとは、
リーダーシップとフォロワーシップを兼ね備えていること。
いざという時には人々を力強く導くこともできるが、
普段はじっと見守り、
行動しようとしている人をサポートし、
集団を背中からぐぐっと押し上げてくれる。
そんな人になりたいし、
何よりも目の前の生徒たちにはそういう力を身につけてほしい。

0
2016年06月02日

Posted by ブクログ

自身の実生活に重ねて強く感じたのは、地域コミュニティーの崩壊が進む深刻さ。
SNSは人を緩く繋ぎ続けることはできても、実体のある活動としての地域社会を維持できるかという面ではマイナスにすらなりうるのではないかと考えた。
外に出て、言葉を交わし、お互い対等な立場で何かを作り上げるイベントが地域に必要であると思う。

0
2015年08月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

しんがりの思想 鷲田清一

1章 成長とは別の途

成長の予感が安心をもたらす社会、縮小へとなかなか反転できないしゃかいというのは、実は未来をあなどる社会ではないだろうか。

柳田邦男 80年前、貧困と病による自殺の急増を見て思ったのは「説くにも忍びざる孤立感」というもの

顔にも貧窮が苛烈であったとき、それでも人々は協力して救済に当たった。つまり共同防貧の仕組みがあった。ところが

「われわれの生活が思い思いになって、衣でもも焼苦渋でもまたその生産でも、個人の考えが次第にククに分かれるようになった時代が来ると、災害には共通のものがおいおいと少なく、貧は孤立であり、したがってその防御も独力でならぬよう傾いてくる 」

「孤立貧こそ社会病」

自立と独立

独立は一人で生きていくこと。つまり非依存

自立は相互依存がある仕組みのなかで一人で生きていくこと。誰かがリスクを負っても他の誰かが助けて全体でリスクを減らそうと試みること。

「われわれは公民として病みかつかつ貧しいのであった」 柳田邦男

この傾向は明治からあった。福沢諭吉は明治初期に政府の文明化政策の目を見張る成果にもたれかかり、次第に依存体質になっていく民の姿を憂い、私立(民間の独立)の必要性を訴えかけた。
福沢は国民こそ本来、国の権限の源であるのに、相変わらず政府を拝んでいる。学校や鉄道ができても人民はそれを一国の文明の象徴として誇るべきなのに、かえって政府に私恩に記し、ますます賜に依頼するの心を増すのみ。人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、かへって人民の心を退縮セシムル具となるべきだ。

独立の気迫がないとますます依存体質になると説いた。

国家は人民が起こした商社みたいなものであって、そこで国民は商社の主人(政府を作る)であり、かつ商社の客である。普段は客であってもいいが、もし政府の命令が信用できないものであったなら如何なく議論し、政府の間違いをついて、民権を回復するべきである。つまり客ではなく主に帰れと。

東日本大震災 首相の無能さへの非難は本質的にはその人たちを選んだ自分たちにも責任があるのではないかという問い。


私たちに求められているのは、政治というサービスの消費者ではなく、社会を担う。受け身ではない市民としての振る舞いではないのか。

右肩下がりの時代をどうソフトランディングさせるか。何が本当に大切でなにを捨てるべきか考える時代になった。

二章 サービス社会と市民性の衰弱

0
2015年08月25日

Posted by ブクログ

繰り返しが多いと思ったが、まっとうなことをおっしゃっています。なんでも外注に出して誰もがお客さんになっている、と、本当にそれは感じる。

0
2015年06月16日

Posted by ブクログ

鷲田さんの本。バリバリの哲学関連の内容では
ないものは読みやすい。
強いリーダーではなく、しんがりを務め、フォロワーシップ精神にあふれた人が大切であるということ。
我々は、顧客・消費者ではなく市民であるべきということ。
右肩下がりで成長神話のみを追いかける時代ではないこと。
それぞれ非常に大事なことだと思います。
企業に働いていても、資本主義・成長至上主義ってもう無理ではないのかという思いを抱えながらという状態であり、これらの考え方がイノベーションを起こすのではと思います。
最後の一言『請われれば一差し舞える人物になれ』
これが一番大事なことだと思いました。

0
2015年04月27日

Posted by ブクログ

社会は変わり人も変わり生き方も時代も変わった。かつて戦後復興から奇跡的に世界のトップにまで上り詰めた高度成長。何をするにも働き手が不足し「24時間働けますか?」の掛け声の元、土日返上寝るのも惜しんで人は働き続けた。実際私の父も土曜日は当たり前の様に働き、日曜に仕事に行く事も何度もあった。今考えたら一体いつ休んでいたのだろう。家にはテレビ、冷蔵庫、エアコンは当たり前、何不自由なく生活できた上に、小学生の時には家も建て替えられ、自分の部屋を持って自分専用の本棚、一人で占有するベッド。何もかもがあった。パソコンだって今では考えられないハードディスク装置(今はFlash、SSDが当たり前だが)すら無い、ペラペラの5インチフロッピーディスクに全てが詰まっていた時代だ。家に50万円以上するパソコンで遊ぶ(勉強ではない)ために、学校から友達が集まってきた。
そんな時代は人口も増え経済は確実に拡大していた。だから今日より明日、明日より明後日と毎日便利に裕福になっていたようだ。
今はどうだろう。平成20年(2008年)からはいよいよ日本も人口減少時代に入った。人口が減るということは、当たり前だが、二人の親が二人以上の子供をもうけない社会だ。当たり前ではあるが、年月が過ぎれば人は確実に死に向かうから、現在の様な出生率1.2%程度では確実に減少に向かう。
かつての人口増加、経済拡大の時代は何をやっても明るい未来しか想像できなかったが、バブルが弾け、経済が急激に萎み、更には人口減少と続く社会に於いては、これ迄とは違った戦略とものの考え方が必要になる。
本書はそんな縮小傾向に向かう日本においてはどの様な考えで生きていく必要があるかを説いている。タイトルにある「しんがり」とは、軍隊で言えば撤退する際に、味方を逃し最後尾で戦う部隊だ。山登りの一番最後尾は最も山を知り尽くし、隊の誰かに大事があれば真っ先に手を差し伸べる役割を担っている(よって隊を先導する先頭には実力2番目の隊員が立つ)。今、人口減少、経済縮小に向かう日本を「撤退戦」と見たてて、そこに必要な人材に迫る。それはグイグイみんなを引っ張るリーダーシップではなく、後ろから支えるフォロワーシップになる。
本書は最初にそうしたリーダーシップ本が多いことに苦言を呈しているが、確かに会社にリーダーシップばかりの人材が溢れたら、それは単なる我の強い個人戦になりかねない。誰かが倒れても誰かが代わりになれるのは良いが、果たしてその様なチームに纏まりはあるだろうか。寧ろ静かに黙々と仕事をこなすメンバーがいてこそチームは成り立つ。全員が我よ我よと我を全面に押し出していたら纏まりはないだろう。メンバーの個を生かしチームとして後ろから支える様な力が必要だ。
またメンバーが自分くらい良いやと無責任になれば、物事は成し遂げられない。一人一人が自分の領域に責任感をもって熱心に取り組む必要がある。本書はそうした状態を、選挙で選ばれた政治家と民衆の関係に例える。選んだ方は、無責任に政治家に「押し付け」るし、選んだんだからやってくれと「おまかせ」してしまう。これはかつての日本が子供を地域で育てた時代とは明らかに違う。昭和の子供は近所中にお母さんがいた。どこに行っても可愛がられたし、その逆に怒られもした。社会全体が子供を育てることに対して責任を持っていた。
本書はこうした例を次々と挙げて、各自が責任を持つことの重要性と、縮小に向かう日本における戦い方を示す。
経済は中国語の「経世済民」からきた言葉だ。政治が世の人々を勝手に救い続ける時代では無い。そのうち医療や教育に携わる人間も減っていく。その一方で何もかも頼りきりの人間だけが増え続ければ何は破綻するのは目に見えている。私は自分を自分で責任もって生かしていけるだろうか。少なくとも、食べて暮らしていけるだけの元気な体と体力を責任もって維持していきたい。

0
2023年07月04日

Posted by ブクログ

各論には反対、というかとうていついていけないようなところがあるけれど、現在の市民はあらゆることに「おまかせ」になっているという批判については同意。
最近の著者は、だから草の根でも何かやろうよ、という立場で、実際にそれを実践していたりするのね。

0
2017年08月15日

Posted by ブクログ

縁の下の力持ちの重要性について論じた本。誰もがその役割を担うことを心がけるべきだというのが本書の主張。
この主張には納得できる部分もあるが、フォロワーシップとリーダーシップはバランスをとることが重要だと個人的には思う。どっちが消えてもダメ。

0
2015年07月17日

「ビジネス・経済」ランキング